何だか信用が出来なかった。あいつが何を言おうがオレからしたらあり得ないことだ。
そう思っていたのだが、オレは教室の後ろにある黒板をぼーっと見つめていてあることに気がついた。
その黒板は明日以降の連絡事項について帰りの会が始まる前に係のヤツが書くんだが、体育係のヤツがスラスラと書く内容に一部の生徒が騒ぎ出す。

持っていくものは水着と体調管理カード。この文字が書かれると夏がやってきたと思わせる。やっとそんな時期か。冷房も無いクラスは蒸し蒸しと日本特有のジメッとした暑さだからこそプールの授業が待ち遠しい。

オレもその待ち遠しかったヤツの1人なのだが、必ずしも良く思わないヤツもいる。例えば泳げないやつとか。
あのときみょうじの言っていることが本当だとするなら、みょうじは泳げなくて前の学校の授業から逃げ出した位にプールの授業が嫌いだ。しかしながら今まで遅刻や欠席すらしないみょうじが果たしてこの学校で休むだろうか。
試しにみょうじの言葉に乗っかってみるか。体育係の汚い文字を見ながらノートを取り出す。

みょうじはあいつらに囲まれた席だ。オレが近づいただけでもサンドバッグにされる。そしてオレはみょうじの家を知らない。そんなオレが出来ることといえば古典的なのだが手紙だ。
誰にも見られないようにオレがみょうじの下駄箱に手紙を置けばいい。何て書こうか。差出人のオレの名前はみょうじ以外の誰かにバレたときのことを考えるとどうしても書きにくかった。オレとみょうじしか分からないこと…。頭を悩ませつつ、帰りの会の話が耳に入らないままシャーペンを紙の上に走らせた。

放課後になった瞬間に、いつも通りを装いながら荷物を持ってそそくさと教室を出る。そんな姿が滑稽に見えたのかオレの視界に見えるように誰かが指をさして笑っていた。


すぐに教室を出たお陰で人がまだ誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろすも、心臓はこれからだと意気込むようにドクリと音を立て続ける。恐る恐るクラスの最後の出席番号が書かれた下駄箱に手を伸ばす。ギィと金属の扉の開く音が更に鼓動を高鳴らせる。

中が見えた所でピクリと指先が震えた。中はみょうじの外靴の他に数通の封筒が入っていたからだ。ラブレターってやつか。スゲェって思うと同時に黒いモヤが一気に体内に広がるような不快感が襲いかかる。ラブレターらしき封筒の上に堂々と何回か折り畳んだだけの紙切れ1枚置いてすぐに帰路についた。

オレの家の敷地内に入った所で追手なんていないのに追われていたような負の興奮が襲いかかる。悪いことなんてしてない。ただ女の子の下駄箱に手紙を入れる行為が初めてで、あれで本当に良かったのか不安が込み上げる。
やっぱりしっかりと封筒とかを用意しておくべきだったか?読んでくれただろうか。捨てられていないだろうか。そもそもあの紙を手紙と認識してくれているのだろうか。もうオレだって紙切れなんて言ってるし…。

自転車がずらりと並ぶ店の中にぽつんと存在するパイプ椅子に腰掛けながらモヤモヤと考えていると、甲高いベルの音がオレの耳から脳内に響き渡る。
その音だけが鮮明に聞こえたような気がする。まるでオレはベルの音だけを待ちわびていたかのように瞬時に立ち上がり店の外へ出ると、オレが直した自転車を漕ぐあいつがいた。


「手紙、読んだよ。"メロンソーダくん"」


ニコリと笑顔を見せその言葉を聞いたとき、一気に顔の熱が上がっていった。なんとも言えない恥ずかしさが込み上げる。


「すぐに左右田君って分かったよ。名前が誰かに見られたらまずい。だから修学旅行のときに君が飲んでいたメロンソーダのイラストを描いてくれたんだね」
「……後でその紙は捨てておいてくれ」
「左右田君から貰った手紙は捨てないよ」
「いやいや!頼む!マジでそれ恥ずかしいからよォ…!」
「やーだ!」


簡略に分かりやすく描いたつもりのメロンソーダフロートがみょうじに通じたのは嬉しいがいざ下手な絵を見られると恥ずかしい。オレの願いはあっさり拒否されてしまった。


「流石にここに入り浸るのは迷惑だよね。だから端的に伝えておくね。明日の朝、この街の駅に集合!」
「……それだけか?」
「うん。出来れば学校を通らないようにね」


いや、それで良いのかという不安は残るものの縦に頷く。
みょうじはそれを確認すると自転車に乗っては颯爽と消えた。
本当に分からない。意外と変わってるヤツなのか?そう思いつつ家の中へ入った。


……


朝だ。いつも通り制服に着替えて外に出る。
親に迷惑をかけたくないからだ。通学路を避けて駅に辿り着く。社会人や高校生が行き交っていて、オレは場違いなのではと思わせられる。

約束の時間に近づくにつれ辺りをキョロキョロと何回も見渡す。すると遠くから制服姿で見覚えのある顔のヤツがやってきた。オレをここに来させた人。


「おはよう、左右田君」
「おう、おはよう」


挨拶を軽く済ませると行こっかとみょうじが先に歩き出す。オレもその後を追うことにした。


「みょうじ。どこへ行くんだ」
「……やっぱ前の冗談撤回」
「は?」
「私の家へ行こう、招待するよ!」
「はあああ!?」


突然のことに開いた口が塞がらなかった。
修理しているときのみょうじの言葉が実現しようとしている。女の子の家にオレが行っていいのだろうか。突然鼓動の高鳴りが速くなっていく。


「よくよく考えたらどこか遊びに行くなんて出来ないもんね。バレたら厄介だし。だから私の家で遊ぼっか!」
「け、けど、オレとオメーが休んで先生とかどうするんだよ?何にも連絡してねーし」
「寧ろそれで大丈夫だよ、手は打ってあるから」
「はぁ?」


相変わらず笑顔を崩さないみょうじに疑問を抱きつつ、詳しく教えてくれない様子に少々苛立ちを覚えた。こんなことバレて先生や親に知られたらどうなるのだろうか。すぐ先のことに憂鬱になる。


「左右田君、あれだよ」


みょうじの声に顔を上げるとあいつの指し示す先はこの街の中でも特に目立つ大きな複合施設である高層ビルだった。ショッピングモールの上にマンションがあった筈…最早オレの視覚や聴覚がおかしいのではと疑った。


「オメーまさか、ここに住んでるって言うんじゃ…」
「うん、上の階だよ」
「うっそだろ!?」


信じられない。ここに住んでるヤツなんて相当社会で成功しているヤツくらいだ。ましてや引っ越してきたばっかの人間が住む家な訳がなかった。権力者の息子の一ノ瀬がここに住んでると言っても驚かないくらいだ。実際違うけど。
みょうじ…一体何者だ?


「まぁ、詳しい話は後で話すよ」
「お、おう…」


店の入り口とは違う、マンションの入り口でみょうじは壁に備え付けられたパネルを押しドアが自動的に開く。オートロック。そこからエレベーターに乗り、みょうじは階数のボタンを押す。…13階。ボタンは15階まであると考えるとみょうじの家族は相当金持ちに違いない。

長いエレベーターは13階で終わり、みょうじは手元に握りしめていた鍵を使って扉を開ける。ネームプレートもみょうじと書かれていた。ここが家…。初めて女の子の家にお邪魔するとなると体内で動く心臓の音が隣にいるあいつにまで聞こえてきそうだ。


「お邪魔します」
「うん、どうぞ。今、私の親は仕事でいないんだ」
「なっ」


いない。ということは一つ屋根の下で2人きり…。益々体温が上がっていく。悟られないように無表情になろうとしても頬の熱さは収まらなかった。


「毎日夜まで帰ってこないの。だから前の学校では授業を抜け出しても、親は先生の電話に出ることはないし。翌日私が先生に怒られちゃうだけ」
「お、オメーはそれでいいかもしれねーけど」
「大丈夫だよ、左右田君は休むって私が連絡したから」
「ハァッ!?な、何で!?」
「最初は先生がすごい怒ってたけど言い返したら渋々OK出してくれたよ。左右田君への虐めって先生達は知ってて黙ってるんでしょ?だからね、『虐めを黙秘してること、加害者を庇っていることが知れ渡ったら大変だよ』って」
「お、オメーって何者なんだ…?」
「……"みょうじグループ"って知ってる?」


その言葉に一瞬だけ体が過剰に反応した。みょうじグループって確かCMで聞いたことがある。確かホテル経営を中心としたデッケェところだったような…。


「まさかみょうじってそのみょうじグループの…」
「……うん、まあ…左右田君が思っていることで"とりあえず"は大丈夫」


みょうじの歯切れの悪い会話とどこか憂いな表情に息が詰まった。オレはてっきりそこのお偉いさんの娘だと思っていたが、この言葉からして…あまり触れてはいけないものなのか?詳しいことは聞きたくても、オレの不注意な言葉があいつを傷つける刃物になり得た。何て声をかけようと詮索している内にみょうじはオレに笑顔で話しかけてくる。


「ごめん、変なこと言っちゃって。飲み物用意するよ。麦茶でもいいかな?」
「ああ、いいぜ」


鼻歌まじりに冷蔵庫から麦茶を取り出すみょうじを横目に周りの内観を見渡す。
キチンと整頓されていて、白色がよく映える綺麗な家の中だ。毎日掃除されていることがよく分かる。窓際の観葉植物がただそこにあるだけなのに物凄くオシャレに見えてくる。
ただ気になるのは確かにモデルルームのようなスッキリとしていて快適な部屋なのだが…生活感があまり無いように感じた。…引っ越してきたばかりだし、気のせいなのだろうか?


「羨ましいな。オメーは毎日ここで暮らすのかよ」
「そうだね。でも羨ましいかな?」
「羨ましいに決まってんだろッ!」
「…ふふ」
「何がおかしいんだ?」
「左右田君が笑うの久々に見たなって」


そうみょうじに微笑まれてから表情筋がピクピク動く。そういや、久々に口角を上げたような気がした。そんなに笑っていなかったのだろうか。


「見えた」
「あ?何が?」
「左右田君の歯って意外とギザギザしてるんだなって」
「な、見るなよ。恥ずかしいから」


食べやすそうでいいな、と安直な感想を言ったみょうじは氷と麦茶が入ったコップをオレの前に優しく置いてくれた。いつの間にオレの歯を見ていたんだ。恥ずかしい所だけ見られているような感覚が擽ったくて羞恥心に駆られる。


「カッコいいじゃん、その歯ってヤスリか何かで削ったの?」
「元々だっての」
「そうなんだぁ。サメみたいでいいね」
「…あのさ。オメーって部活はどうしたんだ?」


部活動、そういや勧誘されていたみょうじはどこか入ることになったのだろうか。オレはといえばパソコン部みたいな所に入っている。けど修理なんて出来ねーし、パソコンが壊れたとしても触らせてくれねーから部活内の会議を除いては下校している。ほぼ幽霊部員だ。


「迷ったよ、テニスとかユニ可愛いし」
「テニス…」
「料理部とかもいいなって」
「料理…」
「いっそのこと苦手に立ち向かって水泳とか!」
「水泳…」
「……って思ったんだけど3年の部活って秋くらいになるとほとんどの人が引退じゃん。だから今更って感じがして…私はどこにも入らないよ」
「………ほーん」
「…左右田君?」
「ん、な、何だ?」


しまった。いつの間にか話を聞いていなかった。まさか、ミニスカユニフォーム、エプロン姿、競技水着姿のみょうじを思い浮かべてたなんて言えない。言ったら気持ち悪がられるの確実だ。今度こそ嫌われる。


「何だかボーッとしちゃってどうしたの?」
「いや、何でもない」
「…そう?そういえば新作のゲーム親が買ってきてたんだけど遊ぶ?」
「あ、ああ!遊ぶか!」


何事も無かったように無理な元気を見せ、みょうじと大きなテレビの前で隣同士で座る。
正直、このままでいいのか分からない。だけど今がすごい楽しいってことだけは分かる。
みょうじはゲームやるのか?と思っていたが、オレの勘は珍しく当たっていてみょうじはあれ?とか言いながらガチャガチャと無造作にボタンを押していた。
……どうやらゲームは水泳並みに苦手らしい。


「オメー…操作方法分かってるか?」
「うー、分からない。ゲームあまりしないから」
「そんな乱雑にするとオレが修理する羽目になるからな。メンドクセーことすんなよ?」
「あっ!そうか!いつ壊れても左右田君がいるもんね!」


一際高い声をあげたかと思いきや、みょうじは目を輝かせて更にコントローラーをガチャガチャやり始めてしまった。画面上の操作キャラも動きがめちゃくちゃ過ぎる。あまりにも情報量が多すぎてどこからツッコめばいいか分からない。


「いやいやいや!!!落ち着けって!オレもやるからッ!」


……


疲れた。
非常に疲れた。
一章クリアしたときにはもう夕方になっていた。コントローラーは幸い無事だった。


「左右田君に教えてもらったらサクサク進んだよ!今まで最初の所で止まっていたのに」
「……オレは基本操作だけ教えただけだっての」
「はは、いつの間にかこんな時間になっちゃったね。下のエントランスまで送るよ」


みょうじとエレベーターで乗る。1階へ行くまでの時間がすごく短く感じた。さっきは13階までの時間が長く感じたのに変な感じだった。


「…楽しかったかな?」


ポツリと呟く声は小さかった。僅かに首を傾げている姿にオレは縦に頷いた。


「楽しかったぜ」
「本当?また夏休みになったら誘ってもいい?」
「ああ、いいぜ。…あいつらに見られなければ」
「ありがとう!絶対遊ぼうね」


満面の笑みを浮かべるあいつの姿に目を逸らしてしまう。今日は朝からみょうじと2人きりだったんだよな。そう思うと自然とニヤニヤとしてしまう。


「左右田君」
「な、何だ?」
「また明日学校で…話せない、けどね」
「…ああ。また明日」


エントランスを出てオレが手を振ると、みょうじも小さく手を振り返してくれた。後少しだけいたかったが、流石にわがままだろう。エントランスで誰かが見ているかもしれない。マンションに背を向け、帰路に着く。
今まで積み重なっていたモヤモヤが全て取り除かれたような晴れやかな気持ちで帰り道を歩いたのは本当に何年ぶりだったんだろう。







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