![]() 「おい、いつもの場所にすぐ来い。分かったな?」 放課後になると河西が頭上から見下してくる。教室の隅では三谷と一ノ瀬がオレを見てニヤつく。 逃げられないから行くしかない。逃げても地の果てまで追ってくるヤツだ。そのまま家に帰ったら家族に迷惑かけちまう。 クラスがある北棟に比べて人が滅多に来ない南棟3階の男子トイレ…人が来ないからこそあいつらには都合が良いのだろう。 重い腰を上げて教室から出る。横目にみょうじを見ると部活動の誘いで女子達に囲まれ、ここからまともに姿は見えなかった。 男子トイレに入るといつもの3人組と隣のクラスの取り巻きが待ち構えていた。全員が不機嫌そうにこちらを見る。 「オイッ!転校生とお前はどういう関係なんだよッ!」 河西は突如怒り狂い、三谷に体を組み付かれる。ガッチリと固められ身動きが全く取れない。 「うっっっ」 「言えッッ!オラッッ!!」 河西の握りしめられた拳が思い切り腹部に刺さる。 「三谷よぉ、その転校生ってマジカワイイのか?まともに見たことねーんだけど」 隣のクラスのヤツらが興味深そうに三谷の方へ目を向ける。三谷は更にオレの体を締めつけ、爛爛とした表情で話し始める。 「めっちゃ可愛い!ミスコンテスト優勝レベル!隣の席でイイ匂いするんだよ!」 「マジかよ!そんなに可愛いんだ!お前隣の席なんだろ!?今度写真撮ってこいよ!」 「へへっ、任せろって!…だけどコイツがその噂の転校生と馴れ馴れしいんだよねー」 「は?左右田が?うっざああ!」 みょうじのことに対しては無邪気な声とは裏腹にオレのことだと嫌なものを見たかのような低い声を三谷は上げた。 取り巻き共がこちらに目を向けると河西に続いて殴りかかる。避けきれる訳がなく全て受け止める。胃液がこみ上げ、口内は嫌な酸っぱさが広がる。 「おい、聞け」 数発殴られた所で傍観していた一ノ瀬がオレの髪を引き上げ、顔を無理矢理向けさせられる。 「どういう関係か知らねえけど、調子乗ってるとコレだけじゃ済まねえよ?明日からは一切みょうじと口を聞くな。例え授業中でも学校外でもなッッ!」 「…ぐぁっ」 一ノ瀬の真っ正面のパンチは腹部に直撃した。嗚咽と同時に涙が生理的に溢れる。床で這いつくばるように蹲っているうちにあいつらは別の話題に切り替えて和気藹々と話しながら出て行った。 ふらふらと目眩がする。今となっては当たり前のことだけど痛みは増すばかりで全く慣れない。 校門から出ると下級生がゾロゾロと帰路についている。暴力を振るわれたことがバレないよう背筋を伸ばすが殴られた箇所がズキリと痛む。 一歩一歩が小さく、家までが遠いと思いながら歩いていく。数分の帰り道が数十分、早く制服から着替えて布団の中に入りたかった。 自転車屋の奥へ入り、制服を脱ぎ捨てて布団の中へ飛び込むように入る。ウトウトと意識が朦朧としていく。 少しだけ眠れば、何とかなるだろう。 … 下の名前が呼ばれた。この呼び方は親だ。 目覚めが非常に悪い。とはいえ制服を脱ぎ捨てたままなのを忘れていたし、学ランをしまいながら外に出てもいいような服を着る。と言っても半袖の上着を羽織るだけなのだが。 親に聞けば自転車の修理だとか。そんなの親の仕事なのだがオレを呼んでほしいとのこと。こんなことは今までに無かった。だからこそ込み上げてきた胸騒ぎは的中した。 「……」 「こんにちは」 急いできたのだろうか息を少し荒げ頬を紅潮させながら挨拶を交わしたのは紛れもないみょうじだった。 … 「…まさか本当に自転車の修理しにきたなんてよ」 髪先を弄りながら目線を見慣れた工具箱へ逸らす。何とも言えない恥ずかしさがあった。何しろオレの親にオレを呼んでほしいと言ったのだ。オレと同い年の女の子が。親は別の仕事でそそくさと別室へ行ったから察されたのではと背筋が少し冷えた。 店の奥にみょうじが持ち込んだ自転車を置き、あいつの言っていた箇所をチェックする。 「………オメーはいつからこの街へ来たんだ」 「んー、1週間前かな。左右田君を見送った後に帰ったら引越しのことを聞いてね」 「結構急だったんだな」 「うん。それでこれから行く中学校の通学路の下見も兼ねてこの街を散策したいなって。そしたら思いっきりコケちゃって。そのせいか自転車が調子おかしくなったんだ」 確かにペダルの回転がおぼつかない。ブレーキもしっかり効かない。転倒しておかしくなることはあるものの…違和感があった。 見た所まだ新しい物だ。錆はあれどほんの僅か。それなのに転倒しただけでこんなにおかしくなるか?そもそもの不具合だろうか。 目に力を入れて自然と眉間を潜めていると隣から鈴のような心地良い声が聞こえてくる。 「転んで得した」 「は?」 「左右田君がいたんだもん。あのときの言葉通りに修理してもらえるんだから」 「何を言ってんだよ。…オメー自身に怪我はねーか?」 「全然」 ひらひらと両手を広げて笑う彼女を見て、先程の疑問はこれ以上考えるのをやめた。オレが直せば良いだけの話だ。幸い交換部品は揃っている。 ふと脳裏に放課後の出来事を思い出す。 …そういや、話しちゃいけなかったのか。学校外は良いだろうと思ったものの、みょうじからオレのことを言えばバレるだろう。あいつらと近くにいるヤツが全員オレを見下してるって思い込んでしまう。いつかはみょうじを信じられなくなってしまうのだろうか。 自転車から目線を逸らさず、手に持っていたスパナを強く握りしめる。 「……みょうじ」 「ん?」 呼吸が荒くなるのを感じる。何とか抑えつつ、ガラガラになりそうな声をいつものトーンに戻す。 「暫くはオレから離れた方がいいぜ」 「…」 「見ただろ?オレの学校ってヤベーヤツらばかりだって。オレと関わったら嫌なことばかりの生活になる。オメーが話しかけてくれたのは嬉しかったけどこれ以上は関わるな」 早口になった言葉を紡いだ後に部品を交換する。何とか冷静でいたかった。今はみょうじよりも目の前の修理に集中したかった。 あいつの反応が怖くて、折角近づいてくれた人を遠ざけたくなくて苦しかった。 「あー、何か言われたね?」 「……」 「大丈夫だよ。左右田君関連のことは何も言わない」 「……」 『こいつだ!全部こいつの仕業だ!』 ふと脳裏にアレがよぎる。 怒りに歪んだ顔がオレのことを指差してくる。今までに見たことのない、親友だった三谷の顔。 「左右田君?」 「!」 隣の声で我にかえる。ボーッとしていたようで手元を見た。まだ新品の部品が握り締められている。 「……ごめんね。左右田君の為と思っていたけど、嫌だった?」 隣を見れば、みょうじはしゅんと悲しそうな表情を浮かべる。悲しませてしまった事実に慌てて声を掛けるも上手く言葉が出ない。 「い、いや、嫌じゃない。ただ、オレも…迷惑かけたくなかった」 「…分かってる。あの異様な雰囲気は初日から重苦しかった。だからこそ助けたいって思ったから…それに」 「それに、何だよ?」 「……少しでも多く左右田君のそばにいてあげたいなって」 長い間の後に出てきた言葉に思わず胸が締め付けられた。これで今日は2回目か?いや、授業中でも目が合う度にギュッと心臓を掴まれる感覚がした。 今までのオレなら即座にこいつを好きになっていただろう。だが好きになりかかっている気持ちを押し殺した。 オレ自身、こうして人の言葉を信用出来ないことに憤りを感じている。だけど、アレがあった後の今はもう言葉だけでは信じられない。人の中身まで信じられずに言葉だけ信じた故にあんなことになってしまったのだから。 「…サンキュ」 素っ気なく言葉を早口で吐き捨てて修理の手を進める。もう既にあいつらに唆されてオレを貶めにきたのでは。そんな気持ちが拭われないまま気まずい空気が店内を包んだ。 「……ねぇ」 いざ部品の交換を、その瞬間にみょうじの声が聞こえた。振り向くと手元が狂いそうになる。目線を自転車に向けたままにしてみょうじの言葉に耳を傾ける。 「どうすれば君は私を信じてくれるだろう?」 … 「ほら、乗ってみろよ」 店の外に出て、そう促すとみょうじはサドルの上に乗り、ペダルを漕ぎ出す。スムーズにチェーンが回り、みょうじは明るい笑顔でくるくるとオレの周りを回った。 「すごい、新品みたい!何か手品使ったの?」 「んな訳ねーだろ。オレの才能だって」 「すごいなぁ。何かあったらまた頼もうかな?」 オレの目の前で自転車がキッと止まり、自転車に体を預けながらみょうじはこちらを向く。 「あ、お金持ってきたんだ。修理代は?」 「要らねーって。オレが好きでやってるだけだし。オレが貰ったら親が疑うんだよ。女子から金取ったのかって」 「んー、中学生がお金のやり取りするのって親からしたら不安だもんね。……ならあのことでチャラ。それでいい?」 一瞬戸惑うものの、さっきの会話で言ってしまった以上頷くほかなかった。 「やった!お願いね?」 みょうじは顔の近くで小さいガッツポーズをした後、両手にハンドルを握りしめた。 「じゃあね、左右田君」 「…ああ。またな」 小さく手を振ると、みょうじも小さく手を振り返し、自転車を漕いで遠くまで行ってしまった。 姿が見えなくなったのを確認すると、先程の会話が思い浮かんだ。 それは信じられなかった。だからこそ内容を反芻して夢じゃないことを確認したかった。 … 「どうすれば君は私を信じてくれるんだろう?」 「……だから、明日からオレに近づくなって。それを守ってくれたらオレはオメーを信じるぜ?」 「………こんな感じに学校じゃない所でも駄目?」 「…ああ、駄目だ」 「そんなに怖いんだね。あの人達」 「オレが臆病者ってか?ああ、オレは弱いんだよ」 「…そんなこと言ってないって。一ノ瀬君達って学校は絶対来るの?」 何でそんなことを聞くんだ?少々疑問を抱きつつも答える。 「4月から休んだって聞かねーな。言っちゃ悪いがあいつら学校では立場が先生より上だからって良い気になってるし、それに中3って高校受験だし、内申点もあるから自主的に休むことは無いんじゃね?」 「…ふーん。そっか。相手が休む気は無いんだね」 部品を取り替えて工具でキツく固定させる。腕に力を入れて、みょうじが自転車を漕いでいる途中で外れないようにしっかりと固定をした。 「ねぇ、左右田君が休めばいいんじゃない?」 「は?」 固定し終えてひと段落したときに突拍子も無いことを言い始めた。何を言い出すんだと思いながらやっとオレは振り向く。みょうじは笑顔を作りながらも淡々と真面目な声色で話し始める。 「左右田君って真面目だから。たまには休んでいいんじゃないって」 「いやいやいや!何言ってんだよ。オレにだって受験あるからな!?休んだらマイナス評価だって」 「どこ受けるの?」 「工業。機械の授業が沢山ある所ってサイコーだからな!そう言うオメーは?」 「まだ何にも」 そりゃそうか。ここに来てまだ間もない。まだ決まってないということはあいつらと同じ高校に進学する可能性もあるわけで…大人気なくイラッとしてしまった。 「何だか自由で羨ましいな」 「…それは一旦置いといて。仮病でも使って少し休んだ方がいいってば。その方が互いの為にもなるし」 「言っとくけどオレ親には迷惑かけられねーし、家に引きこもれないからな」 「うん、だから休むときは私の家に遊びに来て?」 その言葉に体が一時停止の信号を受けたかのように硬直した。私の、家?みょうじの家? コンマ1秒間過呼吸になる。 「はぁっ…!?な、ななな何だって?」 「はは、冗談だよ」 「……は?」 冗談でも笑えない冗談だ。つい家の外観をオレなりに想像してしまった。 ニコニコしてるこいつに振り回されっぱなしでどっと疲れが溜まる。 「でも休みは必要だって!休むなら呼んで。考えがあるんだ」 みょうじはニヤリと口角を上げる。オレにはみょうじが何かを企んでいるようにしか見えなかった。 ← → |