「………」

---誰かの声が聞こえる。

「………」

---その懐かしい声は、

「左…田君…!」

---オレを呼ぶこの声は、


「左右田君っ!」
「うぉっっ!?」


耳元で大きい声で呼ばれ、驚きの声を出す。
ふと隣を見ると心配そうに見上げるみょうじの姿がそこにあった。紺色のブレザーからしてみょうじが通っている高校の制服だ。
周りを見渡すと、夕方の公園のベンチに座っているオレ達の他に滑り台やブランコで遊ぶ子供達の姿が見える。公園の中心には時計台があって丁度4時45分をさしていた。

………この日は確か。


「ね、ねぇ、どうしたの?ボーッとしちゃって」
「…い、いや。なぁみょうじ?」
「何?」
「今日、……その…下着はピンクか?」
「えぇっ!?」


その瞬間、みょうじがオレの体をドンと押した。力のままにベンチの上で倒れそうになるのを腕の力で支える。いつつ…ちょっとは手加減してくれよ…!
ああでも、…この反応は合ってるな。みょうじは頬を赤く染めて恥ずかしそうにしていた。


「な、何で知って……違う違う!左右田君のエッチ!セクハラ!」
「………へへ」
「ど、どうしたの?左右田君?」
「……みょうじ……ッ!」


あのときと全く同じ。つまり江ノ島の言う通り"戻って"きたんだ。あの日に。運命の選択の場面に…!
隣にいるみょうじを強く抱きしめる。突然のことに慌てるみょうじに構わず胸の方に手を押し当てる。
温かい…それにみょうじの胸からとくんとくんとオレの手を介して心臓の音が聞こえてくる。柔らかいみょうじの体が、その音がトリガーとなって嬉しくて涙が止まらなくなる。
動いている、みょうじが生きてる…!


「や、やだっ!どこ触って…!ねぇ、左右田君!子供達が見てるから一旦離れよう…!」


背中や髪を軽く叩いてオレを引き離そうとする。みょうじ、頼む……もう少しだけ。


「左右田君、お願い…っ!」


みょうじの切実な声に渋々ながら、抱き締めるのを止めた。オレ達のことを凝視してた子供は形相を変えた母親の手によって引きずられていく。みょうじを見れば恥ずかしそうに目を泳がせている。


「もう、どうしたの?急に泣いたり、抱きしめたりして」
「…すげー幸せだなって」
「そんなこと言って…セクハラを許してもらおうって魂胆見え見えだよ?」
「いや、マジのマジだって!こうして何でもない日にみょうじといるだけで嬉しいんだって!」


本当のことだ。平和な世界で好きなヤツといれるなんて物凄く贅沢なことだってオレは散々思い知らされた。
そう強く言うとみょうじはオレから目を逸らす。よくよく見れば頬だけでなく耳まで真っ赤にしてやがる。…可愛い。こんな仕草を見たことがないなんて今まで損してたなオレ。


「……左右田君も言うようになったね」
「だろ?オメーは?」
「…幸せ」


ポツリと呟かれたその言葉はオレの心の奥にひたすら反響していった。最高。良いもん聞けた。


「…話戻すけど、左右田君は行くの?」
「ん?」
「ほら、それ。希望ヶ峰学園の入学案内」


オレの手には茶色の封筒が握られていた。中身を取り出すと数枚の紙が入っていた。スカウトされたという内容の手紙と入学案内の書類だ。

前のオレはこれで誰からも認められる自分になれるって、いつもオレを支えてくれたみょうじに相応しい男になれるって浮かれていたっけな。
それで入学したはいいものの、事件のせいでオレ含めた77期生を始め、全世界が絶望に包まれていった。認められた才能を使って無我夢中に建物を壊し、人を殺し続けた。
ただ自身の快感を得る為だけに。

一瞬、みょうじの最期の姿がフラッシュバックする。絶望に堕ちたオレにどこまでもついていくと笑い、オレなんかに愛してるって言ってくれて、オレが痣だらけの体を優しく撫でたら泣き出しちまって、それで……未来機関のヤツらに襲われて、みょうじは突き飛ばされて地面へ真っ逆さまに落ちて……。血だまりの中で動かないみょうじの体を思い出した瞬間にズキリと頭を始め、全身に痛みが走った。

…そうだ、こんなものが無ければ。
あんな事件が起きることはないだろうし、オレが犯罪者になることもなくてみょうじが死ぬことだってない。
オレがこの学園に入学しなければ未来が変わるはずだ。そう思うと目の前の紙束が憎らしく感じ、カタカタと指先が震えた。
こんなのさえ無ければ…ッ!!


「そ、左右田君っ!?」


迷いなんてなかった。
両手に持った書類とやらを封筒と一緒にビリビリと勢いよく破る。シュレッダーにかけたかのように破れなくなるまで破り続けた。
確かに他のヤツからしたらおかしいヤツと思うに違いない。ましてや人生の成功が約束された希望ヶ峰学園の入学を蹴る高校生なんていねェ。
だけど、オレはそんなバカな高校生になってやる…!

過去への全ての怒りと悲しみを書類にぶつけ、最早紙吹雪のようになったそれは横から吹きつけた風によってハラハラと茜色の空へ向かって飛んでいった。時計台からチャイムが鳴り響く。時刻は午後5時になったようだ。
みょうじは信じられないといった表情で口をぽかんと開けながら空を見上げた。


「…本当に良かったの?」
「ああ、悔いはねェ。それに」
「それに?」
「希望ヶ峰って寮生活だろ?そしたらオメーに会えなくなるし…。オレはイマドキの青春をしてーんだよッ!ほら、チャリ2人乗りとか」


これで、みょうじと一緒にいられる時間は多くなる。仮にオレがいない希望ヶ峰学園から絶望が生まれたとしてもみょうじのそばにいれば、身寄りがいねーからって狙われることはない。2人で生き残ってやる。最悪みょうじさえ生きればいい。もうあんな最期になんかさせない。心の中で固く誓った。
そんなオレの大切な彼女はまだぽかんとしていたが小さく噴き出した。


「な、何だ?」
「2人乗りって…左右田君は乗り物酔いするでしょ?」
「うっせうっせ!じゃあオメーは何したい訳?」
「うーん、互いの学校の文化祭を2人で観に行く!お化け屋敷の出し物に入ったり、友達のバンドを観たりとか甘い物食べ歩きして」
「おう、いいな。お化け屋敷以外は」
「もぉーわがまま!」


オメーもだろってツッコミを入れたかったがその言葉を喉の奥にしまいこむ。今はこうしてみょうじの話を、声を聞いていたいからだ。それで?と返すとみょうじは考え込む。


「また中学のときみたいに学校を抜け出して一緒にどっか行く!放課後一緒に帰るとか、たまに2人で電車通学して雨の日は相合傘しちゃったり?」
「オメー、オレと言ったことと変わんなくなってきたぞ」
「今言えって言われると中々出てこなくってね」


まぁな、と笑うとみょうじは目線を下に向けながらそれと、と紡ぐ。


「それと?」
「………」


周りをキョロキョロ見渡し、誰もいないと分かればオレの方へ身を乗り出し、顔を近づけてきた。
……頬に温かくて柔らかい感触。触れたかと思えばすぐに離れていった。
一瞬思考が停止した。目を見開いたままみょうじを見つめると恥じらいながらオレの目線を合わせない。


「……みょうじ?」
「……何?」
「き、キスした?」
「……うん」


こくりと恥ずかしそうに頷きながらあの、とか細い声を上げる。聞き取れるか分からない程の小さい声に耳を澄ませた。


「…こういうことも左右田君としたいなって」


血液を含めた身体中の水分が沸騰してしまう程、一気に体温が上がる。
みょうじ、結構大胆だな。オレも負けらんねェ。


「へぇ、真面目で外でこういうこともしなさそうなみょうじがここでオレにキスするなんてな」
「い、言わないで!」
「頬も嬉しいけどよ、キスしてくれたら嬉しい所もう一箇所あるだろ?」
「えっ…!」


その瞬間しどろもどろになりながらみょうじの顔が紅潮していく。表情が忙しいやつだがそこも愛おしい。これが惚気というやつなのか?


「ねぇ、何だか左右田君変わった?」
「……いや、変わってねーよ」
「嘘だ…そんなこと言うなんて思いもしなかった」
「はぁっ!?オレそこまでヘタレに見えたか?」
「うん、見えた」
「マジかよ…」


はぁとため息をつきながらみょうじの頬を撫でると肩が小さくピクリと跳ねた。


「みょうじ」
「な、何?」
「オレはみょうじのことが大好きだ。更に言うなら……その、……愛している」
「……っ」


…改めて口に出すと恥ずかしくて言葉が途切れ途切れになる。でもこれだけは伝えたかった。あのとき伝えられなかった短い言葉。これからも、何回だってしつこい位に言ってやる。


「希望ヶ峰を蹴ったからオレはいつも通り工業高校だ。けどロケットを造る夢は諦めてねェから。有名な企業行ってみょうじに相応しい自分になる」
「……うん」
「だから、ずっとオレの傍にいてくれ」


途切れ途切れに言葉をぶつける。……カッコ悪いな。もっとしっかり言えよって内心思いつつもやはり恥ずかしかった。
みょうじはオレの目を見ながら目を細めて微笑みかける。


「…もちろんだよ。夢を持って輝いている左右田君が大好き。左右田君の何もかも全部愛してるよ」
「……サンキュ」
「また泣いてるよ?」
「うっせ。嬉しいんだよ。少しは察してくれよな」
「…うん、ごめんね」


幸せだとこんなに泣くんだな、人間は不思議だ。お互いに微笑みながら見つめ合う。みょうじの頬を親指でなぞるように触った。


「…ほら、さっきのしないのか?」
「は、恥ずかしいって」
「じゃ、オレからな」
「んっ…!」


少し強引にみょうじの唇を奪う。これが"この世界線で最初の"キスだ。スゲェ……自分の胸の鼓動が聞こえてくる。周りの時間が止まってしまったかのような気分になってくる。そして最高に温かい気持ちになる。幸せだ。マシュマロみたいな柔らかい感触にもっと啄みたくなったが我慢して離れる。


「…もう、恥ずかしい」
「誰も見てねェよ」
「そうだけど…うぅん、初めてってこんなドキドキするんだね」


恥ずかしそうに幸せそうに唸りながら笑うみょうじの様子にニヤニヤと口角が上がってしまう。


「そうだな。…そろそろ暗くなるし帰るか?」
「待って……さっきのもう1回して?」
「へへっ、可愛いヤツ」


ああ、オレは凄く幸せだ。
みょうじを両腕の中に閉じ込めて、また唇を重ね合った。


…………


「まあ!こんな可愛い子が来てくれるだなんて!」
「お、お袋…そんな驚くなって」
「なまえちゃん、本当にウチの息子を彼氏にしていいのか?見ての通り派手で世間騒がせな奴でなまえちゃんの迷惑になってしまうかもしれなくて」
「お、親父ッ!」


両親がみょうじの存在を気にし始めたのはオレが高校生になってからだ。中学のときよりも頻繁に(ほぼ毎日)通学路を一緒に帰っているからだろう。
だからもういっそのこと紹介しようとするとまるでオレのことは蚊帳の外に放ったかのように、両親はひたすら何回も問い続けた。
本当にオレでいいのか?とまるでみょうじの両親になったように心配そうに尋ねる。


「はい、大丈夫です!私は…和一さんとずっと一緒にいたいです」


みょうじはオレを見つめては目を逸らす。微笑みながら頬が淡く赤く染まったのが目に見えて分かった。その様子が愛おしくて、見ているだけでオレまで恥ずかしくなっちまって天井の片隅を見つめていた。その様子が嬉しかったのか知らないが両親がまた騒ぎ始めるもんだから落ち着かせるのにだいぶ時間がかかった。


オレもみょうじの親御さんに挨拶するかと日程を決めていたときだ。みょうじの家の中が所々物がなくて何かが足りない気がした。


「お母さん、出ていっちゃったの」


ポツリとみょうじは呟いた。


「なあ、それなら会わせてくれねーか?」
「誰に?」
「みょうじグループの社長であり、オメーを認知してくれた親父さんだ」


………

今日はお互いに休みだった。華やかな仕事でもない、ごく普通の職に就いて平凡な日々を送っている。それでもずっと支え合っているこの数年がとても幸せだ。そしてこれからも。


「……なまえ」
「どうしたの?」


高く鳴り響く胸の鼓動がオレを急かせる。


「…愛してる」
「もう、いつもの…こと…」


なまえはオレの両手の中を見ると石のように硬直した。
手の中にあるのは、肌触りの良い小さな青いケース。その中には綺麗な指輪が輝いていた。

なまえは声が詰まって何も言えないようだ。両手を口の前に当て、静かに涙が零れ落ちていく。言葉なんてなくてもなまえの気持ちがオレには手に取るように分かった。
受け取ってくれねーか?


「受け取って……っ」


しくじった。感極まってしまったみたいで言葉が途切れる。オレらしくない優しい声が出てきたなと思っているとなまえはゆっくりと指輪が入ったケースを受け取る。


「嬉しい……最高に幸せだよ」


なまえは目を細ませて力強くオレを抱きしめた。
ああ。最高だ。


………

なまえとの式の日取りを決めた矢先だ。
気がかりなことがひとつだけ出来てしまった。いや、気づかないフリをしていたというのが正しい。なまえと過ごしてきた高校生活から、毎晩毎晩夢を見るのだ。夢と言っていいのか分からない夢。真っ暗な世界にオレだけひとりぼっちでいる夢を見るんだ。その夢が不気味で恐怖を覚えながら目が醒めるのだ。その度になまえのことを思い出して気持ちを安心させる毎日だ。(情けないことだと思うが)


「和一?」


高校生のときとは変わって年相応に大人びたなまえが心配そうに見つめる。なまえの不安を拭うように、そしてオレ自身も気持ちを落ち着かせようとなまえの方へ一歩踏み出したその瞬間だった。

一瞬にしてオレの目の前が真っ暗になった。







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