![]() 結局言い出せた言葉がごめん、の一言だけ。 それでもみょうじは散々励ましてくれた。最後まであの男子トイレにいたオレ達は日が落ちる頃に2人で帰った。正門を潜るにはサッカー部や野球部のグラウンドを通る必要があって部活をやっているヤツらが何人か見張っていた。だから部活終わりにロッカーへ行って制服に着替える頃合いを見計らってみょうじと帰路についた。 そこまではいいのだが、翌日やけにクラスメイトや学生からの視線を集めていた。その次の日、そのまた次の日も。 気にせずに過ごしていると気の弱そうな男子が口篭りながら怯えた表情で教えてくれた。その男子の影では三谷達が笑っていたから、きっとその男子も脅されてオレのところにやってきたのだろう。 「……んだよ、これ」 家に帰り、ネットである単語を検索するといかにも怪しげな黒いサイトが現れ、教えてもらった通りのパスワードを入力するとそこにはある埋め込み動画があった。 恐る恐る動画をクリックすると昨日の男子トイレでの出来事が画質の粗い状態で流れ出した。誰かが携帯で撮ったのだろう。ブレが酷い。いや、寧ろブレが酷くて助かったかもしれない。 顔こそは写っていないが相手の声とオレの体がバッチリと映り込んでいた。三谷達は笑いながら、オレの体を弄んだ。下半身に刺激を与えたり、デッキブラシで体を掃除するとか何とか言ったり、オレの様子見て笑っている。意識を失ったオレは呻き声を上げながら抗うことも出来ずに床に倒れていた。 醜い。気持ち悪い。 暫く見ていると悪寒が襲いかかり、体を縮こませた。 恐らくだがこんな姿をヤツらどころかみょうじに、他のクラスメイトにまで見られてしまっている。最悪、違う中学校のヤツらにも。 カースト最下位どころか最早人ですら無い下等生物に成り下がってるんじゃねーかと思い悩んだ。そしてあいつらはこれを学校のヤツら全員に教えるメリットがあった。 俺達に逆らったらこうなってもらうぞ。 見せしめだ。不特定多数の人に見せたら批判が殺到する。だからパスワードをかけてこのようなサイトを作り上げたんだ。学校のヤツらに動画を見せるだけでいい。それにしたっては大掛かり過ぎるんだが。まあ流石にすぐに消えるだろう。全員が全員隠し通すわけでもなく誰かが大人にチクる筈だ。その大人が異常な性癖を持っていないことだけ祈る。 1週間経った頃、オレは担任に呼び出された。 しかも職員室の中で多くの教師に囲まれながら。何か言われるかと思えば動画のことに対して体調はどうかという心配の声が上がった。そんなの一時的な気休めにしかならない。どうせオレの不安を和らげるだけで根本的な解決へ動かないのだろう。あの動画は生徒だけじゃなくて大人にも効果はあったのだ。 職員室にいると生きた心地がしないので早くずらかる。息苦しいこの場から早く逃れたいが為に足早に昇降口を出ようとすると見覚えのある人物がオレの前に現れる。 「左右田君……」 「……」 軽く会釈をして校門へ出ると帰り道が違う筈なのにオレの後ろをついてきた。 「お一人様気分かな?」 「……いや」 「それなら途中まで一緒に帰っていい?」 オレが何にも言わずともみょうじはついてくる。オレと反対側の帰り道にもかかわらず。 「その、そんなに気を落とさないで」 「なんのことだ」 「…アレ、アレだよ」 オレオレ詐欺を専らとする詐欺師でもこんな酷い演技はしない。きっとオレの動画を見て、励まそうとしてくれているのだろう。 みょうじのその気持ちには悪いが逆効果だ。動画の中の出来事も相まって恥ずかしくて惨めな気になってしまう。オレはただ1人になりたかった。 「…わりぃ」 その一言はみょうじに聞こえたか分からない。ただオレは引き離すように前へと進んだ。あいつはそれ以上追いかけてはこなかった。 ……… 「……」 俺は用意していたお菓子や飲み物が喉を通らなかった。中学生というのは俺達からしたら子供に見えるのに(俺達だって高校生だからそんなに歳は変わらないが)そんな子供が壮絶なことをするとは思えなかった。 しかし左右田がそんな嘘をつく人間に思えない。だからこそ俺は何も言えなかった。 「……わりぃな。気分悪くしちまったか?」 左右田は隣で申し訳なさそうに笑った。その笑顔だって笑顔とは思えない僅かに口角を上げただけの表情だ。 「いや、俺のことは気にしなくていいよ。左右田は平気か?辛いだろ、話すのは」 「オレは大丈夫だ。日向になら言えるからな。バラすなよ?」 「当たり前だろ、言うわけがない。…みょうじとは大丈夫だったのか?」 「……まあ、その日にまた会いに来てくれてな。それで謝って何とか仲直り。オレの方からもうその話はするなってお願いした上でな」 左右田はふと窓の外を遠く見つめた後、俺に振り返った。 「……あの後とんでもねぇ事件が起きちまった」 「え、そうなのか?」 「まあ色々訳あってだな。何回も言うけど他のヤツにはぜってー言うなよ!」 「分かってるって」 ……… 「左右田君、おはよう」 「よお、相変わらず元気だなオメーは」 「左右田君に会えて嬉しいからだよ」 全く可愛いこと言いやがって。学校通り過ぎてオレの家まで押しかける彼女がいるなんて幸せ者だなオレは。 あれから数週間、オレのあの動画は削除された。だが犯人共が飄々としている姿を見る限りお咎め無しだったのだろう。まるでただネット上に放置してあわよくばいかがわしいサイトに流出させるつもりだったのかもしれない。本当に隣にいるこいつがいなかったらどうなってたか……考えただけで恐ろしくなってくる。 「みょうじ」 「何?」 「いつも、ありがとうな」 「……どうしたの?風邪ひいた?明日は雨が降るかも?」 「んな訳ねーだろ!オレの感謝の気持ちを素直に受け取れって!」 「冗談だって。どういたしまして」 そんな会話を交わしながら学校の姿が見えてくる。だが、朝の学校とは雰囲気がいつもと違っていた。校門の周りは近所の住人が学校の方を見ては何か話し込んでいる。何かがあったのか、何が起こっているのか分からないといった様子だ。 みょうじと顔を合わせる。中へ入ろうとオレの学ランの袖を握ってくる。そんなみょうじに頷き、門をくぐった。昇降口に辿り着くと人が集まっていた。クラス中のヤツや他の学年のヤツまでざわざわとしている。 オレはヤツらのその先の異常な光景に声が出なかった。 窓や壁、教室の中や廊下の天井にまでに張り紙がびっしり貼りつけられている。その張り紙の下にもスプレーで何か絵が描いてある。書き殴られた筆跡だが書いてあることは全て特定の人物への中傷だった。 『みょうじなまえはみょうじグループの隠し子』 『愛人の娘はみょうじなまえ』 『裁判まで起こした人生の負け組』 『不貞の子は社会から消えろ』 ……全てみょうじへの罵詈だった。よくよく見れば張り紙の下には女性の裸を模したようなイラストがスプレーで描かれている。思わずこの異質な光景から目を逸らす。周りのヤツらはみょうじ、そして一緒に登校したオレを疑心や哀れみの目で見つめてはコソコソと何か話している。 誰だ。こんなことをするヤツは。 真っ先にオレはある人物の姿を探す。しかしソイツらは壁なんて見えない程に埋まった張り紙に本当に驚いているようだった。 違う、犯人は三谷達じゃない。というかよくよく考えればあいつらがみょうじのこの秘密を知っているわけがない。 ……張り紙に書かれているものはオレとみょうじしか知らない秘密だ。誰にも言えない、オレだけに話してくれた秘密をこんな酷い形で大勢の人に知れ渡ってしまったのだ。オレのカンニング騒動なんてすぐに忘れられてしまう程の衝撃的な事実をこの学校の連中は突きつけられたんだ。 "…大変だな。オメーも。そんな騒動が学校に知れ渡ったら" "ゾクっとするね" だが、言葉を失っているオレや連中よりもみょうじが1番衝撃を受けているに違いなかった。以前互いの秘密を話した日を思い出す。あのときみょうじは気を遣って笑っていた。寧ろ今思えば自虐を込めた笑いだったのかもしれない。 「………………ねぇ、左右田君」 みょうじは震える声でオレを呼ぶ。隣を見るとみょうじは俯き、垂れ下がった髪で表情が見えない。 「悪いこと、していい?」 低い声だったがどこか助けを求めるような声だった。この張り紙をつけた犯人でも探すのだろうかとオレは思った。そしてキツく問い詰めるのだろう。漠然と考える。というかこの状況に頭が上手く働かないと言った方が正しい。 「……その、無理はすんなよ」 「うん、ありがと」 なんて言えばいいか分からない。ただみょうじを励まそうと、無茶なことはしないでほしいというふわふわっとした意味合いで伝える。 その言葉足らずがいけなかったのだろう。 みょうじはカバンをオレの足元の近くに置き、隣にいた大柄のヤンキーにぶつかった。ヤンキーは驚いて怒鳴りつけようとしたがその人物がみょうじと知るや否や言葉を失った。 みょうじが歩くと周りのヤツらは逃げるように道を空ける。まるでモーゼのようにみょうじの行先は道が出来ていた。みょうじはある場所で止まり、張り紙の1枚を乱暴に取る。テープでしっかり固定されていたのか四隅が綺麗に壁に残っている。そしてどこから持ってきたのかライターでその張り紙を燃やし始めた。 周りは騒然としていた。恐らく……さっきヤンキーとぶつかった際にライターをくすねたのだろうか。いや、そんな考えをしている暇はない。煙が天井まで達した瞬間、みょうじの立っていた場所の頭上から水が散水される。学校では珍しいであろうスプリンクラーが作動したのだ。煙が天井に張りつき、他の場所でもスプリンクラーが作動し始め、あらゆる場所に散水される。生徒は悲鳴や叫び声を上げては昇降口の方へ駆け出した。その中で壁の火災報知器を誰かが押したのだろう。けたたましいサイレンが響き、周りはもみくちゃの大騒ぎとなった。散水によって張り紙はふやけ、次第にテープと一緒に剥がれていく。天井に貼られた張り紙もあっけなく上から落ちていった。 鳴り響く火災報知器を無視し、スプリンクラーの水に濡れながらオレはその場から動けなかった。その場から動かないみょうじを1人に出来なかったからだ。 雨に濡れたのかと思うくらいに互いの髪は水分を含んでいた。ずっと眼鏡のレンズ越しにみょうじを見つめていた。みょうじはオレの方へ振り向き、助けを求めるかのように歩み寄る。腕を広げるとみょうじはすっぽりとその中へ入った。湿っていて生温い温かさが伝わってくる。溜息混じりにみょうじはオレを呼ぶ。体が僅かに震え、朝にも関わらず疲労の表情が見えた。 「……ごめんね、左右田君」 「何で謝るんだよ」 「巻き込んじゃったから…」 「オメーの行動にもう驚かねーよ」 でも少し驚いたと告げるとみょうじはオレの言葉に僅かに笑ってはすぐに静かになる。 「……私、悪い子だね」 「本当にな」 そんな訳ないと返そうとした瞬間誰かが会話に割り込んだ。オレの背後からだ。後ろを振り向くと傘をさした男がオレ達の方へ歩いてくる。その人物にオレ達は見覚えがあった。 「オメーッッ………!」 そいつは既にいなくなった筈だった。 逮捕されていた筈の男がオレ達の目の前にいた。みょうじを襲った変態野郎が傘をさしながらずぶ濡れになったオレ達を見下ろす。 「驚いたよ、みょうじなまえは学校の清純ヒロインかと思ったらこんな闇深いものがあったなんてな」 とぼけたようにヤツは濡れた紙をじっと見つめる。こんなことをするのはヤツに違いないとそう思えた。わざわざ傘をさしてまでこんな所に現れるなんてオレ達を煽っているようにしか見えなかった。でも何でみょうじの秘密を知っている? 「……やっぱり……そうだった……」 みょうじはオレにしか聞こえない声で呟く。みょうじの中では何かが分かったみたいだがオレには皆目見当がつかない。 「二度と」 「みょうじ?」 みょうじの震える声に対して名前を呼ぶ。あいつはオレの声を聞かずに男に叫んだ。 涙声で震え、喉が焼けついたような怒りの叫びをオレは忘れていない。 「二度と社会で生きられないようにしてやるっっ……!!」 「出来るものならやってみなさい。寧ろこの街に住めなくなるのは君だ」 その叫びを閉じ込めるような冷徹な男の声が響く。オレはただ慟哭を上げるみょうじの体を抑えることしか出来なかった。 ← → |