「最後のショータイム、だと?」
「うん。私、海外に行って歌の勉強をしようと思うんだ」
「海外……?」
「そう、これから暫く日本にはいられないから。だから会えなくなるね」


彼女はそう呟いた。海外?確かに君の夢は海外で叶えるものだが急すぎる。あまりにも、唐突すぎて自由過ぎて僕の頭が追いつかない。驚きよりも少しばかりの怒りが沸き起こる。


「なんなんだ君は!次から次へと問題事を!」
「ふふっ」
「どうして笑う…?君は何がしたいんだ…?」


みょうじくんはこんなときだっていうのに小さく笑い出す。自分が大変なのに何で笑えるのだろうか。僕には訳が分からなかった。……ただ、これだけは言える。
みょうじくんの憑物が落ちたような笑顔を初めて見た気がした。まるで全てが終わったかのような晴れ晴れとした笑顔だった。


「スーーッキリ、しちゃった」
「な、……なに?」
「これで学園も無傷では済まないでしょ。"復讐"は果たしたんだ」


復讐…予備学科生時代に何があってこんなことをしたのだろうか。みょうじくんは僕の顔を見て心の内を察したようだった。


「………カムクライズル騒動は知ってる?」
「調べたさ。その被験者は予備学科生だと聞いている。ただその学生の情報は一切出されていない」
「良かった。だよね。名前なんて出されたらその人にマスコミは集中する筈だもん。その人に聞いたら真実をバラされちゃうもんね」
「……そのことなんだが、みょうじくん」
「何かな?」
「その被験者って…もしかして君のマネージャーか?」


僕だって確信は出来ない。ただ見覚えがあるってだけだ。あくまで僕の推測だが、みょうじくんの破天荒な希望ヶ峰学園へ復讐に協力出来そうな人物はその行方不明になった被験者しかいない。その被験者がみょうじくんと同じ予備学科生だとすれば繋がりはある。


「ノーコメント」
「えっ」
「うーん…だって一応君は希望ヶ峰学園の本科生だし。いくら真面目な君で信用出来る相手とはいえ話せないよ。どこから情報が漏れるか分かったもんじゃないからね。それ以外のことで気になることがあったら言ってよ」


ああと言葉にならない声を漏らす。みょうじくんはやはり希望ヶ峰学園を敵として見ている気がした。そしてその生徒である僕のことを少なからず敵として見ていたのだろう。無理もない考えだが僕は少し悲しくなった。みょうじくんを敵とだなんて思っていなかったからだ。


「何で復讐なんてことを」
「カムクライズルの人体実験の為に湯水のように注ぎ込んだ予算により、数年前から経営難に陥っていた希望ヶ峰学園はどうしてもお金が欲しかった」


みょうじくんの声が一際低く聞こえた。目の前の人物はアイドルのみょうじなまえでない。
明らかな憎しみを抱いている人物が僕の目を射抜くように見つめた。


「そこで考え出されたプロジェクトは"エンジェルルチル"。カムクライズルとは同時期に別の超高校級の希望を創り出そうとしたんだ。ただカムクライズルと違って限定的な用途だったんだ」
「用途?」
「うん。簡単。ただお金さえ稼いでくれればいい。そのお金を資金源にしようとしたんだ」
「……そのエンジェルルチルの被験者が君だと」


みょうじくんは縦に大きく頷く。にわかに信じがたい話だったがみょうじくんが嘘をついているとは思えない。


「ならどうして君のことは今まで公にならなかったんだ?」
「私のことよりもカムクライズルの存在が大きかったからだよ。単純に揉み消されただけ。あっちがメインで私がサブ的な実験だったし、実験を行っていたのはたった1件だったって言えばダメージも少ないもんだよ」
「そういうものなのか?…まぁそうだと仮定しないと話が進まなさそうだからそういうことにしておこう。みょうじくんの行動の意味は君の実験を公にする為の復讐、とは言えない。そうかね?」
「勿論。復讐を抱いたのはカムクライズルの被験者と出会ってから」
「……それで?」
「ん、色々あって今に至るかな」
「すっ飛ばし過ぎないだろうか?僕はそこが気になるんだが…」
「時間も限られているしね」


僕はハッとして腕時計に目をやると20:40を示していた。5分しかない。列車から出る時間を取るともう残り僅かだった。


「……ねぇ、石丸くん」
「何かね」


彼女は僕に風紀委員さん、ではなくて僕の名前を呼んだ。柔らかい声が僕達の間を抜けていく。壁の模様とはいえ、桜の淡い桃色が僕の周りの景色を彩る。彼女は小さく笑いながら呟いた。


「好きって言ったら怒る?」


そのときの僕の顔は見る見るうちに赤くなったと思う。前々からみょうじくんのことは気になっていたとはいえ、こう気持ちを告げられるとどう反応していいか分からない。


「……難しい答えだ。怒るというより、僕達は第一にやるべきことがあるだろう」
「…あはは。そうだよね。うん」


みょうじくんらしくない言葉の詰まり方。いや、きっとこれが彼女の本当の姿なのかもしれなかった。


「君には大きな夢があって、僕はまだやるべきことがある。それが終わってからでも遅くはない」
「……それはつまり」
「僕は待っている」
「……もう、こういうときは君から迎えに行くものでしょ?」
「君はやるべきことがあるだろう?そして海外へ旅立ち、日本に帰ってきた君を僕は迎え入れる。僕は君のファンであるからな。それまでは僕も君に相応しい人間になろう」


みょうじくんは僕の言葉を聞き終えた後、おかしそうに笑う。冗談まじりの笑みは照れ隠しだったのだろうか。笑顔からこぼれ落ちる涙が美しいと思えた。


「もう時間だな。失礼する」


扉に手をかけ振り向くとみょうじくんはニコリと笑い、小さく手を振る。


「またね、石丸くん」
「……また会おう。みょうじくん」


別れの言葉を告げ、僕はマネージャーの男性に見送られて列車を出る。そのタイミングで列車の発車音が鳴り響き、静かに出発していった。列車が見えなくなるまで僕はホームで立ち尽くしていた。
別れた後自室へ戻り、先程の出来事を思い出す。夢なのか現実なのか分からない程にさっきあったことがぼんやりと霞んでしまっている。
確かに僕はみょうじくんのことが好きだ。出来ることならアイドルという道を陰で応援したいし、誰よりも力になってあげたい。みょうじくんの精神的支柱になれる資格があるかは分からないけども、だ。
心を落ち着かせようと勉強机と向き合っているが落ち着く様子はない。深呼吸を数回した所で希望ヶ峰学園で撮影したPV曲のフレーズがスッと入ってくる。合言葉の部分ではないフレーズだ。


"頑張っている君の姿が輝いている"
"どんな言葉よりも君の笑顔が欲しい"


「……………はぁぁ」


机の上に肘を置き、湧き上がる感情を吐き出すように大きく息を吐いた。みょうじくん、まさか想いを告げたあのときでも君はそう思っていたのだろうか?態度や表情からは全くそう見えなかったのに。もしそうだとしたら君は随分と意地悪だ。もっと素直に僕の目の前で言ってくれないのだろうか?僕を試そうとするんじゃなくて、様子を窺うんじゃなくてストレートに言ってくれれば。

僕も思いきり君へ好きだと告げられたのに。

と思った所で今となっては彼女に伝わる術がない。今日の短いあのときを思い出しながらベッドで横になった。
翌日、ニュースで世間は大騒ぎになった。みょうじくんの事務所退所。そして事務所に告発文書が置かれていたそうで、その中身はエンジェルルチルに関しての文書が見つかったそうだ。文書には希望ヶ峰学園の上層部の人達のサインや判子が押されていたそうで本物だと騒ぎになったらしい。その午後に希望ヶ峰学園側は謝罪会見を開いた。みょうじくんに人体実験を行おうとしたことは事実だと認めたという。
謝罪会見を開いたものの世間の高まったアンチテーゼは収まることがない。これによって予備学科に入学予定だった生徒は軒並み入学拒否。予備学科はとうとう廃止になった。
世に公表された人体実験の被験者は2人とも予備学科の生徒だ。子供やその親が入学拒否を示すのは極めて正常な判断だと思う。
なお本科はまだ存続予定らしいがスカウトされた生徒が学園に行きたがらないという噂から、恐らくもう続かないのかもしれないなと僕は思った。
みょうじくんの復讐はこれで果たされたのだろう。
暫くはみょうじくんのニュースばかりだったが、希望ヶ峰学園予備学科廃止の話が出たときから少しずつ彼女の話題はなくなった。
それからみょうじくんの話をする者はだんだん減っていった気がする。

希望ヶ峰学園から無事卒業することになった僕は平凡な日々を過ごしていた。
あれから1年が経ったなんて信じられなかったが衝撃的なニュースが飛び込んでくる。
よくよく考えれば僕の日常を揺るがすニュースはほぼみょうじくんに関してだった。ライブ中の怪我からの病院抜け出して失踪、更には生放送での発言という合わせ技に敵うものがあるだろうか。

みょうじくんは1年ぶりに芸能界に姿を現した。しかし日本ではなく海外のメディアからだった。あのときと変わらない笑顔、更に上達したパフォーマンスを世界的に有名な祭典、全世界のアーティストの夢であるワールドフェスで曲を披露している映像が流れ出す。
海外メディアから知ったファンがSNSを使って情報を広め、瞬く間に日本中にみょうじくんのニュースが広がった。そのニュースは僕を安堵させると共に心を大きく揺るがす。
みょうじくんはワールドフェスで優秀賞を貰うことになった。惜しくも最優秀賞は別のアーティストに渡されることとなったものの、優秀賞も相当な価値だ。賞を貰うこと自体日本初の快挙なのだから。正に彼女の努力が結果に繋がったのだから嬉しいことこの上ない。

黄色いスポットライト、多くの拍手を貰った彼女に現地の人物が称賛の声を上げ続ける。
ステージの上で輝く彼女に共に喜びを分かち合う観客の姿は一体していた。正に天国といっても良いのだろう。
だがこれが彼女の最後のステージとなった。

……

僕は1人、空港の外まで来ていた。報道陣や大物芸能人、その後ろにはファンが………いてくれたらどうなっていたのだろうか。賞を持ち帰ったことによってテレビでも引っ張りだこだったに違いない。
彼女の引退は再び世間を騒がせた。海外メディアにむけて「普通の可愛い女の子に戻ります」と笑顔で応じたとはいえ、引退理由はほぼ間違いなく例のエンジェルルチルだ。1年前のあの出来事はカムクライズル騒動に次いで"エンジェルルチル事件"と称された。その事件の中心人物はもう日本のメディアで歌を歌えない。メディアや世間は彼女の歌より"事件"のことを知りたがっている。みょうじくんはそれが嫌だったのだろう。だからこそ引退して姿を消すのだとそう思えた。
ファンから引退を惜しむ声も上がったが圧倒的な声としては「どうか平穏な生活を送ってほしい」という声だった。
そんなこともあってか最早かつての有名アイドルを待つ人間は僕だけだった。
僕がこうして空港の外にいるのは彼女からの1通のメールがきっかけだ。久々のメールには挨拶の文と共に場所と時間が記されていた。
久々に彼女に会える。僕はこの日が待ち遠しかった。この日まで僕はやるべきことを全て終わらせたのだ。僕はこの日まで君に相応しい男性になれただろうか?
考え込んでいると、ふと人集りが視界に映る。今どこかの国から帰国して来たのであろう人々が荷物を持って自動ドアを通過する。
そこに彼女は……いた。
彼女は僕を見つけるとキャリーケースを引きずりながら僕の方へ駆け寄る。ガラガラとキャリーケースのタイヤの音が大きくなってくる。
彼女はアイドルの面影を残しつつ、普段着を身に纏った普通の女性になっていた。


「石丸くん!迎えに来てくれたんだね!」


そして僕の名前を呼んで嬉しそうに笑う。来てくれないかと思った、なんて言い出すものだから真っ向から否定した。


「迎えに行くのは当たり前だろう。そうだな……ワールドフェス優秀賞おめでとう。そしてお疲れ様でした」
「ありがとう!ワールドフェスよりも引退報告の方が緊張しちゃったな!」
「ははっ、そんな馬鹿な」


元気そうで良かった。色んな彼女の姿を見てきたが目の前にいる彼女がみょうじくんらしかった。


「君は帰ってきてどうするんだ?」
「流石に顔覚えられているからね。マネージャーが用意してくれた部屋にとりあえず住んでそこから色んな所へ行こうかなって」
「まるで転勤族みたいだな」
「最初のうちは、ね。1年間って長いようで短いからまだ覚えている人はいるんだよ。それでみんなが粗方忘れた頃に良い場所見つけて住もうかなって」
「……それならそのときの君の場所を教えてくれないだろうか?」
「いいよ。でもどうして?」
「君の話を聞きたい。海外でどのように勉強したのか興味深いからな」
「石丸くんらしいなぁ……」
「ん?」


みょうじくんが何かを言った気がするが上手く聞き取れなかった。改めて聞こうとすると少し動揺したように何でもないと首を横に振られてしまった。
その後何も言うことがなくて2人の間に沈黙が生まれる。今このときに君に想いを伝えていいのだろうか。君と別れた後に聞いたフレーズが頭に思い浮かぶ。

『頑張っている君の姿が輝いている
どんな言葉よりも君の笑顔が欲しい』

正に僕の気持ちがそうだった。ワールドフェスで歌うみょうじくんは輝いていたしその笑顔に胸を締めつけられたのは言うまでもない。きっとこの先も僕は君のことを好いているのだろう。だがこの気持ちは胸の内にしまうものではない。ハッキリと伝えるべきなんだ。


「……みょうじくん」
「…うん。どうしたの?」


僕の雰囲気を感じ取ったのかみょうじくんの表情は真面目になる。一回深呼吸を挟んで言葉を紡いだ。初めて言う言葉だ。


「僕はみょうじくんのことが好きだ」


これだけなのに手汗をかいてしまう程に緊張する。動悸がする程に息が苦しい。さっきまで見れていたみょうじくんの表情を窺えずに彼女の後ろに聳え立つ満開の桜を見つめている。
そのとき彼女の笑い声が小さく聞こえてくる。彼女の頬は僅かに赤く染まっていて、どこか安心したような表情を浮かべていた。


「私も石丸くんのことが好きだよ」


この言葉で救われたように心が軽くなる。僕は有名なアイドルに……いや、違うな。素敵な女性に好きと言われたんだ。このときだけ浮かれた気持ちになっていいものだろう。


「ありがとう、みょうじくん」
「なまえ」
「ん?」
「なまえって呼んでくれないと君の彼女にはならないよ、ふふ」


自信溢れた悪戯っぽい笑顔に一瞬戸惑う。ああ、最初に会った頃の君によく似ている。


「全く君は……」
「ごめんね、からかいたかっただけ。でも下の名前で呼ばれたかったんだ。…お願い」
「……なまえ、くん。これでいいか?」
「う、うん!なんだか恥ずかしくなってくるね石丸くん」
「ぼ、僕には呼んでくれないのか?」
「ベッドの上で言ってあげる」
「な、なっ……君はそんな…!!」
「ふふ、慌ててる所も大好きだよ!」


どうも調子が狂ってしまうな。だがまあいいか。そう思えてしまうくらいに浮かれていたけれど楽しくて幸せだ。
風が吹くと僕達の間に桜の花びらが舞い降りる。雲ひとつない青空に桃色の桜吹雪、その美しい光景はまるで僕達を祝福しているかのようだった。


END





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