刹那消えゆく夢



「今日あいつだ、"レッド"だ」


隣の男子達の会話から溜息と共にダルそうな声が出た。
彼は冬の日いつも赤いマフラーをつけて校門の前に立っている。そして私の前で歩いていた子が彼の目に留まり、検査を受けさせられている。
名前は石丸君。私は彼のことを身嗜み検査でキッチリと注意している姿しか見たことがなかった。彼の正義漢な所と赤いマフラーをしていることからきっと戦隊ヒーローのレッドと密かに呼ばれているのだろう。
私は派手な着こなしは苦手で、見た目が地味だからか、身嗜みに関して注意はされたことがない。故に彼に注意されることも、話したこともなかった。だからどんな人なのかも詳しく知らなかった。ただ、あの希望ヶ峰学園にスカウトされているって聞いたことはあるけれども。そんなに凄い人ならきっと私と関わらないだろうなーと心の中で思っていた。

でもあの日に出会ったことはほんの偶然にしか過ぎなかった。
学校の無い土日に出掛けていると、道案内を頼まれたことがあった。幸い知っている場所だったので途中まで案内しつつ道順を教えれば、お礼の言葉を告げてその人は行ってしまう。
道案内だなんて急に言われてびっくりしたけれど意外にも説明出来た自分を心の中で褒める。さて帰ろうと後ろを振り向けば見覚えのある人物が目に入った。
石丸君だった。彼は私を見つめてはニコリと口角を上げた。


「困っている人を助けるだなんて君は心優しいのだな」
「い、いや、そんなことないって」


一部始終を見られていた。見知った人に見られるなんて少しどころではない恥ずかしさがあった。


「良ければ途中まで一緒にどうかね?」
「え?」
「そろそろ夜になる。暗い道の中で女子1人は危ないだろう」
「…うん、ありがとう」


初めてだった。あの風紀委員長の石丸君と一緒に帰るなんて。
とはいえ、真面目中の真面目な彼と話す内容なんて何にも無い。趣味とか休日の過ごし方で盛り上がる見込みも、無い。だからありきたりな学校の話しか話せなかった。そうだ、彼はずっと学年1位の成績をキープしている。何か勉強のアドバイスは無いだろうか?そう思っても想定内の内容しか聞けないと思うけど、それでもこの場の会話が続くなら。


「切磋して勉強をすることが1番だろう」
「そうなんだけれど…細かいことが気になっちゃって仕方ないんだよね。石丸君に教えて貰えればスッと頭に入りそうだな〜」


様子を伺うような発言をしてしまう。ハッキリと勉強教えてほしいなんて言えればいいのだけれど、心のどこかで相手に断られる怖さがあった。


「僕で良ければ」
「えっ?」


思わず石丸君の顔を見る。彼の顔は私の顔を見てハテナマークを浮かべている。私の挙動が不審だったのだろうか?


「君は確かに言っただろう?僕に教えて貰えれば頭の中に入るって」
「う、うん。まさかOKだなんて思わなかったから。大丈夫?石丸君の負担にならない?」
「教える方も学び直すことがあるから負担なんてこれっぽっちも思ったことがない!」


あれよあれよという間に勉強の日時が決まった。明後日の放課後、石丸君のいる教室で。

どうしよう、何を教えてもらおう?
勉強会当日、放課後のホームルームを終えた頃から私は変な動悸がした。ただ単に緊張していた。誰かに教えて貰うことなんて何回もあったのに相手が石丸君となるとたかが勉強なのに変な汗が出てきそうだ。恐る恐る石丸君がいる教室を覗き込むと、人影はひとつだけだった。後ろ姿からでも分かる姿勢の良さは間違いなく石丸君だった。


「失礼しまーす…」
「ああ、みょうじくん!是非僕の隣の席を自由に使いたまえ!」
「うん」


言われるがままに石丸君がいた席の隣に座る。教えてもらいたい科目を伝えると即座に机の中から科目の教科書とノートが出てきた。机の中は綺麗に整頓されているなぁとボーとしていると怒られてしまった。


「君は集中が足りんぞ」
「ごめんね。石丸君ってしっかりしているなぁって…」
「僕はいつでもキッチリとしているぞ!」


そんな会話を交わしながら教科書をめくり、自分の授業ノートに石丸君の内容を付け足す。彼の説明は先生の授業よりすごく分かりやすかった。視界に入り込む彼の骨張った手が私の教科書の一文を指差し、噛み砕いて説明してくれる彼の声が私をドキドキとさせる。こんな時間がずっと続けばいいのになんて勉強中に思っていた。


「……うん、分かった。これで大丈夫だよ」
「そうか!それは良かった」
「教えてくれてありがとうございます」
「こちらこそだ。僕も再度学び直せたんだ!僕からも礼を言わせてもらう!」


外は既に青黒い夜空へと変わっていた。こんな時間に帰るのはいつものことなんだけれど、途中の道まで一緒に帰ってくれるらしい。帰り支度を整え、赤いマフラーを着けた彼が私に笑いかける。


「次の試験まで楽しみだな」
「試験が楽しみって……まさか私のこと?」
「勿論!点数もだが君の苦手な所が出来ているか気になるからな。僕は教師ではないから教え方に不十分な所があるかもしれない。そうなれば僕も反省すべきだからな」
「そんなことないよ!石丸君の説明が無かったら試験までずっと悩み続けていたと思うし、今日は本当に助かったよ」
「なら良かった!」


石丸君はさっきの笑みとは比にならない満面の笑みを見せる。その笑みはまるで夏に咲く向日葵のようだった。その笑顔に今まで抱いてきた気持ちを自覚し始める。
私はこの人に恋をした。2人で帰れる帰り道の時間までが幸せと感じられた。


試験も終わり、答案が返ってくる。結果は自分でも驚く程に良い結果だった。流石に彼には及ばないが平均以上の点数を取ることが出来た。放課後恐る恐る石丸君の教室を訪れる。幸い彼は日直だったみたいで1人で黒板を綺麗にしていた。帰る前にお礼を言いに来ただけだから邪魔しちゃ悪いかなとも思ったが、私の気持ちが抑えられるはずもなく、石丸君の名前を呼んだ。彼は静かに振り向き、私の報告を聞くと分かりやすい程に嬉しそうな顔をした。


「やれば出来るじゃないか!僕も鼻が高くなるさ」
「ありがとう、石丸君のおかげだよ」
「いや、」


石丸君は首を横に振り、私の方へ顔を向け直す。


「君が頑張っているからだ」
「そうかな……?」
「ああ!君はよく頑張っているさ」


じわりと顔が熱くなっていく。こんなに褒められたのは久々だった。そして自分のことのように喜んでくれる石丸君の真面目な性格ゆえに彼の言っていることに嘘は無いとそう思っているせいかお礼が上手く言えなかった。


「あ、ありがとう。そう言われると……照れるな」
「なに、本当のことを言ったまでだ。ところで君は最近になってそれを着けて始めているな」


ギクリと肩が震える。赤いマフラーの端っこを摘みながらあははと自分でもぎこちない笑いをする。石丸君と同じ色のマフラーを着けたくて似たような色のマフラーを買ったなんて本人の前で、最早誰の前でも言えなかった。


「ま、マフラーのこと?」
「ああ!僕も赤を着けているからな」
「朝の身嗜み検査でも着けているもんね。これは新しいの買ったんだよ」
「そうだったんだな!よく似合っているぞ!」
「あ、ありがとう」


石丸君はいつも通りの会話をこなす。ぎこちなさがバレていないみたいだ。心の中で変なことを思われていないか心配だったけど、彼の様子からして大丈夫そうだ。
けれど私はその会話の後になって彼の発言に思考時間を割かれてしまった。よく似合っている、なんて会話上の社交辞令かもしれないけれど……それでも一気に身体中が熱くなった。

そんな会話をした1ヶ月後。石丸君は私達がいた高校から希望ヶ峰学園に入学することとなった。来年も石丸君がいると思っていた私は彼の進学を祝う気持ちと寂しい気持ちが拮抗していた。
石丸君のいない高校はまるで嵐が過ぎ去ったかのように生徒達は安堵しながらアクセサリーをつけて、着こなしを緩めていった。それはお洒落したい人達からしたら喜ばしいことかもしれない。でもその光景は"彼"がいなくなってしまったのだと思い知らされた気がして苦手だった。
大学受験生となった私はいなくなった教室で1人シャーペンを走らせる。隣で教鞭をとっていた彼はいなかった。私のことを気遣い、私の為に説明をしてくれた石丸君はいない。シンとした教室はまるで時間が止まったようだった。それでも今違う場所で石丸君が頑張っているなら。そう思えばこの孤独は、この寂しさはほんの少しだけ紛れていった。少しばかり辛いけれどそれでも幸せだった。

あんな最悪な事件が起きるまでは。

あっという間に変わり果てた世界で、石丸君含めた才能ある一部の生徒は安全なシェルターの中で避難している。私のような才能持たない平凡な生徒はこの世界で生き延びなければならない。
私は弱い。貴方のような正義を掲げていたらいずれ殺されてしまう。
だから絶望に飲まれる"フリ"をした。絶望の残党の1人になって破壊すれば生きられると思った。人殺しなんて出来なかったけど、建造物の破壊をした。器物損害……フリとはいえ、犯罪に手を染めていった。あまりにも痛ましくて罪悪感が残り続ける。それでも彼の帰りを待てると思った。


「何をしているんだ!」


想定外だった。
正義のヒーローは遅れてやってきた。やっと、来てくれた。待ち焦がれていたよ。
こんな退廃した世界の中現れたその人物を見ただけで心が暖かくなった。


「みょうじくん、君はなんてことを…!これは君がやったことではないだろう?嘘だと言ってくれ!」


青ざめ、引きつった表情を浮かべる彼は私に叱責の言葉を連ねる。それが何だったのか覚えていない。私が縋ってでも求めていたのはただひとつの言葉だった。


「石丸君、私の傍にいて」
「…………な、何を言って」
「石丸君、私と一緒にいよう?」


この世界で。

石丸君がここまで来てくれたのは偶然のひとつだっただろう。それでも嬉しかった。
しかし石丸君のような人は絶望の残党からしたら大嫌いな人種だった。真っ先にターゲットにされてしまうだろう。
無理なお願いだった。私と一緒に破壊行為をする毎日なんて彼は絶対に拒否するだろう。私の我が儘のせいで彼を危険に晒してしまう。でも、一緒にいたかった。こうして向かい合っているだけでも私の心は彼の存在で満たされていった。


「……逆だ」
「逆?」


石丸君は涙を零しながら震えた声で手を差し伸べた。


「風紀委員として僕は君を更生させるッ!僕と一緒に来るんだ!」
「……」


石丸君らしい。
でも、石丸君は大事なことを忘れている。部外者はあのシェルターの中に入れないんだよ。…………いや、もしかして行く場所はシェルターじゃないのかも?
それなら、と一歩踏み出した途端、私と石丸君の間に何かが横切る。そこらへんに落ちている金属の破片だった。飛んできた方向を見ると大袈裟に身構えた彼の仲間達がそこにいた。それ以上石丸君に近づくな、そう言いたげに私を睨みつけた。
そもそも私には彼らを傷つける意思なんて微塵も無いのだけれど……そう伝えても石丸君のクラスメイトは話を信じてくれないだろう。
彼らに背を向けて歩を進めていると後ろから聞き慣れた彼の声が聞こえた。


「待ちたまえ!みょうじくん!」
「……うん、何かな?」
「今は何も出来ないかもしれないが……いつか必ず君を助け出す!」


彼の姿に思わず目を閉じる。
ああ。光だ。
彼の後ろから後光がさしている、正義の光が私の身を焦がす。
私に近づこうとする石丸君を78期生の仲間が引き留めてはシェルターの方へ向かっていく。その姿をただ見ることしか出来なかった。
今度はいつ会えるのだろう?明日は駄目だとして、1ヶ月後?1年?それとも数年後?
こんな事件がいつ終わるのか分からないけれど、もし終わるときには彼に会いたい。
変な別れ方をしちゃったなぁ……もう会いたくなってくる。フラれる怖さが勝って、好きだなんて無責任に吐けなかったけどやっぱり言えばよかったかな。
彼も仲間もいない場所で私は初めて胸に秘め続けていた言葉を呟いた。


その日から何日経ったのだろう。
私の高校の白い制服を着た男性の頭部から流れる血が鮮明に映し出される。生中継のテレビは嘘なんてひとつもついていない、つける訳がないのだ。
……石丸君が、死んだ。
言葉が出てこない。紛れもない絶望の気分に加えてくるくると心の底で何かが蠢いている。
その日から眠っても、ヤケになって物を壊しても、何もしないで1日過ごしても彼が死んだ事実は消えなかった。石丸君のいない世界で息をすること自体がとても困難だった。

もしかして私は光に縋りたかったのかもしれない。私を助け出すと宣言した彼を待っていたのかもしれない。そんな希望を持っていたのかもしれない。

ただ、彼の優しさに委ねられて眠りたかった。
ただ、彼の強さに憧れていたいだけだった。
ただ、彼の言葉を信じたかった。

そんな受け身だけの希望はひとまとめにぐちゃぐちゃに壊された。


みょうじくんはよく頑張っているさ
困っている人を助けるだなんて君はとても心優しいのだな


ふと思い出した石丸君の言葉。
本当に優しい子なら、私は絶望に飲み込まれずに貴方の味方になれたのに。絶望に抗える力はあった筈なのに。世界の隅で未来の為に動き出すレジスタンスの力になれた筈なのに。

何が、自分に何が出来たっていうんだ。
石丸君のいないこんな世界そのものが憎たらしい。こんなに世界がつまんないものだったなんて知らなかった。だって石丸君がこの毎日の中に生きていてくれたんだから。
自分のマフラーを抱き枕のように抱きしめる。毎晩これが無いと私は眠れそうになかった。これがあれば夢の中で叶いもしない彼との思い出に浸れるのかもしれない。そんな都合のいいことなんて起こりゃしないけれど。
私のヒーローはもういない。赤いマフラーをたなびかせた1人の青年はもう永遠にやってこないのだ。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -