言葉なんて要らない



「婚約……」


それは所謂許婚というのだろうか、卒業式を終えたばかりの僕にとって極めて重大な知らせであった。久々の実家に戻ると親戚が集まって僕を出迎えてくれた。


「相手も是非お会いしたいと仰っている。清多夏くん、そのときはよろしくね」
「……分かりました」


親戚の叔父さんに頭を下げる。本当に素敵な男性になったわねぇ。いやあ、あの子は昔から真面目で良い子だよ。そんな親戚間の会話が自然に入ってくる中多くの考え事をしていた。
僕や家族にとっても嬉しいことだった。今まで苦労してきた家族の安心した表情を見たのは何年振りだろうか。僕はここで終わらない。あくまで希望ヶ峰学園で過ごした日々を通過点としてこれからの人生を切磋琢磨していかなければならないのだ。
そう決意したものの、心残りはある。
やはり突然告げられた許婚の存在は大きかった。ほんの一瞬想い人の存在をかき消す程に。



学園での風紀を守らなければならないと取り締まりを続けた中で、1人の女生徒と仲良くなった。学園を盛り上げるイベントの1つ、学園祭で出会ったのが始まりだ。
僕は風紀委員の仕事で正門前で挨拶していた。希望ヶ峰学園の顔として重要な役割をせねばと張り切っていたのを覚えている。
その隣にはテントが張ってあって、そこに受付があった。時間帯によって生徒が変わっていく中、ずっと受付をこなす生徒の存在に気づいた。僕が昼食を食べに行った後でさえも受付にいて笑顔で対応していた。
素晴らしい!仕事熱心で模範生として相応しい!……しかし、昼食抜きはいただけない。
訪問者の対応が終わった頃を見計らい、生徒の方へ歩んでいった。その生徒も僕が来ることに気づいて身構えていた。


「君」
「はい。何ですか?」
「差し出がましいようで悪いが、昼食は取っているのか?」
「……いえ、まだですね」
「それはいけない!すぐに取るべきだ!」
「気遣いありがとうございます。これから取りますね」


生徒は笑いながらその場を立つ。向かった先は受付のテントの隣に併立されていた横幕が四方張られたテントだ。そこは確かパンフレットや訪問者に書いてもらうアンケート用紙があった筈…。少なくとも休憩所ではない所だ。
最初は気にしなかったものの、何分経ってもそのテントから出ない。数分経つ毎にどうしても気になってそのテントの中を覗いた。


「っ!」


いた。積まれた書類に囲まれながら、空いた狭いスペースに座って弁当を食べていた。


「そ、そこで食べているのか?」
「…は、はい。食堂は混んでいますし、クラスの休憩所を使うのも面倒だなーって。ここなら移動時間も短縮するんで」
「……」
「……駄目でした?ここなら万が一受付が混んじゃったとき力になれますし」
「駄目ではないが君は良いのか?ずっとここにいて友人とまわらないのか?」
「いいんですよ。私騒がしいのは少し苦手ですし、友達にもそう言ってますので」


卵焼きを頬張りながら微笑んだ生徒に言い返す言葉が出なかった。


「仕事熱心なのは感心するが…」
「そっちもずっと立ちっぱなしですよ?」
「いや、僕は当たり前のことをしているだけだ。何せ」
「知ってますよ。超高校級の風紀委員ですもんね」
「う、うむ」
「私のことは知ってますか?…ってネームプレートに書いてありますね。みょうじっていいます!」


受付する生徒だけ胸元に着けるネームプレート。そこに書かれたみょうじなまえを一瞬見ながら視線を彼女に戻す。ああ……そういえば隣のクラスにいた気がした。このままいるのも気まずいし、弁当を食べづらいだろうから足早に持ち場へ戻った。


1年後、2回目の学園祭。午前中はクラスの催し物にいて正午を過ぎた頃に正門前に風紀委員の仕事で向かうことになった。今は昼食の時間だが弁当を持って外に出た。学園祭となるとボンヤリと思い出す。まさかなと思いつつも受付の隣のテントの横幕を開けた。


「ま、また君は今年も!」
「うん。でもちゃんと理由はあります。シフト上、私の休憩中は後輩だけになっちゃうからイレギュラーな対応が来たら呼んでねって後輩に言ってます」
「そ、そうか」


なら去年は先輩に頼れば良かったのではないか?
そんな疑問が思い浮かんだが彼女に言っても無駄な気がした。彼女の前であんなことを言ってしまったものの、この狭いテントの中にいたのは少し嬉しかった自分がいる。


「石丸くんはこれから?」
「いや……昼食をここで食べようかと」


そう自分の弁当を見せるとみょうじくんは驚いた顔をして箸を落としかけた。予想外の出来事だったようだ。


「君のことだから今年もここで1人で食べると思ってな」
「あらー、分かっちゃいました?」
「ご飯は1人より誰かと食べる方が良いに決まっている!それで君には僕と昼食を取ってもらうぞ!」
「噂通り強引な人ですね。いいですよ」
「……噂通りって誰が言っていたんだ」


乱雑に積まれた書類を整頓し、スペースを2人分に広げて昼食を取ることになった。噂のことに加え、たわいもない話を数十分程話し込んでいた。その僅かな数十分が充実して楽しかったのを覚えている。


3回目の学園祭。それまでの間の1年間で僕達はよく話すようになった。主にみょうじくんの分からない単元を僕が教えるというのが多かったが、たまに学食で昼食を共に取ることもあった。いつの日か僕はみょうじくんに特別な感情を抱いていた。友情とはまた違った温かい気持ちを恋だと気づくのに大分時間がかかった。
事前にみょうじくんから学園祭のことを知らされていた。最後の学園祭ということで友人とまわりにいくのだとか。勿論みょうじくんは受付だけやってきたのだから楽しむべきとは分かっていたが正門前に立つとどこか物足りないと感じていた。

帰る人の流れが落ち着いてきた頃、突然背後から聞き覚えのある声が聞こえた。


「石丸くんだー、お疲れ様ー」
「みょうじくん!?どうして」
「受付の片付けをしなきゃいけないでしょ?ここのテント、古いから畳むの難しいんだよね。だから来たの。石丸くんも手伝ってくれるよね?」


仲良くなったからか敬語が抜けて話しやすい口調になったみょうじくんは僕に笑う。僕はその笑顔に応えた。


「勿論!」




半ば放心状態のまま実家から出るとみょうじくんが僕に気づいて手を振ってくる。みょうじくんがここにいる理由としては僕が誘ったからだ。……本当はどこかで彼女に僕の想いを告げたかったのだが、中々言えずに実家に着いてしまった。"言わなくて良かった"と思ったのは言うまでもない。


「……待たせてすまない」
「ううん!家族と話をすると長くなっちゃうもんね」


78期生の生徒だけで集まって最後のパーティーをするとのことで待ち合わせの場所まで向かう。
叔父さんに許婚のことを聞いた。隣にいる彼女であって欲しいとどんなに願ったことか。


「石丸くん、これ受け取って貰える?」
「?」


隣を見ると突然視界が何かに包まれる。よく見るとそこにあったのは小さい花束だった。


「これは」
「石丸くんが実家に帰っている間に色々見てきたんだー。そしたら素敵なお花屋さんがあったから作って貰っちゃった」
「それを僕にいいのか?」
「うん。今まで勉強とか学園祭でも力になってくれたからね。そのお礼としてだよ」
「あ、ありがとう!」


みょうじくんからのプレゼントを受け取る。小さい花束は白いラッピングペーパーに赤いリボンが結ばれている。花を眺めると霞草の中に浮かぶ1本の薔薇の花が目立った。赤い薔薇の意味がふと脳裏をよぎり胸が痛くなる。
まさか。そんな馬鹿な。
プレゼントを見つめていると隣から物静かで優しい声が僕の耳に届く。


「…………」
「……?今なんて」
「ううん。何でもない。みんなの所へ行こう」


一瞬みょうじくんは僕と同じ表情を浮かべた気がしたが、すぐにいつも通りの笑顔に戻った。

……

「……」


大人になった今、ふと思い出していた。
多忙な日々の中で昔のことなんて思い出す暇も無かった。だがそれで気は紛れた。
ベッドライトの温かい光が僕の周りだけを照らす。寝る前になってしまうとつい考え事をしてしまう。
彼女は元気にしているだろうか?彼女の実家は遠い所でパーティーの後、飛行機に乗って行ってしまった。だからあのとき僕の誘いに乗ってくれたのだろう。結局僕は何も告げられなかった。時々気持ちだけ伝えればという後悔が過ぎったがこれで良かったと思う。
もう寝よう、朝は早い。ベッドライトの電源を落とす直前、ふと窓際を眺めた。

もう既に花は散り、何も差していない。
君の初めてのプレゼントを飾る為の花瓶だけがそこにあった。


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