恋の記憶



いつも同じような夢を見る。青々とした草原に真っ青な空、そこに浮かぶのは輝き続ける太陽と白い雲。それだけで他は果てしない地平線。それなのに目的があるように私の足はある場所へと足を運び続ける。

どれくらい歩いたのだろう。疲れなんて無いままひたすら歩き続けるとそびえ立つ何かが私の視界に現れる。そこには大きな木がひとつあった。優しい風に自身の髪が揺らぎ、その木も葉と葉が擦れ合う心地の良い音が聞こえる。傍には男性が立っていて、こちらを優しく見つめている。


「……」


上手く聞き取れなかった。もう一回、その声を上げる間もなく辺りは崩れ去り、視界が真っ暗になる。


……


窓から眩しい位に朝の光が部屋を照らす。
繰り返す刹那的な夢。そして毎回起きたら頬を伝う涙に気づく。


「おはよう、なまえ」


私の婚約者が笑みを零しながら私の頭を撫でてくれた。婚約者の手は頭から頬へ流れるように移動し、涙を掬い上げる、


「また悪い夢を見たんだね」
「…うん」
「大丈夫だよ、僕がついている」


優しい言葉に感謝を告げ、ゆっくりと体を起こす。婚約者がいてくれる休日の朝。婚約者の用意してくれた朝ご飯。安心するひとときだ。


「なまえ。申し訳ないけど、今日の昼は僕の友人に会ってくるんだ」
「え……」
「ごめんね。夜には帰ってくるから」
「…うん、分かった」


婚約者の言葉にゆっくりと頷く。相手にも事情はある。そう言い聞かせながら朝食を口に運ぶ。
その後は出掛ける婚約者を見送り、ベッドに座り込んだ。

あの夢は丁度半年前から現れた。繰り返される夢は何かメッセージがあると思った私は以前から沢山のことを調べていた。だけど、何も得られなくて気分が落ち込むばかりだった。得られたことといえば、半年前に私自身、ある事故に遭ってしまったことくらい。
事故のことについて聞いても、婚約者はそれは忘れてしまおうと言って教えてくれなかった。

締め切った窓を開けて換気する。考えが詰まるとこうして空気を入れ替えたくなる。
深呼吸をしていると突風が私と部屋の中に襲い掛かった。風の力は恐ろしくあっという間に部屋の中にあった紙切れが宙を舞い始めた。


「あっ、ヤバっ…」


窓を閉め、ハラハラと舞う紙を片っ端から集める。婚約者が用意していた資料をバラバラにしてしまったら大変。幸いページ数が書かれてあったからその順番に直すことは容易かった。…でもあの人もあの人だ。しっかりしまうべきものはしまうべきなのに。
少し忘れん坊な彼に笑みを零しながら、彼のバッグに紙の束を入れようとしたとき。

バッグが立てかかっていたタンスの下に何か紙が挟まっているのに気づいた。
これも資料なのだろうか。タンスの下に入ったら取り出すのが大変だと思い、指先に神経を張り巡らせながらゆっくりとタンスの下からそれを引き出す。


「……え」


それは紙ではなくて1枚の写真だった。制服を着た3人の人物が笑顔で写り込んでいる。昔の自分達のようだ。
自分が左端に、右端に髪型は変わってるものの婚約者だった。その私達の真ん中で笑う男性に息を呑んだ。

その人はまさしく夢で現れる男性だった。顔も体格も夢で見たその人に間違いなかった。写真を裏返すと裏面の白い余白に"希望ヶ峰学園入学おめでとう"とマジックペンで書かれていた。

希望ヶ峰学園……。
夢で何回も見たあの人は実在している…!
思い立ってその人のことをパソコンで調べてみる。1番欲しかった人の名前こそは伏せられていたものの、希望ヶ峰に関する掲示板サイトには情報が途切れ途切れだが載せられていた。プライバシーの侵害だ、なんて思いつつその人はどうやら超高校級の風紀委員として在学していることが判明した。
ここから遠くない。夢の中で何回も会う人に会えるかもしれない。
急いで着替えてその学園の方に足を運ぶことにした。


希望ヶ峰学園は本当に学園なのだろうか。まるで外国の大学のような気品ある外観に圧倒しかける。無鉄砲で飛び出してしまったから門の前に来てやっとここからどうしようと考え込む。近くに警備室みたいなものは無いだろうか。
ウロウロしていると1人の学生らしい人が希望ヶ峰学園の中へ入ろうとしているのを見つける。学生さんかもしれない、この人に場所を聞いてみようと勇気を出して声を掛けることにした。

 
「あ、あの!」
「………ッッ!」


あっと思わず小さい声を上げる。私の声に振り向いた男性は間違いなく夢で何回も見続けたあの人だ。その人の顔や体…雰囲気が夢とそっくりだった。
目の前の人物も目を見開いて体や表情が強張っている。私の顔を見てから何も言わずに立ち尽くしていた。その様子から間違いなく、この人は私のことを知っていると確信出来た。


「…貴方を探していたんです。…あの、名前は……?」
「…………」


このまま立ったままだと何も進まない。勇気を振り絞って問いかけても、目の前の人物は何も言わなかった。眉を潜ませ、言葉を喉の奥に閉じ込めているような様子が焦ったくて仕方なかった。
目と目が合い、お互い黙り込んでしまう。暫くして、目の前の男性は踵を返して学園の方へ向かってしまう。


「ま、待って…!」


何とかして呼び止める。その人の名前すら分からないのに、私は覚えている。モヤモヤとした感情が段々と膨れ上がっていく。思い出さなきゃと焦りが指先に表れ、震え出す。だけど、何も思い出せなくてそんな自分にイライラさえ募り始める。


「貴方のこと知っているのに…何も分からない」


後もう少しなのに。助けを乞うような涙声になった私の言葉に振り向いた貴方は目尻部分を赤くし、潤んだ目を細め微笑んだ。どうして。この人は私を見て泣きそうになっているのか疑問は膨らむばかりだった。


「……その方がいい。僕を思い出さなくていいんだ。"みょうじくん"」


その声は初めて聞いた声なのに、不思議と懐かしく感じた。





………


僕は彼女に最後の言葉を告げ、その場から逃げるように離れた。僕を呼び止める彼女を1人にしておくのは気が引けたがこれも彼女の為で仕方ないことだった。
しかし、"彼"が傍にいた筈なのに何故彼女がこんな所に来たのだろうか?


みょうじくんは事故で記憶を失った。自分の家族も友人もそのとき恋人だった僕のことも何もかも忘れていた。



前に通っていた男子校で知り合った男子がいた。誰とでも話せる明るい人物で僕の話題にも必死でついていくような人だった。
ある日、途中までその男子と帰路についていたとき変な髪型に変に着崩した制服を着た男達が1人の女子を囲うように話しかけていた。
ただ事ではない様子につい声を掛けてしまった。


「君達!」
「ゲッ!あいつ石丸か!?」
「ちぇっ、ずらかろーぜ」


しかし、呆気なく男達は僕の顔を見てすごすごとその場を離れてしまった。あのような者達は啖呵切ってくるものだと覚悟していた為にポカンとしていると、女子がこちらを見て恐る恐る口を開いた。


「あ、あの。ありがとうございます。ナンパされてて…困っていたんです」
「な、ナンパ?」
「石丸はナンパ知らなさそう…はは。君ってもしかして制服からしてあの女子高?」
「は、はい!」
「これも何かの縁だし、名前教えてよ!」
「…それはもしかしてナンパというやつかね?」
「ありゃバレた?」
「き、君というやつは!不純異性交遊だぞ!」


あちゃーと頭を抱える彼に問い詰めようとすると急に彼女は笑い出した。


「ふふ、お二人とも面白いです。私はみょうじといいます」


それが僕達3人が仲良くなったきっかけだった。主に高校生の流行というものを彼や彼女に教えてもらう形で僕を娯楽に誘ってくれた。

そんな中で僕と彼はみょうじくんに恋をしてしまった。最初は恋という感情が理解出来なくて相談した所、彼も同じ気持ちだということが判明し、彼は躍起になって、どっちに振り向いてもらえるか勝負だなんて言い出したものだから流石に困った。勝負と言ったって何をどうすればいいかなんてそのときの僕には分からずじまいで、このまま負けになってしまうのだろうかと思っていた。

だが、みょうじくんは突然僕に告白してきた。何が起きたか分からなかった。だが、みょうじくんのいつもと様子が違う様に恐らく本当のことなのだろうと理解し、了承した。僕も彼女のことが好きだったし、彼女の為に更に努力を重ねて良い大人になりたかった。
一方彼は「負けたけど、幸せになってくれよ」と激励を送ってくれた。その言葉が照れ臭かったのを今でも思い出せる。

それから暫くして僕にスカウトの話が来た。2人は僕の入学の話を祝福してくれた。あのとき彼が持ち込んだカメラで記念撮影をしたんだったな。

そしてまた日が経って、希望ヶ峰学園での唯一の外出許可日に不幸が起きた。
僕の方が先に待ち合わせ場所に到着し、みょうじくんを待っていたときだ。


「石丸くん!」

遠くから声が聞こえた。そこには私服姿のみょうじくんが手を振りながらこっちへ駆け寄ってくる。前に連絡を取った際も嬉しそうにしていたことからすごく楽しみだったのだろう。僕は幸せだった。

僕と彼女の間に信号無視したトラックに阻まれてしまうまでは。

トラックに巻き込まれたみょうじくんは瀕死の状態だった。救急車で同伴として乗せられた僕は何が起きたか理解が出来なかった。手術室の扉を前にして立ち尽くすしか無かった。

後ろから走ってくる足音に振り向くと、懐かしい彼が息を切らしながら僕の方へ走り出しては僕の胸ぐらを掴んでくる。


「っっ…」
「何で…何でなまえを助けなかった?」


彼の声や睨みつけてくる瞳は怒りに満ちていた。鬼の形相のような表情に怯んでしまいながらも状況を説明する。


「…それは石丸が止められたことだろ?なまえの周りを見渡せば、分かった筈だ」
「……そうだ。これは僕の不注意でもある」
「認めるんだな石丸!?お前はなまえの彼氏なんだろう!?お前がなまえを迎えに行くという手もあった筈だ!」
「それは…!」
「…もういい。帰ってくれ。お前の顔なんて見たくもない」


彼の言葉は理不尽だったが、僕自身後悔の念があった。彼の言う通り、周りを見渡せばみょうじくんがこんな目に遭うはずも無かった。それでもどうしようもなかった。僕自身気が動転していて彼に何も言い返せずに引き返してしまった。

その後、一件の電話があった。彼からだった。みょうじくんは全ての記憶を失っており、彼がみょうじくんの大切な人という形で傍で見守ることとなった。僕はその事実を酷く受け入れられなかった。僕の責任も少なくはなかったし、希望ヶ峰学園の規則では外出日は限られており彼女を看れることが出来なかったものだからその事実を受け入れるしかない。
それでもやり場のない怒りは収まらずに病院まで行こうとしたときに僕は2人を見つけた。幸せそうに笑う2人の姿を。
……僕はみょうじくんのあの笑顔を何回見たのだろうか。みょうじくんの恋人としての期間は短くなかった筈。それなのに指折り数えるくらいしか会っていなかったのだ。好きや愛しているの言葉なんて伝えたこともなかった。
僕が希望ヶ峰学園に行った後が多忙の日々だから?恋は初めてだからどうすればいいか分からなかった?こんなの言い訳にしか過ぎない。

僕は失格だ。溢れる涙を拭いながらただ2人が幸せになってくれればいいと無理矢理祈った。



もし彼女と再会したあのときに、愛してると伝えたらどうなっていたのだろう。彼女はそれをきっかけに全て思い出すのだろうか。あのとき涙声で問いかけられて思わず口を開きかけた。彼女の問いに応えるべきだ…今まで伝えてあげられなかった言葉をぐっと飲み込んだ。
駄目だ。
みょうじくんの傍にいるべき人はもう決まった。確か式場の日取りも決まっていた筈だ。幸せになろうとしている君にそんな感情的で馬鹿らしいことを言って全部壊れるくらいなら、何も言わないままでいよう。それがみょうじくんを想うただ一つしか残っていない償いだ。


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