解けかけたその先



※解けない謎の続き


気づけば夕暮れ時の教室で自分の席に座っていた。目の前にはチョークの白い粉すらない綺麗になった黒板があって、その近くにはポンポンと窓から腕だけを出したみょうじくんが懸命に黒板消しについた粉を落としていた。
息が一瞬止まりそうになる。自殺したはずのみょうじくんがそこにいる。動いている。まさかとぽかんと座っているとみょうじくんは僕の方へ向いていつも通りの笑顔を浮かべる。


「珍しいね、うたた寝してたよ。石丸くん」


うたた寝…ああ、今までのは夢だったのか。そうだ。彼女が自殺なんてする筈がない。何て気味の悪い夢だったんだ。ふぅと一息ついて机の上にあった日誌帳は開きっぱなしで文章が途中で途切れている。


「疲れていたの?」


綺麗になった黒板消しを黒板の方に置き、僕が座っている席までみょうじくんは近づく。しかし、夢とはいえみょうじくんの神妙な顔は鮮明に覚えていた。きっと目の前の彼女も何か悩みを持っているのだろう。


「いや、君のことを考えていた」
「…え!?」


みょうじくんの驚く姿にこっちまで驚く。予想外のことに彼女の頬は夕焼けに併せて赤くなり、僕から目線を逸らす。確かに急にそんなことを言われたら誰だって驚くだろう。だが、僕は驚いている暇なんてない。


「みょうじくん、少し話を聞いてほしい」
「…う、うん。何?」
「もし、今悩んでいることや苦しんでいることがあったらすぐに言ってほしいんだ。隠し事は無しだぞ」
「な、急にどうしたの?」
「……うたた寝しているときに夢を見た。君が自らの命を絶って死んでしまう夢を」
「…え」
「そのときの僕は君に何も出来なかったことを後悔していた。僕は君を助けたい。皆が悲しんでいた姿が夢であれ鮮明に映っていた。ただの夢ならいいのだが、もしかしてと思って聞いただけだ。しかし、学園生活に支障をきたすようなことがあれば是非僕に言ってほしいんだ」


勢いよく立ち上がり、みょうじくんの目の前に詰め寄る。戸惑いと焦りが混じった彼女の大きな瞳が僕を見上げる。しばらくしてみょうじくんが目線を逸らし、ボソリと何かを呟いた。


「………」


耳を澄ませると否定的な言葉が聞こえて息を呑んだ。"誰も信じてくれない"…。この言葉で確信する。みょうじくんは何かを悩み、自分の中に閉じ込めようとしているのを。


「大丈夫だ。口外はしない。僕は君のことを何でも信じる」


みょうじくんの肩に両手を壊物でも扱うかのように優しく掴み、視線を少し強引に合わせて見つめた。彼女の瞳が若干うるうると僅かに動いていた。判断に迷っているような瞳。悩ませているものが何か分からないが、もう少しで、彼女のことが聞ける。彼女の本心を聞いてあんな夢の結末になんかさせるものか。
悩んでいた彼女は作り笑いと誰もが分かる強張った笑顔を僕に向ける。無理しないでほしいものだが…そう思っていると彼女の口がゆっくりと開いた。


「…聞きたい?……あのね」


その後の言葉か聞き取れない。何と言ったのか聞き返そうとしたが視界がぼんやりと霞んでしまう。





先程の景色がボヤけたかと思いきや、視界が少しずつ鮮明になる。しかしそこは教室ではなく寄宿舎の自分の部屋のベッドの上だった。

ベッドの上…?少し混乱するものの、次第に現実に引き戻されたのだと絶望が襲いかかる。つまり、本当はこっちが現実でさっきのは夢だった。みょうじくんがこの世にいないこの現実に帰ってきてしまった。

何と言っていたんだろう。夢というものはいざ起きてしまうと殆どのことを忘れてしまう。思い出そうと頭を抱えるものの努力虚しく彼女の理由を何一つ覚えていなかった。


まだ卒業式は行われない…と思っていたのだが午後に行われると今朝の放送で告げられた。こんな状況で強行するというのだろうか。…と思ったのだが友人達の進路先の人物や企業から学園側に催促が来たのだろう。時間というものは残酷だ。せめて友人の葬式か告別式をあげてからでも遅くないのではと疑問に思う。

卒業式が執り行なわれる体育館までの足取りが非常に重い。それはクラスメイトにも言えることで浮かない表情を浮かべていた。
予行練習の意味もなく、皆は足に重りをつけたような足取りで壇上に上がり、卒業証書を受け取る。全員が証書を受け取った後に、1番最後にマイクからすぅと息遣いが聞こえる。教員の一瞬の躊躇いがここから見ても分かる。暫くして聞こえたのはみょうじなまえ、という名前。みょうじくんの名前が呼ばれた瞬間に僕は思わず俯いてしまった。駄目だ、堪えなければならない。涙が今にも落ちそうなくらいに両目を潤していく。出席番号の関係で1番前の列なのに顔を上げなければという焦りが余計に涙を誘う。だが朝日奈くんや後ろで不二咲くんの泣く声で限界だった。咄嗟に制服から取り出したハンカチで目を覆う。朝日奈くんと僕の間に挟まれた戦刃くんには非常に申し訳なかったし、隣の江ノ島くんにかなり視線を浴びせられている気がした。
足音なんて聞こえるわけもない。あの一言は教員のせめてもの気遣いだったのだろう。代役を立てずに名前だけを呼び、生徒が証書を受け取って壇上から降りるはずだったそのタイミングで以上、という声が響いた。

終始何も言葉が出なかった。みょうじくんは一体どうしていなくなってしまったのだろう。理由も分からないまま、いつの間にか式は終わってしまった。

式も終えて寄宿舎の荷物整理に取り掛かる。前日までに殆ど片付けていたが新たに今日配られた卒業アルバムをしまおうとしたときだ。部屋の扉からノック音が聞こえる。


「霧切くん?」


扉を開けると、霧切くんが腕を組みながら扉の前で立っている。珍しい。僕に何の用事なのだろうか。まさか忘れていることがあるのか?そう小首を傾げていると霧切くんはいつの間にか僕の部屋の中に入っていた。


「待つんだ!勝手に」
「扉を閉めて。話したいことがあるの」
「は、はぁ。分かった」


マイペースに突き進む霧切くんについつい乗せられてしまう。しかし、ポーカーフェイスな霧切くんが珍しく深刻そうな表情を浮かべていることからあまり人に聞かれたくないことなのかもしれない。


「石丸君。今、みょうじさんの話をしてもいいかしら?」


心が跳ねた。まるで小説のページの最後のような、次のページをめくりたくなるような、気になるワードが彼女から出てきたからだ。


「も、もちろんだ!みょうじくんの話なのか!?」
「…ええ、あなた式のとき泣いていたでしょう?肩が震えていたの後ろから分かったわ。確認したいのだけれどあなたとみょうじさんってどんな関係なの?」
「……なぁあ!?」


腑抜けた声が部屋中に響く。霧切くんはうるさそうにしながらも僕の方へ視線を送る。


「な、何のって…クラスメイトであり、友人だが?」
「…そう、お付き合い…はしていないのね」
「もちろんだとも!僕は不純なことは何一つしていない!」


事実だ。だがその事実に若干心が締め付けられた。どこかでみょうじくんを見かければ彼女を目線で追ってしまうくらいに、僕の中では特別な存在になりつつあった。
いつからかなんて分からない。無意識に気づいたらこうなっていたのだがそれが恋というものなのか分からなかった。もしかしたら憧れもしくは恋に至らない単純な感情かもしれない。
恋だろうが友愛だろうがいずれにしても僕は彼女の死が気になって仕方ない。

霧切くんの長い前置きはどうやって核心に踏み込むのだろう。沈黙の中考え込んでいると目の前の彼女が決心したような顔つきで僕へ向けて顔を上げた。


「石丸君はみょうじさんから卒業後について聞いているの?」
「…卒業後?いや、聞いていないが」
「…そう。この質問を生徒に聞いているのよ。そして石丸君が質問を投げる最後の生徒だった。これで分かったのは誰一人としてみょうじさんの進路先が分かる人はいなかった」


将来…?言われてみれば確かにそうだ。みょうじくんは進学するとも就職するとも言っていない。それは僕に告げてないだけかと思いきや、誰も知らないと言うのだ。


「卒業式の先生の言葉が気になったわ。全員の進路が晴れて決まった…それならみょうじさんと仲が良かった朝日奈さんが知らないとは思えないのよ。みょうじさんが仮に進路先が決まらなかったとしても、それなりの言葉や態度は顔に出るわ」
「ではどういうことだね?」
「……その前に、石丸君は希望ヶ峰学園の都市伝説を知っているかしら?」
「は?」


突然の内容に素っ頓狂な声を上げる。みょうじくんと都市伝説がどう繋がるというのだ。霧切くんの考えが全く分からない。


「都市伝説…?」
「…カムクライズル…あなたは聞いたことある?」
「……いや」
「それなら入学した者と卒業した者の人数が毎年違うというデータを知っているかしら?」

霧切くんの会話の間が妙に気になった。
ああ、そう言えばこの学園に入学する前に聞いたことのある噂を思い出した。
希望ヶ峰学園に入学した者は将来が約束される。ただ、全員とは限らないと。
そんなのは個人個人にそれなりの理由があるからだと聞き流していたが、気になって霧切くんに問いかける。


「その2つと何の関連性が?」
「分からないわ。普通に過ごしている生徒達には……ね」
「どういうことかね?」
「…あなた、流石に今の学園長の名前は知ってるわよね?」
「ん、あ、ああ。すまなかった。……まさか霧切くんは」
「…昨日彼女が飛び降りたあの後私達は待機命令を命じられていたけど、私は学園長の部屋に忍び込んだのよ。…父はマスコミの対応に追われていたから難なく忍び込めたわ。とはいえすぐに戻る気配がしたから学園長室の書類を全ては見られなかったわ。でもそこでにわかに信じられない書類を見つけたの」
「どのようなものだったんだ?」


そう尋ねると霧切くんは僕の方へ近づき、辺りを見回しながらそっと耳打ちをした。


「超高校級の才能を持つ生徒を使った人体実験…」


落ち着いた声が更に全身を震わせた。人体実験…その言葉は即座に聞き間違いなのではと僕は自身の耳を疑った。


「人体実験…?」
「ここ数年で生徒を1人選んでは実験を行なっていたことは事実よ。…これを見て頂戴」


霧切くんから渡されたのは小さいデジタルカメラだった。カメラはすでに起動されておりデータの中には文章が羅列されていた。
カムクライズルプロジェクト……。
初代学園長の名前から取られたカムクライズルというものを創り出す為に人体実験をしていたこと。被験体は既に見つかっており、その被験体に才能を移植すること。その才能は一学年に1人選ばれ、脳移植をするという文言が記されていた。
希望ヶ峰学園の悲願である希望と才能に溢れた人工の人間……?話のベクトルが違いすぎてすんなりと頭に入らない。


「こ、これは」
「……こうは考えられない?私達78期生で選ばれるのだとしたら、みょうじさんだったんじゃないかって」
「………そんな馬鹿な!何故みょうじくんが!」
「流石に父の目を盗んで調べたからその資料しか目を通していないのよ。このことは選ばれた対象者には直前に伝わらなかったはずよ。伝えられていたら誰かに伝えるリスクを伴ってしまう。……けれど学園長の部屋にしか無いこの資料を見る可能性が高い人がいたわ。……年末前に大掃除が全校生徒で行われ、そのとき学園長室の掃除をしていた人物……」

「……みょうじくん」


ビリっとカメラを持つ手先が震えた。辻褄が嫌なくらいに合ってしまう。掃除場所は先生が割り当てていた。みょうじくんが学園長室の掃除を任されていたというのはハッキリ覚えている。それどころか皆が覚えているだろう。だって学園長室なんて生徒は一切の立ち入りを禁じていたからだ。


「…そんなまさか。みょうじくんが書類を盗み見るとでも?」
「そもそも学園長室の掃除をみょうじさんに任せるというのも変だったじゃない。学園で行われている人体実験のことが書かれた書類がある所に生徒を呼ぶかしら?もしかしたら父はみょうじさんに"選ばれた"事実を伝えた可能性が高いわ」
「それならおかしいではないか!何故みょうじくんは誰にもそのことを言わなかった!?」
「みょうじさんの性格上言えなかった。それが1番ね。上層部の口止めという名の脅迫もあったかもしれないけれど、それよりも私達や家族に迷惑をかけたくなかったのかもしれないわ」
「ば、馬鹿な…」
「突然予備学科が新設されたのも金銭的に厳しかったのでしょうね。そして平々凡々な人間から被験体を選ぶ為に。実験後の選ばれた超高校級の生徒の行方は不明…」
「待ってくれ!」


霧切くんの言葉を無理やり遮った。動悸が止まらない。胸を押さえつけて無理矢理呼吸をする。人体実験が許されるべきではない。かの有名な希望ヶ峰学園がそんなことするはずがない。しかし、ここ最近の学園の動きには違和感はあった。霧切くんの言う通り予備学科が何の脈絡もなく新設されたことに加え、どこから来たか分からないスーツを着た人達が出入りしていたのを挨拶運動で見てきた。そしてその人達が学園長室を出入りしていたという噂も聞いていた。


「そんな…こんなのは………」


何より心当たりがあった。大掃除の後の日直になったあの日。


「…みょうじくんは怖いと言っていた」
「…」
「理由を何一つ教えてくれなかった。だが僕の手を握れば恐怖が無くなると、そう言っていた」
「……」


霧切くんが初めて眉を潜めた気がした。僅かな変化に関わらず僕は胸の内にあった言葉を溢した。


「恐怖の対象が分からないけど怖い…もしそれがこれから起こる実験の内容が分からない、自分がどうなるのか分からないという意味なら理解出来る。けど何故そんな恐怖が僕の手を握ることで消えるのだろうか」
「……みょうじさんは実験自体が罪だと思っていた。人体実験の被験者の行方が分からない以上、生きて自由になることは難しい。脳を弄られるのだから失敗したら植物人間か死。成功したとしても廃人になる可能性が高い。そもそも生きていて実験を知っている者は消されている可能性が高い。
仮に学園と裏社会で暗躍している組織が関わっているとするなら、例え"超高校級の才能を持っていた"人間でもお金を出してでも欲しがると思うわ」
「……君の推理はとんでもないことだ。それは自分の父親の行為がどんなことをしたかって分かっているはずだ」
「あんな資料持って無実です、なんて無理よ。…少し話が逸れたわね。私なりに考えたのだけれど、みょうじさんは石丸君の手を握ることで懺悔したかったのかもしれないわ」
「懺悔…?」


僕がそう呟くと霧切くんはゆっくりと頷いた。あなたは知らないだろうけど、という前置きを置いて僅かに口角を上げて話し始めた。


「…みょうじさんは石丸君のことを尊敬していたわ」
「な、何だと」
「彼女と前に会話していたときに、石丸君の品行方正な所、正義感が強い所が憧れると言っていたのよ。みょうじさんはきっとそんな存在であるあなたに助けを求めたかった筈…けれども迷惑は掛けたくない。だからこそ手を握ったのだと思うわ。強制的に学園側の罪を被せられた彼女はあなたの手を握ることで黒い闇を浄化してほしかったのかも……私らしくない感情的な推理だけれどね」


鼻の奥が痛くなり涙がじわりとまた溢れていく。誰にも言えない中で彼女は助けを求めていたのだと今になって気がついた。あまりにもスケールが大きかった事実だけれどもそれでも何かしらの助けになれたはず。
自分の不甲斐なさもあって悲しみが全てを包み込んだ。


「僕があのときもっと話していたら」
「あなただけのせいじゃないわ。予行練習辺りから元気を失くしていたみょうじさんに私達ももっと深く知るべきだったのよ」
「卒業が近づくにつれ恐怖が強まったんだな…僕だけじゃどうしようもないくらいに。だからみょうじくんは卒業式に屋上から」
「彼女の自殺理由は"学園が関わっている闇を世界中に知らしめる為"…そうは考えられないかしら」


嗚咽まじりに言葉を吐く僕を遮るように霧切くんの声は怒りが混じっていた。普段そんな口調で言わない霧切くんの声を聞いて顔を上げた。


「カムクライズルが現れないということは実験が成功していない、もしくはまだ才能が足りないという証拠よ。きっとみょうじさんがいなくなってかなり難航しているはずだわ」
「代わりが必要になるということか?」
「もしくはそのまま完成させるか…。いずれにしても後輩が危険な目に遭うのは間違い無いし何人もの人間が犠牲になっている。私達は学園の闇を暴くべきだと思うの」


変な話だ。やり場のない怒りが込み上げる。みょうじくんが自殺していなければ学園が望んだ人間が造られる。彼女が自殺したことでこうして明るみになった事実がある。
どっちみち死しか無かったのだろうか。いや、そんなことはない。何か方法はあったはずだ。でもそんなの考えたってみょうじくんはかえってこない。今出来ることは霧切くんの言った通り、非人道的なこの実験を世に知らしめることだ。


「分かった。僕も協力しよう」
「助かるわ。あなたみたいに正義感ある人が声を上げれば、世間も耳を傾けてくれる。最初は78期生の子達に話を聞いてもらわないと」
「それなら任せてくれ!僕が説得してみせる」


久々に声をしっかりと上げられるようになった。絶対に彼女の死は無駄にしない。今後犠牲者を出さない。その決意が僕を奮い立たせた。


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