背徳



明かりが無い空間。大きな黒い影が寝ていた私の全てを覆い尽くした。影は私を見下ろした後、ゆっくりと口を開いた。


「みょうじ…んや、なまえ。オレは」


これ以上何も言わないで。
この先の言葉を聞きたくない自分と、聞きたい自分が混じり合っている。


「オレはオメーとどこまでも一緒にいたい」


……ああ。
これを待っていたのに。嬉しいはずなのに。
ぎゅっと心が荒れた縄に強く縛りつけられ真っ二つに千切れそうだ。

涙を必死に堪える。バレてはいけない。私の気持ちを悟られたらこの関係が脆く崩れてしまう。友人というかけがえのない大切な関係。


「…左右田君、」


モゾリと左右田君は体勢を直す。僅かな息遣いが余計に私の涙腺を壊しにかかる。


「左右田君にも家族はいるでしょ?」
「何とか説得する」
「…友人は?」
「大丈夫」


今までの会話で1番早い返答。嘘をついてる証拠だった。無計画に大丈夫だとか、嫌いな嘘だ。
夜は閑散としている。聞こえるのは風が吹き抜ける音と互いの呼吸の音だけ。
静寂ともいえる中で沈黙を破ったのはあっちだった。


「なまえがいれば他はいらねェんだ」
「くさいセリフだね」
「うっせ…どーしてオメーはオレを突っぱねるんだ」
「……」


間違いなくあんたのせい。
その言葉を頭の中で反芻させながら少しだけ前の出来事を思い返す。

大規模な事件が起きた。希望ヶ峰学園を中心とした暴徒事件。それはまるでウイルスのように世界中にまで広がった。
住んでいた街も廃れてしまい、暴徒と化した人間が罪のない人間を襲う。非現実的な光景に何も考えず命からがら街から逃げ出した。どこかに立て篭もらなきゃ、身を潜めなきゃと走り出した先は都会から離れた山の中だった。

暴徒だけしかいない街でこっそりとテントやキャンプ用品、食料を持ち去り、1人だけの生活。
しかし血塗れの武器を持った昔の友人、左右田君にすぐに見つかってしまった。血走った眼でこちらを見る姿に寒気と恐怖を感じた。僅か2日間。短い逃亡生活だったと想いを馳せていると彼はどういうことか食料を持ってきてくれた。テントに居座ることなく朝と夜の大まかな時間に食料を持ってきた。
何故こんなことを…そう思いながら左右田君を疑心の目で見続けていた。

吊り橋効果という心理は本当に恐ろしい。
疑心暗鬼だった私の心は好意にすり替わっていた。最初は嘘だと自分で自分を諭す。だって毎日持ってきてくれる食料だって本当は誰かの物かもしれない。日に日に彼の服が嫌な血模様で染まっていく姿が怖いって感じていた。
自分を否定するその度に脳内に刷り込まれていく。友人のことをこんな状況で好きになるなんて、愚かだ。

左右田君は好きな人がいる。あんたの左手の薬指に絆創膏がずっと貼られていたから何かあるとは思っていた。
以前テントの中で眠りについた左右田君の絆創膏をゆっくり剥がしたとき、一瞬何があるのか分からなかった。指輪は無かったけど長い指の付け根あたりに小さいハートの形と英字が数個印されていた。私と会うときは指輪は外せても指輪に凹凸部分があったのだろう、指にしっかりと痕が残っていた。ああ、そう。あんたってそういう人。こんな愛の言葉を私に言っちゃう人なんだ。

この事実を知らなかったらきっと私はこの人の言葉を受け入れられた。嬉しくて幸せになったのかも。


「仲良くしてたあの頃が懐かしい」
「……」


つい本音を溢した。きっとあんたも心のどこかで私と同じことを思っている。何も言わずに彼の私物であるナイフが私の首筋に当てる。迫りつつある死に直面し、びくりと体が震える。


「脅すって訳?あんたって前はそんなことしない優しい人だった」
「…もう昔は捨てたんだよ。時間だ。オレと一緒に行くのか?行かないのか?」


ひんやりとナイフの冷たさが首に伝わる。
…ここで死ぬより、逃避行とやらに付き合ってみたい。私の言葉とは反して心の中では彼と一緒にいたかった。


「ずっと一緒にいてくれる?」


平和だった世界なら彼にこの言葉は禁句だった。けど、今は違う。


「もちろんだ」


ニヤリと笑った彼にキツく抱き締められながら、これからの見えない将来を考えていた。


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