ピエリスの花(中編)



「左右田君!昨日はごめんね!ちゃんとご飯作ったからね」
「流石だね、花村君!ちゃんとご飯用意するなんて希望に満ち溢れているよ!」


ニコニコと笑う花村君と狛枝君はどこか狂気すらも覚えるほどだった。

左右田君のテーブルには野菜の皮とか生の動物の皮が溢れていて料理とは決して言えなかったからだ。
誰もおかしいなんて思わないのだろうか。明らかに左右田君の表情は引きつっている。


「……いや、オレの為に用意してくれるのはありがたいんだけど、生憎その、食欲が」


まあ、そうだよね…普通は断るはずだ。そう心の中で頷く。


「えっ、花村の作ってくれたご飯食べないのか?」


誰かの声がよく響いた。


「えー、折角作ってくれたのに断るとか」
「花村が可哀想だよ」
「じゃあ、こっちから食べさせてあげようよ!」


女の子数人が立ち上がり一気に左右田君の方へ向かう。


「女子みんなでやってあげてんだから感謝しなさいよねー?」
「ぐっ…むがっ…っっ!」


辺古山さんと七海さんを除いた女の子達が狂気に満ちた表情で口へ押し込んでいく。歪んだ表情と共に苦しい表情を浮かべる左右田君。それを眺める男の子達。淀んだ空気の中ご飯を食べられる筈がない。


「みょうじ。どこへ行くんだ」


日向君が私へ向けて言い放つと全員がこっちを見つめてくる。今までにない冷たい視線に凍りつきそうになる。


「ご飯、作らなきゃ」
「ええっ!?みょうじさん、ぼくの作ったスペシャルな朝食が嫌だった??」
「いや…そういうことじゃなくて……左右田君のご飯それじゃ駄目だから。花村君がそれでいいって言うなら私が作り直す…うっ!?」


食堂の方を振り向いた瞬間に背中に強い衝撃が加わった。堪えきれずに思い切り倒れてしまう。


「みょうじおねぇ〜流石にそれは許されないよぉ〜??」


小柄な西園寺さんが蹴った…?
鋭い視線で見下すその視線は左右田君に向ける視線と似ていて、背筋に痛みと共に恐怖が込み上げる。


「おっ!喧嘩か?ならオレも混ぜてくれよ!」


パキパキと手の指を鳴らす終里さんの明るい声がより恐怖を掻き立てられた。まさか。
終里さんが恐ろしいスピードで走ってくる瞬間、鈍い音が私の体以外から聞こえる。


「終里、こんな所で暴れるな」
「辺古山さん…!」


終里さんの脚は辺古山さんの竹刀に思いきり当たっている。終里さんはちぇっと大人しくなったようで、辺古山さんの後ろ姿が何とも頼もしかった。

近くにいた西園寺さんも私にだけ聞こえるように舌打ちをして小泉さんの方へ戻っていく。しんと静まり返る食堂だったけど次第に何も無かったかのように食事をし始めた。なんて事のないみんなの雑談は頭に入らなくって呆然とする左右田君の姿が焼き付いていた。後でこっそりマーケットから何か持っていくしかない。


左右田君への仕打ちは更に過激なものに変わっていった。私達への対策なのか七海さんにはずっと日向君がいるし、辺古山さんの所には九頭龍君が傍らにいる。私の所には動けないようにコテージの近くに誰かがいるようだ。しかも食堂で目立った動きをしたせいか何人かで見張りを回しているみたい。

あれから数日。未だにイジメが無くなることはなくモノクマは時々現れては下品な笑いを響かせるのみ。
マーケットから持ち出したことがバレてしまったその翌日から、私が左右田君の元へ向かおうにも誰かが私の道を塞ぎ、コテージに閉じ込められてしまう。

左右田君は…彼はまだ生きているよね?
窓から見える星空は雲に覆われては姿を現わす。輝き始めたと思いきやまた雲に覆われて光が無くなる。もどかしい。
そっと自分のコテージの扉に耳を澄ませると静かなことに気づく。誰かに見つかったら、その誰かにまた何かされるのではないかと食堂での出来事を思い出す。カタカタと手が震えるのを抑えてそっと扉を開くと幸運なことに誰もいなかった。

…今のうちかもしれない。左右田君はどこだろう。普通ならコテージで寝る時間だけれど、その場所は誰が必ず見張りがついている。


「あれ、みょうじさん?」


バッと後ろを振り向く。そこには不幸なことに狛枝君がニコニコと立っていた。狛枝君はマズイ……彼はモノクマの毒牙にかかる前は高校生なのにしっかりした好青年だったのに、今では希望の為と言いながら左右田君の近くにいる。超高校級の幸運だからか知らないけど狛枝君が近づくと左右田君は何故か不幸な目に遭う。まるで左右田君の幸運を吸い取っているのではと思うくらいに。
だから狛枝君は危害を直接加えない珍しい存在だけど、同時に恐怖の存在となっている。


「どうして外にいるの?…左右田君かな?」
「……えっと、そっちも何で?」
「ん。夜風に当たりたかっただけだよ」
「…左右田君に危害は加えないんだね」
「うん、暴力はイヤだからね。それにボクは期待しているんだ。左右田君はこの状況でどんな希望を見せてくれるんだろうって」
「希望なんて無いよ」
「…へえ」


どうして?と尋ねる狛枝君はまるで何も知らない無邪気な表情を浮かべる。その表情はとても恐ろしかった。無邪気故に罪を自覚していないような、そんな表情。


「まっみょうじさんはみょうじさんの希望がありそうだからボクはみょうじさんのことも応援してるよ」
「…そう」


吐き捨てるように言葉を吐き、その場から離れて左右田君のコテージへ向かう。


「……うわ」


コテージは見るのも気が引けるほど凄まじかった。外装はボロボロ、ポストなんて折れ曲がっていて廃墟なのではと思わせる程に酷い有様だった。

そっと扉を開ける。建て付けが悪くなっていてギギギと変な音が扉から聞こえる。抜き足差し足で音を立てずに歩み寄るとベッドから声が聞こえた。


「……今度は」
「私だよ、左右田君。みょうじだよ」


そう呟くと、ゴソゴソとベッドから動く音が聞こえる。はぁとどこか安心しているような息づかいが聞こえてくる。
窓から差し込む月の光がコテージの中を照らす。電気も何も点いていないのに僅かに明るい。
彼の顔、腕や足を見て愕然とした。新しい傷がどんどん増えていく。古い傷は痣となり、内出血している部分は紫色に変わっている。
表情は今までの明るい笑顔なんて消えていた。焦点が合わず、私の方へ本当に目を合わせているのか分からなかった。
ドス黒い、底なし沼のような、澱んだ目。"絶望"という言葉が悲しくもぴったりだった。
彼は私の方へ顔を向ける。手の指先が震えている。


「…みょうじ、か」


か細く、震えた、怯えたような声。やっとのことで絞り出せた左右田君の声を聞いて全身がプルプル震えだした。私のコテージから持ってきたお菓子や飲み物を差し出すも受け取ろうとしてくれない。私が怖くなってしまったのだろうか。そう思っていると心の中を見透かされたようで左右田君が話しかけてくる。


「悪りぃ。ヤクを盛られてな」
「…え」
「飲み物に混ぜてたみてーだ。痺れが止まらねぇ。それで手先や足先が思うように動かなくなっちまって。だから…みょうじの差し入れでも怖くて……」
「……そっか」


なんてことを…。流石に度がすぎている。
次第に皆への不満や怒りが込み上げるも何とかその衝動を抑え込む。皆は操られてるんだ、悪いのはモノクマだ。そしてこの衝動に身を任せてはいけない。
よくよく見てみると左右田君の体重が明らかに落ちていることが一目見て分かった。少なくとも今日は何も食べていないのだろう。


「ご飯、昨日食べた?」
「ああ。ときには優しくなるんだよ。量は少ねーけど日向が持ってきてくれて。体が痺れる羽目になっちまったけど」
「…いや。違うと思う。左右田君が死んじゃったらコロシアイとして成立するから」
「………………そういうことか」
「…まだコロシアイは続いているからね」


そっか、と小さく呟いた左右田君は目線を下に俯く。痣と相まってすごく痛々しい姿だ。


「オメーは大丈夫か?」
「え?」
「辺古山や七海は大丈夫だろ、九頭龍や日向がいてターゲットにされねーし。食堂でオレなんかを庇ったばかりに狙われてねーかって」
「行動見られているけど暴力は無いよ」
「なら、良かった」


ポツリと呟く。僅かだけどコテージの外から海のさざ波が聞こえる。


「何か解毒剤でも」
「…大丈夫だ」
「でも」
「もう放っておいてくれよッ」
「左右田く」
「オレのことはオレが何とかするから…もうオレになんか構うな」


私の言葉をぶった切るように告げられた。あまりにも人のことが信じられなくなってしまったのだろう。信頼が無くなってしまったようで、何を言っても彼に届かないと理解してしまう。
お菓子や飲み物が入ったビニール袋をテーブルの上に置き、そのままコテージの外から出て行く。自分の足取りは酷く重かった。

左右田君1人で何とか出来る問題じゃない。どうしたものかと頭を悩ませていると突然コテージの足場が無くなった。


「ひっ…!?」


体勢を崩し、そのまま水の中へ思いっきり入ってしまう。勢いの良い入り方を…なんて呑気なことを言ってられない。あっという間に頭から足先までずぶ濡れになってしまった。
まさかコテージの足場が腐っていたなんて…いや、本当に?左右田君をこんな目に遭わせる為にだとしたら。そんな考えすら頭によぎってしまう。水を吸った服の重さを感じながら、何とかよじ登ると左右田君のコテージの扉がゆっくりと開いた。

左右田君は私のびしょ濡れの姿を見て、目を丸くするほど驚いていて動揺していた。


「…あはは、ここら辺の床が腐ってたみたいなんだ。あまり見ないで」
「……中に入れよ。タオルは貸す」
「いいの?」
「…オメーの落ちた場所。オレのコテージの扉から出て近いしそこが腐ってる様子なんて全く無かった。完全にオレを狙った落とし穴だ。わざわざこんな遅い時間に押しかけて、自分の作った落とし穴にハマるバカなんていねーしよ。ほら」


左右田君がコテージの中へと手招きする。流石にずぶ濡れで人のコテージに、って思っていると左右田君の手が私の濡れた服を引っ張り始めたのでやむなく中へ入ることにした。

シャワールームで服を干し、バスタオルで体を拭く。
完全に乾かしきれていないけどあまり長くシャワールームを借りるのは申し訳ない。少しだけ濡れた服を着てシャワールームから出ると左右田君はソファに座りながら、私の持ってきたビニール袋の中を漁っていた。


「お待たせ。貸してくれてありがとう」
「ん」
「…お菓子、食べる?何なら私が毒味係するよ。何も無いって証明出来るから」
「…夜に食うと太るぜ?」
「い、いや。私は左右田君に安心して食べてもらいたくて毒味するだけだからガッツリは…」


瞬間。私のお腹からお腹の空く音が聞こえてきて一気に体温が上がり始める。


「あっ、あの、その…」
「……ふっ」


慌てふためく私を見た後に左右田君は目線を逸らし、僅かに笑い声が漏れた。


「んだよ、腹減ってんじゃんか」
「……う、うん」
「いいぜ。食おうか。けどオメーが先な?毒味係さんよ?」
「……うぅ」


腹の音を聞かせてしまったのは大いに恥ずかしかったけど、どこか左右田君の表情は柔らかく感じた。
ポテチの袋を開け、1枚パリッと頬張る。なんてことない普通のコンソメ味。美味しいなぁ。ヤバイな、手が止まらない。
その姿を確認した左右田君もポテチに手を伸ばしパリパリと食べ始める。


「コテージの電気点かないの?」
「誰がやったかは知らねぇけど点かなくさせやがって」
「夜大変だね」
「けど、月の光だけで何とかなるもんだな」


確かに。ここは月の光だけだというのに十分中を照らしてくれる。普通ならあり得るのだろうか?


「…久々に安心して何かを飲み食い出来るなんてな」
「コーラをゆっくりひっくり返したり、キャップをジッと見てたしね。ちゃんとした未開封だよ」
「未開封でも注射針で盛られたら嫌だぜ?まぁ何でもなかったけどな」
「ちゃんとコップに移して私が先に飲んだからね」
「……さっきは悪かった。さっきの落とし穴見るまでは本当にオメーが怖かった」
「ううん、大丈夫だよ」


どうやら私が落とし穴にハマったことで少しは信頼してくれたようだ。何だか変な感じだ。左右田君を庇ったり毒味係もしたのだからそこから信頼して欲しかったけど。まぁいいか。


「オレさ、怖くなるんだよ」


左右田君のさっきまでとは違う低い声に隣を見る。彼は私を見ずに真っ直ぐ窓の外へ目線を向けて口を開いた。


「誰かを殺せばみんな元に戻ってくれるかなって」
「…い、いや、駄目だよ」
「大丈夫だって、ンなことする勇気も行動もねーし」
「冗談でも怖いよ…」


じっと左右田君の表情を伺う。僅かに髪が乱れていて、表情は強張っている。それでも苦悶の表情を浮かべてないだけまだマシなのだろうか。


「ソニアさんがオレのこと完全に厄介者扱いでよ、何だかすげーショック受けちまった」
「そうだよね、左右田君はソニアさんが好きだもんね」
「それでも諦めきれなくて……はぁ」


溜息をつく左右田君はどこか遠くを見つめる。ソニアさんにショックを受けたと言っても何処か嬉しそうな表情。完全に恋をしている姿と言っても良かった。


「……」


チクリと胸が痛くなる。原因は分かっていた。左右田君がソニアさんの話をするとき。そのときに限って胸の辺りが締め付けられるような苦しみを覚える。

それが恋だと気づくまでに時間はかからなかった。左右田君がソニアさんに一目惚れしたように、私自身も左右田君に一目惚れしてしまったのだ。左右田君の見た目こそはビックリしてしまったけど最初の自己紹介で見せた笑顔が忘れられなくて、目で追いかけているうちに好きになっていた。

だからこそ、左右田君が別の人を好きになっている事実がとてつもなく苦しかった。
でも、2人が結ばれても良かった。左右田君が幸せならそれでいいって思っていた。彼の笑顔が見られれば十分幸せだと思っていた。

だけど、このコロシアイ、左右田君の虐めという動機で彼から笑顔が無くなっていくのが辛かった。
彼の想い人のソニアさんが左右田君を虐めている事実がとても醜かった。それでも左右田君はソニアさんのことを諦めていない。


「……どうしたみょうじ?」
「ん、ううん。少しボーッとしちゃって」
「そっか」


色々あったもんなと会話のフォローしてくれる左右田君の表情に体が固まってしまう。
心が壊れる寸前、疲労が重なり憔悴しきっている表情。

このままだと左右田君は死んでしまうのでは。恐怖が私を襲いかかる。
思わず私は隣にいる左右田君の手を取ってしまった。この後掛ける言葉を準備しないで。


「…みょうじ?」


突然のことに私の方へ体を向ける左右田君は私に手を取られたことに対してか、目を泳がせている。


「私は左右田君の味方だよ。何があっても裏切ることはしない。今ここで約束する」


しっかりと彼の目を見つめて思いの儘を告げる。まるで置物のように左右田君は驚き固まってしまう。変なことを言ってしまっただろうか。


「ご、ごめんね……急にこんなこと言って。でも本当のことだよ」
「……みょうじ、サンキュ」


僅かに口角が上がり、左右田君は無理矢理笑顔を作ってみせる。嬉しい、のだけれどこの笑顔じゃない。心からの笑顔を見せて欲しい。
何も言わない時間が伸びていく。何を言い出せばいいか分からず、逃げるように左右田君の距離を置く。


「また明日会いに行ってもいい?」
「あ、ああ」
「ありがとう…おやすみ」
「…あいつらの集まりに寝坊するなよ。オレはもうあんなとこに行かねェからな」
「うん。分かった」


左右田君の声は少しだけ明るみを帯びている。良かった、と安堵すると共に明日からどうすればいいか頭を悩ませながら自分のコテージへ戻った。



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