パンドラの箱



最初は小さな絶望から始まる。
こういうミスしちゃったとかそんな感じ。
次第に怒られたり、友達に酷いことしちゃったり絶望が大きくなっていく。
笑い事で済まされるような絶望から修正不可能な絶望へ変わり、そして次第に心が壊されていく。

壊された心を癒してくれるのは拠り所である支配者の存在が必須だ。支配者の存在によって絶望した人々は崇拝者へと成り果てる。これで立派な集団の完成だ。因みに支配者を持たない人は世界に絶望した後に自殺を遂げる記録がある。

この集団は支配者の依存性が高く、支配者が居なくなると途端に集団自殺を図る。よって絶望した者の更生は非常に難しい……。


ここまで研究レポートを書いた所で爆発音のようなエンジン音を狭い部屋の中で響かせる男を一瞥する。


「……さっきからうるさい」
「オメーだって分かっててオレを監視してんだろ?」
「あー、もう。他の子の担当になりたかった」
「うっせ、オレだって監視なんてされたくねーんだよ」


さて、と呟きながらこいつ…左右田和一は試作品のエンジンの製造に取り掛かった。時速200km以上の乗り物造るんだとか。オイルの匂いが部屋中に漂う。

こいつも一応絶望の残党だとみんなは言っているが私はこいつ含めこいつの仲間のことを"パンドラの箱"と呼んでいる。

何故ならこいつは支配者に崇拝していないのに関わらず数ヶ月経っても自殺をしないのだ。
今まで拘束した崇拝していない者でも1ヶ月で何らかの死を遂げたのに珍しい。
共通点としては希望ヶ峰学園の77期生だ。実際こいつの他にも15人が監視担当をつけて収監されている。

パンドラはかつての絶望、江ノ島という女に当てはまる。絶望への好奇心故にあの事件を引き起こした。そして"箱"の奥底にあった絶望や憎しみを引き出していった。
パンドラの箱と名付けた理由としては、絶望しきって自殺する症状があるのならば"こいつら自身の心のどこかに希望があるから、もしくは希望を捨てきれないから自殺しない"のでは?と仮説を立てたことから始まった。それに希望ヶ峰学園の学生だからという安直な理由もあるが、やはりパンドラの逸話も最後に希望が残るし似たようなものだろうと私が勝手に名付けた。
単純だが結構個人的に気に入っている。

収監されている理由としては今未来機関で更生プログラムを作成中でそれまで監視する時間と場所が必要だから。
絶望について研究している私の所にも場所を提供してほしいとの通達が入った。

まあ絶望について研究している身からしたらハイリスクではあるが非常に興味深かった為すぐに了承した。
そして左右田がやってきたのだが、こいつは厄介な男だ。何しろこいつの武勇伝がヤバい。
機械による建物損壊や大量の殺人行為だけでない、他の絶望した人々を自殺に追い込む脅迫、自殺幇助までしたという。それを嬉々として話すこいつの目も恐ろしかった。

…こんな奴を一緒の部屋に入れた自分も中々だが時折寂しがりなことが判明した。性格は外見で判断できないものだ。


オイルに紛れて刺激臭がする。
振り向くと左右田のやつは口に煙が上がっている煙草を咥えてレポートを書く私の後ろに立っていた。さっきまで遠くでエンジン造ってたのにこっちまで来ていた。
こいつ本当に未成年だろうか、注意しても何回も繰り返すから呆れてしまった。


「…また煙草か。何故それを」


フッと私の周りの煙の量が多くなり左右田は私の背後から抱きつくように覆いかぶさる。2人分の重みで椅子がキィと音を鳴らした。私の顔の横に左右田が顔を出して喉を鳴らして笑う。


「そうカリカリすんなって」
「未成年のときから煙草吸うなんて早死にするよ?」
「まァいいだろ?死ぬ絶望なんて早く来た方がいい。それも派手な死に方じゃなくてしょーもない病死とかいう死に方とかそんときのオレはどんな絶望を味わうんだろうな?」
「まさかそんな死に方を望んでいる?自ら寿命を縮める行為をしてまでさ」
「……さぁな」


喉を鳴らして不敵な笑みを浮かべるこいつはどこか寂しさを隠している表情だった。
…がすぐにいつもの、絶望に満ちた表情を浮かべる。


「オメーも普通の人間でいたいなら絶望について研究するのやめたらどうだ?」
「え?そっちは寧ろ好都合じゃないのかい?仲間が増えるんだよ」
「まーそうだけどよ。オメーをよ、オレの手で絶望させてやりてーんだわ」
「…はい?」


全く変なことしか言わない奴だ。
私の肩に顎を乗せてこようとするから手で振り払う。


「ちぇっ、これでも一緒にいた仲だろ?」
「…あくまでも監視だけど」
「はぁーあ。もうちょっと素直になってくれれば結構カワイイのに」
「絶望に好かれてもねー、ちゃんと更生したら考えるよ」


何を言い出すのか。
こいつのことは調べればすぐ分かる、これはからかってると。左右田はある女の子に惚れているからこれは本気の口説きじゃないと。
そもそも絶望に染まった人間の言葉なんて元々信じていないけど。


「無理だな、オレ更生出来るか分かんねーもん」
「ここまで開き直られたらこっちが困るな。それでも絶対更生させてみせるけど」
「固い意志だな、ますます絶望させてやりたくなる」
「どうぞ?出来るものなら」
「はっ、絶望は"伝染"すんだよ。オメーは絶望に常に触れてんだから時間の問題だぜ?」
「警告ありがとう。でも希望だって"伝染"するの」


未来機関にいた男の子の言葉を伝えると、あからさまに不機嫌になりつつも私の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてくる。絶望に触れられてはいけないと機関の人に口酸っぱく言われたけど、確かにその通りだ。

乱暴こそはしてこないがこうして髪のセットが崩れていくのがなんだか少し複雑だ。というか絶望の残党やっていたのならこちらに危害加えてもおかしくないのに。
こうして撫でてくる手も爪を立てていない。


「やめて、そっちのバッチリ決めた髪もぐしゃぐしゃにするよ?」
「あー、それは勘弁。結構時間かかったんだぜ?」


オメーいじるの好きなんだけどなぁ、なんて言いながら名残惜しそうに私の頭から手を離す。何故そんな顔を今するのだろう。深く考えてもよく分からなかった。



夜も更けてきた。手元の腕時計を見るともう既に日付が変わっている。手元のランプだけがボンヤリと机の上を照らしていた。
一通りの報告レポートも提出した。途中途中邪魔をしてきた左右田は別室のベッドで寝ている。あれ本当は私のなんだけど…と思いつつもまだちゃんと使ってるだけベッドも幸せかもしれない。ここ最近この机に突っ伏して寝ていることが多いからだ。
そろそろ寝ようとしたときだ。


「うっ……!」


ズキリと全身に伝わる痛みが襲いかかった。

『ねえ、絶望のこともっと知りたい?』

男か女か分からない中性的な声が聞こえる。周りを見渡しても人影は見当たらなかった。


『こっちへおいでよ、君に絶望を教えてあげる』


また声が聞こえ、ズキリと痛みが全身に響く。こんな幻聴が聞こえるなんて自分は相当疲れているようだ。

…けど、聞いてみたい。何故聞きたいと思ったのか分からないけれどこの声の知っていることが知りたい。不思議と声のする方へ向かう足は軽かった。


研究室から廊下へそして屋上へ足を進める。夜中は少しだけ肌寒い。何か羽織ってから行けば良かったなと少し後悔した。


『ここまで来てくれたんだね』


声はすれども姿は見えず。ただ声だけが響いた。


「…誰?」
『君はもう既に絶望に侵食されてる』
「……?」
『だっておかしいじゃないか。どうして声だけ聞こえて姿は見えないのかって。少しは疑ったはずだ。なのに君は好奇心で来ただろう?』
「…まさか、絶望に染まっている?そんな訳がない」


多くの人が書いた報告書にもあったのだ。絶望は不運が積み重なっていくものだって。大きな悲しいことがあって精神的なダメージを受けたときが絶望しやすいって。
私にはここ最近の悲しい記憶なんてない。いつも通り、普通の生活をしてきたまでだ。


『絶望を覗くものは絶望に覗かれているのさ。今もこうして声が聞こえるんでしょう?さあ教えてあげるよ、君の絶望を』


あの世でね、うぷぷ。


その笑い声聞いた瞬間冷や汗が止まらなくなった。これはマズい。パンドラ、江ノ島盾子の声であり特徴的な笑い声だ。

逃げないと、そう思っても足は屋上の柵を乗り越えようとしている。
違う、そこから逃げるんじゃない。私は階段で逃げるのに、言うことがきかない。
確かにこんな状況は"絶望"だ。絶望を快感と思える自分がいたら喜んで飛び降りてたが今は違う。正常の私が飛び降りることなんてない。死にたくない。

ここから一歩歩けば地面へ真っ逆さま。死ぬ勇気なんてある訳がない。
その場に立ち止まっているとトン、と私の背中を叩いたような衝撃が襲いかかる。周りは誰もいなかった。まるで姿が見えない何かが私を突き落としたような感覚。浮遊感が突然やってくる。
ああ、死んでしまうのか。表向きは自殺という形で。浮遊感に身を委ねて思考を停止させる。


不意にガクンと体が揺れ、私を正気に戻させる。私は地面に叩きつけられていない。右手首に圧迫感、そして全身が何かによって宙吊り状態になっていた。圧迫感がする右手首に目を向けると見覚えのある手が私を掴んでいた。

それは私を乱暴に撫でてくるどこか優しさを持つ手。その手は私の右手首を強く掴み、窓の方へ引き戻そうとしている。


「……う、…ぐっ…」


少しだけ上に引き上げられ、私は何とか左手で窓の縁を掴む。何とかあっちの方の負担は減ったようでその後はスルスルと窓の中へ体が入り込んだ。


「…はぁっ、はぁっ……っ!!」


吸って吐いてという単純な息の仕方が出来ない。今へたり込んでいる場所の床がとても有り難く感じる。死ぬ寸前だったのだと知ると過呼吸に近い症状を引き起こしていた。


「おい、大丈夫か…?…無理もねーな」


よしよしと小さい声を私に言い聞かせるように呟き、私の背中をさすってくれた。


「おら、…とりあえず深呼吸だ、深呼吸」
「すぅ…っ、ゲホッ、はーっ…」
「あ、待った、これ袋の中で呼吸させた方がいいのか?……ほら、」
「すぅ、はぁ…すー、はー」


何回か息を繰り返すことで呼吸も規則的になり、やっと落ち着いた気がする。
苦しかった呼吸によって涙目になっていた私は滲んだ視界から左右田を確認した。
やっぱり、左右田が助けてくれたのか。


「…左右田、寝てたはずじゃ」
「オメーが外へ出る音が聞こえたんだよ。1人でブツブツ呟きながら。その後外から物音が聞こえてくるし、上からオメーが落ちてくるし」
「……ありがと」
「ん、言ったろ?オメーを絶望させんのはオレだって。それまで誰が死なせるかよ」


照れ隠しかな、どこか左右田の頬は火照っているようでこちらまで笑ってしまう。すると笑うなってまた頭を乱暴に撫でてくる。不思議と気持ちいい。


「…ふふっ」
「あ?な、なんだよ!?変な笑い方しやがって!」
「絶望の残党がすることかな?これって」


そう言って髪を撫でる左右田の手を掴み、その隙にもう片方の自由な手で左右田の髪を思い切りぐしゃぐしゃ撫でた。今の左右田の髪はセットされていない状態だからきっと怒らないはずだ。


「わ、や、やめろっ!」
「セットしてないからいいでしょ?」
「だーっ、ぐしゃぐしゃのまま寝たくねーんだよ!」
「うるさい、仕返し」
「あーーっっ!」


ある程度騒いだ後はもう心は落ち着いていて、寝る前に左右田の髪を整えてあげた。左右田は満足そうにしてベッドの上に眠る。一応私のスペースも確保しているようだ。何だか気恥ずかしい。とはいえ、寝かせてやるという上から目線な言葉に酷く安心したのは覚えている。

乱れた毛布を掛けなおし、左右田の隣に寝そべる。
パンドラの箱には希望だけが残っている…あながち間違いではなさそうだ。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -