もしも理論は通らない



遅すぎた、この気持ちに気づくのに遅すぎたのだ。

この希望ヶ峰学園に入学したときにとあるクラスメートに目を奪われた。このクラスメートの中では珍しく規律を守り、仕草も素晴らしく、いつも笑顔が絶えない女性だ。
彼女も風紀委員会に所属して僕と共に委員活動を行なっている。朝に行う挨拶運動でも挨拶が上品で多くの学生が見惚れてしまったほどだ。(僕もその1人だが)

彼女にアプローチしてきた男性も少なくない。だが彼女は悉く断り続けているようだ。何故断り続けているのかは今までわからなかったが、女生徒達の話で判明したのだ。

みょうじくんはとある政治家の息子の許嫁だった。既に彼女は婚約者がいたのだ。その事実に気づいてしまってからは暫く彼女から遠ざかってしまった。委員会で会ったりクラスメートとしてよく話してはいたが内容はよく覚えていない。そのまま日が経ち卒業までしてしまった。友人は沢山出来たが未だに彼女とまともに話せるようにならなかった。


卒業した日の次の日、家族から僕宛の封筒が差し出された。
それはある政治家の婚前パーティの招待状だ。僕もかつては身内に政治家がいたからその名残であろう。本来なら行かないのだがその政治家の名前には見覚えがあり、行くことにした。かつてクラスメートであったみょうじくんの婚約者だ。政治家の息子は政治家となって彼女と婚約するのだとか。


黒いスーツに身を包ませながら会場に入る。多くの人が様々な会話を広げていた。ふと会場内のライトが消える。
ステージ上にはスーツ姿の男と綺麗なパーティドレスを見にまとった見覚えのある女性がいた。ステージ下の人は拍手を送る。僕も拍手を送ったがあまり晴れやかな気分ではなかった。その後は話の内容も覚えていない。ただ赤と白のコントラストが良く映えた彼女を見つめていることしか出来なかった。


ステージ上での会話を終えた後、人だかりが出来ていた。先ほど話していた男性を中心に多くの人が集まる。これから力を持つであろう人に癒着、またはコネ作りだろうか。そう思った瞬間に憎悪が芽生える。かつて昔に起きたこと、それを思い出してしまう。
あいつが、彼女と結婚してしまうのだろうか。一旦憎悪が芽生えてしまうと段々とそれが大きく膨れ上がり、その会場から離れて廊下へ行くことにした。


廊下は薄暗く、オレンジ色のランプが淡く照らしていた。ふと前を見るとみょうじくんがこちらから来ている。思わず目を見開く。彼女も気づいたようであの時と変わりない笑顔を向けてくれる。

「石丸君だ、久しぶりね」
「ああ、…たまたま招待状をいただいてな」
「そっか、…ねぇ2人で話したいことがあるの。少しだけいいかな?」

思わぬ誘いに心が飛び跳ねた。僕はもちろんと言い、彼女の後についていった。
そこは会場から離れた廊下の突き当たりだ。人が全くいない場所である。

「ふふ、ごめんね、こんな所で。賑やかな場所って少し苦手なのよね」
「気にしなくていいさ、僕は君とまたこう話せるなんて思っていなかったからな」
「ありがとう、石丸君」

口に手を当てて微笑む彼女は綺麗だった。肌の露出の少ないパーティドレスが似合う彼女は制服姿のときとは違う大人の雰囲気を醸し出している。

暫くは昔の話に花を咲かせる。あのときはこうだった、そうだったねという会話。それでも時間を忘れるような会話であった。


「あの、気になることが1つだけあったの、聞いてもいいかな?」


彼女が神妙な顔で聞いてくる。その質問は恐らく僕のことだ。きっと彼女から離れたことに対して、なのだろう。
大丈夫だ、と伝えると彼女は暫く考え込んだ後ゆっくりと小さい口を開けた。

「あのね、急に石丸君が話しかけられなくなったときがあったの覚えてるかな?あのとき私何かしちゃったのかなってすごく心配しちゃって…それだけ教えて欲しいんだ」

僕の予想は当たっていた。遠ざかったのは君のせいではないのだが、自分のせいなのかと考える彼女が愛おしく感じてしまった。
ふと話そうとする自分の口をどうにか塞ぐ。これは…言ってしまってもいいだろうか。今となっては遅すぎる告白だ。これを聞いて彼女はどう思うだろうか。


「…石丸君、どうしたの?」


ふと温もりが僕の胸板に触れる。彼女の手が僕に触れたのだ。今まで学園にいたときは彼女と触れることがなかったのに。いや、もっと言ってしまえば初めて女性に触れられたのだ。それも僕が初めて好きになった彼女に。この温もりが僕の箍を外れさせるトリガーとなってしまった。


「え……っ!?」


この場所に僕達以外誰もいないことを確認して彼女を壁に押し付けた。
恐らく僕が意識した中で初めて欲を出したのだろう。そっと彼女の唇に口づける。初恋の人の唇はそれは今まで味わったことのない柔らかくて温かいもので幸せとはこれだと感じさせる。
彼女は抵抗するだろう。婚約者でもないクラスメートに押し付けられて唇を奪われて。


……だが彼女は抵抗しなかった。どうして、何故?普通なら嫌だと抵抗するだろう?
彼女から離れ一歩後ずさる。彼女は唇に手を当て紅潮した顔で考え込む。


「あの、」
「…何も言わなくていい。僕が悪いんだ」
「悪いと思うなら…ギュってして。もうキスが出来ないって思うなら、抱きしめて」
「……みょうじくん?」


君は何を言っているのかね?
君は仮にも別の男の婚約者だぞ?


「……僕がこんなことしたばかりに君は混乱しているようだ」
「え、ち、違うよ。私は混乱なんかしていない」

お願い、と手を強く握られる。赤く火照った顔、潤んだ瞳をした彼女を空いた片方の腕で強く抱きしめた。
僕も混乱しているようだ。まさか彼女にあんなことを言われるとは思わなかった。彼女の意図が今の状況の中で分からなかった。だってこんなこと、許されることではないはずなのに。

遠くから話し声が聞こえてきて思わず彼女を離す。…こんな人気のない所を見られたらどうなることか。しかもパーティのヒロインである彼女と2人きりで。僕は走り出した。廊下であるにも関わらず。

「…待って!石丸君!」

彼女の震える声が聞こえた気がしたが振り向かずにそのまま会場を出て地下鉄に乗った。

家に帰り、電気もつけずにスーツを脱ぎ捨ててベッドの上に寝転がる。本当なら、廊下なんて走らないし、スーツを脱ぎ捨てることもない。もっと言うなら言い訳になってしまうが彼女にあんなことをするつもりなんてなかったのだ。

「……僕も汚い大人になってしまったようだ」

両目から涙が沢山溢れ出る。
もしも、もしもと思っても結局は現実を目の当たりにしてしまう。
努力が報われる世界ならきっと君の隣で…そう思いながら眠りにつくまで彼女のことを考えていた。


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