短編(♂) | ナノ


「退け、カス」

愛しい彼の声がして、背中に衝撃が走る。背中に痛みを感じる間もなく顔にぶつかる床板。

「フン、とろい奴だ」

馬鹿にしたような、けれどどこか満足そうな声が頭上から降ってきてさっきより静かになった足音が遠ざかっていく。

「………相変わらずだなお前たちは」
「鬼童丸」
「大丈夫か」
「あぁ」

茨木童子の後からやってきた鬼童丸が呆れたような声でそう言って奥の部屋へと消えた背中を見やる。

「毎度毎度飽きないのか」
「いや飽きるとか飽きないとかの問題じゃないんだろう」
「…お前も、蹴られるのがわかっていてここに座るのだから物好きな奴だ」
「いや、別に蹴られたくてここにいるわけじゃないんだが」
「む?そういうがいつもここにいるだろう」
「そりゃあ、ここは茨木童子の部屋への廊下だからね。ここにいれば必ずあいつに会えるじゃないか」
「………………相変わらず、物好きな奴だ」
「ははは。」

理解できんと眉を寄せた鬼童丸が懐から何か取り出して俺によこす。なんだと目だけで尋ねると「羽衣狐様からだ」とそれだけ返ってくる。
渡された書を開くと女らしい丸い文字で欲しいものがいくつか綴られている。

「おつかい行って来いか。仕方ないなぁ」

羽衣狐様はよく俺におつかいを命じる。まぁ見た目人間に一番近いのは俺だし問題も起こさないと知っているからだろう。
数日はかかりそうな内容にとりあえず茨木童子に会ってから行こうと俺は腰を上げて茨木童子の部屋へと歩き出した。




名前という男は本当に理解に苦しむ。
戦闘力も知能も羽衣狐の配下としては数本の指にも入るくせにいつだってふわふわしていて、しかも茨木童子にデレデレ。蹴られようが殴られようがニコニコしながら茨木童子のなすがままにされている。
本人いわく、大好きなんだ、とのことなのでやつはどがつくマゾヒストなのだろうともっぱらの噂である。
目の前で障子の中に消えた名前。
少しして「懐くな!うっとおしんだよクソ野郎!」と聞こえてくる茨木童子の声にもう一度ため息をついて、鬼童丸は自分の部屋へ戻ろうと踵を返した。





数日後、名前が帰ってきたので鬼童丸は酒を飲む約束を取り付けた。名前のいなかった数日の間、どれほど茨木童子の機嫌が悪かったか教えてやるためだ。
意味もなく刀を抜いて鍛錬などと言って城の裏山を抉ったり下働きの妖怪を足蹴にしたり、いつもならしないことを八つ当たりだと言わんばかりの顔でするのだから城中の妖怪はみんな名前の帰りを心待ちにしていた。羽衣狐だけは愉快そうに茨木童子を眺めているが、鬼童丸としてはいつもより過激な茨木童子としょうけらの喧嘩に巻き込まれいい迷惑だ。

「……悪い、待たせたな」
「遅い」

約束の時間に一刻ほども遅れてやってきた名前は締まりのない笑顔に青たんと大きな湿布をしていた。
どうせまた茨木童子にやられたのだろう。毎度のことなのでその傷には触れず、酒を注いでやる。

「ん、ありがと。乾杯」
「乾杯」

軽く盃を掲げて二人同時に呷る。美味いなと笑う名前に、さて茨木童子の数日間を教えてついでに文句も言ってやろうと、鬼童丸は口を開いた。





夜もずいぶん深くなり、二人の周りにはいくつも酒瓶が転がっていた。けれども鬼童丸の愚痴はまだまだ底を尽きないようで、名前は半分霞のかかった頭で鬼童丸の話に相槌を打っていた。

「………?」

ぼんやりと内容を理解しないままきいていた声に、聞きなれた足音が混じる。
名前はふいと足音の聞こえる廊下を見つめた。

「…名前?」

その様子に気づいた鬼童丸が声をかけてくるが名前は振り返らない。
少しして、近づいてくる足音とともに茨木童子が現れた。
その表情が不機嫌に歪んでいるのを見て、鬼童丸は名前を哀れに思った。また、傷が増えるのだろう。

「…いばらきどおじ」
「…………」

いつもよりゆったりとした口調で名前が茨木童子を呼ぶ。その様子を睨みつけて、不意に茨木童子が刀を抜いた。

「!!!」

危ないと避ける隙もなく振りぬかれた刃が己の頬を掠める。つっと痛みの走る頬に鬼童丸は絶句した。刃には、確かに殺気が籠っていた。それが名前だけでなく自分にも向けられていたのが分かって、鬼童丸は慌てて愛刀を抜いた。

「……いってぇ……」

ぎりぎりと自分たちを睨みつける茨木童子から距離をとろうとしていた鬼童丸は自分の前で呻きながら起き上る名前を見て目を見開いた。
先ほどの一撃を躱しきれなかったのか、名前も顔に傷を受けていた。
切っ先が額を掠めたのか左顔面が血に染まっている。湿布は白から黒ずんだ赤に色を変え、その出血は明らかに鬼童丸の比ではない。
流石にやりすぎだろう、と、鬼童丸が口を開こうとしていた時だった。

「……茨木童子」

先ほどよりしっかりした名前の声が響き、視線が鬼童丸の頬へ注がれる。
その瞳に滲み出る狂気を感じ取って、鬼童丸は黙って刀を収めた。

「………茨木童子」
「っ」

もう一度、名前が呼ぶ。
茨木童子は名前の出血にか、異質な雰囲気にか、戸惑いの表情を見せながら刀を握りしめた。
鬼童丸の見守る目の前で、名前が立ち上がる。左の目元をぬぐった左手にはべっとりと血が付いていて、けれどそれを気にした風もなく名前は茨木童子の腕を掴んだ。
そして酔っ払いとは思えぬ腕の強さと足取りの確かさであっという間に廊下の向こうに消えていった。

「……………はぁ」

なんとも訳の分からない展開に、決して関わるまいと決めた鬼童丸は、そっとため息を吐きながら残った酒を飲みほした。








「てめぇ、離せクズが!」

廊下に消えた2人は、茨木童子の部屋へ向かって歩いていた。
ぐいぐいと引っ張る名前の様子を訝しく思いながらも、茨木童子は離せと抵抗を繰り返す。
けれど名前の手は決して自分の腕を離さない。
乱暴に開けられた障子が背中でぴしゃりと閉められる。

「おいっ!」

先ほどまで自分が寝転んでいた布団に押し倒されて、茨木童子は焦った声を出す。
目の前には表情の無い名前。こんな顔は見たことがない。茨木童子の中の名前はいつだってニコニコしながら自分の後をついて回っていたのに。
名前の顔を赤く染めていた血が滴って布団に赤い花を咲かせた。

「…茨木童子」
「………んだよ」

やっと口を開いた名前の声はいつもと変わらぬトーンだった。そのことに無性に安堵感を覚えた茨木童子は息を吐くとともにわずかに緊張の解けた自分に嫌悪した。
自分を見つめている両眼は不思議と濁って見えた。これは多分部屋が暗いだけが理由ではない。

「傷」
「……?」

名前の口から出た言葉に茨木童子は斬りつけたことを責められるのだろうかと思った。しかし名前の声は責めているような色ではない。

「…………傷が、なんだ」

言っとくが謝らねぇぞ。
沈黙に耐えきれなくなってそういうと名前は緩く頭を振って否定した。
じゃあなんだ、と聞く前に、名前の顔が近づいてきて抵抗するまもなく唇が重なった

突然の事に頬を染める茨木童子を愛おしそうに見つめる名前の瞳は喜色を浮かべつつもやはり濁っていた。

「茨木童子が傷つけていいのは」
「………あ?」
「おれだけ、だろう?」

唐突に言われた言葉が理解できずに聞き返すと、鬼童丸に傷をつけたことを優しく責められる。いつもなら自分以外をかばう名前に機嫌を損ねる茨木童子であったが、今回は違った。名前は、名前ではなく他人を傷つけたことを怒っているのだ。傷つけた相手が誰かは問題ではない。茨木童子が傷つけるのは自分であるべきだと、そう主張して赤黒く染まった顔で茨木童子になんども口づけをする。

「…ん、ふ……ぁ」

そのうちぬるりと侵入してきた舌は熱く、わずかに鉄の味がした。
されるがままに抱きしめられて口づけられて、茨木童子は体が火照っていくのを感じた。どんなひどい扱いをしてもにこにこと自分の言うことを聞いていた名前がただ名前の求めるままに熱を伝えてくる。
いつまでも続く口づけに息が続かなくなった茨木童子は、名前の顔を押そうとしてぬるついた感触に動きを止めた。
そうだ、名前は額を怪我している。それは己のせいなのだがこれ以上動かれて畳に血でも落とされたらたまったものじゃない。
布団はもうそこかしこに赤い花を咲かせていて、名前の出血の量を物語っている。

「っ、おい、離せっ………名前!」
「ん、やだ」
「てめっ」

また口づけられそうになってとっさに顔をそむけると、名前は悲しそうな顔をして茨木童子を布団へと押し倒した。
冷えた布団に背中を押しつけられて、目の前には自分を見下ろす名前の顔。その額からぽとぽとと血が茨木童子の顔に滴ってくる。

「…ごめん、俺の血で汚れちゃったね」
「………………そう思うなら退け」

困ったように笑みを作った名前の顔がもう一度近づいてくる。また唇に温もりが触れて舌が押し入ってきた。
ぬるぬると口内を滑る名前の舌が気持ちよくて思わず茨木童子は目を閉じた。しかしそれもつかの間、しゅるりと響く音と腹の圧迫感の消失に目をむいた。
あろうことか名前が腰ひもを解いたのだ。唇をふさがれたまま胸から太ももまでゆるく愛撫され茨木童子は体を震わせた。
これはどういうことだろう。もしや名前は額に傷をつけたことを怒っていて、いや、普段のひどい扱いを怒っていて、と茨木童子はらしくもない考えに囚われる。先ほどの発言からそんなことはないと分かるのだが、それを考えられない程度には茨木童子は混乱していた。

「…んあ……っ………あっ…」

名前の大きな手が的確に茨木童子の股間を撫で上げた。思わず出た声に自己嫌悪しながらようやく唇を解放した名前の顔を見上げる。
そこには欲情の色と狂気が確かに浮かんでいた。

「っ」

見たことのない雄を彷彿とさせる名前に息を飲む。抵抗も忘れて名前の顔を凝視していると、血に塗れた名前の唇がゆっくりと動き出した。茨木童子、と優しい声が己を呼ぶ。

「……愛しているよ」

そして告げられた言葉。
狂気と欲にまみれて微笑む名前を見て、茨木童子は(あ、喰われる)と、本能で悟った。
その途端火照っていた身体が確かな熱に襲われて、茨木童子はぎゅっと目を強く瞑った。

「…………」
「………………………?」

また口づけられて愛撫されるのだろうと思ったのに、しばらくたっても名前の熱は与えられない。
どうしたのかとうっすら目を開いた茨木童子はまるで自分が期待しているようだと嫌悪したが、名前の様子にそれも吹き飛んだ。
名前は笑みのままゆらゆらと体を左右に揺らしていた。どうしたと問う前にいつもの能天気な声が「あれ?」と聞こえてくる。

「茨木童子………俺、なんで……あ、れ…くらくら、す…る………」

そう言った名前の瞼がゆっくりと閉じていく。それと同時に体の力も抜けてバランスを崩した名前はぐらりと布団へ倒れこんでしまった。

「……っ、おい名前!?」

茨木童子が慌てて起き上がり揺すぶるが名前の瞼は閉じられたままだ。
くらくらすると言っていたが、それは多分血が足りないせいだろう。
慌てて立ち上がった茨木童子は雑に腰ひもを結び直すと急いで部屋を出た。
まだ鬼童丸は同じところにいるだろうか。とりあえず名前の止血をしなければと走りながら、茨木童子は先ほど名前を傷つけたことを後悔していた。

あの傷さえなければ、先に進めたのに、と。




与えられるのは私だけでいいの
(……名前、テメェうろちょろしてんじゃねぇよ怪我人が)
(茨木童子!ごめん、茨木童子部屋にいなかったから会いたくてつい)
(………怪我の原因は自分だろうに)
(…なんか言ったか、鬼童丸さんよぉ…?)
(茨木童子、鬼童丸じゃなくて俺に用だろ?)
((………………))
(……包帯替えてやる。さっさと部屋に来い鈍間)
(はぁい)

(……………名前の目、確かに狂気が…)
(まぁ当人たちが幸せならそれでよかろう)
(羽衣狐様…巻き込まれるこちらの身にもなって頂きたいものです)
(フフッ、ご愁傷様じゃな)








麗奈様、大変長らくお待たせいたしました。
1年半以上…でしょうか…。本当に遅くなって申し訳ありません。
裏まで突入は…無理でしたorz
リクエストありがとうございました…!!
(2014.03.11)


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