愛する人のキスで死ぬ(2014/09/08 19:49) 産み落とされたのは盗みと殺戮にまみれたスラム街で親の顔など見たことがありません よく生きてこられたなぁと考えながら少年は薄い財布を拾い上げて手にしたナイフを振り下ろしました 愛を知らず他人を愛することを知らずに育った男はなんの感情もなく生きるために手を汚してきました 愛などいりません そんな形も何もないもので腹は膨れないのです 気付けば生まれ落ちたスラム街で彼に逆らうものは居なくなっていました そんな彼の噂を聞いて、彼を盗賊団に引き入れようといくつもの盗賊団が彼の元を訪れました とりあえず金さえ手に入ればいい彼は適当な盗賊団に入り、しばらく行動を共にした後、盗賊団全員を手にかけて逃げました だって、何人もでお宝を分け合うより、自分ひとりの方が沢山もらえるでしょう? そんな事を続けて、彼はある王国のお抱え暗殺者に落ち着きました 定期的に仕事があって、きっちりお金をもらえるのです 彼の力を恐れてか、王も強い態度には出てきません 居心地の良いそこに居着いてしばらくしたある日、暗殺しにいった古い小屋にいたのはみすぼらしい女でした 女は彼を見つめると、わずかに目を見開いてそこに絶望を宿しました そしてか細い声で1つの言葉を零します か わ い そ う に 訳もなくイラついた彼が持っていた刀を振り落とすと、女は呆気なく崩れ落ちました 女から流れ出した血が彼の足元まで広がってきます それを無感情に見つめていた男は、自分の身体にまとわりつく“なにか”に気が付きました それは目には見えませんが、確かにずるずると彼の体を這い回っています そして聞こえる、女の声 あ な た は ひ と を あ や め す ぎ た こ れ は あ な た に こ ろ さ れ た ひ と た ち の の ろ い で す あ な た の と き は い ま こ こ で あ ゆ み を と め ま し た も う ひ と と お な じ と き を い き る こ と は で き ま せ ん こ の の ろ い を と き と き を も ど す の は し ん に あ い し た ひ と の く ち づ け の み その時から、彼の時間はぴたりと止まってしまいました 年も取らなければ死にもしない 不老不死になってしまったのです そして幾千もの月日が流れてゆきました 彼は、あの日あの時のままの姿でふらりと生きています 服や生活は時代の移り変わりと共に変わってきましたが、彼の心はなにも変わりません 人を殺すと面倒臭いことになるので人殺しはやめました 盗みも面倒臭いことになるので時々しかやりません そうして、日雇いでお金をもらいながらふらふらと生活していたある日、隣にひとりの男が越してきました こんにちは、初めまして、よろしくお願いします! そう勢い良く挨拶されて、彼は細い目を丸くしてパチパチと瞬きしました 越してきたばかりで不安なのか、もともとの性格なのか事あるごとに、いいえ、何もなくても青年は彼の部屋を訪ねました おはようございます、ゴミ出しの場所はどこてすか こんにちは、おかず作ったのでおすそ分けです こんばんは、一人で飲むのつまらないので一緒に飲みませんか にこにこにこにこと自分の後ろをついてまわる青年に悪い気はしません いつの間にか世間で言う「仲良し」になっていました そして始まる、ふたりの共同生活 青年は、天涯孤独の身なのだと言いました 幼い頃に両親に捨てられ、施設で育ったのだそうです そのせいで人に飢えているのか、人懐こい青年に世話を焼かれて頼られて、甘えられて甘やかして、いつの間にか隣にいるのが当たり前になったころ、身体の異変に気付きました あの時からずっとまとわりついていた “なにか” が最近また身体を這い回っているのです きっとあの時の呪いでしょう そして初めて、自分の気持ちを理解しました 自分が彼に抱いている気持ちこそ、愛というものなのでしょう しかしいくら周りに興味のない彼でも、世間一般で男同士の愛が不自然であることは知っています もう気の遠くなるほどの時間を生きてきましたので死ぬことは何も問題ないのですが、自分が死んだ後青年が泣くのだろうかと考えると死ねません 彼の涙にはめっぽう弱いのです どうしたものかと考えて気付きました 自分が死ぬのは、愛する人の口付けを受けたとき 愛する人が、自分が愛した人なのか自分を愛した人なのかはたまた両者なのかは解りませんが、とりあえず彼と口付けを交わさない限りは死なないのです 男同士の口付けなど、背筋が凍りますでしょう? だから別に問題なかったなと彼はいつもの生活に戻りました 相変わらず “なにか” は這いずり回っていますが目には見えませんので害はありません そうして生活しているうちに、青年の態度が妙なことに気が付きました 相変わらず人懐こいのですが、最近は妙に接触が多いのです 一般的にはスキンシップというそうですが、それが非常に多いのです 帰ってくれば抱きつかれて「ただいま」 帰りに会えば腕を組まれて「一緒に帰りましよー」 テレビを見ていたり雑誌を読んでいたりすると手持ち無沙汰なのか自分の手に指を絡めて握ってきます しかし彼には青年の他に話しをするような「仲良し」は一人もいないので、そういうものなのだろうかと放っておきました 別にスキンシップが嫌なわけではありません 一応愛している相手です それ以上のことをしようとは思いませんが、青年の体温は心地良いのでそのままにしておきました しかしそれがいけなかったのでしょうか ある日、青年は、あろうことか彼の唇に触れようとしたのです 思わずその手を払いのけると、青年の目が大きく見開かれて揺れました あぁ、過剰反応をしてしまったと彼は後悔しました だって愛する人とキスをしたら死ぬなんて自分の唇に毒でもあるみたいじゃないですか 目の前で泣きそうになっている青年にどうフォローしようかとおろおろしていると、青年は俯いてポツリと呟きました 「............俺に触られんの、嫌?」 「....そういう訳では....」 「男だから....気持ち悪い?」 「そんなことはない」 即答すると、青年は苦笑を浮かべて1番聴きたくなかった言葉を紡ぎました 俺ね、○○さんのこと、好きなんだ その言葉を聞いて、彼は初めて自分の身にまとわりつく呪いを疎ましく思いました きっとあの女はこれを仕返しにしたかったのでしょう 目の前には不安そうに自分を見つめる青年 その瞳に答えるのは簡単です 自分もだと、一言言えばいいだけです けれどその後は?自分は青年とキスが出来ません それは、青年にとって決して良いことではない筈です 迷いに迷った末、彼の唇からこぼれた言葉は「ありがとう」でした 「....なにが、ありがとうなの....」 「こんな俺を好いてくれてありがとう」 「....だって、○○さんいい人だもん」 いい人、か 「........ねぇ、それ、どっちなの」 「どっち....?」 「俺、好きだって言ったよ....○○さんは?○○さんは、俺のこと....」 どうおもってるの 消え入りそうな青年の声に、言葉は自然と出ていきました 「俺も、好きだよ」 「!!」 勢い良く彼を貫いた青年の瞳からはらはらと涙が溢れだしました あぁ、泣かせたくないと思っていたのにこんなところで.... 「ただ、ひとつだけ聞いて欲しい」 「なに?」 そして彼は、彼の身にまとわりつく呪いのことを話しました 青年はじっとそれを聞いていましたが、終わってしばらくするとくしゃりと顔を歪めて、また涙を流しました 「....なに、それ........そんな、おとぎ話みたいなの、信じると思うの....?」 そう言われるのは、覚悟の上でした 自分でも我ながらおとぎ話の住人だなと思います けれど遠い昔のスラムに生まれ落ちたことも、人を殺していたことも、限りない時間を生きてきたことも全て真実です 「そんな嘘、いらない。俺のこと、嫌なら....嫌って言ってくれた方が....っ」 ああああ、もう! うわぁんと泣き出してしまった青年に、彼はどうしようもなくなって咄嗟に青年を抱きしめました ぎゅうと、折れてしまうのではないかと思うくらいの力です 青年は、彼からの初めての接触に涙がひっこんでしまったようでした 彼の胸に頬を押し当てて、ぱちぱち瞬きをします そして、気付きました 音が、なにも聞こえない 「....○○、さん....?音が、」 「音?」 「心臓の、音が....」 しないよ....? 恐れを含んだ声に、彼は終わりだと思いました 心臓は、あの日あの呪いで動くのをやめたのです それが死を意味しているかはわかりませんでした だって自分はその後も動いていたし空腹も感じれば痛みも血も流れたのです けれど、青年には心臓が動かないことは、死と理解されるでしょう 「....だから、呪いだって、言っただろう?」 いくらなんでも死人を愛するなんて、無理でしょう これで青年との生活も終わるのだと、彼は小さく自嘲しました 「....ほんと、なの」 胸から顔をあげた青年は、不安に瞳を揺らしながら訪ねました 「少なくとも、時間がとまっているのは本当だよ」 「....他は?キス、は?」 「....さぁ。今まで愛しいと思ったのは君だけだし、試したら死んでしまうかもしれないから試せもしないんだ」 「....................俺、だけ....?」 「ん?あぁ、そうだよ。ずっと愛なんて知らずに生きてきたから呪いなどなんとも思わなかったんだが....」 これは、なかなか堪える呪いだな そう言って苦笑する彼に、青年はなにか決意を決めたようでした ぎゅうと、彼の背中に青年の腕がしがみつきます 突然の出来事に驚く彼に、青年はもう一度愛を告げました 「....○○さんが、好き。大好き。だから、これからも俺の隣にいてください」 「........俺は、年を取らないよ。それに君にキスもできない」 「いいよ!それでもいい!....○○さんが、俺のこと、愛してくれてるなら....それでいいよ」 「....そうか」 それなら、と、彼は青年を抱きしめました キスが出来なくとも、心を通わせることはできるのです それから、二人はいろいろな所を転々として暮らしました 彼は年を取らないのでひとつ所に長く住むことは出来ないのです 彼と青年の約束事は2つ 嫌になったら、必ず言うこと 君の人生を俺の呪いで縛りたくない これは彼からの約束です もう一つ、青年からの約束事はキスが出来ない代わりにたくさん自分を愛することでした 男の身体なので青年には不安もあったのでしょう 自分が求めたら、彼が欲しくなったら自分を抱くこと そうして、青年にとっては一生分の年月が、永遠の彼にとっては短い時が過ぎました 二人は、静かな田舎に暮らしています 青年は白髪で皺だらけの老人になりました その隣にいる彼だけは、あの時の姿です そして、青年だった彼の最期が訪れました ありがとう、愛しているよと告げる嗄れた声を聞きながら、彼はそっと触れるだけのキスをその乾いた唇に落としました 驚く青年だった老人に微笑んで、彼は一緒に行こうといいます かさかさと、まるで枯葉が風に舞うような音でした 青年だった彼の目の前で、数十年寄り添い続けた綺麗な彼が自分と同じ老人の顔になっていきます 思わず伸ばした先、彼の胸に触れた指先は確かにその鼓動を感じていました 優しい顔の老人が微笑んだまま青年だった彼の横に、横たわりました その目はしっかり彼を捉えています 愛しているよ それが最後の彼の言葉でした そんなことは、彼の姿を見れば一目瞭然です 愛する人のキスで死ぬというのは本当で、自分にキスして死んだということは、彼の愛は本物だったということです それがとても嬉しくて、青年だった彼は笑みが隠しきれませんでした じわりと視界が滲みます 視力が落ちてぼやける視界が、さらに歪んでいきます 涙の向こうにある彼の顔をもう少し見ていたいのですが、それは叶いそうにありません すうと、瞼か落ちていきます 全身の力が抜けて浮いているような気持ちでした 真っ暗になった視界の中、彼の声に呼ばれて振り向けば、そこには彼が立っていました どうやら自分を待っていてくれたようです 彼の名前を呼べば笑みと共に手が差し出されて、青年はその手を握って歩き出しました これからは、同じ歩みで同じ時を歩んで行けるのです | ||