「やる事をやりなさいよ」

それが母の口癖であった

つまり、いま自分のするべき事をすれば、好きにして良いと
しかし、その"自分のするべき事"を教えられる事は無かった

母は女手一つで私を育てようと、朝から晩まで仕事に出ていたものだから、私にかまってなどいられなかったのだろう

それはある種の究極の放任主義の形だと私は思っている


私のするべき事、つまりは勉学に励む事だと、小学校に入った頃に理解した

"誤解"したと言っても過言では無い


私は学校という限られた枠の中でのみ通用する教科書に書かれた嘘と誠を斑にしたような知識を詰め込んで、文字の書かれた本ばかりを読んだ

漫画を読もうとしたり、ゲームをしようものなら容赦なく母が顔をしかめ、「宿題はどうしたの?」「予習はしたの?」と口を挟んでくる

それらが小説であれば、母は邪魔をしないようにと口を出しはしなかった
何故なら自らが本好きで、その最中に声をかけられるのを嫌ったからだ

私は私の世界を確立する為にも本を読むしかなかった


小学三年生になったばかりの頃、クラブ活動というものに同じ学年の児童たちが振り分けられる事となった

私の行っていた小学校の近所には有名らしい弓道の先生がいるそうで、その先生が呼ばれて弓道を教える弓道クラブが開設されており、私はそれに志願した

ファンタジー小説でよく見る弓士のようで格好いいと思ったからだ

勉強をする、本を読む、それら以外にやる事も無かったものだから、私は弓道に励み、その腕も"それなり"と呼べるレベルへと上がっていた

元々弓道部のある学校は少ない
中学校なら尚更だ

近隣の学校で、それがあるのは私立の立海大付属中学校位で、当時の私はガリ勉と呼ばれても差し使え無いようなつまらない人間であった為、成績はすこぶる良かった

つまりは、"それなり"レベルではあったが、元々マイナーな弓道の競技人口に助けられ、中学校には珍しいスポーツ推薦のようなものを受ける事ができたのだ

私はその辺のレベルの低い分低コストな学校に行き、レベルの低い勉学を済ませて適当な職につければ良いと思っていたというのに、私立だ
勉学のレベルが高く、コストを下げて貰う分は部活動に励む事を求められる事になろうとは、なんとも面倒な事になった

やるべき事が、些かハード過ぎやしないか
「私は弓道で生きてゆきたい訳ではないから、私立なんて行かなくて良いんだ」

やんわりとそう告げれば、母は私が金銭的に気を使ったと思ったらしい

「気にしなくても良いのよ、貴方はあんなに弓道ばっかりやってたじゃない」と言って笑った

それはあくまでも暇潰しであって、第一に、弓道は的は不動私も不動であり、まったく思い描いていたそれと違うのだから
クラブ活動として三年間弓を引いてはきたものの、それ程の愛着は無かった

そう、私達は交わす会話が少な過ぎたのだ

その頃から、人と人が分かり合うのがいかに難しいかを知り、そしてその理解の間の誤差を楽しむようになったのだと思う

話を戻すとするが、
故に私は弓道部として、日が傾くまで弓を爪弾く日々を送っている

全国大会を終え、事実上の引退を迎えた柳くんが私の部活動を見に来るようになったのも最近の事だ

とは言え、柳くん程の腕前ともなれば、高校に上がってもテニス部に入りボールを追い回す事になるのだろうに、私の練習等を見ていて良いのだろうか?

それに、柳くんが見学に来ると、女子部員はその美男子オーラに当てられてソワソワするし、男子は男子で恐怖からか、美男子への嫉妬からか、やはりソワソワと落ち着きが無くなるのだ

私は一つため息を吐いて、的を射ようと矢をつがえていた後輩の背中を弓でしばいた


「ぎゃあ?!」

「気が散りすぎですよ、もっと顎は引きなさい、それに弓も下がっています
シャキッとしなさい」

「だだだ大丈夫だから!!
わざわざ触らなくても良いんだぞ?!」

「先輩なんですから、一応後輩に指導をしないといけないんですよ…」


ほら、と、後輩の額に手を当てて顎を引かせ、手に手を重ねて弓の位置を整えさせれば、彼は「ひぃっ」と情けない悲鳴を上げるばかりだった

私はそれ程の恐怖政治を強いた覚えは無いのだけれど…


「副部長、なんならお手本見せて下さいよ!」

「うん? まぁ良いけど…」


いつも通り、的の正面に構えて矢を放てば的の中心近くに突き刺さった
少し、左に逸れてしまったので私もまだまだという事だろう

しかし後輩は目を丸くした


「副部長は恋人見てても意識しないのかよ…」

「あぁ、けれど… 恋人ってなんだかいまいちよく分からないからなぁ」

「ちょ、あんなイケメン捕まえといて何を勿体無い事言ってんだよ」


私の背中をバシバシと叩いて笑う後輩を見て、柳くんが来てから空回っていたのがやっとそれらしくなってきたなぁと思ったのだが、後輩はハッとして柳くんの方を仰ぐと一気に青ざめたのだった

柳くんがどうかしたのだろうか?

振り返ってみても、彼はいつものノートを手に何かを書き込んでいるだけで別段変わった様子は無いのだが…


「あーあ、デスノートに名前が乗ったね、ご愁傷様」

「…部長?」

「名字は天然だからね、柳には苦労するぐらいが丁度良いのかもしれないけど…」


後輩の隣で弓を構えていた部長が射終えたらしい

袴姿で口元に手を当ててくすくすと笑う姿は酷く様になっており、さらに部長越しに見える的にはしっかり中心に矢が刺さっていて、なんだかいたたまれない気持ちでいっぱいになった

癖の無い黒髪に落ち着いた雰囲気の似合う優男である点は柳くんと同じであって、聞けば柳くんの家には茶を立てる和室があって、家で和服を着る事も少なくないのだそうだ

柳くんが和服を着たら、このような雰囲気なのだろうか
無意識のうちに部長に柳くんを重ねてしまい、いたたまれない上に申し訳ない気持ちになったのは言うまでもなかった


"恋人とは"

そう、私と柳くんは付き合っている

それは柳くんが「付き合ってくれ」と言い、それを私が了承したのだから揺るぎない事実である

しかし、先日初めて一緒に下校を済ませたばかりの身であり、休み時間の度に顔を出していたのも虐めがあったからこそだ

廊下での修羅場・衝突事件からはあまり日が経っていないが、その時の柳くんの様子を見てか、虐めはいまや消息しつつある

あっても靴箱に手紙が入っていたり、机の中に漁られた痕跡がある程度

教科書やノートは毎回持ち帰っていたし、体操着や部活動用のそれらも部室のロッカーに入れているのでいたずらのしようが無いのだろう

怪我をした際に抱き上げられた事はあれど、キスは愚か手を繋いだ事すら無い
なんとプラトニックな関係だろう

嫌われている気はしないが、かといって好かれていると言える自信も無い

柳くんのそれが友愛なのか、親愛なのか、異性に向けた正当な恋愛感情なのか、私には到底察する事はできないのだから

そして私自身が柳くんへ抱くそれも、一体どのカテゴリーに属するのか、自分自身でもさっぱり分からないのだ
弓を射る際の和装から制服に着替えて部室を出ると、柳くんが文庫本を片手に待ち構えていた

「来たか、良ければ駅まで送って行くが…」

「良ければってなんですか
わざわざ待っていたんですから、一緒に帰りませんか?

…、帰りたいんですが、ダメですか?」

「まさか、喜んで送らせて頂くとしよう」


やはり柳くんは、何を考えているんだか、さっぱり分からない

それこそ、今まで出会った人の中で誰よりも




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