立海大付属、と名のつく学校だけあり、私はそのままエスカレーター式に中学を卒業し、立海大付属高校へと進学する事になった
余談ではあるが、私と柳くんとの関係は今もなお、"恋人"として続いていた
もう柳くんが私をどうとも思ってないだなんて言わない
この数ヶ月の間に嫌でも自覚する事になった
…柳くんは、私に対して酷く過保護だ
事の発端は、私が働き始めたアルバイト先で知り合った男の子(一つ下の15歳だ 中学生なのに働き始めるとは、立派な子だ)が、顔を合わせるたびに「名字さん、結婚しましょう!」と求婚をするようになったからだ
私は彼からお付き合いの申し出を受けた事は無いのだが、お付き合いをすっ飛ばして結婚とは、これ如何に
ふざけて居るのか、はたまた本気なのか、私には到底彼の本心が理解できそうもないのだが、これが男女の心持ちの差というものなのだろうか?
柳くんを従えての帰り道に、ちょっとした会話のタネとして、その話を出してみたのがまずかったらしい
「そうだ、柳くん、ちょっと聞いてみたい事があるのですが、良いですか?」
「ああ、構わないが…?」
「最近、バイト先の男の子から求婚を受けるので…、す……が…」
不意に見上げた柳くんの表情は、言葉ではとても言い表せないものであった
影がかかっているにも関わらず、瞳はギラギラと輝いている
珍しい事に、その眉間にはシワが寄っていた
柳くんは私の目線に気づいてか少し顔を背けたかと思うと、直ぐにいつものポーカーフェイスに戻ってデータノートを取り出し、…それで?、と、続きを促すものだから、驚いた
さっきの柳くんは私の見間違いか何かだろうか?
柳くんの眉間にシワが寄るなんて、いや、そんなまさか
きっと私の気のせいだったのだ
バイトはじめたし、私はきっと疲れてるんだろう
「へっ? ああ、ええと、それでもその子は私にお付き合いを申し込んだりはしないので、本気なのかふざけて居るのか図りかねるんですよね
いきなり結婚だなんて、現実味に欠けますし、男の子はよくこんな冗談を言ったりするものなんですか?」
「…、ふむ、そうだな
そのような事を言うとしても、やはり冗談で言う程度だろうが…
頻繁にそう声をかけられるのならば、お前に気があるのだろうな」
ガリガリ、と柳くんお気に入りの縦書きのノートが凄まじい勢いで更新されてゆく
下校途中だから、歩きながらの作業であるし、危なくはないのだろうか?
けれど、何かに躓いたり、当たりそうになる柳くんを少し見てみたい気もする
視線を向けたまま歩いていて、自転車に引っ掛けられそうになったのは私の方であった
とてつもなく、恥ずかしい
「気がある? いや、えぇー? そんな事あるのかな…」
ごまかすように会話の続きをふると、私を引っ掛けようとした自転車を見つめていた柳くんが此方に向き直った
「本当の意味で告白をして、振られたり、距離を取られたりするのが嫌なのではないか?
だから、冗談らしくほのめかす事で反応を伺っているのだろう
…本人に会ってデータを集めてみないと正確な判断は出来かねんがな」
そう言うと柳くんはカバンにノートを仕舞ってしまった
きっと"ながら歩き"は危ないと私を見て学習したのだろう
それにしても、私に気があるのだとしたら、悪い事をしてしまった
その子と付き合う気は無いと知らせる事はおろか、「私、家事はあまり得意じゃないから、後悔するよ?」なんて、まんざらでもないような返答をしてしまっていた気がする
次そのような事が有ったらはっきり、「付き合ってる人がいるから、そういう事を言われると困るなぁ」と言う他あるまい
そんな事を考えていたものだから、「もう、限界が近いな…」と、柳くんが小さく零した言葉を拾えずにいたのだった
話は変わるが、柳くんは将来有望なテニスプレイヤーである
一年生ながら、幸村くんや真田くんと共にテニス部のレギュラー入りを果たし、三年生に混じりながら厳しい練習に興じている
そんな柳くんが、私のバイト先に現れた
お客さんとしてではない
私と同じアルバイトとしてだ
「やな、柳くん?!」
「あぁ、名前、此方でも宜しく頼む」
テニス部の練習に加え、アルバイトだなんて…、冗談ではなく、そのままの意味で柳くんが死んでしまうのではないかと不安になったのは言うまでも無い
店長は事務所に居た店員を軽く集めて言った
「新しく働く事になった柳さんだ
部活優先で週2程度しか来れないんだが、とにかく凄い人材だから居たらバンバン頼って良いぞ!
部所は、名字と同じアパレルになったから、名字は一通り仕事を教えてやってくれ」
や、やはり、このままでは柳くんが過労死してしまう…!私がそのまま、ありのまま思った事を告げるが、柳くんはふわりと笑ったみせただけだった
「俺がそんなにひ弱に見えるか?
大丈夫だ、仕事中はパワーリストを外すから、鍛錬にすらならないかもしれないがな」
試しに柳くんがロッカーにしまったパワーリストがどんなものなのかと拝借しようとしたら、指の力ではとても持ち上げられないという有り得ない程の重さだった
これをつけてラケットを振り回しているとは、やはりテニス部は恐ろしい
というより、この質量でこの重さになるとは、このパワーリストには何が入っているのだろう
まさか、純金ではないだろうが…
見てはいけない物をみてしまったような、複雑な心境となって、そっと、柳くんに割り当てられたロッカーの扉をしめた時だった
私の肩をぎゅっと抱き寄せられたかと思うと、あの、例の彼がいつもの「名字さん、結婚しましょう!」という台詞を吐いたのだ
少し遠くで「どうした柳くん!?」なんて叫び声が聞こえて思わず視線を向けると、柳くんの手中にあったボールペンが粉々に粉砕されていた
「…、古くなっていたのかもしれません
大丈夫です、ロッカーから予備のボールペンを取ってきても?」
「あ、ああ、取っておいで…」
ボールペンだったものの残骸を片手に此方にやって来た柳くんは、私の肩に回っていた彼の手をパシリと払って、ロッカーに私の体を押し付けた
ガタンと大きな音が鳴って此方に注目が集まる
視線が痛い上に、ロッカーに打った肩も痛い
「勝手にロッカーを開けたから、怒らせちゃいましたか?
すみません、パワーリストがどうしても気になって…」
「そんな事で怒ってるんじゃない
お前の事だから、わざとでは無いのだろうが…、あまり俺を煽らないでくれないか?」
「え? 煽る…?」
「俺と付き合っている以上、その自覚を持てと言っているんだ」
つまりは、そう、他の奴に体を触らせたりするなという事か
けれどね柳くん、彼がボディタッチしてきたのは今日が初めてなんだよ
私も予想外で、警戒すらできなかったのだから、仕方無いと思うのだが…
「そっか、そうだよね、ごめんね柳くん」
私は苦笑いを浮かべたまま、柳くんの耳の上あたりの髪を梳いて彼の機嫌取りに勤めた
その日を境に、彼の求婚が無くなったのは言うまでもない
また、柳くんがロッカーに押し付けた肩が腫れて、包帯を巻いて(湿布が剥がれてしまうからと保健室の先生が包帯巻いたのだ お陰で大怪我でもしたかのような見た目になった)来たのを知った柳くんが「許してくれ」「どうか別れないでくれ」と膝を付いてまで懇願する様子を見て、幸村くんが指を指しながら爆笑したのもまた別の話である
もしも柳くんと結婚生活を送ったとして、柳くんDVに走る可能性はほぼ0だと思うし、今回の事だって、仕方の無い事だったのだ
「柳くんこそ、ほら、私って警戒心が足りないから、見捨てたくなったりしなかった?
今回ばかりは、私が悪いんですから…、本当にごめんなさい
それから、気にしないで下さいね、先生がちょっと大げさに包帯を巻いただけなんです」
大きな体をこれでもかという程小さくする柳くんをなんとか立たせようと説きながら、私はまた苦笑いを浮かべる事になった
補足とあとがき
柳くんは主がアルバイトを始めてしまって一緒に帰れる日が減って、さらに仕事中は電話もメールも出来ないものだからモヤモヤしていたようです
自分と会えない間、肩を抱かれたりしながら求婚されていたかと思うと、元より主が絡むとリミッターが外れる柳くんは怒らずにはいられなかったのですね
肩を抱いた事等数える程も無いのに!と…
しかしそれは柳くんが奥手なせいと、柳くんと主の身長差のせいなんですけどね