精市が名前の手を引いて俺の教室の前を通り過ぎていった
名前の頬は分かりやすく腫れていたから、見かねた精市が保健室へと連れていくのだろう
精市達の教室から保健室に向かうには、この教室の前を通る方が近いから道理に叶っている
しかし、何故、精市は名前の手を引いて居るのだろう?
実際に交際している俺ですら、その手に触れた事は多くないし、ましてや校舎内を連れ立って歩いた事などないというのに…
背中から首筋にかけてゾワリと不快感が駆け抜けて、胃に鉛でも流し込まれたかのように腹の底がずしりと重く感じて仕方がない
襟元をチクチクとつつかれるような感覚
首筋を無性に掻き毟りたい衝動に駆られるがまま、ネクタイを緩めた
なんてことはない、ただの嫉妬である
そんな俺の状態を知ってか、此方へ視線を向けた精市が「だいじょうぶ」と、唇の動きだけで告げるのを見て、俺はやっと息を吐いた
呼吸すら忘れて居たのだろうか…、しかし、依然腹の底では嫉妬心が渦巻いて消える事は無かったが
とにかく、今は名前が言うように、授業に集中しよう
名前の事を気にかけるあまり、学生の本分である学業を疎かにてしまったと分かれば、元より交際に関して乗り気でなかった名前から別れを切り出され兼ねない
やっと、この思いを告げる事ができたのだから
やっと、名前にとっての"特別"な存在として、認識される事が出来たのだから
俺の中では、もう随分前から"特別"であり続けたというのに…、些か不公平ではないだろうか
いや、これは俗に言う惚れた弱みという物であろうか
「柳、この問いには何が当てはまるか答えてくれるか?」
「…はい、…第三段落の7行目にある、"母の着物"の事を指します」
「ふむ、その通りだ、分かったか坂本」
正直、授業等まったく身が入らなかったがさして問題はなかった
前回の授業内容を踏まえた今日の授業に対する予習、そして復習
それらを欠かせた事は無いのだから
「先生、授業中失礼します、ちょっと部内で問題がありまして…
柳を連れて行っても?」
「…精市、授業を抜けて話さなければならない程の大事が起きたのか?」
語尾は確かに疑問系であった筈だが、精市は有無を言わさぬ態度で俺の机の元まで歩いて来た
そして、ぐっと顔を寄せて辛うじて聞こえる程度の声で囁いた
「嘘、名字さんの事で、ちょっと問題があってね…」
「先生、授業は欠席扱いで構いません
補修、罰則、全て甘んじて受け入れますから、出ても構いませんか?」
否、出るなと言われようが、意地でも出るがな
精市は何時ものように「ふふっ」と笑い、俺の鞄に手をかけてテニス部のレギュラージャージを引っ張り出すと、何事も無かったように教室を出て行った
俺も教師の返事も聞かずに精市の後へと続いた
…しかし、どうしてジャージを持って出たのだろうか?
精市について行くとやはり保健室へとたどり着いた
中では毛布に包まれた名前が椅子に座っていて、保健室の女医は流しで雑巾を絞っていた
名前の頬には湿布が貼られており、剥がれないようにと上から貼られたテープがより痛々しさを煽って見える
精市は当たり前のように俺のジャージを名前に渡し、「着替えておいで?」と微笑むと、名前はおとなしくそれを受け取り空いているベッドのカーテンの中へと消えて行った
「あっ、えぇっ!? 柳くん? 何で柳くんが居たんですか?
あっ、このジャージも柳くんのじゃないですか
ごめんなさい、困って居るので、お借りします…!」
カーテンを開いて現れた名前はブレザーとワイシャツを抱えており、一回り以上大きな俺のジャージの下からは制服のスカートが辛うじて見えて居る…、ジャージの上だけなのだが、名前が着るとまるでワンピースのようだ
「俺のジャージを貸しても良かったんだけど、流石の蓮二もブチギレると思ってね
それに、ほら、今以上悪化する前に、一度話しあったほうがいいでしょ?
それじゃあ、俺は授業に戻るよ」
宣言通り精市は保健室を出て行き、保健室には俺と名前と女医、そしてカーテンで仕切られた向こうに眠る生徒が残った
「…何から話せば良いのやら」
指先も見えない程長いジャージの袖をいじりながら、名前は苦笑した
「…、ブレザーやワイシャツに一部色の濃い部分が見えるが、水をかけられたのか?」
「あぁ、そうなんです
しかも、私に水をかけた子は、私をひっぱたいた子で、私を叩いたせいで手首を痛めて冷やしていたみたいなのですけれど…」
「あら、あの子、転んで手をついて痛めたって言ってたのだけれど…
今度来たら叱って置くわね?」
「んん? あ、はい、そうですね、宜しくお願いします」
「…要因は、…俺なのだろう?」
「そうですね、柳くんが無駄にカッコイイからこうなったのですよ」
名前は大して気にしていないかのように微笑むが、俺は気が気ではなかった
叩かれ、冷えた水をかけられて喜ぶ人間ではないのは明らかであるし、今は「気にしない」という風に言っているが、いつか俺と居るのが煩わしくなったら?
俺自身に問題があり、名前を不快にさせてしまったと言うのなら、離別に至るのも致し方ないと納得できる
しかし、今回の件はきっかけは俺を慕う女子が独断で行った事に過ぎない
困った勘違いをしている女生徒には早々に手を打たなければいけないな
無意識のうちに名前の頬を(湿布越しのためその肌には触れられなかった)撫でていた俺の手の平を名前の手がそっと包んだ
酷く暖かくて、優しい
この温度を害さんとする要素は全て、排除しなければ…
「そろそろ授業が終わるな、些か長居をし過ぎたようだ
教室へ戻ろう…
それから、授業が無い間は可能なだけついて居ても、構わないだろうか?」
「そんな、気を使わなくて良いんですよ?
あっ、一緒に居たくないって訳ではないので…
もう、柳くんに任せます」
そうして歩いて教室に向かって居る間に終業のチャイムが鳴り、教室へとたどり着いて、前回の冒頭へ繋がるのであった
学園祭の王子様をやって知りましたが、立海の女子制服はワンピースタイプなんですね
この場合は普通のスカートにワイシャツの夏服スタイルという事で…
春壱の中学時代もワンピースタイプのスカートにセーラー服を着ていました
夏服は吊りスカートになり、セーラー服を脱ぐとちびまるこちゃんの服装にそっくりで、色が黒かったので学校内では「くろまるこちゃん」と呼ばれて親しまれて居ました
とんでもなくダサかったです
なつかしいなぁ