人の口に戸はたてられない

噂は瞬く間に広がりを見せて、余計な尾ビレ背ビレを生やして一人でに泳ぎ出した

そうしていつの間にやら、
「あの死神が、ついにテニス部を狙い出した
しかも、真っ先に部長の幸村精市を食い殺そうとした」
なんて、えらく物騒な内容に進化していたのだった


名字名前が接触した生徒が大きな事故に巻き込まれそうになるのは今更の事ではあったが、今回は相手が悪かった

立海のテニス部といえば、全国常連校であり、また容姿の整ったレギュラー部員達は言うならば、我が校のアイドル集団であり、当然、同じ校内にテニス部ファンは五万といるし、その中でも部長を勤める幸村精市の人気は計り知れないものである

テニス部の柱である幸村精市を貶めようとした名字名前はテニス部の敵として、立海中に知れ渡ることとなった



「おかしいです!
名字様は人を殺すどころか、助ける為に助言を告げて回っているというのに…!」

「うん、いいかげん、様を付けるのは止めようか」

「恐れ多いです!
名字様は、人の運命を予知するだけでなく、それを良い方向へとねじ曲げるお力を持っているのです!ずばり、我々を救うべくして遣わされた神の使者様なのですよ!!」


息も荒くそう宣言したのは、大きなモヤを纏っていたために俺が声をかけた立海の生徒の中の一人

忠告の時点では全く信用していなかった
しかし、俺が忠告した通りの事故が起きた挙げ句、幸村精市の際のように俺が手を出して危機から救った事から、偉く懐かれて(この表現は少し違うかもしれないが…)しまったのだ


無神論者だった彼は有神論者へと生まれ変わった挙げ句、俺の存在を神の座に据えた

正直良い迷惑である
まさにこれぞ、厨ニ病という奴なのだろう

そんな少年の名は七瀬透と言った


「別に、構わないよ
昨日よりちょっと有名になっただけだろうから

それよりも…透くん、お使いを頼んでもいいかな?」


ひっくり返り、中身が散乱した俺の机を見下しながら、ひしゃげた椅子をなんとか立たせて座って、笑った
無論、今までは皆、遠巻きに俺を見つめるだけでこのような事は無かった訳だが…

この机を元通りに立たせたら、どんな事が書いてあるのやら

俺がなんともないと笑ってみせる中、七瀬透は苦虫を噛み潰したかのように酷く表情を歪ませた

ガタガタガタガタガタガタ

俺の貧乏揺すりがひしゃげた椅子を鳴らす音だけが教室に響くだけで、一時限目の開始を待つ教室は静まり返っていた

椅子を鳴らしながらポチポチと携帯に文章を打ち込み、メール作成画面のまま携帯を閉じて、七瀬透に持たせて、彼にだけ聞こえる程の声で囁いた
「贈り主は幸村精市、彼がこれを読んだのを確認したらそのまま俺の所まで持って帰ってくるんだよ?」
彼は頷きもせず、"…、はい"とヒトリゴトを言ってこの教室を出て行った

ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ



「さて、こんな事をしたのは、だあれ?」






side.幸村精市


朝の練習を終え、自分の教室へと向かおうと、テニスバッグを担いで部室を出た時だった

見た事の無い少年(といっても、多分同じ学年だろう)が部室の前でじっと立っていたのだ

彼は俺を見るとぐにゃりと表情を歪めて、俺に携帯を差し出した

その携帯は俺のものではないし、知り合いのものでもない
当然、俺はどうして良いのか判らずに、キョトンと彼を見つめるだけで精一杯だったのだ


「…、幸村精市」


ずっと無言を貫いていた彼がやっと言葉を発した


「お前なんか、昨日死んでいれば良かったんだ
いや、お前が生まれた事すら許せない

お前が存在し、お前を名字様がお助けになられたがために名字様は虐げられておられるのだから

名字様からの伝言だ…、取れ、読め」


なんだこの厨ニ病患者は

しかし、この厨ニ病の少年の名字様と呼ぶ名前には聞き覚えがあった

昨日、俺を事故から救ってくれた、不思議な力を持った命の恩人だ

俺は警戒しながらも携帯を受け取り、それを開いてみた



[幸村精市くんへ
まずは俺の友人の非礼を詫びよう

彼は七瀬透と言う名前なんだけど、聞いた事くらいはあるだろう?

俺の狂信的な信者なんだ

昨日の件で、お前を殺そうとした死神として噂が広がっているのを耳にしたかな?
そのせいで、俺の机が使いものに成らなくなったんだが、くだらないいじめが始まっただけの事だから、君は何も気にしなくて良い
俺も気にしないからだ

けれど、俺は俺の保身の為に、彼にこの伝言を頼む事にしたんだ(次、君と接触をしたと分かれば、君のファンが俺と差し違える勢いで襲って来そうだからね)

けれど、七瀬透は酷く気にしているようだから、きっと君に酷い事を言うだろうね

謝るよ、ごめん、けれど俺に免じて彼を責めないでやって欲しい


さて、本題に入ろうか

今朝、君が練習をしている姿を見たよ
朝早くから、練習、お疲れ様だね

気になったんだけど、君は今日、科学の実験で何かを沸騰させる予定はあるだろうか?

今更だから、はっきり言わせてもらうけれど、君はそれを被る事になるだろうから、実験室には入らない方が良いね

出席日数や授業態度を気にするのならば、実験器具から可能なだけ離れて座るべきだろう
この場合、無事は保証しないけれど

わざわざ俺が助けてあげる程の事ではないだろうから、君が君自身で気を付けるようにね

君の無事を祈っているよ]


俺は目を丸くして、ゆっくりと、三度もその文章を読み返した

俺を助けたせいで、いじめが始まった?

彼が俺を殺そうとしたんじゃない、彼が俺を生かしてくれたのに…


今すぐにでも彼の元へ言って謝って誤解を解きたかったのだが、ただの…逆効果かもしれない

どうしようもない


携帯を持ってきた少年(メールでは七瀬透とかかれていたが)俺の手から携帯をひったくると、用は済んだとばかりにさっさと去って行った


「精市…? どうかしたか?
今の生徒は…」

「…蓮二!」


ああもう、本当にどうしようもない





side.名字名前


だあれ?
という声は静かだった教室に響き渡った

すると教室は、酷く無音の世界へと変貌する
元より静かではあったが、俺の事など無い物のようにつとめて予習をしたり、本を読んだり、寝たふりをしていたりという奴らが殆どだったからだ

しかし、この教室という空間に詰め込まれた30人近くの人間が一斉にヒトリゴトを騒ぎ立てる様は酷く…頭が痛かった

無音を感じるという事は、俺はヒトリゴトを耳で聞いていた訳ではなかったらしい
かなり今更だけど


「犯人は他のクラスの子かもしれないね、でもさ、見てた奴も居ない訳?」


ざわざわ、より一層ヒトリゴトの勢いが増した

俺は目を閉じて、溢れ返るヒトリゴトの中から気になる物を拾い上げる事に集中した


"佐橋に、見られた"
"佐橋には、チクらないように釘を差さないと…"

佐橋?



"面倒な事に巻き込むなよ…"
"矢野も、あんな不気味な奴に手出さなくたって良いのに…"
"テニス部なんかの為に嫌がらせして、呪われるのは自分なのに"

矢野?



「へぇ、これやったの、矢野なんだ?」


バキリ

凍りついた教室内にヒビが入る音が聞こえた気がした


「ねぇ、矢野、お前のせいで俺勉強できないんだけど、どうしてくれんの?」

逆さまになった机を蹴って倒すと案の定、キモイだとか、死ねだとかのありきたりな罵り言葉が書き連ねてあった


「変わりに、お前の机使わしてくれるの?」


「し、知らないわ! やだ、こっち来ないでよ!?」

"なんで、なんで、私、悪くないのに!"

"津田だって、中里だって、庵野だってやったのに…"

"なんで私だけ責められなくちゃいけないのよ?!"



「…そうだね、


ツダにも、ナカザトにも、アンノにも…

後で文句を言わないといけないね

けど、まずはお前からだよ、矢野雪奈ちゃん?」


「やだっ…、あたし…、あたしわるくないの…」


俺が少し近づいただけで矢野雪奈はブルブルと震え出したが、そんな事は気にせず彼女のテーブルを挟んで向かい合った

ははっ、こいつ、中三にもなって泣いて済むと思ってやがるわ

マスカラをたっぷりと乗せた下睫毛の上に乗った涙が黒く染まって酷くグロテスクだった


ずいっと顔を近づけて、あぁ、滑稽滑稽と微笑んでいると、矢野雪奈は苦しそうに嗚咽を漏らした


「なんでお前が泣くの?
普通、泣くのは俺の方でしょう?

100歩譲って、幸村精市が泣く側だってなら、認めてやってもいいよ
でもやっぱり、お前が泣くのはおかしいよね?」


「…名字」

「ああ、柳蓮二だね?
今俺は取り込み中だから、ちょっと待っててくれるかな?」

「過呼吸を起こしかけている
それ以上脅しては、状況的にお前が不利にしかならない」

「…ちょっと責めただけなのになぁ」


名残惜しくはあったが、俺はおとなしく自分の変わり果てた席へと戻った

ガタガタ、ガタガタ…


「責められる覚悟くらい、してからやれよ
みっともねぇなぁ」


聞こえるようにそうごねると、誰かが"やばっ…、かっこいい"とヒトリゴトを漏らした
悪い気はしないなぁ



「や、やなぎくん…っ!
あたし、怖いよお!!」



矢野雪奈は涙を流したまま柳蓮二に文字通り泣きついてみせた

まったく、これだからビッチは…

しかし柳蓮二の方は
「すまないが、俺はお前の味方をするつもりはない」

"…、名字の味方にも、なれないがな"


と言って、彼女の肩を押し返した

じゃあ、彼はいったい、誰の味方なんだろうか?






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