19



 呆然と立ち尽くす三人を見つけたのはクーアだ。
 アビスは厳しい顔をしているし、ミュールとトレーネは宙を見つめたまま動こうとしない。そして、──…一緒にいたはずの、ツヴァイの姿がない。
 聞かなくても状況は解っているけれど、ミュールを抱き上げながら聞いてみる。

「……ミュール? どうしたんだ」
「まぁ、……まおう、さま」
「ツヴァイは?」
「……かえっちゃった……っ」
「そうか、それは寂しいな」
「……うん。うぅぅ…っ」

 クーアに抱かれて安心したのか、泣き出してしまったミュールは昨日以上に泣き続けていた。一緒にいた者が突然消えて、しかも二度と会えなくなる悲しみはクーアにも覚えがある。きっとミュールにはこれが初めてだろうけど。
 泣き続けたミュールは、そのまま眠ってしまった。
 自分は幼い頃こんなに泣いてはいなかったので、人間が泣きやすいのか、ミュールが泣きやすいのかクーアにはわからない。
 ただ、泣いているのを無理やり泣き止ますのは違うと思っているので、いつも気が済むまで思いっきり泣かせるようにしている。
 そんなにツヴァイが気に入っていたのだろうか。──いや、魔物ではない、見慣れない人間が珍しく、そして何より優しく接してくれたのが嬉しかったのだろう。
魔物は魔王のクーアがいる手前、ミュールに体面だけでも優しくしてくれるけど、本質は違うのだと子供のミュールでもなんとなく察しているのだ。
 泣き疲れたミュールを魔王の私室で寝かせ、執務室へ行くと難しい表情をしていたアビスだけでなく、トレーネやクヴェル、ツェーレやバジリスクまで揃っていた。

「思い出したよ、クーア坊」
「ツヴァイのことですか?」
「名前は名乗っていなかった。場は人間界の定例会で、一緒にいたのは皇太子のディオル。間違いないわ」
「皇太子……」
「……少し、人間界で面倒が起こっていそうね」

 ツヴァイがなぜ魔界の、魔王が居住する魔王城を訪れたのか、理由は聞けていない。ただ、何か理由がないと人間が魔王城なんて訪れないので、ツヴァイは追い込まれていたとは思う。
 部屋からひっそり聞こえた、魔王を倒す、という言葉はそのまま、ツヴァイが魔界へ来た理由なのだとしたら……。
 人間界の面倒事に自分から首を突っ込むのは御免だが、魔界を蔑(ないがし)ろにされるのも、魔界にいた人間を勝手に連れ去られるのも許容はできない。

「どうします? クーア」
「……人間界へ行く」

 いくら考えたって答えは出ないのだから、本人に聞いてみるしかないだろう。
 考えあぐねる時間も惜しい。下手人が皇太子のディオルと解っているのなら、人間界へ行ってツヴァイに直接聞くだけだ。

「クーア坊、座標はどうされて? オススメなのは王城の応接間だけど」
「応接間がオススメなんですか?」
「通常時は人がいないわ」
「……なるほど。人間界は宵か、──丁度良い。飛ぼう」
「ちょっと待ってください!?」

 今にも飛び出しそうな面々に、待ったを掛けたのは宰相のクヴェルだ。
 クーアだって争いは好まない平和主義とは言え、魔物は魔物。熱くなると短絡的な思考になりやすい。

「クーアには丁度良いかもしれないけど、誰が行くんですか! ミュールはどうする!?」
「アビス女史がいるからすぐ戻れる。みんなで行く」
「……ミュールが眠っているうちに?」
「うん、そう。……無理かな?」

 宰相であるクヴェルの顔は苦い。無理もない、魔王城における魔王の不在、それに伴い五人の領主のうち二人が付き添って、魔王城はおろか魔界からいなくなるのだから。
 しかし、人間界に介入するとなればそれなりの、人間界に顔の利く人物でなくてはならない。現王に縁のある魔王クーアと、飛び地の領主のアビスは外せないだろう。ただ、二人だけでは圧倒的に少なすぎるし危険だ。
 他に誰を付けるか、また、誰を魔界に残すか。その選択はとても重要になる。

「……一時間」
「一時間? それはちょっと短すぎる」
「だからといって、魔界を不在にもできません。ここにいる六人で人間界の状況を一時間で把握し、これからの方針を決めましょう」
「一時間後は?」
「私が魔界に残ります」
「……クヴェル」
「私は宰相です。適任でしょう」

 少し頭が冷えた。……そうだ、ミュールがいる。
 自分を慕っている人間のミュールは、魔王である自分の庇護がないと魔界では生きていけない。一人にするわけにはいかなかった。

「──…ミュールを、今は一人にしたくない」
「では、私の部下を置いてくださらない?」
「……アビス女史の?」
「大広間と書庫の改修に来ている部下を、城下に泊めているの。クヴェルが戻るまでは部下を置きましょう」
「部下って、職人さん?」
「えぇ。戦闘は不向きだけど、いないよりかはマシでしょ」

 アビスの部下となれば、人間に好意的だ。クヴェルと二人っきりにするよりかは安心できる。
 魔王の私室は魔王城よりも厳しく何重もの結界が張られているし、ミュールが部屋から出ない限りは一番安全な場所だ。

「アビス嬢が飛ばせるのは何人?」
「五、六人だけど、向こうに何があるか解らないから、バジリスク様はクーア坊と後から一緒にいらして」
「承知」

 バジリスクの影が伸びて、千切れた影の一部がアビスの影と同化する。問題なくアビスの影と繋がったようだ。
 アビスが閉じた傘でコンッと床を叩くと、叩いた当たりから黒い渦が現れる。アビスが空間移動魔法で空間を繋げている入口で、一度に行けるのはアビスを含めて五、六人だ。それ以上の人数が移動しようとすると、空間の狭間に落ちて行方不明になってしまったり、目的地までの道すがら落ちてしまう。
 アビスが渡せる人数は決して多くない。それでも彼女が領主になれたのは、女性であるということ、あともう一つは空間移動魔法の精確性だ。
 彼女の空間移動魔法は、移動先の座標を含めて誤差がほとんどない。思った通りの場所へと移動ができるし、彼女一人だけなら空間に留まり、誰からも視認されずに移動先をこっそり見ることもできる。

「……バジも、」
「うぅむ?」
「何かあったら、俺を置いて逃げてね」
「お前と一緒に逃げるから、安心しろぃ!」

 バジリスクがクーアの心配を掻き消すように頭を撫でまわす。……そうだ、いろんな心配を今からしても意味はない。最善を選び、より良い未来へ繋げていくだけだ。
 バジリスクが影を広げ、クーアも入りやすいようにする。バジリスクの影は、影同士への移動が可能だ。空間移動できるのでアビスとバジリスクの魔法は同じだと思われがちだが、原理が違うらしい。アビスの空間移動魔法は星魔法に分類され、バジリスクの魔法はそのまま影魔法になる。
 飛び込んだバジリスクの影の向こうは、とても静かだった。

「いらっしゃい、クーア坊」
「……宵とはいえ、静かすぎるな」
「確かに。人間界の夜は案外騒がしいんですけど、ねぇ?」

 アビスが同意を求めるも、ここにいるのは人間界に疎い魔物ばかりだ。
みな苦い顔をしつつ、人間界をそれぞれ探る。

「……空気が、重い」
「城門前の広場で処刑の準備を行っているようです。明日、誰かが処刑されるようね」
「処刑? 処刑されるのは誰か解るか?」
「ちょっとそこまでは」

 応接間の窓から見える違和感だけで、アビスはそこまで推察してしまった。城内の様子から、処刑されるのは城に縁のある者だろう。ただ、飛び地のアビスに処刑の情報が届いていないということは、こっそり処刑してしまいたいようだ。
 面倒事が起きて、キナ臭くて不穏な人間界。魔物たちだって長居はしたくない。

「私はクーアと行く」
「ツェーレだけズルイ!」
「大人数で動くわけには……」
「俺もクーアと行きたい!」
「何かあった時のために、私がクーアと、」
「「兄上ズルイ」」
「儂もどうしようかのぅ」
「私は空間移動魔法がありますし、どこでも宜しくてよ?」

 魔王であるクーアを危険な目に合わせたくないので、どう分かれて行動するか、意見が決まらない。
 チカ領の三人が白熱しているので遠慮気味だが、バジリスクとアビスもクーアと一緒に行動したいのが本音だ。
 本当はみんな一緒に行動するのが最善かもしれないが、人目もあるし時間もない。分散した方が良いに決まっている。

「わかった」

 クーアの鶴の一声で五人が止まる。
 みんなの気持ちも解るが、今は時間がないので。自分だけでも先に人間界の様子を探りに行こう。

「俺、一人で行く。大丈夫、何かあったらバジの影へ逃げるから」

 ガチャッとドアを開け、勢いよくクーアが飛び出す。
 残された五人は、あまりにクーアがクーアらしくて追いつけなかった。早く追わないと、面倒事を増やされまくってしまう。

「「「そういう問題じゃないのに!」」」
「ガハハッ!」
「バジリスク様、笑いすぎ……」

 バジリスクの大きな笑い声が応接間に響き渡る。
 笑い声は大きく、上下の階にも響いていそうだが、見張りが確認に来ることはなかった。これ幸いと、バジリスクは話を続ける。

「クーアは心配ない。確か人間界用の身分証明書をヤツから貰ったと言っておったわい」
「人間界の身分証を持つ魔王サマ……」
「どんだけ誑し込んでるんだよ……」
「さすがクーア」
「クーアは戦場育ち。度胸は凡人の倍以上ある故、心配はいらん。──撤退の文字がないのが玉に瑕じゃがのう」
 撤退など許されない、最前線の戦場。
 死んだ魔物たちは、一体、誰に殺されたのだろう? 殺したのは人間でも、いがみ合うようにしたのは先代魔王の命令で。
 引くことはできない。どんどん減っていく同胞。
 見慣れた顔が、明日には消えているなんてことは日常茶飯事だった。
 だからこそ、クーアは自身を矢面にすることが多々ある。魔王が死んだら元も子もないので、安全な場所に引っ込んでいてほしいのに。

「それが俺の仕事でしょ?」

 当たり前のように真顔で言われて、背筋が冷えた。
 人間の子供のミュールを拾ってきて、無鉄砲に突っ込むことは減ったとはいえ、なかなか元来の性格は変えられない。もっと自身を大切にしろと、臣下ながら何度も叱っているのに。

「クーアは変わらんなぁ……」

 バジリスクがしみじみ呟く。あんなに小さな子供だったのに……、成長とは早く、少し寂しいものだ。
 それでも昨日、自分の領地へ帰ろうとしたら呼び止められたり、今も何かあったら自分の影へ逃げると頼られている。まだ甘えてくるクーアは可愛くて、嬉しくもあるのだが。

「クーアには儂が付く。おぬしらは二手に分かれて情報収集だ」
「なら、精霊を使わずに連絡が取り合える双子が分かれては?」
「儂の影を繋げさせておいてくれ。この場合は……」
「女性同士で行きましょう」

 クヴェルとトレーネ、アビスとツェーレで二手に分かれるとしたら。
 人間界へ移動する際に、アビスには影を付けてある。もうアビスに影を付ける必要はないが、アビス自身が空間移動魔法で移動してしまうと厄介かもしれない。

「魔界へ戻る予定の兄上は論外として」
「おい」
「私の魔法は座標による転移なので、移動されてしまうと転移できません」
「……ふむ。何かあったら大変だから、やはり二人へ分けるか」
「影は足りますか?」
「バジ領と魔王城、クーアにも影を付けておるから、せいぜいあと二つだ」

 足りるかのう、とぼやきながらバジリスクの影が二つに分かれ、それぞれが二人に張り付く。なんとか足りそうだ。

「影が足りなくなることあるんですか?」
「ある! 嫌だと逃げ出すこともあるわい!!」
「逃げないで、仲良くしましょうね」

 バジリスクは影へ潜り、クーアを追う。
 影の中では距離という概念が存在しないので、すぐに追いつける。クーアが無茶をする前に合流しなければ。
 クーアの目的地は間違いなく、──人間国の国王の私室だろう。
 そんなところまで入れる身分証明書を渡すとか、どれだけクーアに傾向しているんだ。末恐ろしくなり、バジリスクは考えるのを止めて、クーアの気配へと集中して飛ぶ。
人間国の国王がどれだけ把握しているか不明だが、今回の子細は人間側にも問題がありそうなので一発殴ってやりたい。あいつはいつもながら、いけ好かん。



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