18
このまま逃げてしまえたら。
たぶん、それは楽だし、人間界も何もかもを背負わないで生きていける。
ただ──…、とても後悔するだろう。
後悔のなかったことなど、今まであっただろうか?
はっきり言ってしまえばそれはなくて。よく考えて選択したつもりでも、あーすれば良かった、こうすれば良かった、って、何度も後悔した。
止めることの出来なかった俺には、もう選択肢なんて残されていないのだけれど。
「……魔王を倒すとか、無理ゲーすぎ」
やっぱり、どう考えても無理だろう。
今から止めに行ったって、返り討ちにあうか、殺されてしまうかの二択だ。苦しまずに殺してほしいぐらいの話は聞いてくれるかもしれないが、死ぬのが前提になっているのは宜しくない。
魔界で死んだことになっているのが、一番良いまである。
「…………」
魔界で暮らすメリットはあるだろうか?
メリットというか、人間街という魔界で暮らす人間のたちの街があることを知ったし、ミュールと食べた食事は美味しく、食材を入手するルートがたぶんあるし、風の結晶石があれば魔界でも瘴気に怯えず暮らせる。悪いところは今のところない。
「……………、はぁ」
「深いため息。どうかして?」
「アビス様」
翌朝、元気なミュールがツヴァイを迎えに来て、他の魔物とも一緒に食堂で朝食を食べた。
メニューは夕食と違い、パンにハム、目玉焼きにサラダにヨーグルトで、完璧なまでに栄養が考えられた朝食だったと思う。夕食もだが、魔界なのに人間であるミュールに配慮した食事が供されているようだ。ちなみに朝食は夕食同様、とても美味しかった。
「私は改修工事の準備に人間街へ行くのだけど、一緒にいかがかしら?」
「人間街?」
「ガラス製品は人間が作ったものに限るわ。人間界で用意するより、人間街の方が近いし融通が利くの」
「なるほど。一緒に行っても良いのですか?」
「邪魔をしないのなら構わないわ」
ずるい! と纏わりつくミュールを宥めて、人間街へ行ってみることにする。ミュールは子供で幼いから、人間街へはまだ行ったことがないらしい。人間界を追放された、ならず者たちがいるのなら、賢明な判断と言える。
どうやらアビスはツヴァイのことを知っている人間を人間街で探そうとしているようだが、あいにく人間街に知り合いはいないし、ツヴァイの素性を知っている者もいないだろう。──知ったら取り入って、人間界への帰郷を望むのだろうか。そんな権限、自分には有りもしないのに。
見送るミュールとトレーネに背を向け、アビスと一緒に魔王城を出る。
今日の魔王城の門はちゃんと閉まっており、昨日難なく入れたのが嘘のようだ。魔王城の警備が強化されたのだろうか。
魔王城を出てすぐのところで、木にとまる青い鳥に気付く。
くすんだ魔界の空に映え、その鳥はいやに目についた。……青い鳥は、自分の瞳と同じ色だったから。
ツヴァイが鳥を見つめていると、アビスも一緒に見つめていた。その表情は、訝(いぶか)しんでいるように見えるけれど。
「──…鳥?」
「魔界にも鳥がいるんですね」
「いないわ」
「え?」
「瘴気で死んでしまうから、鳥なんていないわ」
鳥が飛んでくる。
青い鳥はツヴァイの目前で滞空しながら、鳥とは思えない低い声で、人間の言葉を話し始めた。
……それは、聞き慣れた幼馴染みの声で。
魔界へ来た、元凶とも言える男の声だった。
『──帰っておいで』
「……ッ、…ぃ、ディオル……?」
鳥はツヴァイの問いかけに返事をすることなく言葉を続ける。
『もう時間だ。外は楽しかっただろう?』
「じ、かん……」
『早く帰って来ないと、二度と会えないよ』
「──…!?」
ツヴァイには決定的な言葉だった。
それが魔界に来た理由でもあり、幼馴染みを止めたい理由でもあったのだから。
──…一年。自分なりに足掻いて魔王城まで来たし、どうにかできるかもって思ったりしたけど、どうやらここまでらしい。
ごめん、と呟いて、見送るために立ったままだった、不安げなミュールの頭を撫でる。この子供には不安にさせることばかりしていて、申し訳ない。
「……ツヴァイ? 今のは、」
「俺、帰らなきゃ、……いけなく、て」
「──…待って、帰ってはだめよ!」
「いろいろとありがとう。じゃーね」
ツヴァイは悲しそうに笑いながら手を振り。
ミュールやアビス、トレーネの目の前で青い鳥と共に消えてしまった。
ツヴァイが戻った城内は魔王城と違い、閑散としていた。
いつもは騒がしい王城前に市民の姿はなく、城内だって見知った兵士の姿はない。一年いなかっただけでここまで変わってしまうのかと、ツヴァイ──もといヴァイスは、冷めた目で眼前の幼馴染みを見つめる。
名前はディオル。今は第一王位継承者の皇太子で、ヴァイスの救いたかった幼馴染み、リレイの双子の弟だ。
「おかえり、ヴァイス。遅くて心配したよ」
「……よく言う」
「さすがに魔王城内は結界があって入れないんだ。すぐに出てきてくれて良かった」
「…………」
「リレイの処刑は明日だよ」
「ほんとにリレイを処刑する気か!?」
「もちろん。処刑しない理由はないからね」
ディオルはヴァイスに近付くと、うっとり青い瞳を魅入る。その手は、嫌がるヴァイスを引き寄せると満足そうに抱き締めた。
──国王は、病んで倒れてしまった。
第一王位継承者であったディオルの双子の兄、リレイは謀反の罪で投獄され、裁判もなく処刑が決まったのは一年前。全部、このディオルが手引きしているのだろが、証拠もなければ誰もヴァイスの言葉を信じてくれなかった。
なんとかリレイが処刑されない道を見つけようとしたが、どうやらここまで。時間切れらしい。
「ごめんね……」
ヴァイスの声は、誰にも届かずにディオルに飲み込まれた。
自分はあまりにも無力で、すべて後手後手。遅すぎた。
謝りたい人はいっぱいいるのに、もう謝れないかもしれないし、会えなくなるかもしれない。……それが、とても悲しかった。
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