17



 執務室のドアがコンコン叩かれる。
 クーアが声を掛けなくても、我が物顔で入って来たのはアビスだ。執務室の中にはチカ領の三人も含め、帰ったはずのバジリスクの顔もある。アビスはため息を吐いて、空いている一人掛けのソファへと座った。
 ため息を吐きたいのは、この場にいる全員ともだ。──バジリスクが暗い顔で戻って来た時点で、覚悟はできていたけれども。
 クーアは用意していた紅茶をアビスへ差し出す。人数分の紅茶を用意し終え、正面にある魔王の椅子へと座る。深く沈み込むし、大きすぎる椅子の座り心地はクーア的に最悪なのだが、ミュールも一緒に座れると喜んでいたので替える気はない。

「ミュールもツヴァイも、部屋で眠っていたわ」
「ツヴァイも?」
「疲れていたんじゃなくて? 人間界から魔王城は遠くてよ」

 アビスが淹れたての紅茶を飲み始めたところで、堅い表情のバジリスクが話しだした。
 みんなが知りたがっていた、侵入者の話だ。

「尋問は終わったぞぃ」
「早くない? さすがバジ」

 ……ふう、とこちらもため息。ため息を吐くと幸せが逃げると人間界では言うらしい、なんてお道化(どけ)ることはできなそうだ。
 バジリスクがいつになく真剣ということは、クーアに関わることだからだろう。解りきっていたこととはいえ、どうしようもできないけれど。

「先代魔王サマは、未だにクーアを恨んでおるようじゃ」
「玉座の剥奪に魔王城下への入城禁止、幽閉はしてないけど実質は軟禁状態。……恨まれることしかしてないし」
「けどそれは五領主全員の一致で先代魔王を降ろしてクーアを玉座に据えたのよ? 逆恨みもいいところだわ」
「正確には四領主だよ」
「細かいとこはいいの! ユーマだって、生きてたら反対なんてしてないわよ、絶対」

 魔王城より遠方の地で軟禁状態ゆえに、できることは限られてしまう。けど、野放しにもできなくて。
 クヴェルが苦い顔で、業務的に告げる。

「以前より厳しく先代魔王の動向を見るようにします」

 本当は誰も関わり合いたくないので、これが精いっぱいの出来ることだろう。今だって監視していないわけじゃないが、どうしても漏れはある。
 矛先のクーアに危害が及ばないよう、探りつつ注意していかなければ。

「というか、ミュール以外の人間がいて驚いたわ」
「普通は入れないんだけどね」

 魔王城には結界が張られている。今回の侵入者は先代魔王と縁があり、以前入城したことがあったので入れてしまったようだ。そうでもなければ魔王城は容易く侵入できる場所ではない。
 それは魔物だけではなく人間も同じはずなので、ツヴァイが平然と入城できたのは謎としか言えないのだが。

「想定外だったから、ちょっとびっくりした」
「クーアが?」
「うん、びっくりしたから慌てて見に行ったんだ」

 いつも通りにパンケーキを焼いているときに感じた違和感。結界は何重にも張られており、専門の魔物が昼夜ずっと結界を張り続けているというのに、それを素通りしてツヴァイは魔王城内へと入って来た。
 結界の違和感を感じたのはクーアだけで。魔王城の自動防衛機能も起動しないとなれば、原因を直接見に行って確認するしかない。

「簡単に入れてしまうわけだ」
「クヴェル」
「下級の魔物が手出しできないし、魔王サマの結界も素通り」
「……うん。ツヴァイが持っていた風の結晶石、あれは自分が作ったものだ」

 それはツヴァイに会ったとき、みんなが感じていた。
 微かに感じる、魔王クーアの気配。それはツヴァイが首から下げている風の結晶石からで、魔物なら誰しもが感じるだろうし、魔王へ恨みを持っている今日の侵入者のような魔物ならともかく、普通の魔物は手出ししないだろう。

「最近は作ってないから、一年ぐらい前のかも」

 魔物は人間より総じて魔力が高い。それを利用して、瘴気の中や水の中でも呼吸が出来るようになる風の結晶石を作り、定期的に人間へ販売することで人間界の外貨を荒稼ぎしているのだ。
 ──毎日、約十個の風の結晶石を魔物側が作り、それを人間側が人間界の紙幣で購入する。以前は直接売り付けに行っていたが、毎日毎日魔界と人間界を行き来するのは怠いし時間が掛かりすぎる。そこで最近は精霊を使ってやり取りをしていて、そのやり取りの際に、人間界で気になっていた新聞を使ってほしいと頼んだら、紙幣を包むのに使ってくれるようになった。ゆえに魔界では一日遅れながらも人間界の新聞が書庫で読めるのだ。
 ちなみに風の結晶石を作っているのはトレーネで、暇だとクーアも手伝うことがある。クヴェルとツェーレは人間をあまりよく思っていないので、手伝うことはない。

「クーアの作ったものってことは、市場には流通してないはずでしょ?」
「……」

 風の結晶石の貿易は魔界国王の魔王と人間界の国王が直接取り決めをし、他者を通していない。仲介手数料も第三者に取られることもなければ、第三者が横領する可能性も低いので、クーアが魔王になってからずっと続いている。
 それをどうして、ツヴァイが持っていたのだろうか。

「クーア坊」
「……アビス様」
「様付けは示しがつかないと何度も言っているのに。まだ慣れなくて?」
「──…アビス女史。人間の裏切りなんて、あるのでしょうか?」
「ない、とは言い切れないけど」

 アビスは一拍置いて、少し考えこむ素振りを見せながら、ぬるくなってしまった紅茶を一口飲む。
 クーアが選んだ茶葉はどれも美味しいし、水魔法で精製した水は美味しい。それらを使って魔王自ら淹れてくれた紅茶は、ぬるくなってしまったとしても、とても美味しい。
 一口飲むだけで心が落ち着くのだから、何か魔法でも掛けているのかと疑いたくなる。そんな魔法、有りもしないのだけれど。

「私はあの人間に会ったことがある。……たぶん、人間界で」
「人間界?」
「人間界でアビス様に会えるって」
「そこそこ上級の貴族か衛兵……、人間界での地位が高い者だと思うけれど、なにぶん名前を思い出せないので誰か貴人の付き人の線もあるわ」
「……アビス女史」

 真剣な面持ちで、クーアがアビスを見つめる。
 これは、魔界と人間界の国交に関係する重要なことで。人間が魔物を裏切ろうとしているなら、人間界に探りを入れなければならないし、人間界に領地を持つ飛び地のアビスもただでは済まない。

「思い出してもらっても、いいですか」
「魔王サマの頼みなら、期待に沿えるよう努力しましょう」

 アビスは紅茶を飲み干すと立ち上がり、執務室のドアをゆっくり開ける。
 そこにいたのは、泣いているミュールと、泣いているミュールを抱いて途方に暮れているツヴァイだった。

「……ミュール?」
「まおうさまぁ……」
「悪夢でも見たのか?」
「……ま、…まおうさま、と、……いっしょがいぃ……」

 ツヴァイの腕からクーアの腕の中へと移動したミュールは、安心したのかあんなに泣いていたはずなのに、すやすや寝息を立て始めた。寝入るのが早すぎる。
 クーアはそんなミュールの背中をさすりながら、執務室を静かに出ていく。たぶん、今夜は戻ってくることはないだろう。
 解散、かいさーん! とトレーネが場をお開きにした。魔王がいない今、何を話しても無駄になってしまうのだ。

「ツヴァイはどうする? 客室用意しようか?」
「えっと。ミュールが心配するかもだから、ミュールの部屋で寝ます」
「りょーかい。部屋にトイレあったでしょ? 朝迎えに行くから、深夜は部屋から出ないでね」
「……今、出ちゃったけど?」
「ミュールと一緒なら大丈夫なんだけど、さ。侵入者用のトラップが発動しちゃうかも?」
「部屋にいます」

 ツヴァイの思いきりの良い即答に、トレーネが笑う。
 そんなトレーネを、ツヴァイが微妙そうな顔で見つめている。

「ミュールは人間界に返さないんですか?」
「……親のいない、魔界に捨てられていたミュールを?」
「クーアの弱点になるんじゃ」
「百も承知だし。……魔物にだって、憐れむ心はあるんだよ」

 何が正解かなんて、誰にも解らないけど。
 トレーネを含む魔物たちだってミュールのことを何度も話したし、飛び地のアビスだって相談をされた。
 でも、当の本人であるミュールやクーアが望まないなら、その選択は最善の一手ではなくて。悪手にもなりえてしまうから難しい。
 クーアが笑い、幸せなら何でもいいのに。



[ 17/27 ]

[*prev] [next#]
[しおりを挟む]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -