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 浴室はとても広かった。
 大人数が同時に使用することを想定していないらしく、洗い場はそこまで広くないものの、ミュールと二人で使用するには十分な広さがあり、自分たちだけならあと十人は同時に洗えるだろう。浴場は広く、泳げそうなほどだった。実際にミュールは泳いでおり、あと五十人は(以下略)。驚いたことに水を入れて湯の温度を調節しており、熱い湯と適温まで下げられた温度の湯、水湯と三種類あった。温泉と聞いていたが、ちゃんと湯の濾過をしているようで、白く濁っているものの臭いや目に見える不純物はなく、流れ出る湯はさらさらだ。隅にはサウナも完備されており、魔界とは思えない浴室で驚きしかない。
 この浴場はチカ領の三人が強く要望したのもあり、普段はクーアとミュール、チカ領の三人しか使用できない贅沢な代物らしい。それでいいのか、魔界。
 贅沢と言えば、ミュールの部屋も贅沢すぎる。人間の子供が使うには広すぎる部屋に、不似合いなほど大きなベッドは俺が五人は寝っ転がれそうな大きさだった。おもちゃはケースに入れて壁沿いに整頓され、中央のローテーブル上にはお絵かきをしていたのか、紙とクレヨンが置かれたままになっている。

「こんな良い部屋があって、なんで魔王城の入り口で遊んでいたんだよ……」
「ミュールの部屋、誰も来ないんだもん」
「……まぁ、入りにくいかな」
「執務室も厨房も遠いのー」

 ミュールはベッドの脇に置かれたオットマンを使ってベッドへよじ登ると、ごろんと横になる。魔界は宿屋がなく、屋根がある場所に泊まることが出来なかったので野宿ばっかりだった。気持ちよさそうに横たわるミュールとベッドの誘惑には勝てず、ふかふかのベッドの感触を確かめる。硬くもないが、柔らかすぎないので飛び乗っても問題なさそうだ。
 風呂ではできなかったが、ベッドでならできる。ツヴァイが勢いよくベッドへ飛び乗ってみれば、ぼわんと反発して体が一瞬宙に浮く。一体どんな材質のベッドなんだろう、とても寝心地が良い。
 ごろごろ転がれば、勝手に瞼が落ちてくる。眠りに落ちるのに時間は掛からないだろう。魔物に怯えず安心して眠れるなんて、魔界なのに天国のようだ。

「あー、しあわせー」
「ミュールは魔王サマと一緒に寝るのが幸せかなぁ」
「一緒に寝ないの?」
「……」
「クーアに言えば、一緒に寝てくれそうだけど」
「お仕事忙しいから、ひとりで寝なきゃ」

 ミュールは寂しそうに、ごそごそ掛け布団の中へと潜り込む。確かに、二人で眠るにはちょっと広いくらいだが、ミュールが一人で眠るとしたらこのベッドは広すぎる。
 魔物たちはミュールに厳しいわけではないが、彼らが敬愛しているのは魔王であるクーアであり、ミュールではない。
 クーアが育てている人間の子供のミュールは、クーアがいなければ魔界では命がないかもしれないし成り立たない、難しい立場の子供で。ミュールはそれを理解しているので、なかなか甘えたり我儘を言えないのかもしれない。

「……クーアに言えばいいのに」
「ミュールは嫌われたくないもん」
「嫌われたりしないって」
「……うん」

 布団の隙間からミュールの曖昧な返事が聞こえる。
 頭では理解しているのに、言えないことって色々あるよな。痛いほどわかるので、布団越しにミュールの小さな背中を撫でてやる。きっとそのうち、何も気にせず言えるから。甘えられる時間は短いんだし、後悔しない道を選んでほしい。

「──俺も、ちゃんと、決めなきゃ、なぁ……」

 選んできた道は後悔ばかりだった。
 ……もう、後悔もしたくないし、やり直しも出来ないので。今度こそは誰も悲しまない、最善の道を選びたいのに。
 何が最善か考えているうちに、意識がどんどん薄れていくのを感じた。



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