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 きらきら、空気中の水が乱反射して光り輝いている。
 氷魔法を使う前後によく見られる現象だ。空気中の水分を集めて冷却しているので、術者の周りに無数の細かい水が舞い、まるで光が降りそそいでいるように見える。
 溶けてしまった氷や氷柱は、水へと戻して身の回りのアクセサリーや武器にストックする者もいるそうだ。以前、見せてもらった刀剣は鞘も刃もなく、持つ柄の部分だけの刀と呼べない刀だったが、柄の内側に細工がされており、内部の空洞部分に水を貯めておいて氷魔法を使うときの呼び水として利用するのだとか。実際に見せてもらったが、面白い仕組みだと思った。

「そんなことしなくても、氷魔法は使えるでしょう?」
「……柄に、好きな絵柄を入れるとやる気が全然違うんですよ。妻は雪を降らせることが出来るから、雪の結晶の模様を見るとやる気が湧いてきます」
「ゆき……」
「見たことないですか? 人間界では、氷や氷の結晶が降ってくるらしいですよ」
「見たことあるわ。美しくて、触れてみたけど……、」
「溶けちゃいました!?」
「え、……えぇ。白くて冷たい、あれが雪だと言われたの」
「俺も妻みたいに雪を降らせてみたいなぁ」

 気象のない魔界で、人間界にしかない雪を知っていることも珍しいし、雨や雪のような現象を起こせるチカ領の者はやはりすごいと思う。
 気象の変化、天候、四季──。魔界にはない、それらの事象は大変興味深く、人間界に住みだした今もなお人間界への興味は尽きない。
 魔界にはないものを人間界に見出しているのは解っている。解っているからこそ、人間界への架け橋になりたいと思っているので、争いはごめんだ。

「氷も雪も冬の事象だけど、いつ見ても美しいわ」

 ……のそり、暗い闇が動き、三人へと寄ってくる。
 その闇は、底が見えぬ真っ暗闇だった。どこか違う場所へと繋がっているような、底知れぬ恐怖を感じさせる闇は三人の目の前で翻ると、魔物のはずなのに人型を成した。
 なぜか城内なのに黒い傘を差し、二つに分けた黒髪をくるりと緩く巻き、魔物らしからぬレースやビーズをふんだんに使った漆黒のドレスに身を包んだ、可愛らしい少女がにっこり微笑む。

「──…誰だ!?」
「……あれ? 来ていらしたんですか?」
「ミュール知ってるから、ツヴァイ落ち着いて!」

 どうやら二人の知り合いらしい。
 二人の知り合いということは魔物なのだろうが、魔物らしからぬ格好をしている。
 魔物は人間には有害である瘴気に満ちた魔界で暮らしているため、皮膚が厚かったり体温調節ができたりするので服をあまり必要とせず、服に過剰な装飾を用いない。今まで見てきたクーアやトレーネも服を着ているとはいえ、良く言えば簡素、悪く言えば質素な服を着ていた。ゆえに少女の服装は魔物より人間寄りといえる。
 とはいえ闇から現れたし、魔王城にいるのだ。いくら人間のような外見だろうと魔物であることは間違いないし、二人の知り合いということも含めればただの魔物ということはないだろう。
 人間と違い、魔物は外見では年齢を判別できない。若く見えてもそれなりの年齢だったりする。
 警戒するツヴァイを余所に、長いドレスの裾を踏まぬよう、少し持ち上げながらゆったりと少女が近付いてくる。
 その姿を見つめるトレーネは身構えていた氷の剣をおろして軽く会釈した。ミュールも見知った顔なのか、大きく両手を振っている。少女は答えるように、差していた傘を静かに閉じて後ろ手に持ち直した。

「やはり、いつ見ても氷魔法は美しい。私も、もっと美しい魔法を得意としていたら」
「実用的で良いと思いますけど」
「ふふ、有難う。そしてお勤めご苦労さま」
「いつから見てたのー?」
「みんなで仲良く紅茶を飲んでるぐらいから、……かしら?」
「最初っからじゃん!」
「見ていたなら、二人を護ってくださいよ……」
「私が出る幕ではないでしょう?」

 なんとも言えない顔でトレーネが口籠もる。少女へ走り寄ったミュールは、後ろ手に持っている傘を興味深げに手に取った。魔界は雨が降ったりしないので、傘は珍しいのかもしれない。ミュールへ傘を手渡すと、少女は闇から新たな傘を取り出した。新しい傘を用意してるって、どれだけ傘が好きなんだよ……。
 同じ疑問をトレーネも持ったらしく、ツヴァイが口に出す前にトレーネが少女に聞いていた。

「なんで城内なのに傘を差してたんですか?」
「……氷柱の、落ちる水音を聞きたくて。心地よい音だと思わなくて?」
「そこまで感じないです」
「あら残念。水滴が歌っているようなのに」

 少女が手を伸ばせば、ちょうど手のひらに氷柱の水滴が落ちてきた。しかし、手のひらに落ちた水滴は音もなく手首へと滴っていく。確かに、傘へと落ちてくる水滴はぴちゃん、と、変わった音がしているかもしれない。
 傘を差したミュールがくるくる回りだす。そんなミュールを見つめながら、少女は気鬱そうな表情で呟く。

「あとはクーア坊が上手くやれれば上々なのだけれど」
「……アビス様」
「無茶をする子だから、みんなが付いていると解っていても少し心配だわ」

 少女はミュールと同じように傘を差すと、器用に傘だけをくるくる回した。──傘を差す、少女のような魔物。どこかで見たことがあるような気がして、ツヴァイは記憶の糸を必死で手繰り寄せる。
 あれは、そういつだったか。魔界ではなく、人間界で見た。確か──…、

「……濁地の、魔物……?」
「だくち?」
「だくちってなに? トレーネも知らないの?」
「聞いたことないかも」

 回っていたミュールが止まり、傘をずらしてトレーネを見上げる。そのトレーネはアビスと呼ばれた少女の方へ視線を向けると、少女は困ったように深い溜め息を吐いた。

「濁地の魔物とは、……耳障りが悪いわ。飛び地の方がマシかしら」
「飛び地? トレーネ、とびちってなに?」
「飛び地はさすがに知ってるよ。アビス様の領地のことでしょ」

 どうやら少女はトレーネより立場が上らしい。トレーネは少女を様付けで呼んでいるし、少女の見た目に反して落ち着きが有りすぎるので、もしかしたらかなり年上の可能性も出てきた。
 しかも領地って言った? 濁地の魔物と呼ばれていたのは覚えているが、もし領主だとしたら、魔物の中でもとっっっても身分が高い魔物なんですけど。

「濁地も飛び地も、両方とも意味は同じよ」
「そうなんですか?」
「濁地は魔界では使われない呼び名だから、魔物のトレーネが知らなくても無理はないわ。濁地は澱み濁った土地、つまり瘴気に汚染されてしまった土地のことを言う人間界の言葉よ」
「……魔界のことでは?」
「魔界ではなく、人間界に瘴気が沸いている稀有な土地のこと。──つまり、私の領地ということになるわね」
「ミュール、むずかしいことわかんない!」
「難しかったかしら?」

 濁地の魔物と人間は、持ちつ持たれつの関係だ。
 有害な瘴気を人間にはどうすることもできない。触れることもできなければ、触れて病んでしまった者を治すこともできない。それを打開できるのが、濁地の魔物だ。
 契約──、一応は契約ということにしているが、濁地の魔物の好意によって成り立っている関係で。人間は人間界に濁地の魔物が住むことを公認するかわりに、濁地の魔物は人間界に湧き出た瘴気の無効化を行う。もし規模が大きい場合は、濁地の外へ瘴気が出ないように管理し、また、瘴気によって病んだ人間の治療も行っている。
 濁地の魔物は総じて人間に友好的で、人間と争ったりしないし、逆に人間の下で働いたりして馴染んでいる魔物もいると聞く。
 機会があって濁地の魔物と同席したことがあったのだが直接は話してないので、こんなにも人間に寄り添った考えを持ち、粗暴な魔物らしからぬ魔物もいるのかと驚いた。

「正確にはこれは氷魔法と言えないんですけどね」
「氷柱は氷じゃなくて?」
「指先からちゃんと離せないとダメなんですよ」
「ふぅん、こんなに美しいのに?」
「チカ領では認められないです。未熟で半人前だと言われますね」
「氷魔法は美しい。──人間も、人間界も美しいのに、争いが消えないのはなぜかしら?」

 それは人間と魔物だけじゃない。同じ種族の人間同士でも争いは絶えないし、今日のような魔物内での諍いのことも指しているのだろう。
 魔物のことはわからないけど、人間のことについては激しく同意だ。他人だけでなく家族で憎み合ったり、親族で殺し合ったりもする。人間同士、仲良くできればいいのに。

「私は人間も、人間界の文化も、もちろん魔物も愛しているわ」

 戦はもう懲り懲りだ、とアビスは続ける。
 くるくると回していた傘をぴたりと止めれば、落ちてきた氷柱が傘に跳ね返されて粉々に散っていく。普通なら破けてしまいそうなのに、いったいどんな材質の傘なんだろうか。
 ツヴァイの慄きなど露知らず、少女はゆっくりと書庫とは反対へと歩き出す。戦は懲り懲りだという魔物はどこへ向かっているのだろう?

「さぁ、私たちも向かいましょうか」
「どこいくのー?」
「ってか、さっきの侵入者は逃げたのかな? どこ行ったんだろ」
「予定通り、侵入者は大広間へ向かったわ」
「「「……え!?」」」

 ミュールとトレーネ、ツヴァイの三人共々の声が重なった。告げたアビスはどこ吹く風、飄々と氷柱の下を歩き、危険な散歩を楽しんでいる。

「予定通りなの!? 魔王サマ危ないの!」
「早く避難しよう!」
「アビス様がいるなら百人力だから、得意の空間移動魔法で追いましょう!」

 ミュールとトレーネにじーっと睨まれる。だってトレーネは戦闘向きじゃないと言ってたし、アビスという少女に戦う術があるのか謎だ。ミュールもいるんだし、逃げた方が安全に決まっている。
 しかし、俺以外の三人の見解は違くて。

「魔王城以上に、魔界で安全な場所はないと思うし」
「ミュールもトレーネも一緒だし、安全だよ!」
「今は人間界の方がキナ臭くてよ」

 言われて返す言葉もない。
 しかし耳慣れない言葉が聞こえた。──空間移動魔法? 風の魔法で移動することは可能だが、距離によっては時間が掛かるし空間移動魔法とは言わないだろう。もし、空間を簡単に移動することができるのなら、とても便利な魔法と言える。

「空間移動魔法を使うなんて、風情がないわ」
「……ふぜい、ですか?」
「魔界ではなかなか聞けない雨音よ? 聞かずに行くつもり?」
「正確には雨音じゃないんですけど」
「同じようなものじゃない」

 少女は楽しそうに氷柱の下を歩く。足元だって滴った水でびしゃびしゃなのに、それすら楽しそうだ。

「ふふふ、雨音を聞きながらまた氷魔法が見られるなんて、最高だわ」

 ……ほんと、今日だけで魔物らしからぬ魔物とたくさん出会って疲れてしまった。早く家に帰りたい……、いや、今日中に帰れそうにないけど。
 傘を差して、仲良く歩くアビスとミュールの後ろに付いて行く。ここに放置されても困るから。魔王城の真ん中で絶望を叫んじゃうぞ。
 そんなツヴァイにアビスは新たに取り出した傘を手渡す。これで三本目だぞ、どんだけ傘を持っているんだって。

「安心して、この傘は私の手作りで、キングスライムの襲来にも耐えられるわ」
「どんな強度だよ……」

 そんじゃそこらの盾より優秀だった。重くなく、逆に軽すぎる傘の材質が気になったが、教えてもらったところで怖さが増すだけなので、黙って三人の後に付いて行くことにした。
 逃げることもできたけど、本来の目的は魔王を倒すことだから。魔王の顔をチェックしておくのもいいだろう。
 足元の水は冷たいながらも澄んでいて、魔界らしからぬ透明さで驚いた。なんでも氷魔法に使う水は純度が命なんだそうだ。不純物が入っていると、濁った氷ができて凍りにくいんだとか。氷魔法は奥が深い。



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