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 魔物同士の戦いにおいて魔法は邪道だった。
 いや、正確には邪道であると軽んじられ、蔑ろにされる傾向がある。──目に見えて優劣が解りやすい腕力によって、喧嘩や小競り合いの勝敗をつけることがほとんどだからだ。
 ちなみに対話で和解することは全くと言っていいほどない。魔物が粗野で野蛮だと称される理由だと思っている。
 魔力は生まれた時から大きく変動することはない。魔物も人間もそれぞれ魔力のキャパシティがあり、限りある魔力を効率よく使い、魔力切れをしないようにするのがポイントになる。
 ──そう、魔力が少ないと、どうあっても、何をどうこうしてみても魔力の総量を増やすことは不可能で。結晶石などのアイテムを使って底上げするしかない。魔力が少なくてもそれなりに大きな魔法が使えるようになるし魔力切れも起きにくいが、結晶石を作るというちょっとした技術が必要となる。魔物は手先が不器用なので、こういう細々とした作業が不向きで苦手な者が多い。
 そもそも持ち合わせた魔法属性が違えば競うのは難しいので、腕力による対話一辺倒になってしまうのだ。魔法を使いすぎて枯渇したとしても、体力が残っている限り揮える腕力──己が拳こそ至上という考えが根本にある。
 ゆえに魔物は魔法を軽んじる傾向がどの地域にもあるのだが、魔界の最北にあるチカ領は事情が異なっていた。
 すぐ傍にある地獄に怯えながらも生きるためには、腕力ではなく魔法が必要不可欠だったのだ。
 身を守るために、家族を守るために、──家を、村を、街を、日常を守るためには氷魔法が必要で。氷魔法を以てして領主を決めるほどに、チカ領では氷魔法は絶対となるものだ。

「まだ膂力が一番だと思ってるの? 先代魔王サマの周りって、ほんと単細胞の集まりばっか」

 バキバキッ──と、トレーネの怒りに呼応するように大きな音を立てながら、壁や天井を氷が覆っていく。手から離れた氷を操るのは操作技術も必要になるが、手が氷にどこか一か所でも繋がっていれば、伝播するので操作技術もなく簡単に氷は作れる。
 氷を身に纏うなど、造作もないことだ。
 煽るように手を握ったり開いたりしながら、トレーネが不敵に嗤う。その掌は氷魔法の影響だろうか、パキパキと音を立てて纏った氷が成長を続けている。
 氷拳は氷魔法と武術の融合みたいなものだが、トレーネに武術の心得はない。ただ、我武者羅に振るう拳に氷魔法を纏っているだけだ。──けど、それが見たことのない型のように賊からは見えるのか、ハッタリには最適だった。
 こんな子供騙し、チカ領では通用しないのに。

「……ほんと、馬鹿ばっかりだね」

 誰も、先代魔王を諌めなかった。
 無能な大臣に、持ち上げるだけの取り巻き、知能の低い魔王。
 武と争いを好み、人間界との国境付近で無益な小競り合いを発生させて、人間だけでなく多くの魔物が死んでいった。
 瘴気のない人間界で魔物は暮らせないというのに。策も益もない領土拡大に誰もが反対した。

「……たら、」

 たらればを言い出したらキリがない。
 意味はないと解っているけれど、どうしても抑えられなかった。
 何度も叫んだし、兄と片割れの代わりに何度も泣いた。泣くことしか出来ない、今とは違う無力な子供だった。

「戦がなかったら、俺の父は死ななかった」

 父が死んだのは、己が統治するチカ領ではなく、助っ人として呼ばれた隣のバジ領の、人間界との国境付近の戦場だった。
 なぜ他の領地に応援に行くのかと、遠征前の父を詰めた。チカ領は地獄に面しているが人間界には面していないので、人間との争いは無経験の者が多い。行っても大きな戦力にはならないだろう。
 助っ人としてちょっと様子を見てくる、母さんが寂しくなる前には戻るからと少し愁いた顔で側近のラダと二人で出掛けた父は、そのまま生きて戻ることはなかった。

「俺の父だけじゃない。ラダも大怪我しなかったし、クーアの兄だって死ななかった」

 冷たい骸を抱いて泣くトレーネを、同じく親族を亡くしたクーアがそっと寄り添い、慰めてくれた。

「救えなくて、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに、昏く、静かに謝るクーア。
 ──違う、そうじゃないだろ。責められるべきは戦で、根本の魔王の我儘で、クーアは何も悪くないのに。

「──…だから俺は、……俺たちは。起因となった先代魔王を憎むし、争いはこれからもずっと、起こしちゃいけないんだ」

 ガッシャン!!と何かが割れるような大きい音が廊下に響く。割れたのは天井から落ちてきた大きな氷柱(つらら)で、気付けば高い天井には所狭しと大小様々な氷柱が吊り重なっていた。

「どれが落ちるかは俺にもわかんないけど、やっぱり大きいのから落ちるのかな? ……爆ぜろ」

 トレーネの呟きとほぼ同時に、氷の中心に佇むトレーネと、ツヴァイとミュールがいる水の結界を避けるように氷柱が大量に侵入者へと落下し始めた。ガチャン、ガチャン!と幾重もの氷柱が落下し、その飛沫と破片で視界が悪くなる。しかし、どこに落ちてくるかは予想不可能なので、無闇矢鱈と動き回ることも出来ない。
 侵入者はどうなってしまったのだろうか。潰されたり、最悪は氷柱に貫かれたり、圧死することもあり得るのだが、ひときわ大きな木の幹ほどの氷柱が落ちて爆散し、その風圧で目も開けていられなくなってしまった。服の袖口で顔を覆い、跳ねる氷の破片をやり過ごす。
 氷柱の落下が終わり静かになるころには、侵入者の影はおろか遺留品の一つも落ちていない。どうやら侵入者は退散したようで、ただ砕けた氷が散乱しているだけだ。
 氷の破片を蹴りながらトレーネは思慮する。予定通りの囮役は担えたのだろうか、これで良かったのだろうか、和解することはどうしても出来なかったのだろうか、──と。

「……囮役は、ちょっと失敗したかもなぁ」

 第一はミュールの安全を確保し、人質にされたり怪我をさせないことなので、一応目的は達成できたとは思うけど。侵入者たちはこれから魔王へと矛先を向けるであろうことを考えると、最善の一手ではなかったのかもしれない。
 少し落ち込むトレーネを、後ろからツヴァイが勢いのまま抱きつく。

「トレーネ! 怪我はないか!?」
「怪我はないかな。もう、大丈夫だよ」
「氷魔法って、すごいね。こんなに大きな氷柱、初めて見た……」
「人間界には氷魔法ってないの?」
「ない! 氷って、魔法で作れるんだ!って感じ」
「へー、人間って器用そうなのに。意外」
「……床、いっぱい壊しちゃったね。トレーネ怒られちゃう?」
「ミュールは俺の心配もしてよー。壊したとこは修理してもらうから平気でしょ」

 のほほんと、背後にツヴァイを張り付けたまま、トレーネとミュールは壊れた床や壁をぺたぺた触りながら会話している。いや、壊してしまった床や壁の現状認識も必要だとは思うけど。

「逃げた奴らを追わなくていいのか!?」
「残念だけど、俺はほんとに戦闘向きじゃないのよ」
「トレーネ! 早く魔王サマのとこ行こう!」
「急がなくても大丈夫。魔王サマが直々に迎え撃つって、」
「魔王サマが危ないの!?」

 きょとんと、あどけなくトレーネが目を見開く。
 少し屈んで焦るミュールと目線を合わせると、頭を優しく撫でながらゆっくり言葉を続ける。

「大丈夫。兄上もツェーレもいるから」
「……二人とも、一緒?」
「うん、一緒。だから大丈夫。俺より強いし。──、あ、逃げたこと報告しないと」

 服の袖を捲り、腕の内側に爪で文字を書いていく。血は滲みこそしないものの、ひっかき傷のような文字は見ていて痛々しい。つらつら長く文章を書き進めると、文の最後にうっすら文字が浮かび上がってくる。そこは何も書いてなかったはずなのに、まるで誰かが文章を呼んで返事をしているかのようだ。

「……え、っと、」
「双子の片割れの腕に文字が浮かぶから、簡単なやり取りなら風の精霊を呼ぶより速いんだ」
「じゃあ、最後のそれは、……返事?」
「俺とツェーレは繋がっている。生まれた時からずっと、二人でひとつなんだ」
「……仲、良いんだね」
「まぁね。一番信頼できるよ」

 状況報告は終わったのか、腕を服にしまうトレーネ。どこか遠くを見ながら、寂しげに微笑む。

「足手纏いの俺は、囮役しか出来ない」

 自嘲するようなその微笑みは、今までのトレーネに似合わなくて。ミュールとツヴァイは慰めるように袖口を掴んで揺らす。

「トレーネは足手纏いなんかじゃないの!」
「すっげー強くてカッコよかったんだから、もっと自信持て!」

 ぽかんと呆けたトレーネが、やや時間を掛けながらも嬉しそうに笑う。こてんと首を傾げ、小さいミュールに視線を合わせながら。

「じゃ、俺よりもっと強くてカッコいい魔王サマたちを見に行こっか!」

 氷を纏っていた拳が溶け、トレーネの優しそうな手が現れる。でもその手はまだ、氷柱で出来たような切っ先の鋭い氷の剣を掴んで身構えている。

「……で、そこに残っているのはどなたでしょう?」
「へ?」
「まだ誰かいるの!?」

 三人が見つめる先の、廊下の先。
 黒い闇が、もぞもぞと蠢く。
 この場に残っているのは、三人だけではなかったのだ。



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