06



 お菓子を食べて、辞書をぱらぱら捲って。
 再び残っているお菓子をミュールと摘まみながら辞書を眺める。子供であるミュールは飽きもせず名前探しに付き合ってくれているが、はっきり言おう。残念ながら、自分が飽きてきた。
 気に入る単語が見つからないのだ。
 偽名は本名と似ても似つかないほうがいいだろう。連想できたら偽名の意味がない。
 だからと言って、脈絡もない単語を見つけて名前にしても、愛着がないので呼ばれても反応しないだろう。それでは本末転倒だ。
 一応自分の名前となるのだから、少しは愛着がなければと探し続けて、沼にハマってしまった。名前って、意外とムズカシイ。

「いっそお菓子にしちゃおうかなぁ。ミュールは何のお菓子が好き?」
「パンケーキもマドレーヌもクッキーも好きだけど、勇者をクッキーって呼ぶの?」
「……食べ物はやめるか」

 食べ物も嫌だし、動物も嫌だ。
 地名や人名は無難だろうが、あまりピンとこない。そもそも辞書に載っている地名は古い地名ばかりで知っている地名はほとんどなかったし、人名は過去の勇者や国王の名前しかなく使いにくすぎる。
 知り合いの名前をもじるのは本名バレしたときや、そもそも知り合いにバレたときが怖いので却下。ここまでくると打つ手なし、だ。

「へえ? 楽しそうなことしてるじゃん」

 書庫の入り口から声が掛かる。
 びっくりして振り向けば、そこにはさっきとは違う魔物が立っていた。
 青みがかった黒い瞳に、雪のような銀髪。白い肌とも相まって、その魔物は魔物なのに尖った耳以外は人間と同じような外見をしている。
 にっこり、魔物は人当たりのよさそうな顔で微笑むと、当たり前のように子供の隣に座って、バタッと机に倒れ伏す。
 魔物なのに、とても疲れているようだ。

「トレーネ! お仕事終わったの?」
「ううん、休憩しにきたー」

 仕事が終わんないよう、と魔物は情けない声で呻いている。
 この魔物といい、さっきの魔物といい、人間に対して警戒心ゼロなのは如何なものか。魔王城内とはいえ、無防備すぎるだろ。

「俺の紅茶はないの?」
「ない!」
「そんな笑顔で言わなくても。じゃあお菓子でいいや、ちょうだい?」
「ミュールのだからだめ」
「今日はケチなのね」
「……魔王サマは? まだお仕事なの?」
「なんか途中でサボってたみたいだけど、もうすぐキリがつきそうだったよ」
「まだ終わんないかぁ」
「で、辞書を使って何してるの?」

 人間向きの本はこっちじゃない? とある一角を指さされた。人間界の現況を考察する本や批判書、そしてなぜか昨日の夕刊が置いてあった。

「昨日の夕刊!?」
「あ? ああ、便利だよ。食べ物包んだり、紙飛行機を作ったり出来るから」

 ねー、とミュールに同意を求めている。使用用途が違い過ぎるのだが。
 というか、書庫にある夕刊で食べ物を包んだり、紙飛行機にして飛ばしたりしていいのだろうか。きっと過去の夕刊だと信じたい。

「こっちには今日の朝刊もあるよ」
「……これ、どうやって入手するんですか?」
「ヒ、ミ、ツ! ある闇ルートがあるんだよ、……むむむ、人間界も大変そうだねぇ。 第一王位継承者が失踪して、第二王位継承者の評判はすこぶる悪いって、魔界との協定もどうなっちゃうんだろう」

 しかも人間界の情勢に精通してた。
 昨日の夕刊や、今朝の朝刊を読んだぐらいでは知るはずもない情報だ。一応勇者として情報源が気になるのだが、素直に教えてくれるとは思えない。
 魔界に来てから知る由もなかった人間界の情報を、まさか魔王城で朝刊を読んで知ることになるとは。苦笑いを悟られないよう、さっと朝刊に目を通す。
 魔物が言った通り、人間界は荒れている。
 第一王位継承者は失踪したと言われているが、本当は無実の罪で処刑される一歩手前だ。第二王位継承者は現国王の諫言を聞かず、手を焼いているのは変わっていないようだし、これ以上悪化する前に人間界に戻らなければいけない。
 ──約束の、一年が終わってしまう前に。

「勇者の名前を考えてるの! オススメって、ある?」
「チカ領では水にまつわる名前が人気かな。ほら、トレーネの意味は涙だよー」
「ミュールの意味は、ゴミ!」
「それな、ちょっと反省してるから大声で名乗んないで」
「ミュール? ゴミ?」
「どっちも。ゴミ置き場にいたから仮に付けて呼んでたら覚えちゃって、変えられなくなっちゃったんだよね」
「そうなの?」

 きょとんとする子供とは対照的に、魔物のトレーネは悲しそうに子供の頭を優しく撫でている。
 わざとゴミなんて嫌がらせみたいな名前を名付けられたんじゃなくて、少しほっとした。
 ──愛されているのだと、伝わってくる。
 捨てた人間より、子供を拾った魔物の方が愛情深いなんて滑稽すぎるだろ。

「俺も違う名前にしちゃおっかなぁ」
「ミュールも違う名前にしようかなー」
「えー、魔王サマに付けてもらったのに?」
「やっぱりミュールでいい!」

 魔王に付けられたってだけで変えないのか。魔王の存在って、いなくても大きいな。
 というか、涙は水にまつわる名前といえるのだろうか。
 水分といえば水分だけど、涙って悲しいときに流すか負のイメージが強い。うれし泣きもあるとはいえ、涙は涙に変わりない。
 そもそも、魔物にも涙の概念があることが驚きだ。

「てか、辞書をまた盾代わりに使った?」
「……使って、ない」
「本を盾代わりに使うのはやめなさい。この前あげた鍋のフタの盾は?」
「だって、もっと大きな盾がいいの!」
「ふーん。重くない?」
「重くても、大きくないと魔王サマを守れないもん」
「じゃあ、次はフライパンにしよっか」
「そういう問題じゃないのにー」

 魔物はむくれるミュールの手から辞書を恭しく取り上げると、労わるように優しくページを捲る。
 この魔物の所作はなぜか気品があって、魔物というか貴族っぽい。魔族、というやつだろうか。

「気になる言葉は見つかった?」
「特に見つからないです。治療とか、単語がいいんですよね?」
「まあ、動詞よりかは名前っぽいかな。え、治療ってことはクーアいたんだ? マメだねぇ」
「治療ってよりは、癒し系でしたよ」
「わかる! 俺もクーアに癒されたいわー」

 くすんくすんと泣き真似をしながら、辞書の最後の方のページを開いて渡される。
 付録、と書かれたそのページには数字や誕生月などが一覧で記されており、他にも専門用語が箇条書きで記されているようだ。

「あとはもう、誕生日に関わることとか、数字もありかも」
「数字……。なら、これかな」
「ツヴァイ?」
「そう、二つって意味」
「いいんじゃない? ……ツヴァイ」
「……うん。一つじゃなく、二つで生まれた意味がきっとあると思うんだ」
「わっかるー。だって、俺は双子だし」
「双子?」
「そ。全然似てないからわかりにくいけど、双子なんだよね」

 ──ひとつではなく、ふたつ。
 一人ではなく、二人だった。
 ここにいるのが偶然ではないように、二人で生まれた意味があったと信じたい。



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