05



 魔物が去っても、子供は何も変わらなかった。
テーブルの中央に置かれた小皿を引き寄せると、どれにしようかと食べたいお菓子を選び、これにした!と大きめなクッキーを頭上に掲げたかと思うと、美味しそうにクッキーを食べ始める。クッキーの食べかすが皿の上に落ちるよう、一応、工夫しながら食べているようだ。皿のおかげか、ボロボロとクッキーの小さな欠けらが落ちまくっているけれどもテーブルは汚れていない。
(食べ方……ってか、子供にはまだ無理か)
 汚さずに食べるのは子供とって難しい。ゆえに、妥協の皿なのだろう。
 食べる前のあいさつといい、食べ方といい、ちょっとは教育されているようだが、少しは居た堪れない温度差を感じてほしい。それこそ、子供には無理かもしれないが。
 無言の、若干気まずい中で、それでも自分の食べる手も止まらない。紅茶しかり、パンケーキしかり、冷めると美味しくなくなってしまうのだ。
 だから食べ続けるのは仕方のないことだと思う、……うん。
 気まずい空気の中で食べるパンケーキは、やはり美味しかった。

「……怒ってると、思う?」
「だれが?」
「さっきの、……魔物さん」
「怒ってないと思うよ? なんで?」
「……失礼なことしちゃったな、って」

 失礼なこと? と子供が首を傾げる。
 その手には次のクッキーが握られているが、これもおいしいから、となぜかそのクッキーを手渡された。
 ──…慰められて、いるのだろうか?

「名前の話? 名前を名乗らないのは、人間にとって普通じゃないの?」
「……まぁ、知らない人には名乗らないかな」
「ミュールもよく注意されるよ」
「えっ!?」
「うん。知らない人に名乗っちゃだめだし、付いて行っちゃだめなの」

 結構、魔物たちもちゃんと子供に教育していた。
 なぜ人間の子供が魔王城にいるのかは解らないが、何か理由があるのかもしれない。
 魔物に連れ去られてきたにしては懐いているし、子供が生活しやすいよう環境を整えているフシがある。
 理由はまだ聞いちゃいけない気がして、人肌に温められたクッキーをかじる。

「勇者は勇者って名前じゃないの?」
「違います」
「違うの? 魔王サマは魔王サマって名前だよ?」
「絶対違うだろ、それ」
「だから勇者も勇者って名前なんだと思ってた」

 どんだけ勇者の自意識過剰なんだ。
 勇者になったのはつい最近だし、なんなら勇者と名乗ったのはさっきが初めてだった。
 人間界を背負っているみたいで緊張したので、もう二度と名乗りたくなんかない。──人間界なんて、1センチも背負ってないけど。

「勇者も名前をつくればいいんじゃない?」
「そういう問題じゃないと思うけど」
「名乗りたいんじゃないの?」

 伝わっているんだか、勘違いしているんだか。
 まあ、魔物へ名乗れれば少しは変わるかもしれない。たとえそれが魔物に言われて考えた偽名だったとしても。
 子供はクッキーくずのついた手をパンパン皿の上ではたくと、ごそごそ辞書を持ってきて机の上で開いた。
 文字は読めないと言っていたのに、目的のページがあるらしく探す手つきに迷いはなさそうだ。ばさばさ勢いよくページを捲っているが、その本は貴重だと思うからもう少し丁寧に扱ってほしい。
 目的の文字を見つけたのか、子供がある文字を指さしている。

「これ! これがミュールの名前!」
「ミュールの名前もこの辞書から選んだの?」
「うん、これ。ゴミって意味だよ」
「……なんて?」
「ゴミって意味!」

 ──…おい、魔物。名付けセンスゼロだな。
 もっといい名前を付けてやれよ。
 前言撤回する。どんな理由で魔王城にいるか、今は聞いてはいけない気がしていたが、理由如何によっては子供を連れて人間界へ戻ろう。魔王を倒すことが第一だが、こんな小さな子供をこのまま魔王城に置いていくなんてできない。
 子供特有の、小さな指を見つめながら問い掛ける。

「なんで魔王城にいるの?」
「ここはミュールのおうちだから!」
「……家、なんだ?」
「ミュールはゴミ捨て場に捨てられていたの。魔王サマが拾ってくれなかったら、たぶんそのまま死んでたと思う」
「ゴミ捨て場……」
「だからミュールは魔王サマを守る勇者になりたい」

 きらきらした、大きな子供の瞳が責めているようで痛い。
 この子供を捨てたのは人間だけど、それを拾って育てているのが縁もゆかりもない魔物だなんて。
 殺しもせず、見捨てもせず。
 違う種族の人間と魔物、育てるのは容易ではないし、いろいろ苦労やわからないこともあったはずだ。そんな人間の子供を、魔物の王たる魔王が自ら育てているなんて。
 同じ人間として、とても恥ずかしい。
 人間よりも魔物の方がこんなにも慈悲深いじゃないか。
 今からその魔王を倒そうとしている自分が矮小に感じる。
 しかし、こちらにも深い事情があるし、時間もない。この子供には悪いが、なんとかして魔王を倒さなければ。
 事情を話せば倒されたりしてくれないかな? ──いや、さすがにそれは無理か。
 じゃあ、さっきの魔物を泣き落としたりしたらなんとかならないかな? 正攻法で倒せるとは到底思えない。
 自分でも解っているんだ。あまりにも不利だし、勝率がなさすぎる、って。
 だからどうにかしたいけど、時間があまりにも足りな過ぎて、このままじゃ誰も救えない。
 力もない、決断力もない、……優柔不断すぎる自分が嫌になる。



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