04



 パンケーキはどうやら魔物が焼いてきたらしい。
 少し焦げてしまったと落ち込む魔物を、子供と一緒に慰める。食べれるし問題ない、生よりか健康的だ、いつもより焦げてない、なまっちろいより焦げ目があったほうが美味しそうだ、……などなど。
 いつもはもっと焦げているのか、と思いながらパンケーキを食べ進める。ほんとにお世辞抜きで美味しいのに。こんなに美味しくパンケーキを焼けているなら、落ち込まなくていいだろ。
 保存食しか食べていなかったのもあり、パンケーキはとても美味しく頂かせてもらった。生クリームとベリーという生ものが魔界にもあったのには驚いたが、子供のために調達しているのだろう。クッキーにもどうやらチョコレートが練り込まれており、かなり食事に気を遣っているのが解った。
 食事だけじゃない。この部屋も、警備は杜撰だが子供のためにちゃんと整備されているのが解る。
 魔界は瘴気に満ちていて、短時間なら支障はないが長期間の滞在は瘴気を取り込んでしまうので人間には耐えられない。ゆえに、風の精霊の力を宿した結晶石を装飾品として体のどこかに纏う必要があるのだ。
 一般的には首飾りとして身に着けたり、ピアスへ加工することもある。
 この書庫は壁にある燭台の下に風の結晶石が下げられているようで、とても瘴気が薄い。子供自身も身に着けているようで、呼吸の苦しさはないようだ。

「勇者、パンケーキ食べない?」
「美味しいから味わって食べてるの。……ちょっと食べるか?」
「いいの!?」

 パンケーキは二枚もある。一人で食べ切れない量ではないが、元は子供が食べるはずだったものだ。全部を一人で食べるのは忍びない。
 食べられるとわかった途端、子供はそわそわ体を揺らし、パンケーキを近付けると大きく口を開けてあむっと美味しそうに食べてしまった。見事な食べっぷりに感動して、無意識に何度もパンケーキを食べさせていた。

「パンケーキ美味しいよ!」
「うん、美味しい」
「焦げ目気にしすぎなのー。また明日も焼いてね!」

 魔物は焦げていても食べられるし、味に頓着しないので人間の味覚に合うのか心配になるらしい。
 もちろん、作った張本人である魔物にも食べてもらった。そんなに焦げてなくて美味しいと思う、とほっとしていた。
 ──なんだ、これ。魔物っていうか、普通の人間みたいに喜怒哀楽があって、拍子抜けしてしまう。

「いつもパンケーキを焼いてるの?」
「まぁ、最近は毎日……か」
「美味しいから毎日食べたいのー」
「飽きない?」
「飽きるまでいっぱい食べるからへいき!」

 魔物が無言で頷く。言葉は少ないながらも、感情が解りやすい。しかも言葉は丁寧で、聞いたことは厭わずに教えてくれる。それも魔物っぽく感じないところなんだと思う。
 怖いイメージしかなかった魔物に、どんどん既視感を持っていく。

「ここは書庫なの?」
「そうだ。魔物は契約時以外は文章を残す文化がないので、ここにある本のほとんどは人間の本だな」
「すごい量だね」
「たぶん、この書庫の蔵書数は魔界随一だと思う」

 自信があるんだか、ないんだか。
 魔王城にいる時点できっとすごい魔物なんだから、もっと誇示してもいいのに。威張り散らさないのはこの魔物の良いところだけど、逆にちょっと自信がなさげなところと物事を悪く考えてしまいがちなのは悪いところかも……。
 机の上に無造作に置かれた、子供が盾として持っていた本を手に取る。人間の本だと言われたが、見慣れない言葉が書かれていたのでずっと気になっていたのだ。

「──…この本は?」
「人間が捨てた、古の言葉だ」
「人間が捨てた?」
「今は使われていないそうだ」
「……確かに、見たことない言葉かも」
「よく使われるので、手前に置いてあるからミュールが盾にしやすいのだろう」
「よく使うの?」

 ぱらぱらと本を捲る。確かに使い込まれていて、あちこちに文字をなぞった跡や付箋代わりであろう紙が挟まったりしていた。
 しかし、よく使う理由が解らない。

「神も人間も捨てた言葉だ。我々魔物にとって、これ以上相応しい言葉はないだろう」

 魔物は自嘲したような、寂しげな表情を浮かべながら本を見つめる。
 人間と魔物の言語は共通なので翻訳は必要ない。だからこそ、この本の言葉は魔物も使っていないはずなので、一体どこで使っているのか想像が出来ない。

「魔物には真名、というものがある」
「まな?」
「まことな、ともいう。親が授ける名前とは別の、魔物が生まれたときから持っている真実の名前だ」
「生まれたときから持ってるの?」
「魔物なら誰しも持っていて、知っているのは己だけだ。その真名は、真名の魔物のすべてを縛る。ゆえに、真名は誰にも明かさず、通り名を使うのが一般的だ」
「通り名」
「流行りはこの辞書の単語だ。生まれた意味のない魔物が、神に見捨てられた言葉の名前を持っているのは滑稽だろう?」

 ──人間には、まったくない概念だ。
 たぶん、人間と魔物とで契約したりするときに使われるのが真名になるのだろう。魔物と契約なんて大層なこと、やったこと自体ないけど。

「ちなみに、私の名前の意味は治療だ」
「あー、ぽいかも。治療というか、癒し系というか」
「……癒し系?」
「なんか、ほんわかして幸せになれるなー、って」

 ミュールは幸せだよ! と子供が笑いながら答える。魔物と話しているのに、人間が珍しいのか、もしくは勇者が珍しいのか。ちょいちょい子供が会話に割って入っては答えるので話が進まない。
 でも、そんな子供を魔物は微笑みながら見つめているので、話が脱線しても、それこそ途切れようとも怒ったりしないし、むしろ喜んでいる節がある。
 ──……え、ほんとに魔物と人間だよね?
 関係性が全然解らない。
 子供は何も考えなくていいから楽しそうでいいな、と思いながら温くなった紅茶を啜る。

「みんなには幸せになってほしい」

 魔物が子供を撫でながら呟いた。きっと、先ほどの会話の続きなのだろうが、子供を抜きにしてもこの魔物の会話のテンポは独特だ。
 脱力するというか、のんびりゆるくなってしまうというか。
 それが嫌じゃなくて、もっと話していたいと思ってしまうから不思議だ。
(みんなには幸せになってほしい、か)
 ──…じゃあ、自分の幸せは? とは聞けなかった。自己犠牲を了承している魔物なんて、今まで見たことがなかったから。
 他人はどうでもいい。自分のために、いや、自分だけのために他を陥れて魔物は成り立っていると教わった。
 この魔物は、そんな常識から逸脱している。

「勇者も使うといい」
「……なんで、」
「魔物に、本当の名前を教えたくはないだろう?」

 少し、悲しそうに魔物が微笑む。
 ──あぁ、そうだった。魔物や子供はなんとなく名前を教えてくれていたのに、自分は名乗ってすらいなかった。
 魔物は最初から解っていたのだろう。勇者である自分がこの魔王城に訪れた目的も、意味もすべて。
 それを指摘もせず、優しく接して内側に入れようとしてくれていた。
 この魔物は優しすぎる。優しすぎて、凶悪な魔物の中でやっていけるのか心配になるが、たぶん魔物たちもこの魔物の優しさに救われているのかもしれない。
 本を置いて、魔物が立ち上がる。
 きっと元いた場所へと戻るのだろう。
 掛ける言葉が見つからなくて、子供と二人、去っていく魔物の背中を無言で見送った。



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