02



 銀色だろうか。太陽の光が届かない魔界の、明かりの乏しい魔王城の暗い廊下でも判別できる、きらきら雪が散るような白銀の髪色。まんまるで大きな赤い瞳。
 耳も爪も尖っていないので、魔物が化けているのなら精巧だと思う。どこからどう見ても人間にしか見えない。
 ──…いや、きっと人間だ。
 小首を傾げるしぐさに、ぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねて笑う表情。魔物には化けることはできても真似ることは出来ないだろう。
 しかも、ただの人間じゃない。
 正真正銘の、魔界の最深部である魔王城にいるはずのない無垢な人間の子供。

「ミュールは、魔王サマを守る勇者!」
「……魔王は強いから、守らなくてもいいんじゃない?」
「やだっ、守るのー!」
「しかも勇者って……、えっと、それって勇者じゃなくね?」
「勇者だよ! あってる!」

 ずいっと分厚い本を差し出される。どうやらこの分厚くて持ちにくい本を開いて盾代わりに遊んでいたらしい。小さいし、重くて守りにくだろう。鍋のフタとか木の板とか、もっと楽に持てて盾らしい物があっただろうに。
 分厚いただの本だと思っていたそれは、使い古された辞書だった。
 辞書を受け取り、ぱらぱらと捲る。笑えるほどに、ほんと変哲のない言葉の意味を書き記してあるだけの辞書だし、案外重くて片手で持っているのがしんどい。
 ゆ、ゆ、ゆ……、勇者の単語を探して辞書を捲っていると、胸元にある子供の頭がぴょんぴょんジャンプする影響で揺れ動く。どうやら辞書を一緒に読みたいらしい。

「……字、読めるのか?」
「読めない!」
「おい。見ても意味ないんだから大人しくしてろって」
「今日は読める気がする」
「気がするじゃないし。読めないもんは読めないから」
「読めなくてもいいの!」
「意味ないだろ。なんでそんなに見たがるんだよ」
「だってこれ、ミュールの盾だもん」

 飛び跳ねるだけだった子供は、とうとう腕を引っ張って辞書を見ようと躍起になっている。子供の気持ちの変化には付いていけない。
 一度、辞書を返そう。文字を探すのに集中できないし、子供相手に勇者として大人げなかった。辞書を返すため、開いていたページをばたんと閉じる。厚めの固い紙で装丁された辞書は、腕を引っ張られていた影響か、ドスっと足元に落ちてしまった。
 足に直撃しなくて良かった、重くて分厚い本だ、当たっていたらさぞ痛かっただろう。落とした辞書を拾おうと身を屈めたところへまた強く腕を引かれた。あっ、と倒れそうになるが、反射的に反対の手を床に着いてなんとか持ちこたえて座り込む。

「ミュールも見たい!」
「……文字、読めないんだろ。見たって意味ないってば」
「ミュールも! み、る、の!」

 子供の目は真剣で。諦めさせるのは無理そうだし、断ってもきっと折れないだろう。
これ以上、不毛なやり取りを続けるのも疲れるだけで得策じゃない。
 足元の、石畳に落ちた辞書は拾わず、見やすいようにそのまま広げて勇者の単語を探し始める。深くうなだれた自分の頭と、覗き込んだ子供の頭がぶつかったが無視だ。二人の影で辞書の文字が探しにくいし、子供が石畳の上に寝転んで足をぶらぶら揺すっているが、それもまるっと無視して無心で探す。

「あ、あった。勇者って書いてあるだろ」
「どこどこどこ?」
「ほら、ここ。これが勇者」
「これが勇者?」
「そう。──……勇者。勇気のある、ひと」
「ミュールの言ってたこと、あってるでしょ?」
「うん、あってる……、けど」

 勇者とは本来そんな意味だったのか。
 自分が知っている勇者は魔王を倒す存在で、魔物の天敵のはずなのに。
 人間だけじゃない、この辞書の一文があっているなら、勇者は人間だけでなく魔物だって勇者になれる。ひと、と書いてあるのがちょっと引っかかるが。

「……勇者に、なりたいの?」
「勇者は勇者になりたくなかったの?」
「どうだろうな。……まぁ、勇者になれるとは思ってなかった」
「ふぅん」

 子供の木の枝よりも細い、小さな指が勇者の文字をなぞる。
 この小さな子供は魔物に見えないし、魔力も感じられない。ただの、人間の子供にしか見えないのだが。
 ──魔王を守る勇者だというなら、それはたとえ人間の子供だったとしても敵ではないだろうか。

「ミュール」

 石畳に寝転ぶ子供が、呼ばれて顔を上げる。
 声のした廊下の奥からは、蝋燭とポットを持った人間でいう青年のような恰好をした魔物がゆっくりと近付いてきた。
 黒い髪に、黒い瞳。──闇から出でし、魔物という概念そのままの魔物。
 だが、その声は穏やかで。子供の名前を呼ぶ声も、子供を見つめるその眼差しも、魔物とは思えないほど慈愛に満ちていた。

「──…客人、か」
「うん! ミュールとおんなじ勇者なの!」
「勇者。……勇者が魔王城に来るのは珍しいな」
「珍しいの? 何日ぶり?」
「数えていないから、ちょっと解らない。ミュールが会ったことないのなら、ミュールの年より上じゃないか?」
「ミュールより年上!」

 魔物は持っていた蝋燭の灯を廊下の燭台に移し、寝転がっていた子供を辞書ごと抱きかかえる。辞書も子供もそれなりに重いだろうに、なんの苦も無くいつも通り、これが当たり前かのように抱え込む。きっと石畳に寝転んでいたので、子供とはいえ体温が下がってしまったのだろう。熱を分けるように、ぎゅっと抱きしめる。
 ──これではまるで、親子のようだ。
 息を、言葉を飲み込む。人間の子供と魔物だ、そんなはずないと頭では解っているのに、二人の優しい空気にのまれてしまう。

「石畳の上で本を読むのは、暗いし冷たいだろう。書庫に案内してさしあげなさい」
「しょこ?」
「いつもおやつを食べる、本がいっぱいある部屋だ」
「はぁーい。勇者、こっちの部屋いこー」

 子供が指をさしたのは、二人で辞書を見ていた場所のすぐ近くで。二人の後を追って部屋の中に入れば、ずらっと並べられた本棚にたくさんの本が並べられていた。



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