02



 方位磁針をぶらんぶらん揺らす。
 地図はもう見ない。見ても意味がないから、地図は出さずに方角だけ確認する。砂と砂山ばかりの風景に飽きてきた。早く他の人工的な建造物や固有建築を見たい。たとえそれが瓦礫や壊れたガラクタだとしても、誰一人として見つけることが出来ない砂漠よりかは落ち着くだろう。──安心は出来ないが。
 真上にある太陽を睨みながら、方位磁針をぎゅっと握りしめる。方角はこっちで合っているはずだ。
 ああ、握りしめた磁針が熱い。
 それとも、炎天下で歩き続けた自分の体温がおかしくなってしまっているのか。熱くてふらつく。本当はもう歩きたくない、ここに座り込んでしまいたい。
 汗で滲む視界と、なんとか立っている足を叱咤して振り向く。
 凛と、静かに佇む人影にほっとする。連れは俺より大荷物を背負っているというのに、思ったより元気そうだ。
 外套と目深まで被っている日除けの帽子のせいでいつもの赤い瞳は見えないが、黒髪の長くて細い三つ編みが風に揺れる。いや、首を振っているからか、ぴょんぴょん揺れるというよりか跳ねていた。

「ユズ。もうちょっと歩けるか」
「──…オレは大丈夫だけど、水稀の方がキツそうだ。ちょっと休もう」
「こんな直射日光の中で休めるか、っての」
「そうか」
「あー、けどな。歩いてもなんにもないもんな」
「オレが影になる」
「あ?」
「オレが影を作るから、日陰で休め」

 ユズが背負っていた荷物と引きずっていた寝袋一式を砂山に放り投げ、被っていた砂除けの外套を脱ぐ。外套の下は薄手の長袖と、砂が入り込まないようにとブーツの中にジーンズの裾をつっこんだ軽装だ。帽子を取らなかったのは偉いと思うが、日に焼けるので外套を脱ぐのは止めてほしい。
 けど、さっきよりもユズの顔がよく見える。
 静かに、しかしそこには確かに燻った炎を秘めた赤い眼が曇り無く、自分だけを見つめていた。
 そう、ずっと、ユズは水稀しか見ていない。──水稀しか、興味がない。
 他はどうでもいいのだ。この滅びゆく世界のことも、砂漠も、暑さだってどうでもいい。
 水稀がいるから、少しでも長く一緒にいたいと願い、生きているだけ。
 ──それだけ、なのに。
(儘ならないなぁ……)
 外套を広げ、ばさばさ仰いで風と影を作ろうと一人必死なユズ。そんなユズを見ていると、ユズには悪いけど可愛すぎてしねる。いや、こんなとこで死ねないけど。
 小柄なユズでは、たとえ外套を使ったとしても人一人が休まるような影は日が暮れて影が伸びない限り作れないだろう。
 それでも、その優しさが嬉しかった。

「わかった」
「うん?」
「俺が日陰作るから、二人で休もう」

 ぱたりと、ユズが止まる。
 役立たずだと無言で落ち込んでいるようだ。
 しょぼんと立ち尽くし、さっきまで活発に揺れていた三つ編みも動かなくなってしまった。

「あー、いや、違う。ユズも疲れてそうだし、一緒に休憩したいだけ」
「…うん」
「少し楽になったよ、ありがとう」
「──…うん!」

 にへへ、と嬉しそうにユズが笑う。
 ほんとくそ可愛いな。誰だよ、こいつに死神とか意味わかんない渾名なんか付けたやつ。いつもユズの可愛さに殺されかけているのであながち間違っていないけどさ、ネーミングセンスないよな。
(……さて、と。何を育てようかな)
 あんまり使うべきじゃないけど、背に腹は替えられない。
 果ての砂漠を彷徨って早三日。
 こんな砂漠のど真ん中では安心して休めないため夜は交代で仮眠している。以前、軍隊に所属していたユズは灼熱の砂漠も短い睡眠も夜の見張りも慣れているようで目に見えた疲労は感じない。
 逆に水稀は通常営業で長期的に軍から追われているとはいえ元々は一般人だ。暑い砂漠に慣れていないし睡眠不足も重なって体力の限界は近い。
 途中の廃村の涸れていなかった井戸で水は補給したとはいえ、簡易食はほとんど食べ尽くし、非常食は残りわずか。この持っているカボチャやらヒマワリの種だって腹は膨れないとはいえ非常食になるし、乾燥させたアンズやモモだって食べられる。食料になる種や実は使いたくない。いっそ、場所をとりまくっている枝や葉を使って簡易ログハウスでも作ってしまおうか。
 水稀はごそごそ背負っていた鞄をあさる。思ったより枝を持ってきていなかったので、火を着けて薪や篝火にできる枝はやっぱりやめよう。
 手に取ったのは、分厚い本だ。本は樹木の辞書で、文字だらけで挿し絵や図解もない。実は読もうとしたことはあるのだが漢字が多く、難解な熟語ばかりで読みきってはいない。何度開いて読もうとしても読む気が起きなかった。ミステリー。
 この本に深い意味はない。大切なのは、それぞれのページにランダムで挟まれている何十、何百枚もの大量の葉や落ち葉の方だ。水稀が今まで蒐集したそれらは、蒐集した場所と日付がページの隅に書かれており、本自体は読む気がないので辞書としての機能はすでにない。葉を保管しておくのに、分厚い辞書が丁度良かっただけだ。
 千切れないように注意深く、一番上の未だに緑色の艶っとした葉を手に取る。柑橘系の匂いを感じるこれは、自分が一番好きな柚子の葉だ。
 
「んー、じゃあ柚子にしよー」
「枯れちゃうよ」
「二人で休憩する時間だけ保てばいい」
「この前も柚子だったね。そんなに好きなの?」
「うん、好き」

 なぜかユズが蹲る。無意識タラシってこわいだの、精神的に回復したけど心臓が痛すぎるだの、自制心を一気に消耗しただの早口でぶつぶつ言いながらじーっと遠くを見始めた。
 あれ? なんか俺、変なこと言ったかな?

「ユズは、柚子がそんなに好きじゃない?」
「……そんなに好きじゃ、ない」
「そっか。じゃあ違うのにしよっか」
「甘い実がなるやつとかどう?」
「実?」
「水分補給も兼ねて。水稀も甘い実、好きでしょ?」
「スイカとかメロン?」
「…影、できないけど水稀が食べたいなら」
「ああー、影か。そうか影」
「ほんと、水稀やっぱりヤバイんじゃない?」
「だいじょうぶだって。うん、だいじょうぶ、モモかミカンかレモン…」
「レモンは甘くないし。モモがいい」
「りょーかい」

 辞書の元あったページへ柚子の葉を戻し、種が入っているブリキの缶を開ける。食べ残しに見えるが、一応腐らないように洗って乾燥させてあるので清潔なはずだ。
 モモの種を一つ取る。スイカとメロンはスルーした。食べたいけど、ユズに止められたからモモだけでいいだろう。
 葉をいっぱい繁らすと実は甘くなりにくいんだっけ、けどしょっぱいモモも楽しそうだからどうでもいいか。
 いや、ユズが甘い実がいいって言ってた気がするから甘い実が成ってほしいかも。
 
「桃の木ひとつ、大きく育つ。
 繁る枝葉は重なり、大きな影を落とす。
 甘い実とろり、影の中へとこぼれ落ちる」

 手のひらにあった小さな種から、大きく巨木へと育っていくのを見るのはいつ見ても壮観だ。

 植物を育てるのは嫌いじゃない。
 ──カラタチという能力が嫌いなだけで。



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