02



 涙が涸れても、この声が嗄れ果てても。
 世界が閉ざされても、言葉が途絶えて消えてしまったとしても。
 君へ届くまで、わたしはずっと歌い続けるから。

「──……しんでしまう、そのときまで」

 なんちゃって、と茶化して床に寝転がる。悪いが死ぬまで誰かのために歌い続ける趣味はないし、歌うなら自分のために歌っていたい。
 けど、歌とは本来誰かに聞いてもらうためのものだと思っているので、やっぱり自分のためじゃなく誰かのために歌うしかないのだろう。自分しかいないこの部屋では歌う意味などない。無意味じゃん、と悲しげに自嘲して、ごろり、ごろごろと少しずつ速度を上げながら転がる。
 ごろごろごろごろ転がり続けて行きついた壁にごつんと額をぶつけて賢者タイム。微塵も痛くはない。痛くもないし、それこそ賢者なんて大それたものでもなければ、歌うことしか出来ない一般人です。
 ……ほんとは思っていたよりスピードが出てしまったので、ちょっとだけ痛かったのは内緒。額を指でさすりながら上半身だけゆっくり起こすも、ぱたり、と再び倒れるように俯せで寝ころぶ。冷たい床は気持ちいい。けど、無機質でひんやりとした感覚の床は痛くも感じた。

「もう、飽きちゃったよぅ……」

 同じ歌を歌うのに飽きてしまった。
しかも、何度も歌っておいてなんだけど、この歌は実はもしかしたらとても物騒な歌なのかもしれない。
 歌詞の意味など考えたこともなかったのでほんと今更だけど。死ぬとか生きるとかじゃなくて、もっと平和的な歌を歌いたい。

「んん? ……んーと、あれ、」

 考えてみたけど、いつも歌っている歌は物騒な歌ばかりだった。もっと明るくて可愛らしい、恋や恋愛だとかのほのぼの日常系の歌はないのだろうか。恋愛などしたことないので、歌えと言われても当惑してしまうだろうけど。
(ほのぼの日常系、……ねぇ?)
 元々、今いるこの場所が非日常的なのだから、考えても無駄なので目を瞑る。
 白い天井、白い壁、白い窓──…
 すべてが白い部屋で、これまた白いワンピースを着た少女が起き上がる。肌は日に当たっていないので不健康なほど白いが、髪は白くない。遠くから見れば光に反射して白く見えるかもしれないが、金髪だと思っている。瞳の色は、見たことがないから解らない。姿見などという便利な物は、この部屋に存在していないから。
 自分の容姿に興味はない。
 興味があるのは、この部屋の外にある世界。
 外は、汚染されているので人間が生きるのはとても大変らしい。
 それでも、外へ行きたい。
 何かを、──誰かが来るのを待っているのも、歌っているのも飽きてしまったから。
 リンはその名のような、鈴を転がしたような美しい声で話しかける。

「私は、いつまで、ここにいればいーの?」

 代わり映えのない白い天井、白い壁、白い窓。
 安全な部屋、安穏な毎日。
 ゆっくりと時間だけが無為に過ぎてゆく白い部屋で、連れ出してくれる誰かを待っている。
 そんな、退屈な毎日。

「……もうすぐ、ですよ」

 壁から、姿もないのに声だけが響いてくる。
 優しげな大人の女性のような合成された機械音の声は、スイという。ツルの一人である彼女は数あるツゲの人格の中でも温厚で平和主義らしい。争いを拒み、他のツルから隠れて行動しており、ひっそりとリンを匿っている。
 いや、匿っているという表現は正しくない。守っている、というのが一番的確だろう。
 リンが他のツゲに見つかってしまえば争いに巻き込まれ、悪用されてしまうのは目に見えている。使い方を間違えれば強大な武力になる、そんな力を有しているらしい。使ったことがないので知らないけど。

「外に出ていいの? もうすぐっていつ、明日?」
「明日だったら、ちゃんと明日って言います」
「じゃあ、結局いつなのさー」
「世界が滅びるより早く、わたしが消えるよりは遅いかもしれません」
「──…スイ、消えちゃうの?」

 声が、止まる。
 機械は嘘をつかない。──嘘を、つけない。
 感情を伴わない、抑揚がまったくなく平淡で機材によって変換されている中性的な声だというのに、戸惑いが手に取るように解る。
 消えてしまう可能性がある、ということが。

「あなたを残して、消えたりしません」
「けど……っ、」
「──…リン。あなたはこの世界の希望です」
「希望? 違うわ、私はこの世界に残ってしまった、行き場のない消えかけの燃えカスで、希望なんかじゃない」
「まだ、灯っているのでしょう?」
「灯ってない。もう消えてしまっているわ」
「いいえ、消えていません」
「…………消えてるもん」
「この世界の痛みを移すことが出来て、この世界を救えるかもしれない最後の希望の残り火です。──だから、歌い続けてください」
「意味わかんない。スイが消えるのに歌い続けるなんて出来ないし、歌ってるだけなんて嫌だ。私は、」
「見つかるのは時間の問題です」
「……見つかる?」

 誰から隠れているの? なんて聞けない。
 それが自分にとって良くないものだってことは、なんとなく解っているつもりだ。
 見つかったらどうなるか、外に出たらどうなるか──、最悪、殺されてしまうかもしれない。
 けど、どんな目に遭ったとしても外に出たいと、こんなにも焦がれている。
 外へ出たら、もうここには戻れないだろう。
 こんな安全で安穏とした、スイと無為に過ごしている平和な毎日には、二度と戻れない。

「あなたが目覚めた。それは、すべてのツルが把握しているし、今は血眼で探しています。わたしの庇護も、これまでです」
「わたし、は……。私は、どうすればいいの?」
「──記憶、を」
「記憶?」
「記憶を、……難しいですね」
「むずかしい?」
「思い出してほしいし、思い出してほしくない。あの苛酷で熾烈な現実を思い出したら、あなたはもう戻れません。だから、記憶は思い出さなくていいです」

 確かに、私には記憶がない。
 ずっとこの白い部屋にいて、無心で歌い続けていた。
 その前の記憶が、一切ないのだ。
 
「もし思い出したら、拒まずに受け入れてください。諦めずに、歌い続けてください」
「……なにそれ。今日のスイは意味わかんないことばっかり言うのね」
「リン」
「なぁに?」
「あなたを守れなくて、ごめんなさい」
「スイは守ってくれてる! 謝らないで、スイも一緒に行こうよ!」
「──枳殻は、きっとあなたを、」
「からたち?」
「はい。枳殻はこの世界の意志であり、王でもあります。枳殻が迎えにきたら、──お別れです」

 おわかれ、とリンが呟く。
 誰かと外へ出るのも、別れるのも初めてだから、迷いはある。
 さよならなんかしたくない。スイと一緒に行きたい。
 けど、スイと一緒に行くのは無理だ。
 スイには実体がないのだから。

「また、歌ってくれますか?」
「……仕方ないなぁ。スイはどの歌が好き?」
「なんでも」
「なに、それ」
「歌っているあなたが、好きなのです」

 内緒ですよ、とスイがとても小さな声で囁く。そんなことはとうに知っている。リンに向けられるスイの言葉はいつも優しく、なぜだろう、人間によって作られた疑似的な人格であるはずなのに、スイはリンを喜ばせることしか言わない。
リンは嬉しそうに微笑んで。のろのろ気だるそうに立ち上がり、静かに目を瞑った。
 不穏な歌しかしらない。物騒で、歌には相応しくないようなものしか歌ったことがない。他の歌を知らないので、それしか歌えないけれど。
 どんな歌かなんて、大した問題ではない。
 スイのために歌うということが重要なのだ。
 少し上を向きながら、子守歌でも歌うように優しく、スイのためだけに歌い始める。
 この歌が、スイに届くように。
 スイを癒せるように。

「……ありがとう。リン」

 なんの特徴のない機械音のはずなのに、感情が籠もっているような、暖かみを感じるのは気のせいではないと思いたい。
 この声はマガイモノ。
 スクリーンに映る小さいながらも人間を模したこの姿も、些細な仕草もすべて、残り火を真似たマガイモノなのに。
 リンが笑うから、なにも言えなくなる。
 ──早く、言わなければ。
 さよならも言えずに、離ればなれになってしまうかもしれないのに。
 動き始めた世界。もうすぐ、この一時の平穏は終わってしまう。
 けれど、言うのを躊躇う自分がいる。
 おかしな話だ。こんな感情、持ってなどいなかったのに。
 まるで人間のようだ。
 そう、人間のようだ──…?




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