03


 俺は知っていた。
 銀時がどうしてこんなに照れているのかを。
 その一言を、意識してしまうと言えなくなってしまうのかを。
 知っているというのに、……なぜだろう。
 銀時を見ていると、ガラにもなくつい苛めて遊びたくなる。

 長い廊下を高杉は歩いていた。
 わが家のようにずかずかと、廊下の奥にある浴室を目指して一直線に進む。
 足元がちょっと肌寒いと思ったが、逆に腕の中はぽかぽか温かいので気のせいだと思うことにする。
 ぽかぽかというか、ごろごろ。
 そんな擬音が似合うモノが、いる。
 心地良さそうに目を瞑り、にーにーとか細く鳴いて何かを強請る物体。
 そう、高杉の腕の中には鬼兵隊総督としては不似合いな、銀時が拾ってきた子猫が二匹仲良く並んで抱えられていた。
 子猫は小さく可愛いらしいのだが、抱えているのは高杉。
 どうしても違和感がある。
 しかし、この屋敷には今現在、高杉と銀時以外の人間はいない。例え他に鬼兵隊隊士や幹部が居たとしても、高杉には誰も言えないだろう。
 高杉は目的地である浴室へと繋がる扉を開け、脱衣所から浴室に居る銀時へと声を掛ける。

「銀時ィ。着流し洗うンだろ?」
「…………」

 浴室から返事はなかった。
 明かりも点いているし、微かに水音がするので中に居るはずなのだが、だんまりを決め込んでいるらしく何も反応はない。
 これは、まだ怒っているのか。
 それとも、ただ面倒なだけなのか。
 高杉は脱衣所の壁に寄り掛かりながら、もう一度声を掛ける。

「あとタオル。忘れていったぜ」
「……マジで?」

 くぐもった声が聞こえた。
 怒ってはいない。
 そう、銀時は怒ってはいないが、ちょっと考え事をしているようだ。反応がいつもより遅い。
 馬鹿は変なことを考えずに馬鹿のままでいいのに。

「あー、丁度良いや。着流し洗濯機で洗っといて」
「使い方解んねェ」
「何様のつもりだよ」
「高杉様」
「そうじゃなくて」
「てめーの旦那様」
「それも違うし。…洗濯も出来ない男って、使えねぇな」
「パパって呼ぶなら洗濯板で洗ってきてやらァ」
「いつまでそのネタ引きずるの?やめろよなぁ。しつこい男は嫌われるぞ?」
「なら、さっさと言え」
「…………」

 黙りこむ銀時。
 高杉は知っている。
 銀時は言えないのではない。
 言ったことがないのだ。
 だから、戸惑って変な意識をしてしまい言えなくなる。
 最初さらっと言われたので驚いたが、考えると先程は平然とよく言えたもんだ。
 銀時に親はいない。
 親の記憶も、温もりも覚えていない。
 あるのは、拾って育ててくれた──吉田松陽先生が与えてくれた、愛情。
 もう返すことも得ることもできない、銀時が失ったモノ。
 故に、銀時は愛情や恋愛感情に人一倍鈍く、失くすことには過敏に反応する。
 名前や呼称にも疎い。
 自分の名前を松陽先生から授けて貰うまで、名前がなかったからだ。だから、名前を覚えるのが未だに苦手だし、よく間違える。
 それとは逆に、先生から付けてもらった名前に固執する。
 自分は名前を間違えるクセに、間違えられると誰であろうと激怒するし、呼ばないと拗ねる。
 そんな銀時に初めて愛情を注いだ松陽先生。
 だが、松陽先生は銀時に自分を『先生』と呼ばせていた。
 銀時は物心がついてから一度も『父さん』や『父』、『パパ』と呼んだことがないのだ。

「…高杉。どうしても、言わなきゃ…ダメ?」

 悩んだ挙句、銀時は言わないという結論に至ったらしい。
 そんなことを許す高杉ではないが。
 妥協ぐらいは考えてある。

「別に言わなくてもイイぜ?」
「マジで?」
「さっきから言ってるじゃねェか。善がってるてめーに嫌ってほど言わせてやるって」
「遠慮します。言うからほんと止めろ」
「きっと楽しいぜ?」
「楽しいのは高杉だけだろ。
 ……パパ杉」

 ──…呼ばれた。
 確かに、自分が望んだ呼び方で銀時が呼んだ。
 ただ、思っていたのとはちょっと違う。

「それは止めろ」
「けち」

 理想と現実は違うようだ。
 もっと、なんかこう、初々しく、照れながら呼んで欲しかった。
 いや、今のも結構、銀時的には照れて必死に考えた末の答えなのだろう。けど、現実は別物になっている。
 雰囲気も抒情もあったもんじゃない。

「…ユスラとウメ、連れてきてるのか?」
「あァ。てめーがいないと鳴き止まねェ」
「お腹減ってるのかな。…何を食べるんだろ?」
「子猫だし、……ミルクじゃねェか?」
「牛乳か。風呂出たら冷蔵庫を漁ろうっと」
「銀時。子供は母乳で育てるのが良いらしいぜ?母乳だせよ」
「いっぺん死ね。出ねぇし」
「いつも甘いモンばっか食ってるンだ。きっと甘いだろうなァ」
「話聞けよ」
「やっぱ止めろ。てめーの乳首を舐めるのは俺だけ……」
「だぁぁあぁぁ!!」

 突然、銀時が大声で叫ぶ。
 それに驚いたのか、高杉の腕の中でそれまで大人しくしていた子猫が暴れ出す。二匹のうちの一匹、ユスラと名付けた子猫が高杉の腕からするりと抜け出して、浴室へ逃げ込もうと飛び跳ねる。
 タイミングの良いことに、浴室と脱衣所の仕切りの戸を何も知らない銀時が開けた。
 高杉を殴って馬鹿な発言を止めようとするためだったのだが、高杉の腕から抜け出たユスラが、浴室へと勢いよく飛びこんだ。

「ぐぎゃぁぁ!!?」
「あ、悪ィ。……銀時」

 何かが潰れる音がした。
 潰れたのは銀時だろうか。子猫だろうか。
 はたまた両方なのだろうか。
 高杉がそっと浴室を覗くと、銀時の顔面に子猫がかぶさって、わっしょいわっしょい短い手足で頭へとよじ登ろうとしている。
 どうやら、潰れたのは銀時らしい。
 子猫の首根っこを掴んで引き離すと、下から無表情の銀時の顔が出てきた。
 銀時の額に一筋だけ引っ掻き傷があるが、他に傷はないようだ。高杉は指先で血を拭うと、子猫を一喝して大人しくさせる。

「……銀時?」

 銀時が固まったまま動かない。
 不自然に思い高杉が名を呼ぶと、ようやく銀時は反応した。
 高杉を睨みながら、ぬっと浴室から白い腕を伸ばして置かれていたタオルを掴むと、銀時は反対の手で高杉の顎を掴み、ぶつかるように唇を重ねる。

「ぎん…ッ」
「そこは寒いから、さっさとユスラとウメ連れて部屋へ帰れ!…」

 ──…晋助……パパ。

 浴室の仕切りを閉める音に、掻き消されてしまいそうなほどの、──小さな声。
 だが、高杉には確かに聞こえた。
 銀時のいつもとは違う真剣な声音で。
 照れて口ごもっていたが、確かに望んだ言葉が。

「あァ。解った」

 首根っこを掴んだままの、大人しくなった子猫を高杉は腕に抱き直す。
 どうもユスラはウメより落ち着きがなく、やんちゃらしい。
 困ったもんだと思いながら、高杉は浴室を後にする。

「早く来いよ。銀時…ママ?」

 浴室の方から、盛大に転ぶ音が聞こえた。
 呼ぶのも慣れてないが、呼ばれるのも慣れていないらしい。
 当たり前といえば当たり前だ。
 俺だって言うのは初めてなのだが、銀時の反応は予想以上で面白い。
 これだから、てめーで遊ぶのは止められない。
 ……まァ、男相手にママと呼ぶのは変だが、俺がパパなら仕方ないだろう。
 パパと呼ばれるのも、案外悪くはないし。



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