竜胆白狐


 高杉が風邪をひいた。
 松陽や銀時に移さないようにだろう。白いマスクを装着し、ずびずびと鼻をすすっている。ときおり苦しげに咳込み、息はいつもより荒い。変化も維持できないらしく、黒い狐耳と複数の黒い尾が陽炎のように高杉の背後に揺らめいている。
 足取りは危うく、背の高いグラサンに支えられるように屋敷に入ってきた高杉。
 ──原因は、俺かもしれない。
 全く覚えていないのだが、銀時は数日前に風邪をひいていた。薬は苦いから嫌だと頑なに拒否し、高熱があるのに暴れ回ってとても大変だったと松陽と高杉から聞いている。その間の記憶がとんとないので高熱が出たのも、暴れ回ったのも覚えていない。
 だから実感がなかったのだが、布団に力なく横たわる高杉を見て思い出す。そういえば、内容までは定かではないが高杉にワガママをたくさん言った気がするし、一緒にお風呂に入った気がする。
 それ以上のことがあったかもしれないが、今はそれしか思い出せないので考えない。熱に浮かされて、とんでもないことをしでかしているかもしれないから。

「…たかすぎ」

 こっそりと、高杉が運び込まれた客間に忍び込む。松陽とグラサンに運ばれた高杉は、客間の布団に整然と寝かされていた。
 高杉の枕元には水の入ったペットボトルがなぜか大量に並べられており、その数は二十本以上。水分補給用にしても多すぎだろう。
 少し悩むが、今は誰もいないのだ。きょろきょろと周囲を確認する。廊下で話していた松陽とグラサンは移動したようで、高杉以外に誰の気配も感じない。
 銀時は少しだけ考えてから、高杉のすぐ隣、布団には入らずにそのまま、布団の上にこてんと横になる。高杉は他者の気配に聡いので、布団に入って一緒に眠れば起きてしまうかもしれないからだ。
 銀時は間近の、苦しげながらも端正な高杉の顔を見つめる。
(よわってても、カッコイイとかずるい)
 眉間に寄っている皺に、ちょっとだけ触れようとしてやめた。皺がなければもっと格好いいと思うが、きっと起こしてしまう。
 銀時は伸ばしてみたけど行き場のなくなってしまった手をふらふら彷徨わせた挙げ句、高杉の額に置かれた氷のうをつついて遊ぶ。
 高杉の額には熱を冷やすため、氷水の入った袋が置かれている。袋の水滴か、はたまた汗なのか、高杉の左目の包帯はぐっしょり濡れてしまっていた。
(たかすぎの左目、見たことないかも)
 怪我をしたわけではないと言っていたが、包帯をしている理由を聞いたら高杉は言い澱んでいた。左目を見てみたい好奇心がうずうず疼くが、再び包帯を巻き直す自信がないので止めておく。
 夏も終わりとはいえ、残暑厳しく未だに暑い。
 元は水の化生の高杉にとって、暑さは大敵だと聞いている。
 エアコンという人間の造った冷却装置のあるこの屋敷で、涼しくなるまで避暑すればいい。

「早くよくなって、いっしょにあそぼう? いまなってるさいごのスイカで、スイカわりしようよ。たかすぎ」

 最後のスイカは、時期遅れで味が落ちているかもしれない。
 けど、高杉とスイカ割りをして、高杉と一緒に食べるスイカは美味しいに決まってる。
 スイカじゃなくてもいい。
 買ってきたメロンでも、ブドウでも梨でもいい。ともかくまた一緒に遊びたいだけだから、他の遊びでもいいから。

「早くよくなーれ」
「……」
「…たかすぎ?」
「……」
「どうしたの? 水のむ?」

 高杉が荒い呼吸の中に紡いだ言葉は、銀時の思考を停止させた。
 ──いま、何と言った?
 それを、自分に頼むのか。
 高杉が、自分に頼むのか。
 頼まれたのなら、早く風邪が治るというのなら何でもやってやるが、これはちょっとヒドイんじゃないかな。
 俺に。
 銀時に、銀時の墓参りを頼むなんて。
 苛立ちのあまり部屋を飛び出し、庭に咲いているリンドウの花を毟り取る。思ったより茎が太くて痛かったが、痛いのは手だけじゃない。胸の奥の方がつんと痛む。
 高杉が今も昔も愛しているのは、愛し続けているのは銀時だけど、自分ではない。
 それを目の当たりにして、──…とても悲しい。

「たかすぎは、わるくない。わるくないんだ。おれが、しんじゃったから」

 俺が死なずに生きていたなら、みんな幸せだったのに。
 俺が死んだから、高杉は寂しかっただろうし、ずっと不安なまま銀時を待っていただろう。
 だけど、さ。

「──っ、たかすぎのばかー!!」

 銀時は方角も場所すら知らない自分の墓をめざして駆け抜ける。
 林も、野原も、森の小道も。
 来たことない場所だらけのはずだが、なんとなく知っている。
 高杉の棲まう、湖への道。
 その湖の近くの小高い丘の上に、前の銀時と高杉の墓があったはずだ。


    *


 いかんせん、子狐の足だ。
 急いでも走り続けてもそう簡単には辿り着けないし、変なやつらに囲まれてしまうこともあるだろう。
 ──変なやつらというか、危険なやつら?
 不可抗力で、理不尽だ。
 こんなやつらを避けることも、逃げることも出来るわけないじゃないか。

「おや、可愛くて美味しそうな子狐さん? どこへ行くんだい?」
「美味しそうってなんでぃ、そんなの──…」
「ね? 美味しそうでしょ?」
「……狐の旦那?」

 なぜか、変なやつらにガン見されている。
 上半身裸の状態で臨戦態勢のずっと笑ってる変なやつと、両手に鎌を持っているこちらも変なやつだ。
 二人ともじーっと銀時のことを見ていると思ったら、もぎゅもぎゅ狐耳を触るわ尻尾を揉むわ、最終的には着ている着物をひん剥かれて体も触られそうになったので、それぞれの指をがぶりと噛んで追い払った。

「おれにさわるな!」

 ダメー!と威嚇しても、二人に効果はなく。
 それどころか、噛まれちゃったと嬉しそうだ。変なやつらじゃなくて変態だったみたい。
 変態さんは無視するのが一番だと思うが、二人は楽しそうに俺の前に立ち塞がっている。逃げれる気がしない。
 
「あ、初めましてになるのかな? 俺は鵺の神威」
「鎌鼬の沖田ですぜ、狐の旦那」

 名乗られても知らない。わからない。
 銀時の世界はとても狭くて。松陽の屋敷の周りしかしらないし、松陽と高杉の二人しかその世界の中にはいない。
 屋敷にはいろんな人が訪ねてくるし、山の会合だと連れて行ってもらうことはあるが、覚える気も慣れ合う気も銀時には一切ないので、その狭い世界は更新されずに狭いままだ。
 だから、間違いないだろう。
 この二人は自分の知り合いじゃない。

「まえのぎんときの、しりあい?」

 こんな変態と知り合いって、銀時は生前、どんな危険な生き方をしていたんだよ。
 ちょっと、軽く、前の銀時に引いていると、二人はにこにこ笑いながら銀時に近付いてくる。
 イヤな、予感しかしない。
 ──ヤバイ。
 危険、キケン、きけん──…
 前の銀時ならどうにか出来たかもしれないが、今の銀時は子狐で、狐火も出せないし戦う術を持たない。
 一目散に二人とは反対の、背後の草むらに駆け込むと、全力疾走で走り去る。小さい体が幸いした。背丈以上に生い茂っている草むらは絶好の目隠しになり、子狐の銀時を隠してしまう。

「あ、神威のせいで逃げられちまったじゃねぇか」
「俺のせい?」
「もっと触りたかったなー。小さな狐の旦那、可愛いくていいなー」
「美味しそうだったけど、食べたら高杉さんに怒られちゃうかな。残念」

 二人の会話はすでに場を離れた子狐には届いていないのがせめてもの救いか。
 高杉とは違い、二人は以前のようなどうでもいい世間話をしたり、手合わせをしたいだけなのだ。
 それには、可愛い子狐をいろんな意味で可愛がったり遊んだりも含まれる訳で。
 これから先、銀時が神威と沖田の二人に、なぜか長きに渡って追われ続ける、これが始まり。


   *


 手に持っていたリンドウが、ちょっと萎びてしまった。
 変なやつらに遭遇してしまったせいだ。
 なんとか振り切れたみたいだが、たぶんやつらは本気じゃない。本気になれば、草むらの草を全部刈り取るなんて容易いし、子狐の足に追いつくことだって出来る。
 逃がされたのだ。わざと、これから弄ぶために。
(ぜったい、にどと、会っちゃだめなやつだ)
 あんな変なやつらに遭ってしまったのも。
 こんなに疲れているのも、なんだかぽっかり胸に穴が空いたように虚しいのも。
 自分のせいじゃない。
 全部、元を言えば高杉のせいだし、高杉が銀時に墓参りを頼むのがいけないのだ。

「はかまいりを本人にたのむって、どうなのさ!?」

 やっと辿り着いた銀時の墓は雑草一つなく、いつも誰かがお参りしているようで。線香が焚かれ、花も供えてある。
(来たいみ、ないじゃん…)
 この苛立ちを何かにぶつけたいが、ここにある人工物は墓石が二つのみ。どちらかは高杉の墓石だが、二分の一の確率で前の銀時の墓石で。
 墓石を蹴ったとて、これは自分の墓だ。自分が罰当たりになるって、なんだこれ。
 もう諦めの境地だ。供えてある菊はまだ枯れていないので、持ってきたリンドウの花を一緒に供える。
 供えてあった菊は新しい。
 あの様子では高杉は墓参りに来ていそうにないので、誰か、他の第三者が来たのかもしれない。きょろきょろ辺りを見回すと、背後の草むらから水桶と柄杓を持った男が現れた。

「ほう、こちらへ来たのか」
「えっと、たかすぎをつれてきた、グラサン?」
「河上万斉と申す」
「ばんさい? グラサンでいいんじゃね?」
「口が悪いでござるな。拙者、白夜叉の機嫌を損ねることをしたつもりはないのだが」
「たかすぎにおこってるの」
「晋助に?」
「うん。おれのはかまいりをおれにたのむって、おかしくね?」
「ふむ。拙者と白夜叉を間違えたのかもしれぬ」

 確かに、そうかもしれない。
 銀時は前の高杉の墓どころか、前の銀時の墓がどこにあるかも知らない。そんな銀時に、墓参りを頼むとは思えない。
 少し考えればわかったはずなのに、高杉の言葉に動揺して気付かなかった。
 けど、間違いはないはずだ。
 名前のない、二基の墓。

「これが、おれのはかだろ?」
「そうでござるが、少し違うでござる」
「どっちなの? グラサンわかりにくい」
「これは魂分けされたものでござる。おぬしの骸は狐一族の墓地に葬られたが、いかんせん湖から遠くてな」
「え?」
「晋助が日参するには遠く、不便だったので狐の長に頼んで湖の近くにもう一つ墓を建てたのがこれでござる」
「もうひとつあるの?」
「おぬしは向こうではなくここにいた、ということか。晋助も喜ぶでござる」

 なんとなく知っている。自分のお墓。
 正確には前の自分、九尾で高杉の番いだった銀時の墓だ。
 聞いたことも教えてもらったこともないが、松陽の家と湖へと繋がる道を少し逸れ、湖を一望できる小さな丘にある名もなき墓。
 そこへ高杉が日参していることも、毎日欠かさず掃除をして、絶えず花を供えていることも知っている。
 その墓の側には椿が植えられている。蛟の高杉が冬眠するため、長い冬の間、故人が寂しくないようにと植えられたものだ。
 その花の色は、白と赤。
 降り積もる真っ白な雪と同じ色の白色と、湖に射す真っ赤な太陽の微睡みのような赤色の椿の花が咲き誇るんだ。
 見たことはないが知っている。

「──…おれは、ここにいた」

 記憶はない。知識もない。
 そんな銀時が唯一、覚えている自分自身の墓がこれだというなら、此処にいたに違いない。
 どんな気持ちで高杉を見ていたのだろう。
 どんな思いで、日参する高杉を待っていたのだろう。
 死んでいるのに。
 もう、何も出来ないのに。
 高杉に触れることも、話しかけることも、思いを告げることも出来ないのに、どんな気持ちで待ち続けていたのだろうか。
 死んだ後も、思い続けるなんて。
(──…おれには、できない)
 心は変わるもの。
 うつろいやすい、壊れもの。
 前の銀時だって不変なわけないし、生きている高杉ならなおのこと、周りの状況によって変化するだろう。
 それでも、変わらずに。
 愛を貫いた二人。
 解っていながら待っていたのが銀時の強さなら、変わらず焦がれ続けたのは高杉の強さ。
 今の自分でもとても羨ましいし、前の銀時だってきっと嬉しかったに決まっている。

「──白夜叉。今は子供ゆえ、泣かれると困るでござる」
「…え、」

 なんで泣いているんだろう。
 今も昔も高杉に思われていて、嬉しいはずなのに。
 前の銀時が羨ましい。思われ続けている銀時が妬ましい。──…同じ銀時のはずなのに。
 苦しいよ。
 痛くて哀しいよ、高杉。「……たかすぎ」

 こんな気持ち、知らなかった。
 前の銀時のことを、高杉が愛していたのは承知している。喧嘩ばかりで夫婦らしくなかったと伝え聞いたが、盛大な挙式もしたし、高杉は嫁だと公言して惚気まくっていたとも聞いた。
 知っているけど、知らなかった。
 高杉が俺以外の誰かを愛していた事実を知って、傷付いている自分が不思議だ。
 ──…ねぇ、高杉。
 俺も高杉のことを好きみたいなんだけど、知ってた?
 迷惑かな? 困るかな?
 それでもさ、どうしようもなく。
 俺は、高杉が好きだよ。 


竜胆の花言葉 : 「悲しんでいるあなたを愛する」 「正義」 「誠実」

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