鈴蘭白狐 (下)


 松陽の屋敷は人里から少し離れている。
 放棄されてから久しく、平屋で藁葺きの大きな一軒家は見た目通りかなり古いのだが、松陽が手入れをしているのでガス、上下水道、電気のライフラインがなぜか整っており、とても快適だ。
 人除けの術がされているので、人間には近寄ることはおろか見つけることも出来ないだろう。
 そんな松陽の屋敷に、銀時は松陽と二人っきりで住んでいる。
 銀時が生まれる前は高杉も一時的に住んでいたが、湖のヌシになることが決まり居を移した。なので実は、勝手知ったる我が家なのだ。

「晋助、いいところに来ましたね」
「いいところ?」

 突然訪ねてきた、来客である高杉を見てどこかほっとしたような表情を浮かべた松陽。
 桂ではなく、確かに高杉を見て安堵していた。
 一体、なにがあったのだろうか。

「実は銀時が熱を出してしまって。買い物へ行きたいのですが、銀時を一人にするわけにはいかないので困っていました」
「熱?」

 元気の塊みたいなあの銀時が発熱?
 まだ幼く、狐火も出せない子狐にはキツイんじゃないだろうか。

「お見舞い、というか、様子を見てもいいですか」
「よろしくお願いします。初対面の小太郎はやめておきましょう。いまの銀時は人見知りなんですよ」

 では急いで買い物してきます、と松陽先生は桂を連れて元来た道を行ってしまった。銀時に会えなくて桂には残念ざまァみろな展開だが、そんなことを考えている場合ではない。発熱したという銀時が心配だ。
 玄関の上がり框を抜け、寝ているのを起こしてしまったら悪いので足音を立てないよう静かに、しかし急ぎ足で銀時がいつもいる部屋へと急ぐ。途中の台所に立ち寄り、持ってきた大福を置き、スズランを花瓶に活けていくのを忘れない。
 台所の隣り、居間を抜ければすぐ銀時の部屋だ。
 そっと障子から様子を覗けば、起きていた銀時と目があった。

「あ、たかしゅぎら!」

 部屋には風邪っぴきとは思えない、ハイテンションの銀時が布団の上で跳ねていた。
 障子の前には、投げ捨てられた風邪薬と思われる白い粉薬が落ちている。他にも苦い薬草、錠剤、オブラートなど多種多様な物が落ちており、高杉は悟ってしまった。
(…松陽先生、逃げたンだな)
 風邪薬を断固拒否して飲まない銀時。
 疲れてこそっと逃げたであろう松陽先生。
 使えない桂。
 ──厄介な予感しかしない。
 推測になってしまうが、松陽先生が買いに行ったのはきっと、人間の子供が風邪の時に処方されている甘いシロップの風邪薬のことだと思う。あれなら甘いので銀時も飲んでくれるに違いない。
 ただ、この屋敷は人里から離れているので時間がかかる。当分、松陽先生は戻って来ないだろう。
 高杉は一人で、この風邪っぴきなのに元気すぎる銀時をどうにかしなくてはいけないのだ。

「たかしゅぎ! たかしゅぎ!」
「──…銀時。松陽先生から風邪をひいたと聞いてンぞ」
「ないない!」
「銀時」
「かぜ、ないない! あそぶのー!」

 風邪をひいているんだろ? なんでこんなに元気百倍なのだ。
 しかも舌っ足らずな喋り方。幼児なのに幼児返りしてしまっているのだろうか。意味がわからない。

「銀時、薬を飲んで早く風邪を治せ」
「くすりにがい。らめー」
「ダメじゃないだろ。飲め」
「やーのー」

 銀時は跳ねて部屋を逃げ回る。このままでは熱を下げるどころか悪化させてしまう。
 薬を飲ませるのを諦め、高杉はぐちゃぐちゃに乱れてしまった布団を整えて座り込み、せめて体力の消耗を抑えるために寝かしつけてしまおうと両手を上げ、降参のポーズをとる。
 甘いものが好きな銀時にとって、薬は苦くて天敵のようなものだ。
 意固地になった銀時は扱いにくく、タチが悪い。こちらが折れるしか解決方法がないのを、高杉は昔から知っている。
 だから降参のポーズで、なにも持っていないのを認識させて。遊びたい盛りの銀時をおびき寄せる。
 高杉が薬を持っていないのを確認すると、銀時はとてとて高杉に近付き、こてんと高杉の膝に頭を乗せて横になった。熱があるのだから、元気そうに見えても体力は確実に消耗しているのだ。

「何もしないから、寝ろ」
「たかしゅぎも、いっしょにねよぅ?」
「人里に寄ってきたから、人間臭くねェか?」
「ちょっとくさい」
「だろ? 傍にいるから、一人で大人しく寝ろ」
「たかしゅぎ、いっしょにおふろはいる?」
「風呂…」

 一瞬でいろんな思惑が交錯する。
 風呂ってあの風呂か、裸で入るあの風呂だよな、風邪を引いている銀時は風呂に入れられないとか、しかし誘ってきているのは銀時だから勿体ないとか、少しだけなら問題ないか、などなど。
 ぐるぐる誘惑に負けそうな高杉に、銀時の最後のダメ押し。

「からだ、あらってあげるょ?」

 何かが壊れる音がした。
 元々、銀時には弱い。生前は会えば喧嘩ばかりだったのに、年の差があるからなのだろうか、今は喧嘩もしないし仲違いをすることもない。
 恋慕があるから、なのかもしれない。
 惚れた弱みなのか、生まれ変わった幼い銀時のお願いやワガママを高杉は断れた試しがない。
 高杉は立ち上がり、銀時を小脇に抱えると、いそいそと浴室へと向かった。


 ぴちょん、と滴が落ちる。
 銀時の濡れた髪から落ちた滴は、高杉の鼻先へと落ちてゆく。むず痒くて頭を振れば、くすぐったいと銀時が笑う。
 間違いなく銀時と高杉は仲良く一緒に風呂に入っている。入っているのだが、これはちょっと違うんじゃないだろうか。
 銀時の膝の上、濡れた鼻先をくんくん鳴らし、ゆらゆら黒い複数の尾を動かす高杉。そう、高杉は人間ではなく変化を解いて狐の姿に戻っている。
 騙されたと言っても過言はないだろう。
 勝手に期待した自分も悪いと思うが、あんなの解るわけがない。
 風呂に入ろうとしたところでなぜか狐に戻るよう銀時に言われ、しぶしぶ変化を解いて狐に戻れば、今度は逆に、狐になった高杉を銀時が抱えてそのまま湯船に飛び込んだ。
 いや、風邪っぴきは何を考えているのか全く解らない。
 確かに狐の高杉を尾の先から耳の裏まで、懇切丁寧に洗ってくれたが、想像していたのとは大分違う。違うのだが、風邪っぴきで話の通じない銀時に抗議など無駄なことはしない。諦めて、なんでもかんでも受け入れる覚悟で高杉はされるがままになっている。
 ちょっとだけ、何かを期待した自分が悪いのだ。銀時の体を洗いたかったとか、髪を洗いたかったとか、欲望が一人歩きしてしまっただけで。
 思っていたのとは違うが、銀時と一緒に風呂に入り、体の隅々まで自分を洗ってもらい、一緒に湯船に浸かっているのは事実で。今度はきっと人間の姿のまま、自分が銀時の体を洗ってやろうと強く誓う。

「銀時。楽しンだか?」
「たのしかった。またいっしょにはいろうね?」
「…あァ」
「たかすぎも、たのしい?」
「あァ。てめーと一緒はいつも楽しいぜ?」
「えへへ」

 年相応に笑い、ぶくぶくと湯船で遊ぶ銀時。照れているのかもしれないが、熱があるせいで頬が火照っていて判別できない。
 長湯をさせるわけにはいかないので、先に湯船から上がる。
 狐から人間の姿に変化すると、体を軽く拭き、先ほど脱いだ着物ではなく拝借した松陽先生の着流しを着て、今度は遊んでいる銀時を湯船から出してタオルでくるむ。
 体だけではなく、髪、狐耳、尾も丁寧にタオルで拭いて水分をふき取り、服を着せる。体全体が熱いのは湯船に浸かっていただけじゃないだろう。熱が上がっていなければいいのだが。
 銀時の額に自分の額を重ねて熱を計る。やはり熱は上がってきているようで、心なしか銀時がぐったりしているように見えた。
 部屋へ戻る途中、台所へ寄り冷蔵庫から冷えているスポーツ飲料を銀時へ渡す。冷たいペットボトルを抱きしめ、少し冷やっこくなった銀時。当初あった元気はもうないようだ。なけなしの、最後の体力だったのだろう。もう一歩も歩けず、高杉に抱かれたまま動けないようだ。
 活けたまま忘れていたスズランと、熱が上がってきた銀時を抱いて部屋に戻る。
 スズランは部屋の隅に、銀時は敷き直しておいた布団へ下ろす。銀時はスズランが気になっているようだが、うとうと微睡みに勝てないようだ。眠そうに目をこすっている。
 楽々と高杉になすがまま、されるがままの銀時は、実は湯船から出た途端に不機嫌になっていた。

「たかしゅぎ、らめー」
「ダメ? 何がだ」
「しっぽないない、ない!」
「──…尻尾を出すのか」
「うん!」

 変化し直して人間の姿のまま尻尾だけ出すと、銀時は嬉しそうに飛びついた。ふかふかの尾を枕と布団代わりに、高杉の尻尾の上で和む銀時。
 半開きの微睡む赤い瞳は今にも眠りそうで、尾を振るも銀時はしがみついて離れない。

「たかしゅぎのおが、いっぽん、にほん、さんほん…むにゃ…」
「まだ眠るな。ちゃんと髪を乾かせ」
「──…たかしゅぎ、きもちいい」

 更に強く抱き付かれれば悪い気はしないのだが、いかんせん銀時は風邪っぴきの病人だ。このまま自分の尾の上で眠らせるわけにはいかない。
 尾を引き寄せ、まだ湿っている銀時の髪と尾をタオルでごしごしと拭いていく。以前の銀時はドライヤーが嫌いだったが、子狐の銀時はどうなのだろうか。今も嫌いなままなら、ドライヤーは諦めるしかないだろう。

「銀時、ドライヤーは、」
「──…もってきてくれれば、かわかしゅよ?」

 ドライヤー嫌いはいつの間にか克服していたのか。
 ほっとする高杉の黒髪へ、小さな銀時の手が伸びる。濡れたままの髪を一房掴むと、銀時はふにゃっと笑う。

「しかたないなぁ。たかしゅぎのかみ、かわかしてあげるよ?」
「──…銀時?」
「まだ、どらいやーきらいなの?」
「…ッ、」

 そうだ、ドライヤーが嫌いなのは銀時だけじゃない。
 高杉も熱風が出るドライヤーが嫌いで、髪はほとんど自然乾燥だった。乾かす必要がある時はお互いにドライヤーを弱にして、ちんたら乾かしあったものだ。

「たかしゅぎには、おれがいなきゃだめだなぁ…」

 するっと高杉の髪を掴んでいた手が落ちる。落ちきる前に、高杉が銀時の手を受け止めて掴み返す。
 銀時には以前の記憶がなかったはずなのに、どこで知ったのだろうか。
 ──…思い出して、しまったのだろうか。
 怖くて聞けない。
 聞けるわけないじゃないか。
 銀時を殺したのは、俺だから。
 思い出さないで。
 このまま、傍にいさせて。
 祈るように、小さな子狐の体を抱きしめる。苦しいのか、腕の中でむにゃむにゃ言っているが気にしない。
 手離したら、この幸せが戻ってこない気がして。
 二度と手離せない温もりを抱きしめ続けた。



鈴蘭の花言葉 : 「再び幸せが訪れる」 「純粋」 「謙遜」


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