赤実白狐
すべてを奪ってゆく。
誰にも見せない。──…残さない。
それこそ、その髪の一本、俺のために泣いた涙の一滴、俺を呼ぶ声のひとつ、肉片のひとかけらさえ。
──残したくなかった。
誰にも、渡したくなかった。
俺はお前のものになったんだし、じゃあお前は俺のものだろ?
こんなに嫉妬深かったかな。
おかしい、な。
死ぬのは怖いのに、お前を縛れると思うと嬉しいんだ。
だって、そうだろ?
お前は俺のことだけを思って、生きて、嘆きながら死ぬのだから。
燃え尽きたのは、狐面だけじゃない。
銀時だから、なんとか生き長らえたと言っても過言ではないだろう。炎を自在に操る炎帝だから、劫火に耐えた。──ただ、それだけ。
耐えれただけだ。
無傷なんかじゃない。
月より白く輝いていた白銀の毛並みも、炎に強い衣
もぼろぼろで、高杉から渡された狐面は燃えてしまった。
劫火にさらされた銀時自身も、酷い火傷や熱傷を負っている。黒くくすんでしまった皮膚は回復の見込みはなく、ただ痛みを与えるだけで。
もっと高杉を感じたいのに。
もっと高杉と一緒にいたいのに。
──…それすらも、もう無理らしい。
「──き、銀時。聞こえるか?」
「・・・・」
「無理すンな。水は飲めるか」
「・・」
「なにか、欲しいものはあるか」
声が出なくてよかった。
お前が、高杉がほしいと口走りそうになって苦笑い。いや、苦笑いになっていないだろう。全身が痛くて動かすことが出来ないのだから。
死に際なのだろうか。弱って、いるのかもしれない。
こんなことを言いそうになるなんて。
(もう、だめなんだなぁ──…)
声を必死に出そうとしてもくぐもり、声帯は吸った煙で狂い、喉は焼かれてしまったので、どんなに口を動かそうとも声が出ない。
それでも必死に、口を動かして。
死の間際だからこそ、高杉へ伝えたい言葉が──…あった。
けど、もう喋れないから。
伝えられないから、最期の賭だ。
自分の懐に仕舞ってある小さな袋をそのまま高杉へ渡す。意味は解らなくても、逆に解ってしまってもどちらでもいい。
──高杉なら、きっと理解できるはずだ。
俺が伝えたい最期のことば。
さよなら、高杉。
「・・・・・」
知ってほしい。
けど、離れ難いから知らなくていいよ。
俺の気持ちなんて、さ。
負担や重石になるぐらいなら、俺と一緒に置いていっちゃえよ。
──それでも。
背負って、生きていくっていうなら。
また高杉に出逢って、好きになって、一緒に暮らしたいな。
*
コンコンと、鳴くように咳込む。
口元に手を当てて、それこそ傍の子狐に悟られないよう細心の注意を払って。
風邪をひいていた銀時は全快した。全快と言っても体力はいまだに回復していないようで、こてんと寝っ転がり、眠そうにうにゃうにゃしている姿をよく見かける。
発熱していた間の記憶はなく、錠剤や薬草が散乱し、少年ジャンプはひっくり返り、布団はぐちゃぐちゃ。とっちらかった自室を見て銀時は呆然としていた。犯人は銀時だと教えたが納得せず、これにもうにゃうにゃと抗議していた。──そんな銀時を黙殺して、一緒に部屋を片づけているが、遅々として進んでいない。体力もやる気もない銀時が足を引っ張りまくっている。
(まァ、風邪が治ったなら、片付けなんていつでもいいンだが)
コンコンと、咳込みながら薬草を拾う。
全快したからこそ、この咳が銀時から移されたものだと思われたくない。
蛟から妖狐へと生まれ変わった高杉。冬眠しなくなったり、気温に体温を左右されなかったりといろいろ利点はあるのだが、水の化生だった高杉は暑さに弱いままだ。
そう、夏に体調を崩しやすく、毎年のように寝込んでいる。
「たかすぎもかぜ?」
「違ェ。……銀時」
「どうしたの? たかすぎ」
「この中に、赤い実はあるか?」
「あかいみ?」
「あァ。小さな赤い実だ」
高杉が持っている薬草の中に、赤い実はない。
銀時が拾った薬草の中にも、残念ながら赤い実はなかった。
そもそも赤い実とはなんだろう。名前も薬効もわからないので、抽象的すぎる。
「やくそう? くだもの?」
「薬草、だと思うンだが」
赤い実は薬草だけではない。赤くなる果物だってあるのだ。
銀時は庭の一部を菜園にして野菜を育てている。前の銀時も育てていたと知ったときは複雑な気持ちになったが、自分の手で育てた野菜は格別に美味しい。 しかし育てているのは野菜が中心で。果物もあるにはあるが、今の時期はスイカぐらいしかない。
「スイカはおおきいよな」
「大きすぎるなァ」
「イチゴとか、サクランボ?」
「そういうンじゃねェ」
こう、これぐらいの小さな赤い実だと、高杉は銀時の小指の爪を指す。子狐の銀時の爪ほどだとしたら、かなり小さい。
それは実ではなく、種や豆、粒と言っていいほどの小ささだ。
「え、こんなに小さいの?」
「あァ。そんな小さな赤い実はないか」
「ないとおもう。どうしたの?」
「…銀時が、死の間際に寄越したんだ。小さな赤い実を」
「まえの、ぎんときが?」
高杉の知らない、赤い実を手渡した前の銀時。
銀時は前世の記憶を持っていない。断片的に覚えていたり、咄嗟に溢れてしまうなにかは時々あるが、それだけだ。
前世の記憶を持っている高杉でさえ知り得ない赤い実を、子狐の銀時が知る訳がない。
だが、少し気になる。
死に際となれば、それは銀時の遺言。
前の銀時が高杉へ伝えたかったナニカ、だろう。
「たべれた?」
「銀時が持っていたンだ。食べれるンじゃねェか」
「たべてねーのかよ」
「銀時が最後にくれたモンだ。惜しくて、な」
情報が少なすぎる。
赤い実は、高杉が思っているよりたくさんあるのだ。
イチゴやサクランボ、リンゴだって赤い実だし、それこそ千両や万両、鬼灯の実は食べないが赤い実が生る。
「あかい、み…」
「解らないならいい。忘れろ」
「けど、」
「文字を書くなり、身振り手振りでどうにか伝えりゃよかったのに。俺も気が動転してて、なァ」
銀時の頭をぽんぽん撫でながら、高杉はどこか遠くを見つめて呟く。
「馬鹿馬鹿しいことに付き合わせて悪ィな。てめーが、最期に言いたかった言葉を知りたかっただけだ」
(──…馬鹿馬鹿しい、かァ)
いまさら知っても、何の意味もないしどうすることも出来ないのだが。
だからこそ知りたいのだ。
銀時だから、愛の囁きや睦言などの甘っちょろいモンではないだろう。
銀時の死に体は壮絶だったから、逆に罵詈雑言、呻きや悪態だってあり得る。
それがどんな恨み言でも、甘んじて受け止めよう。
銀時を救えなかった、その責を背負うために。
「さがそうよ」
「──…あァ?」
「しょうようのへやに、たくさんやくそうあるよ」
着物の裾を引っ張られ、高杉は銀時と松陽の部屋へと向かう。
薄暗く長い廊下を進み、屋敷の奥、一見すると突き当たりの行き止まりに松陽の部屋は隠されている。高杉は何度か出入りをしているが、銀時が入るのは初めてだ。
勝手に入っても怒られたりはしない。悪戯をしなければ構わないと言われているが、変わった物が置いてあったり、霊的なモノが出没するという松陽の部屋を銀時は敬遠していた。
隠し扉を開けて、部屋の主がいない松陽の部屋を探索する。恐る恐る、遠慮がちに物色する銀時をよそに、腹を括った高杉はなんとなく場所が解っているのだろう。すぐにお目当ての物を見つけた。
壁一面に取り付けられた小さな引き出しだらけの収納スペース。これに間違いないだろう。
これが何十、何百種類あるのかもしれない、妖狐の長である松陽が保管している薬草の蒐集箱だ。
「思ってたより多いな」
「たかすぎも、みたことないの?」
「多すぎて探す気が失せた」
そう、蒐集しているのは実だけではない。葉や樹皮、根も蒐集しているので、探すのは容易ではないのだ。
「ガマズミは?」
「違ェ」
「アキグミは?」
「違ェ」
「チョウセンゴミシは?」
「……」
「へんじぐらいしろよ、たかすぎ」
どうも違うらしい。
赤い実なんて、どれも大差なくて同じだと思うのだが、銀時から渡された赤い実ではなかったようだ。
野菜を育てているのでそこそこ知識を持っているとは言え、銀時は子狐。そこまで詳しくはない。
片っ端から引き出しの中身を確認し、中に赤っぽい実があれば高杉のところへ持って行っては確認をしてもらう、の繰り返しだ。
とてとてと、何回も引き出しと高杉の間を行ったり来たりし続けること一時間弱。高杉が反応したのは確かに小さな赤い実だった。
「──銀時、これは?」
「クコ。あかいみをかんそうさせたやつ」
「…クコ……」
どうやらクコが、高杉の探していた赤い実らしい。
銀時の爪ほどない小さな赤い実を、高杉はずっと見つめている。
自分が、過去の銀時が考えていることが同じだとしたら、高杉に伝えたかったのは、そのクコの花言葉に違いない。
銀時は急いで自室に戻ると、ふすまを開けて目的の物を探す。高杉と散らかった部屋を片付けていて見かけた気がする。漢字はなんとなくしか読めないが、なぜ置いてあるのかとても不思議だった。
前の銀時が、きっと読んでいたに違いない。
野菜の育て方の本、野草の見分け方の本、──…花言葉の本。
「クコの、はなことば──…、え、」
これが銀時の本音だとしたら、高杉に言えるわけがない。
違う。違うに決まってる。
伝えたかった言葉は、きっとこれじゃない。
この言葉を、銀時が選ぶはずがない。
本をこっそり閉じようとすれば、横から伸びてきた
手に阻止される。
「た、たかすぎっ」
「急いで帰ったってことは、解ったンだろ」
「ちがう! か、かんちがいで、」
「合ってると思うぜ」
「──…え、」
「アイツは天の邪鬼で本音なんか言うヤツじゃねェし、愛とか恋とかもなんか違う」
「けど、」
「お互いに忘れよう、ねェ。」
クコの花言葉。誠実と、──お互いに忘れましょう。
「忘れるってことは、忘れるために意識しなきゃいけない。ずっと、毎日、忘れようと思い続ける。──…忘れられるわけなんかねェのに、な」
「どういうこと?」
「つまり、忘れンじゃねェよ、ってことだ」
「まえのぎんときって、すなおじゃないね」
「てめーもな」
なぜか、かぷっと指先を噛まれた。
俺は、高杉のこと、忘れたくないよ。
想像だけど、前の銀時もきっと、高杉のこと忘れたくなかったと思うよ。
ずっと一緒にいたかったと思うし、護りたかったんだと思う。
そんな気がするんだ。
*
すべてを持ってゆく。
誰にも見せない。──…残さない。
それこそ、その髪の一本、俺のために泣いた涙の一滴、俺を呼ぶ声のひとつ、肉片のひとかけらさえ。
──残したくなかった。
誰にも、渡したくなかった。
俺はてめーのものになったんだし、じゃあてめーは俺のモンだろ?
嫉妬深すぎるって? そうだな、どんどん強欲になって、どんどん嵌まり込んで、抜け出せないし手放す気なんて更々ない。
おかしいなァ。
死より、てめーがいないこれからを生きるのが怖いなンて。
だって、そうだろ?
てめーは俺のことだけを思って、生きて、嘆きながら死んだのに。
俺は薄れる追憶に縋って、生きるしかないんだ。
「・・・・」
この声は、この名前は呪文。
いつか再び出逢うための目印になると信じて。呼び続けよう、何度でも。
浮気なんか、するんじゃねェぞ。
俺だけを見ていろ。
ずっと傍にいろ、どこにも行くんじゃねェ。
それこそ、閻魔を殺してでもてめーを奪いに行くから。
ちゃんと待ってろよ、──…銀時。
枸杞の花言葉 : 「誠実」 「お互いに忘れましょう」
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