月夜白狐


 夜は好きだ。
 自分の物珍しい銀色の毛色が目立たないし、人間も夜は森に入ってこない。昼の喧騒も賑やかでいいが正反対の夜の静けさも嫌いじゃないし、──夜の匂いがするある人物を思い出し、あまつさえすぐ傍にいる感じがするから。
 見えない影に怯えることはある。霊的な物はいまだに苦手で、物陰で泣いてしまうこともしばしばだ。だけど、怖がる銀時を慰めるように必ず松陽が一緒にいてくれて、しかも一緒に眠るというオプションまである。
 そう、基本的に夜は好きなのだ。
 一人でなければ、という注意文が付くが。

「やはり、子供の銀時を残して会合へ行けないです。一緒に行きますか」
「やだ。さけのせきはめんどい」
「私の隣に座っているだけですよ」
「よっぱらいは、てにおえないんだって」
「銀時は夜が苦手でしょう? 一人だなんて」
「おれのしんぱいはしなくていいよ」

 心配そうな松陽とは裏腹に、銀時は強気だ。それが子狐の強がりだと解ってはいる。解っているのだが、銀時は譲らないし本音を漏らさない。
 松陽は狐の一族の長であり、この山一帯の管理や保全、治安維持を行い治めている。
 月に一度、必ず山に棲む者達で会合は行われているし、山の平穏と安定のために会合は必要不可欠だ。しかし今回は昼間ではなく夜に開催され、しかも夜となれば酒が入らないわけがない。
 銀時だって会合に何度か連れて行ってもらっている。だからこそ、酔っぱらいに絡まれたり、甘いものも美味しいものもない退屈な夜の会合は行きたくない。

「晋助も湖のヌシとして出席するから頼めませんし」
「だいじょうぶだって」
「早く帰るようにしますから、家から出てはいけませんよ? 寂しかったら名前を呼べばすぐ戻りますから」
「いいから、はやくいけって」

 松陽は過保護だと思う。血は繋がっておらず、本当の親子でもないのに、銀時を自分の子供のように甘やかして大切に育てている。
(…まえのぎんときへの、つぐないなのかな)
 銀時は前の銀時がどうして死んだのか知らない。知りたくないし、興味がなかったからだ。
 今の自分には関係ないから。ずっと避けてきたが、それはどうやら周りも同じで。みんな前の銀時を避けていて、今の銀時すら壊れ物を扱うように扱う。
 前の銀時がどうして死んだのか、誰も教えてくれないがなんとなくわかる。銀時は何かの犠牲になって死に、松陽は銀時を救えなかったことを今も悔やんでいる、ということが。
 ──だが、高杉は違う。
 前の銀時の面影を探して、比べて、どこかに前の銀時を求めていると思っていたが、それはちょっと違くて。
 純粋に銀時の反応を楽しみ、その存在を喜んでいる、困ったヤツだ。

「──…たかすぎ」

 呟いただけだ。
 呼んでない。寂しくなんかない。
 家に一人で留守番をするのは初めてじゃない。しんと静まり、風に揺れる小さな葉の音や、流れる空の雲を眺めるのは好きだから。
 外へ行くと前の銀時と比べられたり、白く、狐らしくない外見を好奇の目で見られるのが嫌で家に籠もりがちだし。
 寂しくなんかないのに、呼んでしまった。
 どうしてだろう? 夜の留守番は初めてだからだろうか。
 ぽつん、と静かな居間に立つ。暗いのがいやで、電気を点けようか悩みやめた。あとはもう眠るだけだ。
 居間を通り抜け、銀時の自室へ向かう。敷かれている布団に飛び込むと、頭までかぶって丸くなる。
 誰にも、聞かれるわけにはいかないから。

「たかすぎ」

 怖くなんかない。寂しくなんか、…ない。
 だけど、どうしようもなく。
 名前を呼びたい。
 その名前を呼ぶと、安心するから。
 誰にも聞かれないように、名前を呼び続ける。

「…たかすぎ、たかすぎ、──…たかすぎ」
「呼んだか? 銀時」
「……え?」

 ひょっこり布団から顔を出せば、縁側に見知った男が立っていた。
 水の気配と、夜の匂い。
 間違えるわけがない。これは高杉だ。

「え、なんで、たかすぎいるの?」
「松陽先生に銀時が一人で留守番してるって聞いて、さっさと切り上げてきた」

 先生に頼まれたし、とちゃっかり預かった家の鍵を見せびらかされる。戸締まりは松陽と二人でしっかり確認したし、狐一族の長の家に不法侵入できる馬鹿はそういない。
 銀時はばっと起きあがり、ぴょこぴょこ高杉へ近付くと足元に抱きつく。

「たかすぎ…」
「ん? 寂しかったのか」
「──ちがう、し」

 そう言いながらも、銀時は高杉に抱きついて離れない。
 足元に絡み付く銀時を抱き上げると、高杉も銀時を抱き締める。──松陽も大概、銀時に甘いが、この高杉も銀時に激甘だ。

「てめーも来ると思って団子を買っておいたンだが、来なかったンだな」
「よっぱらいは、きらい」
「まだ呑めねェしな。歯磨きはしたのか?」
「したけど、おだんごたべたい」
「明日にしろ」
「たかすぎと、おだんごたべたい」

 あァーと高杉が唸る。何か葛藤しているらしく、
銀時がのぞき込もうとすると顔を隠されてしまった。
 もうちょっとで一緒に食べれそうだ。

「銀時、明日一緒に松陽先生に怒られてくれるか?」
「しょうようにおこられる」
「怒られるだろうなァ。歯磨きしてるし」
「──…がまん、する。だから、あしたいっしょにたべよう?」
「あァ、いい子だ」

 高杉に頭を撫でられる。
 子供扱いされるのは嫌いだが、高杉に頭を撫でられるのは嫌いじゃない。もっと撫でてほしい。
 高杉に抱かれ、目線が変わった縁側からは夜空に浮かぶ丸い月が見えた。

「まるいつき」
「月が綺麗だな」
「うん。おれもきれいだとおもう」

 意味わかっているのか、と高杉に聞かれる。意味ってなんだろう、わからず首を傾げると、わからなくていいと頬を舐められた。
 俺も高杉に何かしたくて、同じように頬を舐める。

「銀時、誘ってンのか」
「さそう? なにそれ?」

 高杉は無自覚な子狐を恐ろしく感じながら、寝かしつけるため銀時の部屋へ向かう。
 部屋の隅には大人用の布団一式が用意されており、松陽が当分帰って来ないこと、高杉が銀時と一緒に眠ることを予見していたのに何も言わなかった、自分の師の狡猾さを再確認した。





 月が薄雲に隠れてしまった。
 せっかくの月夜が台無しだが、うっすらぼやけた月を肴に呑む酒も美味しい。花を愛でながら呑む酒も美味しいし、春風に花が散る中で呑むのも、これが昼間でも美味しく感じるだろう。──すぐ傍に銀時がいれば、なおのこと美味しく感じるのだから。
 蛟で蛇の本質を持つ高杉はそのままうわばみで。酒を呑んでも酔うことなく、飄々と呑み続ける。赤くなったり、笑い上戸や泣き上戸になることもない。普段と同じ調子で半永久的に酒を呑み続けることが出来るので、酒の無駄遣いだと銀時によく言われている。大量に呑んでも酔いつぶれることはない。せいぜいほろ酔い止まりだ。
 対して銀時は頬を赤く染め、いつもは隠している狐耳を出し、九つの尾を楽しげに揺らしている。今にも歌い始めそうな陽気な銀時は酒に強くなく、大した量を呑んでいないのに酔っぱらっていた。
 辛口の酒を勢いよく呑む高杉とは違い、隣りの銀時はちびちびと呑んでいる。赤い舌を出して、それこそ舐めるように、だ。辛口の酒は苦手だけど、タダ酒には勝てないのだろう。文句を言いながらも酒を呑むのはやめない。
 高杉の棲まう湖の水質は良好で、どんな酒を造っても美味しくなる。今日、水神の蛟である高杉へ奉納されたのは高杉好みの辛口の酒だ。しかし実は、甘口の酒だってある。
 ちびちび呑む銀時が見たくて、あえて辛口の酒を呑ませているのは秘密だ。

「月が綺麗だな」
「月が綺麗なのなんて当たり前だろー。なに言ってんだよ、高杉。めずらしく酔ってんの?」
「てめーと見る月が綺麗だって話だ」
「は、え、ちょ、どこで見たって一緒じゃ…」
「銀時」
「──…あんだよ」

 照れくさそうに、そっぽを向いている銀時の顎を掴み、こっちを向かせる。いい雰囲気になったので接吻しようとするが、酒樽で殴られて雰囲気などズタボロに壊されてしまった。
 銀時は野狐時代が長く、松陽と暮らすまでずいぶんと彷徨い渡り歩いていたためとても現実的だ。高杉と違い、ロマンのロの字もない。

「温かくなってきて、頭がおかしくなった? 酔わない高杉も酔うんだねー」
「銀時」
「なんか変だよ、高杉」
「好きだ」
「ん? なにか言った?」
「──…いや、」

 今まで何度か告白したが、すべて巧みに交わされている。この馬鹿には直接言っても冗談にされてしまうから、タチが悪い。
 ──怒って、いるのだろうか。
 なんでもない、平気だ、大丈夫だと平静を装っていたが、銀時はかなり動揺していた。自分が平静でなく、冬眠明けの異常な状態だったからなんて、言い訳にしかならない。
 いまいち以前の距離感を思い出せず、もう一度、銀時に触れようと手を伸ばせば、びくっと銀時が震えた。

「あ、ちが、違うんだ、高杉」
「──…銀時」
「怖いとか嫌とかそういうんじゃなくて、ちょっと驚いただけだから、あの、えっと、」
「触れてもいいか」
「…え、」
「てめーに、触ってもいいか」

 おとなしく銀時の返事を待つ高杉。それはまるで目の前に大好物のエサを置かれながら待てを言いつけられた状態の犬のような、そんなしおらしい高杉はなかなか見られないだろう。
 くふっと銀時が笑い、手招きをする。

「俺の意思なんて聞かない自己中の高杉が、どうしちゃったの?」
「うるせー、俺なりに色々と考えてだな、」
「あははっ、勝手に触ればいいじゃん。ははっ」

 銀時のどこかのツボに入ってしまったらしい。尻尾を抱えて笑い続けている。呑んだ酒の影響もあるのだろう、銀時はなかなか笑い止まない。
(いいさ、勝手にしろと言われたンだから、開き直って勝手に触りまくってやる)
 銀時の腕を掴むと、自分の方へと引き寄せ、倒れ込ませて抱き締める。少し火照っている銀時は熱く、慣れているはずなのに火傷しそうだ。

「銀時」
「たかすぎ、つめたいー」
「……」

 言っても伝わらないなら。
 この感情は、あってもなくても銀時にとってはどうでもいいのかもしれないが。
 きっとこの先もずっと、変わらずに思い続けるだろうから。
 言わなくても、この気持ちが、想いが、銀時に伝わればいいのに。

「愛してる」

 この届かない声が、伝わればいいのに。



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