01
「いちご牛乳が無いんですけどォオォォォ!!」
銀時は冷蔵庫を開けて愕然とした。
そして、他に誰もいない万事屋で力の限り叫んだ。
あんなにストックしてあったはずのいちご牛乳が1つもないのだ。
いや、いちご牛乳だけではない。
食料らしき食料は冷蔵庫内に何もなかった。
(久々に帰ってきたからなぁ)
紅桜の一件で怪我をして、しばらくは新八の家に厄介になっていた。
しかし、看病と称して施されることは地獄そのもので。
可哀想な卵料理を無理やり食べさせられたり、ジャンプは取り上げられるし、挙句逃げようとすれば息の根を止められそうになる。
全快する前に、何かがおかしくなってしまう。
安静にしているから帰らしてくれ、と。
反対するお妙を説得して、今日は懐かしいわが家で自由を満喫していたのだが。
「嫌がらせですかこのやろー」
一週間以上、家を留守にしていたのだ。
たぶん、賞味期限が切れたり腐ってしまった物は新八に捨てられてしまったのだろう。
からっぽの冷蔵庫には、神楽が買い直したと思われる卵以外なにも入っていない。
真っ白な冷蔵庫の光が眩しくて、目が痛くなった。
大声で叫び疲れた。
塞がったばかりの傷口が痛くなってきた、──気がする。
「……買いに行く、か」
あまり出掛けたくはないが、食料がなにもないなら仕方ない。
神楽と新八の帰りを待てないし。
いつもの着物を羽織って。
木刀を腰に差して。
誰もいなくなった静かな家を出た。
傷口が痛むのは気のせいではないだろう。
体力もまだない。
ちょっと値がはるが、諦めて近くのコンビニで念願のいちご牛乳を買った。
冷蔵庫に卵はあったし、米は炊いてあったので昼飯はなにか作ろう。
最悪、卵焼きか卵かけごはんで我慢だ。
そんなことを考えながら、近道をしようと路地裏に入る。
いつもはこんな道を通らないのだが、大通りを歩くより人が少ないし楽だ。
ちょっと汚いのが滅入るけれど。
いちご牛乳の入った袋をぶらぶら振りながら家路を急ぐ。
と。
鞘走りと殺気。
不意を突く一瞬の斬撃。
背後から突然の凶刃が銀時を襲う。
それを伏せてかわすと振り向きざまに相手の足を払う。
(よけられたっ!?)
相手に足払いをかけるも、感触がない。
軽く身を翻して距離を取ったようだ。
銀時も態勢を立て直して腰に帯びた木刀を構える。
「誰だ!」
抜いた刀を袖で拭き。
刀を鞘に納めて。
路地裏の暗闇の奥で、そいつはいつもの人を馬鹿にしたような笑みを浮かべて立っていた。
「元気そうじゃねェか、銀時」
「──高杉」
「ばったり会ったら全力でぶった斬っていいンだろ?」
「今のはばったりじゃなくて、お前、わざとだから無効ですー」
「ククッ。怪我してるわりには良い動きだ。が、白夜叉が苺夜叉になってるぜ?」
高杉から視線を逸らさずにそっと下を見ると、最初の斬撃を避けた際に切られたらしいいちご牛乳で服が桃色に染まっていた。
「あぁー!!?」
服だけじゃない。
胸に巻いていた白い包帯も残念な桃色でまだら模様になっていた。
どうやら斬撃を避けたと思っていたが、手に持っていた袋は避けきれずに切られていたらしい。
少ししか切れ込みは入っていないが、紙パックのいちご牛乳にしてみれば致命傷だ。
「おいコラ!買い直してこいよ!!」
「──…ちっ。仕方ねェな」
高杉はそう言うと、銀時が来た道の先にあるコンビニへと姿を消した。
(え?ほんとに買いに行ったの?)
高杉とは長い付き合いだ。
性格はもちろん、考えや行動だって熟知している。
やつは他人の非を責めても、自分の非は絶対に認めない。
もっと言うと、他人に命令されるのが大嫌いで自分の思い通りにならない事が一番嫌いだ。
そんな高杉が、俺のいちご牛乳を斬ったから買い直しに行く?
(──ありえない)
絶対にありえない。
あれは高杉ではなくニセモノだったのではないか?
しかし、路地裏とはいえ街中で突然斬りかかってくるのなんて、真選組か高杉ぐらいだろう。
やはりアレは高杉。
銀時がそう結論をだしたとき、コンビニから高杉が出てきた。
「お前、どんだけ買い込んできたんだよ!」
高杉が持っているコンビニ袋には、はち切れんばかりに大量のいちご牛乳が入っていた。
2本や3本なんてレベルじゃない。
袋からうっすら見える限り、10本以上は入っているだろう。
ぎゅうぎゅうに詰められた白と桃色の紙パック。
店に置いてあったいちご牛乳を全部買い占めてきたに違いない。
(──似合わねぇな)
素直におつかいに行ってくれた高杉らしからぬ行動は勿論、高杉といちご牛乳のコンビ自体が似合わない。
何か裏でもあるのだろうか。
銀時がじーっと顔を見つめていると、高杉は不思議そうな顔で見つめ返してきた。
「なんだよ。てめーなら足りないぐらいだろ?」
高杉はぶっきらぼうにコンビニ袋を放る。
ぽいっと投げられた袋を銀時は慌てて受け取ろうとするが、その袋は受け取られることなく地面に落ちる。
銀時の脇腹に鈍い音をたて当たってから。
「痛……ッ」
顔をしかめて銀時がうずくまる。
いちご牛乳を拾おうとするが、伸ばした手は不自然に止まったまま動かない。
いや、動けないのだ。
痛みを堪えて。
倒れそうになるのを踏みとどまって、銀時はうずくまり呻きをあげる。
「あァ。傷口が開いたか」
語尾に疑問形が付いていないあたり、確信犯だろう。
高杉はわざと銀時の脇腹に当てたのだ。
着物から覗くいちご牛乳で桃色のさらしが、うっすらと鮮血に染まっていく。
やばいな、と頭の中では赤い危険信号が鳴り響いているのに。
意識が朦朧として動けない。
痛みと眩暈で視界もはっきりしない。
そんな銀時を傍観していた高杉は、羽織っていた艶やかな着物を銀時に被せる。
高そうな着物を被せられた。
そう思った瞬間。
膝裏に手を差し入れてうずくまる銀時を高杉は抱きあげる。
「ンぁ!?」
楽々、とまではいかない。
身長や体重では銀時の方が勝っているのだ。
高杉だってキツイだろう。
しかし、その細腕のどこにそんな力があるのだろうか。
余裕のお姫様だっこで抱き上げると、被せた着物の上に大量のいちご牛乳の入ったコンビニ袋をのせる。
「ちゃんと袋持ってろよ」
銀時の手に、コンビニ袋の取ってを握らせる。
力の入らない指で握りしめて。
やっと意識が戻り、自分の現状を理解する銀時。
「あー、これは楽ですね……じゃなくてっ、おろせ!自分で歩ける!!」
「嘘つけ。動けなかったじゃねェか」
歩き出す高杉の腕の中で暴れるが、びくともしない。
それどころか、被っていた着物が暴れたせいでずれてしまい、真っ赤になった顔が高杉に丸見えになってしまった。
「もっと暴れてもいいんだぜ?」
意地悪く笑う高杉。
そんな高杉に顔を見られるのが嫌なので、もぞもぞと着物で顔を隠す。
高杉が着物を被せた理由はすぐにわかった。
女物の艶やかな着物を被せられているせいか、通り過ぎる人は高杉の腕の中に抱えられている俺を女性と勘違いしているらしい。
(まぁ、眼帯はともかく遠目から見れば良い男だもんなー)
ちょっと上を見ると、すぐに高杉の顔がある。
「なんだァ?」
「なんでも無ぇよ」
暴れても無駄なことは理解しているので、袋を持つ反対の手で落ちないように高杉の首にしがみ付く。
ちらっと見えた、高杉の顔が忘れられない。
一瞬驚いたように目を見開いて。
嬉しそうに口元を歪めた、──気がした。
(……なんだよ。らしくねぇな)
知り合いが誰もいないことを祈りながら。
銀時は着物を深く被り直して、しがみ付く腕に力を込めた。
*
「てか、俺んち知ってんの?」
「俺がてめーのことで知らないことがあると思ってンのか?」
たくさんあると思うんですけど、なんて憎まれ口は言わない。
銀時は今、高杉の腕の中だから。
なにをされても抗うことが出来ない、まな板の上の鯛状態で。
傷が開いた銀時も、買い直してくれたいちご牛乳の命運も、全ては高杉の気分次第で終わってしまうから。
黙ってされるがまま、着いた先は自分の家だった。
「ちょっとちょっと、人んちに勝手に入るな!」
俺の叫びが聞こえているはずなのに、高杉は無視して玄関の戸を開けるとずかずかと上がり込む。
あれ?
俺、ちゃんと家の鍵しめておいたよな?
なんで開いてんの?
誰か帰ってきて……──いや、ないない。
神楽も新八も夕方にならないと帰らないと言っていた。
依頼を一件終わらすので、遅くなることはあっても早くは帰れないだろう、と。
だから、仕方なく自分でいちご牛乳を買いに出掛けたのだ。
玄関の鍵が開いているはずもないし、誰もいるはずないのに。
奥のリビングから物音がする。
「あっ、晋助様!玄関の鍵開けといたっス」
「こんな鍵、ちょろいでござる」
抱きかかえられたまま家に入ると、ソファーには派手なピンク色の着物を着た女とヘッドフォンをした男がコーヒーを飲んでくつろいでいた。
ヘッドフォンの男は見たことがある。
確か、紅桜の一件で高杉の横にいた男のはずだ。
女も見たことあるかもしれないが、はっきり思い出せない。
「また子、寝室はどっちだ」
「そこを左手の部屋に布団が敷いたままだったっス。荷物もそこに。
晋助様もコーヒー飲みますか?」
「……酒は?」
「知らない銘柄なんで、やめといた方が良いっス」
また子と呼ばれた女は、酒瓶を両手に持って高杉に見せる。
それは銀時が台所の戸棚の奥に隠しておいた秘蔵の酒だった。
「てか、人んちを荒らすなァアァァァ!!」
叫ぶ銀時をよそに、高杉はいちご牛乳が入った袋を女に手渡す。
「仕舞っておけ」
それだけ言うと、高杉は銀時を抱えたまま寝室へ入る。
また子は承諾の返事をして、静かに襖を閉めた。
敷かれたままの布団に銀時をゆっくりとおろすと、高杉は羽織を剥いで服を捲くりだした。
痛む傷口を押えながら、銀時は必死で抵抗する。
だが高杉も怯まない。 銀時がどんなに嫌がっても、這って逃げようとしても、容赦なく服を剥いで最後のさらしと包帯に手を掛ける。
「さっさと傷口見せろ」
「──嫌だ!」
「なんで」
「痛いから!!」
「大人しくしねェと、もっと痛くするぞ」
高杉に脅されて、渋々と銀時は包帯から手を離す。
ここで諦めないと、高杉は本当にもっと痛いことをするだろう。
銀時は覚悟を決めて、桃色と血でまだら模様になってしまった包帯をゆっくり解く。
傷口はやはり開いていて、新たに血が滲んでいた。
空気に晒すだけでも痛い。
その傷口に、高杉はわざと爪をたてる。
非道く跡が残るように。
傷口を抉ったまま、さらに爪を深く刻む。
「…くっ、い…ァ」
「忘れんなよ、銀時ィ」
傷も。
その痛みも。
苦しみも悲鳴も、躰も。
「全部俺のモノだ」
痛みで微動だに出来ない銀時を余所に、傷口を手慣れた手つきで消毒して脇においてある薬を塗ると布を当てて包帯を巻く。
緩くもなく、キツくもない絶妙な力加減で。
丁寧に包帯を巻き終わるとテープで固定して、高杉の羽織を再び銀時に羽織らせて両手の傷の処置を始める。
「……痛い」
「最初から大人しくしてりゃいいンだよ。馬鹿」
両手の傷は悪化していないらしく、包帯だけ取り替えて終わらすようだ。
ぐるぐると何重にも巻いていく。
「馬鹿じゃねーよ、馬鹿杉。何しに来たんだよ」
「見舞い」
「見舞いってのはなぁ、怪我人を背後から斬り付けることでも傷口を抉ることでもねーよ!よっく覚えておけ!!」
「どう見ても見舞いだろ?傷だって手当てしたし──」
渡し忘れていたと、高杉から手渡されたのは紙袋。
部屋の片隅に置かれていて、全然気付かなかったが。
銀時でも知っている有名な洋菓子店の紙袋だ。
「俺に?」
「他に誰がいる」
高杉に渡された紙袋の中には、苺のショートケーキがホールで入っていた。
甘いものが好きじゃない高杉が買ったのではないとしても、自分のためにわざわざ持ってきてくれたと思うとちょっと嬉しい。
「礼は言わねーよ?」
「ふん。また、ばったり会えるのを楽しみにしているぜ?」
不敵な笑みを浮かべる高杉の目は本気だ。
次に街中でばったり会おうものなら、その白刃に切り捨てられるのは間違いない。
「……アリガトウゴザイマシタ。
ばったり会わないように気をつけるわ」
可愛くねェな、とぼやきながら、高杉は銀時に被せていた羽織を羽織って、振り返ることなく部屋を出る。
別れの言葉は言わない。
銀時も、高杉がなぜ見舞いに来たかなんて解ってる。
念を押しにきたのだ。
自分以外の誰にも殺されるンじゃねェぞ、と。
「わかりづらいよ。……高杉」
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