狐面白狐


 くろい、夜のにおいと表現した。
 黒い印象は間違いない。
 艶やかな黒髪、その頭にのるのは金色と朱の化粧を施した派手な狐面。少し年代物だがちゃんと手入れされている狐面は、どこか懐かしく感じる。
 黒と赤の左右色が違う珍しい着物に、その袖口からのぞく黒い胴衣。その胴衣を留めるのは赤い組紐。
 左眼をずっと閉じている理由はわからない。視力はあり見えるらしいのだが、高杉は左眼を絶対に使わない。左眼を閉じているのは癖だと言う。
 首に下げるのは、唯一開いている右眼と同じ色の、翡翠色の勾玉を連ねた首飾り。勾玉は大きく、どこかの神社の御神宝ではないだろうか。神の加護を感じる。
 
「たかすぎ、にんげんみたい」
「てめーは耳も尻尾も隠せてねェぞ」
「むずかしいんだよ。きをぬくとでてきちゃうし」
「驚いた時も解けたしな」
「しょうようにばけるのは、はんそくだ」

 いまだに耳と尻尾が隠せない銀時と違い、高杉の変化は完璧だ。いつも耳と尻尾がなく、葉っぱがなくても人間へと化けていられるらしい。服装といい見た目といい、高杉を妖狐と知らなければ人間の、二十代の成人男性にしか見えないだろう。
 銀時は高杉のことをあまり知らない。
 松陽と旧知の仲で、元教え子だということ。銀時の泣き顔が好きでよく泣かすくせに、必ずあやしてどろどろに甘やかすこと。──前の銀時が大好きで、ずっと待ち続けていたこと。
 それ以外は知らない。はぐらかされている感じがする。
 高杉がどこに住んでいるのかも、いつも何をしているのか、原形の狐の姿も見たことないし、その尾の数すら銀時は知らない。

「どうした? 俺のことが気になるのか」
「みずの、けはい」
「水の術が使えるのは珍しいンだぜ」
「よるの、におい」
「夜、ってのは曖昧じゃねェか」
「よる、じゃない。ふかくふかく、もっとふかく。ひかりもとどかない、ふかいみずのそこ。とてもつめたくて、さびしくて、くらくて、しずかなそこにひとり。よるみたいにまっくらで、なんにもなくて、」
「──…銀時」
「そこに、たかすぎがいる」

 たかすぎはここにいるのに、と、小首を傾げ、不思議な顔をしている子狐の銀時。自分の言っていることが解っていない。
 直感だとしたら恐ろしい。
 そうだ、高杉はそこにいる。
 深い水の底へ、全てを持って逝くことを望んだ。
 前の、九尾の銀時が亡くなってから高杉は死んだ。
 九尾の銀時はおろか、この子狐の銀時も知らないはずなのに。

「てめーは死んでも俺のことが好きだな」
「なにいってるの? たかすぎ」
「…あァ。俺はそこにいる」
「ここにいるのに?」

 高杉は無言で肯定する。事細かに話すとどうなるか解っているから、銀時に詳しく説明しない。銀時が幼いとか、説明が面倒とかそういうのじゃない。──泣いている銀時は大好きだが、純粋に、ありのまま素直に高杉のため泣いてくれる現在の幼い銀時は、対処に困るから実は苦手なのだ。
(ち、言っても言わなくても泣いてンじゃねェか)
 泣き顔を見られないようにだろう。銀時は首に下げていた赤い紐を引き、後ろに回していた狐面で顔を隠そうとしている。

「──…その、狐面は、」
「……ひ、っく」
「まだ、この狐面を使っているのか」
「たかしゅぎ?」

 狐面の隙間からそっと指を入れ、目尻に溜まっている涙を掬う。直接、舌を入れて涙を舐めとってもいいのだが、狐面で銀時がよく見えない。
 邪魔だと思いつつ、しかしその狐面を無下にも出来ず、少し横にずらしてちゅっと溢れ出す涙をすべて舐めとる。
 赤くざらついた舌が、涙だけでなく瞼や頬までぺろぺろ美味しそうに舐め尽くす。銀時は必死に抵抗しているが、子狐の抵抗など高杉にとって痛くも痒くもない。
 名残惜しく離れる間際、愛おしそうに、銀時の狐面に触れる。
 それは子狐には大きく、かぶると落ちてしまうのでいまだ付けることが出来ず、首から下げて邪魔にならないように普段は後ろに回している。縁の白い塗装は剥がれ、水色の化粧は煤で汚れ、強い火に晒されたのか一部は黒く焦げたままだ。

「持って、いったのになァ」
「もっていった?」
「──…あァ」

 水の底に、すべて持っていった。
 何ひとつ残さぬように。
 誰にも、渡さぬよう。
 それこそすべて、だ。
 見送られることを拒んだが、何も言っていないのに松陽先生や桂、自分を慕っていた湖に棲む鬼兵隊の面々や、それこそ毛嫌いしていた烏天狗のイヌ共が見送りにきた。
 自分の骸と銀時の遺品を、銀時が守った湖の底へと沈めてほしいという、高杉の遺言に則って水葬するために。

「──銀時。てめーは覚えてないだろうが、その狐面は前の銀時に俺がやったもんだ」
「…これ? かえしたほうがいいの?」
「違ェ。目印だから、てめーが持ってろ」
「めじるし?」
「あァ。今度は俺が守る」

 高杉がどこか遠くを見ながら銀時を抱き締める。その右眼に子狐の銀時は映っているのだろうか。
 銀時はされるがまま、抱き締められることを甘受している。高杉に抱き締められるのも、涙を舐めとられるのも、高杉にされることは嫌いじゃない。むしろ内心では嬉しく思っているのに。

「──…銀時?」

 言われるまで気付かなかった。自分が再び泣いていることに。
 高杉を困らせたくないから泣きやみたいのに、涙が止まらない。
 胸が苦しくて、暗く、どす黒い感情が渦巻いている自分自身が嫌だ。

「だめ、だよ。たかすぎ」
「何が駄目なんだ」
「おれは、おまえの銀時じゃないから、まもんなくていいし、じゆうになればいい」
「──銀時。何度も言わせンな」
「…ひ、っく」
「俺の元に戻ってきて嬉しいし、また好きになって何が悪い」
「……ん、っく」
「今度こそ、俺に守らせろ」
「たかすぎ」
「俺はてめーが好きだぜ? てめーはどうなンだ、銀時」

 自分だけを見ている、穏やかな翡翠色の右眼。
 銀時は嬉しくて、自分から高杉に抱きつく。

「すき、──…じゃ、なくもない」
「回りくどい言い方すンな」

 天の邪鬼は相変わらずだな、と高杉は銀時の額をぱちんとデコピンする。天の邪鬼ではない、自分の本心は見破られているので、素直に言いたくないだけだ。
 知ってるくせに、聞いてくる高杉だってかなり性格悪いと思う。
 少し痛い額をさすっていると、その額と涙の残りごと、ぺろんと高杉に舐められた。





 すっ、と差し出された煙管。
 言われるまでもなく、ぱちんと指を鳴らして小さい狐火を出現させる。
 銀時と高杉のちょうど中間に出現した小さな狐火は、小さいながらも火力は鬼火に匹敵するほど熱く、高杉もそれを知っているので近付かない。高杉は手を伸ばし、煙管の中のタバコ葉を燻らせる。燃え過ぎず、煙管で吸うにはいい火の塩梅だ。以前、煙管の中に直接狐火をつくったら、詰めていた刻みタバコ葉と煙管もろとも燃やしてしまって高杉に怒られたのは記憶に新しい。じゃあ俺に頼まなきゃいいのに、高杉は必ず銀時の狐火で煙管を嗜む。
 比べる相手が松陽しかいなかったので気付かなかったが、俺の火力はとても強力らしい。ポテンシャルが高いのか、初歩技の狐火しか習得していないのに火力だけなら松陽を越している。
 ゆえに、狐火しか使えないのに九尾で、炎帝という高位の称号を与えられた。
(といっても、火を操るのが上手いだけじゃん。もっと違う技も覚えようかなー)

「なぁ、高杉の得意な技って、なに?」
「? 水芸のことか?」
「あー、あれ。みんなに人気よね」
「雨を降らせるのも喜ばれるが、あれは疲れるからなァ」
「…あ。俺、久々に虹が見たいかも」
「虹? 夜は無理だから、今度な」
「けち」

 いつもいつも、毎日毎日、高杉のマッチでも行灯でもないのに、高杉の煙管に火を着けてやっているのは自分だ。
 少しくらい、何か甘味やお礼の一つや二つあってもおかしくないのではないか。次から頼まれても煙管に火なんか着けてやるもんか。
 銀時が一大決心をしていると、すっと高杉が何かを差し出す。

「その狐面は傷付いているから、新しいのを使え」
「え、これ、──…狐面?」
「あァ」
「え、あ、うそ、」
「なンだ、文句でもあるのか」
「いや、綺麗な空色の化粧だなって。わざわざ高杉が作ってくれたの?」
「あァ。──…あァ?」

 なぜ見破られたのかわからないが、その通りだ。この狐面は銀時をイメージして着色した。
 その赤い眼や炎の色ではなく空色にしたのは、色素のない銀時の、銀色の髪の透明感と自分の棲む湖の色を重ねたからかもしれない。
 銀時は思ったよりも気に入ったらしく、古い狐面を高杉に手渡すと、新しい狐面をすでに頭に乗せていた。
 新しい狐面を高杉から受け取った銀時。
 古い狐面を高杉へ手渡した銀時。
 この過程が、一番重要なのだ。

「知っているか、銀時」
「なにが?」
「人間は契りを交わすときに指輪を交換するそうだ」
「指輪?」
「そうだ。心の臓に繋がっているという左の薬指に、その指輪を嵌めて誓いにするンだと」
「へぇ、そうなんだ」
「俺達も狐面を交わしたし、これで夫婦になったってことでいいな」
「へぇ──…え、いやいや、よくないよ高杉くん。何言っちゃってんの!?」
「喜べ銀時。明日は狐の嫁入りにしてやる。なんなら虹の一つや二つ見せてやろう」
「え、ちょ、はぁ!??」
「──銀時」
「冗談はもういいだろ、高杉。娶ったって子も成せないし、意味ないじゃんか」
「冗談じゃねェし、意味ならある。俺はいつだって本気だ。言い忘れていたが、愛してるぜ?」
「疑問系で言うのやめて。もうほんと、なんでいまさら…」

 いつもは白く、すまして悪態しかつかない顔を真っ赤にしながら、銀時が顔を逸らす。
 隠れていたはずの耳と尻尾が出現し、九つある尻尾を嬉しそうにぶんぶん振っているのも特徴的だ。
 天の邪鬼な銀時の、答えなんて聞かなくても解っている。
 なんやかんや文句を言いながらも狐面は返そうとしない。新しい狐面が気に入っただけではないだろう。
 新しい狐面をつける銀時。
 古い狐面を手渡された高杉。
 これらが契りを交わしたということにされて、九尾の銀時は湖のヌシの蛟の高杉へと嫁ぐことになった。



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