雪柳白狐


 そいつを見ると、いつも泣いてしまう。
 理由なんかわかんない。
 ただ、涙が溢れて止まらない。

「俺が、怖いか」
「──…こわく、ない」
「ククッ、怖くないのに泣くのか」
「う、っ…しゃい」

 怖いんじゃない。態度は横柄で威圧的、炎ではなく違う気配を身に纏っているが、暴力を振るわれたことは今まで一度もない。
 顔は格好いい部類に入るだろう。左眼をずっと瞑っているのは気になるが、端正で男前なその顔は個人的に嫌いじゃない。むしろ好きな見目の顔は、絶対に笑わなくて無愛想なのに、時々、微かに見せる笑みを見ると、たまらなくなって泣いてしまう。

「あァー、泣くな」
「…ないて、ないもん」
「涙拭いてやるから、こっち来い。銀時」
「ないてないもん!」

 どうして意地を張ってしまうのか。
 どうして素直になれないのか、これも理由がわからない。
 泣いているのを見られないよう、振り切って走って逃げる。あとで怒られるだろうが、構っていられない。裸足のまま縁側を飛び降りると、隠れるように庭の隅にあるユキヤナギの根元にうずくまる。白い花が咲き、自分の背丈以上あるユキヤナギは隠れるには絶好の場所で、育ての親である松陽にだって見つかったことはない。
 着物の裾で涙を拭い、鼻水はどこで拭こうか悩んでいると、そっとティッシュを差し出される。一瞬だけ躊躇うが、再び溢れてきた涙には逆らえない。かんでも鼻の下が痛くならない高級ティッシュを贅沢にも二枚重ね、鼻をかんで涙を拭く。
 ティッシュを差し出したやつなんて、見なくてもわかる。どんなところに隠れても、そいつは易々と俺を見つけてしまう。

「まだいたのかよ、たかすぎ」
「泣いてるやつを放っておけねェだろ」
「ないてないもん」
「いや、お前に限って言えば、泣かすの大好きだし泣き顔も最高だけど、──…なァ」

 銀時の隣に、当たり前のように座る。
 そこは地べたで衣が汚れるというのに、この男、高杉は気にしない。むしろ嬉々として銀時に近寄ってくる。
 距離をとるために離れようとすれば、隠れるためのユキヤナギが邪魔で逃げられず。高杉は俺と箱ティッシュを抱きかかえるように、自分の膝の上に乗せる。

「銀時」
「…おれは、おまえの銀時じゃない」
「知ってる」

 俺に誰かを重ねて、俺の名前でその誰かを呼ぶ。
 それが悲しくて、もっと泣いてしまうのをわかっているなら、この男は意地が悪い。
 あやすためだろう。頭を撫でられ、痛いほど抱き締められれば涙はもっと止まらなくなる。
(…ねぇ、たかすぎ)
 お前に会うと、泣いてしまって。
 胸の奥が痛くなって、どうしようもないんだ。
 ──この感情の名前を、俺は知らない。 


   *


 白い、色のない子供が生まれた。
 爪も牙もない、目もまだ開かない小さい赤子の毛並みは柔らかく、おそるおそる触れれば雪のように軽いのに温かい、しっとりと吸い付くような肌触りの産毛。ゆっくりと撫で続けていると鼻を揺らし、もっと撫でろと催促しているようだ。
 毛色は雪よりも白く、艶めくその色は銀色と表現した方がいいだろう。
(──…痛く、ない)
 以前は高杉と銀時それぞれの属性の相性が悪く、触れるために何年もかけて耐性をつける必要があった。しかし今は、痛みもなく容易く触れる。

「──…松陽先生」
「ええ、やっと生まれましたね。晋助」
「…はい」
「ずっと待ち続けていたのに、嬉しくなさそうですね」 嬉しくないわけがない。
 ずっと待っていた。
 待って、待ち続けて、待ちわびて、待ち焦がれて何十年経ったかもう覚えていない。
 一緒にいた時間より、一人になって生き残された時間の方が、再び巡り会えると待っていた時間の方が長かったかもしれない。

「俺のこと、覚えているでしょうか」
「それは、どうでしょう。あなたが覚えていたように、覚えているかもしれませんし、全て忘れて、覚えていないかもしれません」
「──…銀時、なんですよね」
「はい。間違いなく銀時ですよ」

 家の主で、山を治める狐の一族の長でもある松陽の膝の上に、丸くなって眠る子狐。
 名前はもう決まっている。
 ──銀時、と。
 その名を付けられた時点で、運命も決まっている。
 山の奥深く、水源である湖のヌシであった、蛟の生まれ変わりに嫁入りすることが。

「いやー、蛟の執着は凄いですね」
「松陽先生、茶化さないでください」
「晋助。間違いなく、これは銀時ですよ。銀時の育ての親だった私が保証します。また生まれてきてくれて有り難う、銀時」

 なにも、覚えてなくていい。
 高杉の元に再び現れて。
 銀時だった、という事実だけで十分だ。
 この子狐は間違いなく銀時で。
 炎帝・白夜叉と言われた狐一族最強の炎使い、銀時の生まれ変わりだ。


 まるで呪文のように繰り返す。
 忘れないように。自分を縛るように。…戒めるように。
 自分の名前よりも、特別な名前。
 何度も繰り返したそれは、高杉にとってただの名前ではなく睦言と同義になった。
 愛を囁く代わりに、名前を呼び続ける。

「銀時」

 この声が届かなくても。
 愛おしいその名前を、呼び続ける。

「…銀時」
「おにいさん、だれ?」
「お兄さん、か。腐れ縁の幼なじみだったンだがなァ。──…呼び捨てでいい」
「なまえしらないもん。くろいおにいさん」
「黒?」
「うん、くろいから」
「そうか、俺は黒いか。そうだなァ、てめーみたいに白く純粋にはもうなれねェな」
「ちがう。くろい、よるのにおいがする」
「夜?」
「うん。あとはね、みずのかおりと、かなしみと、あと…」

 小首を傾げる銀時は、まだ小さくて狐火すら出せない子狐で。
 こんな幼く、あどけない子供の銀時を高杉は知らない。前の銀時との出会いを覚えていないが、気付いたら喧嘩していて、競い合って、遊び疲れて、──ずっと傍にいた。生意気ながらも強く、昔は勝負をすると負け越すことが多かった。

「さんげ」
「さんげ?」
「さんげ、だとおもう」

 銀時の言葉の意味がわからず、聞き返すがさんげで合っているらしい。銀時はさんげさんげと言いながら、近くに咲いてたユキヤナギの枝を折る。
 子狐が手折った枝は小ぶりで、咲いている花の量も少ない。そんな小さな白い花と若葉が芽吹くユキヤナギの枝を一房、高杉に渡す。

「このはなを、ちらすんだ」
「花?」
「うん。とむらいに」
「──…散華、か」
「いっしょにまこう。くろいおにいさんのぶんは、おれがないてあげるから」

 なけないんでしょ? と、もう痛みも感じなくなった高杉の左眼に、銀時の小さな手が触れる。

「…たかすぎ?」
「──…ッ」
「くろいおにいさん、どうしたの?」
「な、まえを、知っているのか?」
「なまえ? しらないよ?」
「──銀時」

 びくっと、銀時の指先が震える。
 銀時を怯えさせたくなくて、──逃がしたくなくて。渡されたユキヤナギをそっと地面に置くと、伸ばされた銀時の指先を掴んで、その小さな体を抱き締める。
 少しこわばった体は、それでも子供特有のやわらかさで抱き心地はよく、不満を上げるとすれば、嫌がるようにパタパタと揺れる尻尾が高杉の腕をはたいていることぐらいだろう。
 拒絶されていると解っているが、それでも高杉は銀時を離す気は更々なく。
 いまの二人は、高杉が銀時に抱き付いているような、銀時に埋もれているような、よくわからない体勢だ。

「銀時」
「──…ちがう」
「てめーは銀時だろ」
「…おれは、おまえの銀時じゃない」
「あァ、てめーは俺の銀時じゃない」
「──…っ、」
「だが、てめーも俺の銀時も、根本である魂は同じだ。また俺の元に戻ってきて嬉しいし、また好きになって何が悪い」
「……たかすぎ」
「会いたかったぜ? 銀時」

 今度は拒めず、ぎゅうぎゅうとされるがまま、銀時は高杉に抱き締められる。
 その赤い瞳からは、大粒の涙が溢れて止まらない。

「たかすぎ」
「──…銀時」
「おれは、たかすぎのことをしらない」
「あァ」
「おれは、おまえの銀時じゃない」
「──代わりに、泣いてくれるンだろ」
「え、」
「俺のために、泣いてくれよ。銀時」

 ぺろっとひと舐め。銀時の涙なら甘い気がしたのに、気のせいだった。
 しょっぱいその涙は止まらず、舐めても舐めても溢れてくる。目の前で泣いている銀時を放っておくなんて勿体ないことは出来ず、銀時が泣き疲れて眠るまで、高杉は銀時の涙をぺろぺろ舐め続けた。



雪柳の花言葉 : 「愛らしさ」 「気まま」 「殊勝」


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