罪悪感で死にそう


 一番古い記憶は、5、6歳の頃だろう。
 父親と本家へ行き、親組の吉田組組長、吉田松陽先生に挨拶をしたときだった。
 松陽先生は一見奇抜な長髪で、腰まである薄い色素の髪を結わきもせず下ろしており、優しそうな風貌でいつも微笑んでいる印象が強い。
 が、その性格は一変するととても荒々しく。道を外れた者には厳しく力で更正させ、気に入らない組は潰してしまうこともあった。

「銀時」

 極道の家に似つかわしくない、純白の天使のような可愛らしい子供が走り寄ってきた。ててててと、小さな足音を立てて。
 勢いをつけすぎたのか。松陽先生が名前を呼んでも止まらないその子供は、松陽先生を通り過ぎ、高杉の父親も通り過ぎ、ようやく高杉にぶつかって止まった。
 ぼふっと音を立てて高杉の背中にぶつかった子供は、高杉と同い年くらいだろうか。それにしては背が低く、ひどく痩せている。あっちこっちに跳ねた銀髪に、一回り二回りも大きい松陽先生の物と思われる灰桜色の着物をぶかぶかに羽織って、長すぎる裾を引きずっていた。

「ぎんとき、っていうのか」
「…」
「言ってること、わかるか?」
「……」
「俺の名前は高杉晋助、だ」

 一目惚れ、というのだろう。
 自分の名を呼んでもらいたいと。自分だけを見ていてほしいと、思ってしまった。

「………」

 きょろきょろと首を振り、抱きつく人を間違えをしてしまったと気付いた天使は、高杉から離れ、慌てて松陽先生の影に隠れる。ぎゅっ、と松陽先生の着物を握りつつ、ひょこり、おそるおそる顔を覗かせた天使が、舌っ足らずな言葉を発しただけだというのに。

「──…しんしゅ、け?」

 必死に、たどたどしくも自分の名を呼ぶ天使に対して、優越感と加虐的な感情を持った。
 庇護欲をそそられなかったと言えば嘘になるが。
 この天使を守りたいし、逆に自分が汚したいとも思った。
 相反するこの感情を、なんと呼べばいいのだろう。
 ──今もまだ、答えが見つからない。



 神楽は銀時から一向に離れなかった。
 一年三百六十五日、四六時中、銀時の護衛として二人と一緒に生活を共にしていた。正確にはふらふらと喧嘩三昧の日々を送る神威は不在がちなので、主に神楽と二人きりの生活が多かった。不在がちと言っても、神威は有事があればいの一番、当たり前のように居たし、ふらふらしながらも三日以上は不在にしたことはなく、必ず銀時と神楽の元に戻ってきた。
 一ヶ月しか離れていないが、神楽はとても寂しかったらしい。神威の視線が突き刺さるほど痛いが、神楽が満足するまで甘やかそうと決めていた。
 よしよしと、催促されるたびに頭を撫でる。
 銀時に飛びついた神楽は目聡く、すぐに筋肉が落ちて少し痩せたことに気付いた。首輪と足枷、見え隠れしているはずのキスマークは苦笑いしあって誤魔化す。何を言ってもムダだと、お互い解っているから。
 ほかに異常がないか、着物の中へ手を入れられ、わき腹をくすぐられ、頭から足の先っぽまで確認される。元気そうだから良かったと、神楽は再び銀時の胸に顔を埋める。
 二人とも銀時より年下だが、戦闘能力は折り紙付きで。二人が護衛になってから銀時が誘拐されたり危険な目に遭ったことはない。
 明るい桃色の頭髪。少し長い髪を二人とも三つ編みに結っている。神威は黒を基調とした中華服を、神楽は深いスリットの入った長いスカートの赤い中華服を身に纏い、ほっそりと白い太股を晒す。目に毒だが誘惑に負けて見つめてはいけない。機関銃を仕込んだ傘を二人とも携えているのだから。

「てか、神威と神楽、なんで同じ髪型なの?」
「銀ちゃんがいないから、神威に髪を結ってもらったら同じ髪型にされたアル」
「神威…」

 妹の髪をお団子にすることも出来ないのか。
 可哀想な目で神威を見つめたら、普通の男は結えないよと言われた。結える俺はおかしいのか。
 三つ編み上手に結えていると、一応フォローしておく。もうちょっと技術があれば簡単にお団子が出来るので、今度教えてやろう。

「神威と神楽は今までどこにいたんだ? てか、どうやって入ってきたの?」
「どうやって、って」
「片目から預かってた鍵を使って。ずっと名前を呼ぶの、待ってたアルよ」

 言われてみれば、この部屋に連れて来られてから神威と神楽、二人の名を呼ぶことはなかった。高杉は外での出来事や吉田組の話題を一切しなかったし、高杉以外の名前を呼ぶと機嫌が悪くなるから。

「えっと、いまはどんな状況なの?」
「一応、名目上はおにいさんを探していることになってる」
「一ヶ月以内に見つけられなかったら、公開処刑とは言われたアル」
「居場所は知ってたし。ただ、松陽組長に教えなかっただけだよ」
「処刑はないと思うけど、怖いから最近本家に戻ってないアル」

 あはは、と二人とも笑っているけど、目は笑っていない。俺が不在の間、ずいぶん酷い仕打ちを受けたに違いない。

「松陽は俺を怒らせたいらしいな」

 神楽が息を呑み、神威は楽しそうに目を細めて笑う。
 怒っているのは神威と神楽の二人だけじゃない。
 俺だって、腸が煮え返るほど怒っている。
 自分の都合で俺を本家に監禁したこと、勝手に大学へ退学届けを出していたこと、極限状態で精神が崩壊しそうだったこと、理不尽な神威と神楽への仕打ちに、高杉を暗殺しようとしていること。
 その全て、銀時として許せることではない。
 いつもは流れに流され、自分のことでは滅多に感情を見せず怒らない銀時が怒っている。
 珍しいこともあるもんだ、と、神楽は嬉しくて更に力強く抱きつく。死んだように無反応で、感情を感じることが出来なかった銀時が、神威や神楽のために怒っているのだ。
 とても嬉しくてたまらない。

「高杉がどこ行ったか知らない?」
「片目、アルか?」
「高杉が松陽に殺される」
「俺、高杉さんのスケジュール帳のコピーを持ってるよ」
「なんで持っているアルか」
「LINEも知ってるし。案外、仲良いんだよ?」

 仲良いのはどうでもいい。──いや、よくないか。この二人の会話ってなんだろう。犯罪すれすれの会話に違いない。
 神威からスマホを奪い取ると、万斉とのLINE同様、会話を読まないように簡潔に文章を送る。
 いま、どこにいるのか、と。

「あと神威、これ壊して」
「これ?」
「足枷を外すんだよ」
「──あしかせ…、あ、」
「どうした、神楽」
「首輪と足枷の鍵なら片目から預かっているアル」

 高杉のスケジュール帳を持っていた神威。
 銀時を拘束している首輪と足枷の鍵を持っていた神楽。
(まぁ、そりゃそうだけど)
 もし神楽にスケジュール帳を渡していたら、高杉のことを敵視している神楽は捨ててしまうだろう。
 逆に壊し屋の神威は、鍵とかの小さな小物を壊してしまうので預けておくのは向かない。
 よって、神威がスケジュール帳を、神楽が首輪と足枷の鍵を持っていたのは必然と言える。

「…俺より神楽と神威を使いこなしてんじゃん」
「何か言ったアルか? 銀ちゃん」

 高杉の気遣いは完璧だ。
 おせっかいなほどに。

「ムダにするわけには、いかねーな」

 神楽から鍵を受け取り、足枷を外す。首輪はさすがに外しにくいので、神楽に外してもらった。
 足枷がなくなった右足に、すっきりした首回り。
 軽くなったのに、なんで寂しく感じるのだろうか。
 気のせいだと、頭を振る。

「あと銀ちゃん。来るときに着ていた服は、上から二段目に入ってるって」
「上から二段目──…」
「銀ちゃんは開けないから見つけられないだろうって言ってたアル」
「…わかった。ありがとう、神楽」

 銀時が二段目の引き出しを開けるはずがない。
 実は家の中を把握するため、何度か家捜しをしている。しているのだが、そこは盲点だった。高杉の言ったことを鵜呑みにした自分が悪いのだが。
 銀時が開けない二段目の引き出しとは、寝室にある箪笥のことだろう。外した首輪を寝室のベッドに投げ捨てると、箪笥の上から二段目の引き出しを引いてみる。そこには確かに連れて来られたときに着ていた自分の服と、おそらく自分のために誂えたと思われる新品のスーツとワイシャツが入っていた。
 黒いスーツに、水色やピンク色の無地シャツや、ストライプのカジュアルなシャツ数点。他にも新品のネクタイや靴下も用意されており、至れり尽くせりだ。
 ただ、下着だけが見当たらない。
 ──いや、あることはあるのだが、普段の銀時なら頼まれても身につけないものだ。

「ばっかじゃねーの」

 水色のワイシャツを手に取ると、着替えるために寝室の扉を閉めた。





 くしゅん、と、くしゃみをして鼻をすする。
 銀時と高杉ともども湯上がりでぽかぽかのはずなのに、銀時だけしかめっ面だ。
 高杉を睨んでいるが、下から睨みつけるこのアングルだと上目遣いに誘っているようにしか見えない。

「銀時。誘うンじゃねェよ、服を着ろ」
「誘ってねーし。てか、足枷してんのに着れるかよ」
「だよな。じゃあ手枷にしても問題なかったか」
「いやいやいや、問題大ありだよね。何も着れないよね、それ」

 現在の銀時はソファの上、服を着ている高杉とは対照的に全裸で、大きなタオルにくるまっている。着れる服が見当たらなかったのだ。
 今までは首輪だけだったのに、今日から足枷が増えた。行動範囲が一段と狭くなり、着れる服も限られてしまう。
 足枷と首輪をしている現状、ボタンやファスナーの服なら着れるがスボンは絶望的だ。足枷が邪魔で履けるわけがない。

「着物なら着れるだろ」
「下着は」
「あァ──…一応、用意はした」
「一応?」
「個人的な趣味で紐パンを」
「しね」
「何もないよりかはいいと思ったンだが。二段目の引き出しに大量に仕入れといた」
「よくねーよ。え、なに考えてんの。そんな卑猥な下着いらないし。足枷取ればいいだけの話だから、外してくんない」

 ひょいっとタオルの合わせから、足枷を付けた右足を上げる。

「外してもいいのか?」
「はぁ? いいに決まってんだろ」

 高杉は上げられた銀時の足を取り、恭しくつま先に口付ける。
 引っ込めようとしても、固定されて動かせない。

「──…これがある限り、てめーは俺のモンだ」
「たかすぎ…っ」

 そのままソファに押し倒される。
 下着も服も着ないでタオルにくるまっていたのが仇となった。抵抗も出来ない。

「ヤりやすいし、いいな」
「よくない…っ」
「銀時。それでも足枷を外したいか?」

 外したいに決まっているのに、その声は高杉の唇に塞がれて。
 なし崩しに犯されたのは言うまでもない。
 その後は抵抗の意味で紐パンを断固履かなかった。高杉に無理やり履かされたりはしたが、あれは履いた数には入らない。
 今、仕方なく履いているのだってノーカウントだ。
 現在進行形で、高杉の思うまま紐パンを着用していると考えるだけでイライラする。
 スーツのジャケットとネクタイをわし掴むと、銀時は蹴破る勢いで乱暴に寝室の扉を開けた。
 ソファで座って待っていた神楽にとってはいつもの範疇なのだろう。咎めもせずに乱れた襟元を整えてくれる。

「銀ちゃん、スーツに着替えたアルか?」
「パーティーには正装だろ?」

 パーティーではなく抗争になるだろうが、銀時的には大差ない。自分の居場所を、自分の大切なものを取り返すための大乱闘になるだろう。それには正装で参加するのが礼儀だから、高杉もスーツ一式を用意したに違いない。
 部屋の隅に放り投げられた、昨日自分を縛ったネクタイは見えなかったことにして、銀時はタンスから新しいネクタイを持ってきていた。濃紺のネクタイは自分で結びにくいが、神楽に頼むと絞殺されてしまうので頼めない。
 高杉のネクタイは、あんなに締めやすかったのに。
 ──何もかも、高杉のせいだ。
 今まで何も感じなかったのに、二人だけの生活が楽しかったのも、高杉を殺されたくないのも、高杉がいないと寂しいのも、全部全部、高杉が悪い。
 靴だけ用意されてなかったらどうしようかと思いながら、銀時は玄関へ向かった。



 首都高を進む黒塗りのベンツ。
 後部座席で寛ぐ高杉は、スマホを見て苦い顔を浮かべたがそれも一瞬で、いつもの人を馬鹿にしたような冷淡な顔に戻る。
 今日の予定は片付いており、本来ならまっすぐ帰宅したいところだが。
 そういう訳にはいかなくなった。
 
「晋助。気付いているでござるか」
「──…あァ」
「なら、」
「フライパンで作るのも限界だから、ホットプレートを買おうと思ってる」
「……はい?」
「フライパンはちまちま一枚ずつホットケーキを焼くしか出来ないが、ホットプレートなら一度に大量生産が出来る。冷めることもねェ」
「白夜叉は猫舌だから冷めても問題ないのでは、…じゃなくて」
「尾行、か」

 気付いているならボケないでほしい、という心の声を抑えて、万斉はバックミラーで再度確認する。
 白い車にずっと、追尾されている。

「どうするでござるか」
「どうする、ねェ」

 手の中のスマホをいじりながら、高杉は生返事を返す。
 どうするかなんて決まっている。
 ただ、夢の終わりが呆気なくて惜しいだけだ。

「とうとう本人のお出まし、か」
「晋助」
「港の、人気のないところへ車を誘導しろ」

 神威からのLINEに返事を送る。
 銀時と妹の神楽以外には興味のない神威が、高杉の居場所を問うはずがない。きっと銀時が、自分を探している。
 あの銀時に求められているなんて、最高だ。

「このまま、消えてもいいンだがな」

 自虐的な考えの自分を一蹴するように、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。銀時が煙草を嫌うので、家では吸わなくなってしまった、赤いパッケージの煙草。
 こんな煙草よりも、銀時の舌に甘噛みしてむしゃぶりつきたい。もっともっと、嵌めて、突いて、犯して、俺なしでは生きていけないようにしたい。
 そう、銀時を犯した。
 しかも一度ではない。もう数え切れぬほど抱いて、高杉を銜え込めば射精するように開発もした。
 松陽先生の大切な後継者を、自分が汚した。
 ──後悔は、していない。
 そう、後悔はしていないので罪悪感などないのだが。
 殺されて二度と銀時に会えないかと思うと、悲しくて死にたくなる。



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