何時だって孤独
高杉がホットケーキを焼いている。
エプロンは着用していない。ワイシャツに黒のスラックス、そのまま仕事に行けるような格好なので、決してラフではないのだが。ネクタイをしていない上に、ワイシャツのボタンを留めていないせいか、とても色っぽい。
(色っぽいというか、艶っぽい? イケメンはなんでも似合うし、出来ちゃうんだよなー)
ホットケーキを大量生産するのに使っているのはフライパンだ。ホットプレートなる物は高杉の家には存在しないので、一枚ずつ、慣れた手つきで裏返しては焼き上げて、器用に積み重ねていく。
その手際は完璧で、きつね色の美味しそうな焼き加減。焦げつきなど一切ない。
甘いもの好きじゃないのに、なんでそんなにホットケーキを焼くのが上手いのかと訊ねたら、高杉の家に来たばかりの俺がねだったらしい。しかも高杉が作ったホットケーキしか食べなかったとか、記憶が混濁していて全然覚えていない。
どうして高杉の家にいるのかも、セックスしていたのかも、首輪に足枷の理由も解らないのだから、困る。
(──…まあ、帰るつもりないからいいんだけど)
首からぶら下がる、冷たい金属製の鎖を引っ張ってみる。首輪は革製だが、どこから用意したのか鎖は金属製で。壊れる要素が見当たらない。
首輪の鎖を引っ張ると、なぜか安心するのは内緒だ。──ここに繋ぎ留められている、物理的な存在だからだろう。
「外したいか」
「あ、いや、違くて。和装だと鎖が胸に直接当たるなって」
「はだけてるからだろ。万斉が来るから、襦袢を着付けし直してやる」
つつ…っと、鎖骨を下りた高杉の指が銀時の何もない胸板をなぞる。くすぐったくて身をよじれば、高杉は嗤いながらホットケーキを裏返す。ちょっと焦げていた。
ざまみろと思ったが、食べるのは自分だった。あれ、おかしいな。
ホットケーキを焼く高杉の隣で、銀時は高杉用のコーヒーと朝食を用意する。食パンとサラダだけの簡単な食事内容では体が保たないと思うのだが、銀時が来る前は缶コーヒーと目覚めの一服だけだったらしいので、今の方が少しは健康的なんだとか。
対面式キッチンのカウンターテーブルには、高杉用の食パンにブラックコーヒー、二人分のサラダが用意できており、あとは銀時のホットケーキを待つだけだ。
猫舌なので、自分用に入れたホットミルクをちびちび飲みつつ、ホットケーキを焼く高杉を見やる。
「…高杉」
「あァ、できたぜ。いつも通り5枚でいいのか」
「ろくまい」
「あと1枚焼くから、冷める前に食べてろ。載せる具材を切らしていたのは迂闊だったな。アイスと残ってるメープルシロップでいいか?」
「高杉」
「どうした、銀時」
「ボタンぐらい、留めろよ」
自分の付けた噛み跡だかひっかき傷だかわからない、鬱血痕がくっきりと残る、腹筋や脇腹がちらりと見えるのはとても心臓に悪い。
マグカップを置き、高杉のワイシャツのボタンを留める。他人のボタンは留めずらく、銀時は珍しく苦戦していた。ネクタイを締めるのは慣れたが、さすがにボタンは留め慣れていない。
片や高杉は、ホットケーキを焼いているので両手が塞がっている。なにも出来ないと思いきや、ちゅっちゅと額や前髪、つむじ付近に口付けている。
「なにしてんの?」
「キス」
「それはわかってるけど。ちゃんとホットケーキ焼いてろよ」
「焼いてる焼いてる。つむじは何だったかなァ」
「つむじ?」
「キスの格言があンだよ」
思い出せないから狂気の沙汰でいい、と銀時にはわからないことを言いつつ、ちゅっと最後は唇に口付けて離れていく。ホットケーキを焼き終えたのと、銀時がボタンとの苦戦を終わらせたのはほぼ同時だった。
襦袢をきっちり着付け直される。
ゆるく着たり、はだけさせるのが楽なので好きなのだが、万斉が来るから仕方ない。高杉にされるまま、着付け直された襦袢の上に派手な羽織を羽織る。紫色の生地に、金色の刺繍で蝶やら花やらが描かれている羽織は高杉の趣味で、銀時の趣味ではない。絶対に高杉が着た方が似合っている。
着直して高杉と二人、キッチンのカウンターテーブルで朝食を食べ始めたところで、オートロックの呼び出し音が鳴った。そこには両手に白いスーパーのレジ袋を持ち、大量の食材を抱えた万斉が映っていた。
「エアーポンプと、黒い金魚に、金魚の飼い方の本?」
「晋助に頼まれたでござる」
万斉が買ってきた食材を冷蔵庫や冷凍庫に入れていると、用途不明な物が出てきた。
エアーポンプは水槽に設置する空気の出る機械で、金魚は金魚だ。食材ではない。ちゃぷちゃぷ、狭いビニール袋の中を一匹の黒い金魚が泳いでいる。
金魚ってなんだ、と考えれば、昨日唐突に押しつけられたものを思い出した。
「あ、だから金魚鉢か」
「その金魚鉢はどうしたンだ」
「一階だか二階下に住んでる総一郎君が、修学旅行中だけ預かってくれって押しつけられたんだよね。ちょっと餌をやるだけでいいって」
三日後に取りに来るらしいから、と高杉を宥める。だから金魚鉢パフェだのチョコレートパフェだの、高杉に似合わない言葉を発していたのか。
「その金魚鉢のエアーポンプ、盗聴器ついてるぜ」
「え? …まじ?」
「電波式か録音式か。まァ三日後に取りに来るなら、録音式だろ」
バキッとエアーポンプが壁に当たって壊れる。投げつけたのは銀時で、水飛沫とエアーポンプの残骸がキッチンの入り口に立っている万斉に当たる。
「あ、これ、この黒い部品でござるよ」
「踏み潰してやる」
「録音されているか、確認できるが? 白夜叉の喘ぎ声とか」
「しね」
盗聴器を跡形もなく粉々に粉砕する。総一郎君は一体なんの目的で、盗聴器をエアーポンプに仕込んだのだろう。高杉は一応、高杉組の組長だぞ。敵対組織の情報収集の一環だろうか。
万斉が持ってきた黒い金魚を金魚鉢に入れながら、銀時が考え込む。どう見たって総一郎君は中学生だったし、油断していた。
「気を引き締めないとな」
「それはそうと、白夜叉どの…」
「銀時」
「──…本家には戻らなくてよいのでござるか。白夜叉殿」
「ぎ・ん・と・き」
「……銀時殿」
「うん。帰らない」
銀時はにべもなく、きっぱりと断る。
高杉はともかく万斉は銀時の境遇を知らないようだ。万斉は会うと必ずと言っていいほど帰宅を勧めてくる。
それもそうだろう。高杉組にとって親組の次期組長の銀時を監禁しているのは立派な背信行為で、組長である松陽の反感を買って取り潰されたり、最悪の場合は暗殺されてもおかしくない。
「でも、俺は、ここにいたい」
金魚鉢に新しく買ってきたエアーポンプを取り付けながら、銀時が呟く。
「万斉。いつまで其処にいるつもりだ」
「おっと、話が長くなったでござる。拙者は玄関外にいるので、失礼致す」
万斉は逃げるようにレジ袋を置いて出て行ってしまう。
残された銀時は気まずいながらも、高杉の隣に座り直す。
「コーヒーでも持って行った方がいい?」
「銀時」
「あ、俺、玄関まで辿り着けないから、高杉が渡してくれる?」
「──銀時」
名前を呼ぶ、語気が一段低くなる。機嫌が悪く、なおかつ怒っている時の特徴だ。
「…なんだよ。高杉」
「余計なことはするな」
「余計なこと?」
「あァ。万斉に構うンじゃねェ」
──やきもち?
いや、高杉に限ってやきもちなんて可愛げのあることをするはずがない。…いや、するか。嫉妬と独占欲の塊みたいな男だから、やきもちなんて朝飯前だろう。
怒らせて面倒なことにしたくないので、黙って聞いている。
「ここは俺の個人的な家だ。てめー以外、入れたことはねェ」
「カーテン設置したおじさんは?」
「あれは例外。金魚鉢を置いていった総悟の父親で、万斉と同じ古株の幹部だ。因みにその首輪と足枷の鎖を設置したのもヤツだ」
「──…壊れないんですけど、これ」
特注品だという鎖は何をしても壊れないし、体に直接触れている革部分は厚くて千切れそうにない。
さすが高杉の部下といったところか。
「万斉は、あの廊下とキッチンの境までだ」
「…じゃあ、嫌ならなんで万斉を入れるんだよ。入れなきゃいいじゃん」
「俺以外の人間と、たまには喋りたいだろ」
「ふへぇ?」
変な声が出てしまった。
いつも自分勝手な高杉らしくないことを言うからだ。そうに、違いない。
「別に、高杉がいれば、──…俺はいいけど」
「そうか」
「…っ、だから、早く帰って来いよ」
「善処する」
高杉は朝食を食べ終えると、銀時の額にちゅっと口付けて立ち上がる。
寝室へ向かった高杉は、ジャケットと携帯電話、適当に見繕ったネクタイを持っていた。これから高杉は万斉と出掛けてしまう。
「…いってらっしゃい」
銀時の声が高杉に届いていたかはわからない。いや、届いていなくてもいい。
見送ろうとしたことは、ある。足枷の鎖のせいで銀時は玄関に近付けないが、玄関へ続く廊下の手前までは行けるから。
しかし、それを高杉は嫌がった。銀時の姿が誰かに見られてしまうとかなんとか。結局のところ、高杉は銀時が玄関へ近付くのを厭っているのだ。
銀時はかぶりを振り、羽織を整えてイスに座り直す。少し冷えてしまったホットケーキを早々に食べ終えると、高杉と自分の分の食器を流しに置き、金魚を見る。
一匹から二匹に増えた金魚。
この金魚は二匹とも総一郎君に渡すのだろうか。というか、なんで黒い金魚を買ってこさせたのだろう。そんなに一匹の赤い金魚は寂しそうに見えていたのか。
「おれ、みたいに見えたのかな」
つっ…と金魚鉢をなぞる。赤と黒の二匹の金魚は、金魚鉢の中を元気に泳いでいた。
エアーポンプの作動音と小さな水音しかしなくなった静かな室内に、再び唐突な電話のコール音が響く。
『──…そこにいますね、銀時』
びくっと、銀時の肩が震える。
久しく聞いていなかった、聞き慣れたその優しげなその声は。
「…っ、松陽」
現実にはいないのに、まるで目の前にいるかのような存在感で。
銀時は射抜かれ、立ち尽くしてしまう。
『まだ帰れないのですか。もう一ヶ月ですよ。邪魔者はこちらで排除しますので、早く帰ってきなさい』
──邪魔者って、なんだよ。排除ってなんだよ。
邪魔なんかじゃないし、排除なんてしなくていい。いまの俺には、高杉が必要なのに。
正当だと、守るためだと、銀時からすべてを奪っていく。
『待ってますよ。銀時』
ぶつっと、電話は一方的に切れた。
まるで掛けてきた本人同様、銀時の意志をまるっと無視した内容に、忘れていた吐き気を催す。
「たかすぎ──…っ」
──…一ヶ月。
もう一ヶ月? たった一ヶ月? まだ一ヶ月?
高杉の家に来て、一ヶ月も経つのかと銀時自身も驚いている。幼なじみだが、喧嘩しかしたことない相手との共同生活だ。うまくいくとは到底思えなかった。
(いや、予想以上に居心地よかったし、まだ帰る気なんてないんだけど)
成り行きとはいえセックスをしたり、監禁されたり、首輪と足枷を付けられたりした。
しかしそれは銀時にとって許容範囲内で。高杉の歪んだ執着は、家に戻りたくない銀時の意思に添っていた。
こんなに長く、穏やかに続くとは思っていなかった高杉との生活。それはとても愛おしく、手離し難い。
「戻りたく、ねーな」
誰にでもなく、独り言ちる。
限界、だった。
あの家にいることも、義父である松陽の過干渉も偏愛も束縛も、全部。
育ててもらって、大学まで通わせてくれたことは有り難いし、尊敬もしている。しているが、最近の松陽はおかしい。
銀時の友人を狙撃したり、大学を勝手に辞めさせたり、家に軟禁状態にしたり。
嫌なことばかりで、自分が逃げることしか考えていなかった。松陽と向き合って話し合うことなど、思いも出来ずに。
今なら、きっと大丈夫。
自分や周りの人達を守るために、戦える。
「──…神威、神楽」
ずっと呼んでいなかった、護衛の名を呟く。
逃げ出した自分に呆れているだろうか。それとも、怒っているだろうか。
神威は呆れはするだろうが、自分のことを気に入っている。そう簡単には見放さないだろうが、飽きてどこかで喧嘩三昧の日々を送っているかもしれない。
神楽は逆に、とても怒っているに違いない。ぷりぷり怒って、抱きつかれて、黙って勝手にどこかへ行くなと泣かれてしまうだろう。
二人に迷惑を掛けたくなかっただけなのに、おかしいな。だめだめな主じゃないか。
懐かしい名を呼び、二人の反応を想像してくすっと笑う。──…会いたい、な。
「ここにいるよ」
「呼んだアルか? 銀ちゃん」
久しぶりに主人の銀時に名前を呼ばれ、嬉しそうに微笑む人影が二つ。
まるで呼ばれるのを待っていたかのように。
銀時の前で、二人は深々と一礼する。
「「──…どうぞ命令を。」」
銀ちゃん、と言いながら、神楽は嬉しそうに銀時へと飛びついた。
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