宵闇に問い掛け


 帰ったら、金魚鉢が置かれていた。
 キッチンを通り過ぎ、リビングの壁際に置かれたテレビとソファの間。ガラスのローテーブルの上に置かれていたのは朝にはなかった丸く、縁が青い波状の金魚鉢。ご丁寧にも小さなエアーポンプが付いていた。
 ちゃぷんと水音をたてたので、じっと見づらい片目で金魚鉢の中を凝視すれば、水草の隙間を赤い金魚が一匹悠々と泳いでいる。

「なんだ、これは」

 家具や調度品を黒で統一されたリビング。テレビやソファ、空気清浄機などの家電製品も黒一色で、静かで冷たい雰囲気が気に入っている。
 ただ一つだけ、足下に敷かれたラグだけは白にした。ふわふわでしっとりした手触りが誰かを連想させたので、黒ではなく白にしたのだが。連想した当の本人は踏まれているみたいで気に入らないとぼやいていた。
 自分の家だ、好きにレイアウトして何が悪いと言えば、悪趣味だと返してきた。
 
「ま、そんなとこも可愛いンだけどな」

 この悪趣味は自分が死ぬまで治らないだろう。──…もちろん、こんな自分に好き勝手させてる相手のバカなんだか寛大だかわかんない趣味の悪さも。

「金魚鉢、ねェ」

 部屋を見渡したが、それ以外に変わったところはない。
 同居人はこんなもの買わないし、買えない。誰かをこの家に入れたのか、もしくは誰か入ったのだろうか。
 よく寝そべっているテレビ前のソファにも、今日はいない。

「──…」

 名前を呼ぼうとして、やめた。
 やめたのは面倒とか、眠っているから起こしたくないとか、そんな理由じゃない。
 名前を呼ぶのは好きだ。どんな小さな声でも耳聡く聞きつけ、煩わしそうに、だが必ず律儀に返事を返してくれる。ーーはにかみながら。

「……なんだよ、高杉」

 思い出しただけで口元が上がっている自分に苦笑いしつつ、眠っているであろう寝室へ向かう。
 二本の鎖が、嫌でも居場所を教えてくれる。
 だから、呼ぶ必要も確認もいらないのだ。
 リビングと寝室の扉は少しだけ開いていた。鎖が邪魔して完全には閉まらないのだ。音もなく扉を開ければ、探していた姿がベットの上にあった。
 寝室は暗く、カーテンが閉められている。本来の窓辺はブラインドだけだったのだが、カーテンを開けて陽の光が入る感覚が好きだと、無理やりカーテンを設置させられたのは記憶に新しい。
 ブラインドとカーテンそれぞれ閉めるのに意味はあるのだろうか。自分は暗くなくても眠れるので、真っ暗にする理由がわからない。
 真っ暗すぎる部屋に辟易し、入ってすぐある間接照明を付ける。明かりを付けても、づかづか足音を立てて近付いても反応はない。
 
「──…銀時」

 呼んでも返事はなかった。
 すこーすこーと間抜けな寝息だけが聞こえてくる。
(ーーばかヅラで眠りやがって)
 くすっと嗤い、指で口元のよだれを拭う。
 安心しきっている。呼んで起きないのも、睡眠が深いのも連れて来た頃とは大違いだ。
 高杉は銀時の眠るキングサイズのベッドに腰掛け、口元に伸ばした指先はそのまま、首元の首輪を伝う。瞳の色と同じ赤いなめし革と冷たい金属でできた首輪に異常は感じない。
 右足の足枷も確認するが、こちらも何ら異常はなかった。
 首輪と足枷、それぞれ繋いでいる場所が違うので、限界までたどっても繋いでいる根本の場所までたどり着けないようになっている。この寝室の一番奥のクローゼットの中には、首輪を繋いである。
 もっとも、銀時が逃げようとしたことは今の今までない。逃げたら仕置きだと言ったからか、それとも──…逃げる気がないのか。
 きっと後者だ。あのときの銀時はおかしかった。
(俺に助けを求めるぐらいには、ーーなァ)

「てめーは、なんでずっと一緒にいてくれるンだ」

 よだれを拭った指先をぺろりと舐め、着たままだったスーツのジャケットを放る。
 宵闇への問い掛けに、返事はなかった。



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