二歳差の恋と距離 08
音を立てないよう鞄から鍵を取り出す。
子供たちは寝ている時間ながらも、なんとか日にちが変わる前に帰ってきた。高杉は真っ暗な自室を確信し、溜息を吐きながら鍵を開け、戸を引いた。バイトをしている高杉を含めた銀時と桂の高校生組はそれぞれ施設の鍵を持っている。遅いと施錠されてしまうからだ。
因みに以前の高杉は鍵を持っていなかった。夜遊びが酷く、深夜帰りや明け方帰りが連日続き、松陽のお叱りとともに没収されたのだ。銀時が施設に戻った今、高杉はだいぶ落ち着いたのは事実で。部活が終わればまっすぐ施設に帰るし出歩くこともない。例外は自身のバイト日と、銀時のバイト上がりを心配して迎えに行くときぐらいだが、それ以外はバイト日だとしても日が変わる前には帰って来るようになった。
心配していつもなら高杉の帰りを待っていてくれる銀時が寝ているということは、今日はかなり遅い。しかも電話ではかなり怒っていた。寝ていても仕方がないが、もっと早く帰る予定だったのに……。銀時との約束は反故になる。諦めきれないながらも、高杉が玄関の明かりを付けると、
「おかえり」
「うわッ、驚かすなよ銀時!」
驚く高杉とは正反対に、銀時はしーと指を立てて静かにするよう高杉に促す。
明かりの消えた玄関。高杉が何もないと思った足元、玄関前の板の間にごろんと寝そべる銀時がいた。その傍らには置時計と飴の袋があり、眠い中高杉の帰りをずっと待っていたらしい。銀時はあくびをしながら立ち上がる。
「まだ10日?」
「…あァ。セーフだろ?」
「そういうことにしといてやるよ。ほら、俺に言うことないの?」
「……黙ってて、悪かった」
「それと?」
「帰りが遅くなって悪い」
「…それと?」
まだあるのか、高杉は辟易しながらも考える。怒っていて、しかも眠くて機嫌の悪い銀時は普段より扱いにくい。高杉が視線をさ迷わせれば、
「……ただいま、だろ」
ぺちんと、額をデコピンされた。少し痛くて、額を撫でる。
そんな高杉を無視して、銀時は高杉の手を引き問答無用で台所へと連行した。バイト先で賄いを食べてきたのだが、拒否権はないらしい。
椅子に座らされた高杉の前に、少なめのご飯と温められた味噌汁、魚の煮付けが出てきた。
「カレーじゃないのか?」
「晋助の誕生日だろ」
高杉の向かいに銀時が座る。赤く、ぷくっと膨れた頬に、わざとらしくそっぽを向く銀時。怒っているらしいが、可愛いくて逆効果だ。
もっと怒らせたくなるのをぐっと堪え、高杉は魚の煮付けを食べて呟く。
「銀時」
「……なんだよ」
「美味しい」
きょとんと、銀時が目を見開く。高杉は銀時の料理を残さない。しかし、味が濃いだの薄いだの文句は人一倍多く、美味しいなんて言ったことがない。銀時は頭の中で高杉の言ったことを反芻してから、当たり前だろ、と照れながら答える。
そして、ごそごそと後ろの冷蔵庫から何かを取り出す。
「これって……」
渡されたカップの中には、手作りらしいぶどうゼリーが入っていた。
「作ったのか?」
「うん。晋助、ケーキとか甘いの食べないから」
誕生日おめでとう、と銀時は微笑む。やっと笑ってくれた。だいぶ機嫌は直ってきたようだ。
しかしその後は大変だった。
銀時は用意した蝋燭(仏壇用)を無理やりゼリーに立てようとする。蝋燭を消さなきゃだめだと意味の解らない自論で全く譲らない。高杉は銀時から必死にゼリーを守る。こんな小さなカップのゼリーに蝋燭なんて立てられるわけがない。ぐちゃぐちゃになるだけだ。
食事もそこそこに、高杉は先にゼリーを食べてしまう。
「銀時」
「…なに?」
「今日は楽しかった」
いろいろあったけど、今日が誕生日で良かった。
一緒に出歩けて、今、二人だけで俺の誕生日を祝ってくれている。こんなの、絶対に忘れられない。
自分も、銀時も忘れないだろう。
──楽しかったし、…嬉しかった。
「俺は、嬉しかった。あの時もだけど、てめーは覚えてないが、俺のことは覚えていてくれてたし」
銀時は施設にいたことを何も覚えていないと言った。
二人で交わした約束も、遊んだ思い出もない。
だが、銀時は高杉を見つけた。十年も経って面立ちも声も、身長も全て変わってしまった高杉に気付いたのは、心のどこかで覚えていてくれていたのだと高杉は思っている。
無意識に、気付いてしまうぐらいに。
「嬉しかったんだ、…銀時」
「あのー、晋助さん。言ってる意味がわかんないんだけど。──晋助?」
高杉を覗き込んでくる赤い瞳。
何も、全然変わってなくて嬉しい。
銀時は分かれたあの頃と同じで、純粋なままだ。
「神は、信じてない」
「……うん。知ってる」
「けど、運命は信じてもいいと思ってる」
再び銀時に会えた、この運命だけは。
信じてもいいと、今は思っている。
*
電気が付けっぱなしの部屋。高杉が風呂に入って自室に戻ると、その部屋の、二段ベッドの下段で銀時が眠っていた。
今日は出歩いたし、食事が終わるまで付き合ってくれた銀時には長い一日だったはずだ。作り慣れない魚の煮付けや、ゼリーを作っていたし、疲れて当然だと思う。
横向きで、こちらの高杉側を向きながら安らかに寝息を立てている銀時。
むにゃむにゃと動く口から出る寝言は聞き取れなかった。涎は垂れていないが、時間の問題だと思う。枕を涎まみれにされたくはない。
高杉がなぜ涎の心配をしているのかというと、そこは銀時の寝床ではないからだ。高杉の寝床であり、銀時がなぜ上段の自分のベッドではなく高杉のベッドで眠っているのか解らない。
ふと見れば、水仕事を終えた銀時の、投げ出された手のどこにも絆創膏はない。困ったやつだと手を引き寄せれば、ぼすっと白いうさぎのぬいぐるみがベッドから落ちた。
拾い上げ、いつもの定位置に置き直そうと思ったが、少し考えてやめる。自分のベッドには銀時がいるのだ。そっと静かに銀時の脇に置いてみれば、銀時が抱きかかえているようで似合っている。
白くてふわふわの、銀時に似たうさぎのぬいぐるみ。
いや、似合うに決まっている。このぬいぐるみは、高杉が銀時からもらったものなのだから──…。
幼い声が呼ぶ。
てくてくと、ずっと後ろを追いかけて。
振り向いてほしいのか、遊んでほしいのか。何度も何度も呼び続ける。
愛らしい子供の声で。
──ぎんとき、と。
「ぎんとき。どこいくの?」
「ん、…ちょっと遠く?」
言い澱んでいたから、すぐにわかった。
銀時もみんなと同じで、俺を置いてどこかへ行ってしまう。
戻って来ない。
二度と会えない。
──わかっているのに。この手を放さないと。泣いて喚いても、銀時を困らせるだけだと頭ではわかっているのに涙が止まらない。手が固まって解けないながら、必死で声を絞り出す。
「……いかないで」
そんな高杉の手に、銀時は一回り大きい自分の手を重ねて。
ゆっくり解くと押しつけるように持っていた白く、大きいうさぎのぬいぐるみを抱かせる。
「俺の代わりに、こいつがお前を守るから」
「ぎんとき」
「男なんだから簡単に泣くなよ」
きっとまた会えるから。
そう微笑んで高杉の頭を撫でると、銀時は振り返ることなく出て行ってしまった。
それは、もう十年ほど前の話になる。
「──確かに、また会えたな。ギン」
愛おしそうに、高杉はぬいぐるみの名を呼ぶ。
銀時からもらったからギン。名前の由来を思い出したのはつい最近だ。
何度も捨てようとした。落として傷も作ったし、八つ当たりで殴ったこともある。
それでも、捨てきれなかった。
……捨てなくて、良かった。
「愛してる」
年下で、未成年の自分が愛という言葉を口にするのは可笑しいだろうか。
けど、それ以外の言葉が思い浮かばない。
大好き、じゃない。それ以上の熱情がこの胸を焦がす。
高杉のベッドに置かれた白いうさぎのぬいぐるみ。その傍らで眠る銀時ごと一緒に抱きしめて、高杉はもう一度、銀時の耳元で呟いた。
誰も聞いていない、愛の言葉を。
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