二歳差の恋と距離 01
水音でよく聞こえなかった。
銀時が話しかけていたというのに、俺としたことが失態だ。餓鬼共の夏休みの宿題を見ている場合じゃない。銀時のいる台所へと視線を向けると、高杉は食器洗いをしている銀時が聞こえるように少し大きめの声で問い掛けた。
「今、なんて言った。銀時」
「聞いてなかったの?」
食器洗いを終えたらしい銀時が蛇口から流れる水を止め、布巾へと手を伸ばす。一休みするのかと思いきや、嫌な顔ひとつせず大量に積み上がった食器を一枚ずつ拭いて食器棚へと仕舞っていく。まるで何年も暮らしているような迷いのない動きだが、銀時がやってきたのはつい最近だ。
いや、やって来たという表現は少し間違っている。戻ってきた、というのが正しい。
ここは最年少だと小学生、上は俺たち高校生も含めて十余人ほどが何かしら理由があって親元から離れ共同生活を送っている施設だ。銀時は十年ほど前に引き取られこの施設を去ったのだが、色々あって数ヶ月前に戻ってきた。
銀時は順応力が高いらしく、また、面倒見も良いので得意な料理全般を引き受けている。今では台所に何があるか、一番把握しているのは銀時だ。
そんな銀時は高杉の方は見ずに、食器を拭きながら答える。
「明日補習で学校行くんだろ?俺も行くから、終わったら一緒にでかけないかなー、って」
補習の最終日だし半日だけでも羽を伸ばそうぜ、と銀時は食器を拭く手は止めずに顔だけ高杉に向けにこっと笑う。
──苛立つ。
知っているクセに。俺が絶対に断らないって、知っているのに聞いてくるなんてタチの悪い確信犯だ。
銀時の、年上らしい余裕を見せつけられると苛立つ。
いつまでも変わらない二歳という年の差も、埋まらない一緒にいなかった時間も、縮まらない背の距離も。
無自覚だと解っているから、なおさら手に負えない。
(……銀時に誘われて、喜んでいる自分が一番手に負えねェし)
「……いいのか?」
「何が?」
「バイトとか」
「明日はバイトないし。嫌なら別に無理に行かなくてもいいけど」
嫌なわけねェ、拗ねるように高杉が呟けば食器を拭き終わった銀時が布巾を流しに置いて駆け寄ってくる。先生が買ってくれた、銀時お気に入りのピンク色のエプロンを外して畳みながら。
「銀時。どこか行きたい所はあンのか?」
「えっとね。スーパーへ行きたいかな」
「スーパー?」
「トイレットペーパーが安いんだよね。お一人さま2袋までだから、俺と晋助で4袋は買える!」
高杉は額に手を当て項垂れる。
せっかく邪魔者なしの二人きりで出かけられるというのに、スーパーはないだろう。しかも学生服の高校生が二人、特売のトイレットペーパーを買いに行くなんて似つかわしくないにもほどがある。
施設にいれば餓鬼共がいるので二人きりになれる時間は少ない。タイミングが悪ければ付いてきたり、要らない世話を焼いて邪魔をしたりする。銀時は忘れているようだが、明日は年に一度の特別な日なので、これは高杉的に絶好のチャンスだ。そんな所へ二人きりとはいえ行きたくない。
「阿呆か」
顔色を窺うように目前までずいずいと近寄って来た銀時の顔の、銀髪からのぞく白い額を弾いて却下した。
銀時がえー、だのケチ!だの文句を言っているのは黙殺する。もっと言うと、宿題を見ていた餓鬼共から発せられる哀れみの視線も黙殺。それどころか逆に睨みかえし、年上の職権を濫用して部屋から退散させてから言葉を続ける。
「そんなの餓鬼共に行かせればいいだろ。夏休みで暇してンだし」
「あ、そっか」
手加減したのにまだ痛いのか、銀時は労わるようにずっと額を撫でている。
「行きたい所がないなら俺が決めるぞ」
「別にいいよ?晋助の行きたいところで俺は構わないし」
にっこりと、俺だけに微笑む銀時。
俺の気持ちを知っていて誘い、微笑んでいるのなら銀時は残酷だと思った。
(まァ、知ってるわけねェか)
知っていたら銀時はきっと逃げ出すだろう。そういうヤツだから、今はまだ言えない。堪えなければならない。
だが自分以外他に誰もいないのと、無防備に微笑む銀時に触発されたのか。手首を掴んで額から指を退かせると、後頭部を掴んで手繰り寄せ、うっすら赤い額に口付ける。
──ちゅぅ。水音を伴い艶めかしい音が部屋に響く。
「まだ痛いのか?」
「な……っ、何してッ」
「傷を舐めたンじゃねェか?」
「晋助がやったのになんで疑問形!?しかも舐めるとか、ばっかじゃねーの!」
「はいはい。悪かったな。傷モノになったら俺がもらってやるから安心しろ」
傷モノじゃなくても俺がもらうけど、──とは顔を真っ赤にした銀時を前にしては言えず、ふんわり柔らかい銀髪をぐりぐり撫でて高杉は自室へと向かう。
長い廊下を抜けた一番奥にある角部屋の自室。しかし、自室といっても銀時と相部屋なので、一時間もすればぶつぶつ言いながら銀時も来るだろう。
その前に済まさなければ、あんなに牽制した意味がない。
部屋に置いたままにしていた赤く、銀時の眼の色に似たワインレッド色の携帯電話を高杉は手に取った。
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