名前


 ドタドタと派手な足音が聞こえる。
 誰かなんて、すぐにわかる。
 人ン家の廊下だというのに、遠慮なく走り回る足音。
 ちゃっかり戸棚のお菓子を拝借する手癖の悪さ。
 ……逆か。
 勝手知ったる場所だから、躊躇も加減もない
 もっと言うと、遠慮も容赦もない。
(あの日、出会った時から歩き方は変わらないなァ)
 駆け寄ってくるときも、逃げるときも。
 人の心の中を掻っ攫ったときだって同じだ。
 奴は遠慮なく踏み入って、想いだけを置き去りにしてどこかへ行ってしまう。
 風みたいに自由で質の悪い奴だ。

「いるのか?」

 乱暴に戸が開くと、銀時が入ってきた。
 大福を盗み食いしたらしい。
 口の周りには白い粉が微かに付いている。
 それに、あんこ大好きなコイツが見逃すはずない。
 甘い物があると匂いでわかるのか、どこに隠しても探し当ててしまう勘の良さには脱帽する。

「今日のおやつは大福みたいだぞ。高杉も喰うか?」

 小皿に山盛りの大福を片手で持ちながら、窓辺に座る高杉のとなりに銀時も座る。
 いるなら返事ぐらいしろ、とぼやきながら大福を食べ始める。
 ふと、違和感に気付く。
 違和感というか、何かがひっかかる。

「……銀時」
「なに?」
「もう一回言えよ。俺の名前」

 熱でもあると思ったらしい。
 もしくは、頭が可笑しくなったと思ったのか。
 銀時は大福の皿を横に置いて、俺の顔を覗き込むと額に手をあてて熱を測りだした。

「熱なんかねェ」
「……だな」
「しかも大福持った手で触ったろ」
「あぁ。額についた粉?大福のじゃないよ」
「じゃあ何だ」
「さっき食べた草餅」

 どこにあったかなんて、聞く気にもならない。
 ほんと、食い意地が張っている。

「……銀時ィ」

 再び大福の皿を抱えて食べ続ける銀時は、目線を逸らす。
 声だけでわかるらしい。
 俺の機嫌が悪くなってきている、って。
 だが、悪いクセだ。
 お前はすぐに逃げる算段を考えるか、上手く話を誤魔化して変えようとする。
 ずいぶん長い付き合いだからな。
 こっちだってお前の考えていることはお見通しだ。
 前科だってたくさんある。
 俺の地雷を踏んで、痛い目をみたのは一度や二度じゃない。 仕掛けた罠にだって、ちゃんと嵌ってくれる。
 俺にとって、お前は未だ可愛いクソ餓鬼だ。

「銀時、こっち向いて俺の名前を呼べよ」

 俺がお前を逃がすと思っているのか?
 そんなの許さねェよ。
 どっぷり俺に嵌めて逃げられないようにしてやる。
 現に今だって、逃げないで必死に俺を見つめ返しているじゃないか。
 餓鬼の頃から仕込んでいるだけはある。上出来だ。
 だけど、お前はある意味ぼけているからな。
 俺が不機嫌になった理由がわからないようじゃ、おしおき確定だな。

「……タカスギ、シンスケ」
「違う。さっき俺のコトなんて呼んだ?」
「タカスギ」

 昨日までは普通に‘晋助’と呼んでいたはずなのに。
 突然、呼び方が変わった。
(新手の嫌がらせか?それとも反抗期か……)
 何の予兆もなかった。
 昨日だって別段、喧嘩をしたわけでもない。
 誰かが銀時に何かを吹き込んだのに決まっている。

「誰の入れ知恵だ?」
「入れ知恵?そんなんじゃねーよ」

 銀時は言い渋るが、諦めたように口を開く。
 そうだ。
 さっさと言わないと、後で後悔するのはお前だ。

「ヅラが、高杉って呼んでる」
「あァ?」

 高杉は銀時を壁際に追い詰める。
 大福ののった皿は畳に置かされて、持っていた手は壁に縫いとめられる。
 もう一方の手で高杉の胸板を必死に押し返すが、びくともしない。
 こういう時の高杉に、銀時は勝てないのだ。
 体格差とか腕力ではなく、まともにやり合ったら危険だと本能が叫ぶ。

「し、晋助なんて呼んでるのは俺だけだ。だから、やめる」
「そんなの、俺が許すと思ってるのか?」
「俺の勝手だろっ!」

 思いっきり足で脇腹を蹴りあげると、不意打ちをくらって高杉の腕の力が緩む。
 その一瞬の隙を、銀時が見逃すはずがない。
 高杉を交わして身を翻すと、全速力で廊下を駆け抜ける。
(振り返ったりなんかしない!)
 銀時は急いで草履を履いて、高杉の家を飛び出す。
 遠くなった高杉の家を見ながら、銀時は息を整える。
 まだあの部屋に、高杉は……いる。
 逃げるためとはいえ、蹴ってしまった脇腹は痛くないだろうか。
 窓辺に座って逃げた俺を怒っているのだろうか。
 それとも、戻ってくるのを待っているのだろうか。
 怖くて考えたくもない。
 あ。
 大福を置いてきてしまった。
 失敗したな。
 走って逃げるくらいなら、大福を持って逃げればよかった。
 高杉の家は裕福なので大福も良いものらしく、美味しさが違う。
 けど、もう戻る気もないし。
 諦めて帰ろうと振り向けば、今回の元凶の桂が歩いていた。
 目的地は高杉の家らしい。

「ヅラ。高杉の機嫌悪いから、行かない方が良いぞ」
「ヅラじゃない桂だ!…なんだ。おぬしたち喧嘩でもしたのか」
「ばか、違げぇよ!」

 お前の真似をして、俺が勝手に高杉を怒らせて自爆したんだ。
 自覚は、ある。
 だけどさ。
 なんて呼ぶかなんて、人の勝手だろ?
 誰かにとやかく言われる筋合いはない。

「早く仲直りした方が良いのではないか?怒らすと後が怖い」
「だからっ……」
「本を高杉に返しに行く途中だったのだ。丁度よい、頼んだぞ銀時」

 桂は本を銀時に手渡すと、来た道を戻ってしまった。

「ちょ、待てよヅラ!」

 高杉が不機嫌になった原因は俺にある。
 ──たぶん。
 そんなのはわかっている。
 だけど、非がないのに謝りたくなんかない。
 謝りたくなんかないけど。
 喧嘩したままの方が、もっと嫌だ。
 考えるまでもなく、体は勝手に動きだしていた。



   *



 銀時は桂から預かった本を片手に高杉の前に立っていた。

「よくものこのこ戻ってきたなァ、銀時」

 高杉は先ほどと同じ部屋にいた。
 正確には、銀時を待っていたと言った方が正しい。
 必ず戻ってくると、確信があった。
 逆に、あと半刻しても戻って来なかったら銀時のところへ乗り込んでいただろう。
 脇腹を蹴ったお礼と、逃げた落とし前をつけに。

「悪かった、な。……蹴って」
「オイ。反省しているのはそこだけか?」

 こくりと頷くと、桂から預かった本を投げてよこした。
 部屋の中に入る気はないらしい。
 高杉の対応次第で。

「……俺も、悪かった」

 銀時の目が見開く。
 ここは、俺が折れるしかないだろ?
 力ずくで言わせることは簡単だけど、俺が望んでいるのはそんなんじゃない。
 銀時の意思で、言ってもらわないと意味がないんでね。
 まぁ、そのうち。
 嫌ってほど言わせてやるから覚悟しな。
 今回はコレで許してやる。

「……だから、俺の前では晋助って呼べ」
「気が向いたらな」
「フッ」

 やっぱり、可愛いと思う。
 素直じゃないけど、変なトコ純粋で。
 意地っ張りで強情で。
 嫌いなところなんてない。
 あえて言うなら、すぐに逃げようとするところが苛立つが。
 ほんと、お前はこのまま変わってくれるなよ。


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