夜陰に紛れて手折らん
ため息をひとつ。
夜空を睨む赤い眼はふたつ。
言っても言い尽くせない小言はたくさん。
──文句も悪態も素直に言えるのに。
伝えたい言葉を言えないのは何故だろう?
風が強くなってきた。髪を揺らす生温かい風で、結野アナの予報通り今夜は雨が再び降ると銀時は確信する。
そして、今夜で桜の見ごろもピークを終えるだろう。
雨が降れば桜の花は散ってしまうから、春の浮世は今宵限りだ。
夢だったように。
泡沫のように。
風に踏みにじられ散らされてしまえば、明日の朝、残る痕跡は足元に散った花びらばかり。
少し寂しい気がして、銀時は空を仰いだ。
みんなで花見をした情景が思い浮かぶ。
珍しいことに発起人となったのは高杉で、いつもの万事屋メンバーの新八と神楽と定春の四人と一匹で花見をした。
今日は朝から雨が降っていたが、昼前に小雨になり、午後からは止んで青空の下で絶好の花見日和で。
みんなで笑って。
用意したおにぎりを食べて、酒を飲みながらまた笑って。
楽しかったと昼間の花見を思い返すと、銀時は再び曇った夜空を仰ぎ諦めたように立ち上がる。
今は離れているとはいえ、長い間共にいると嫌でも解ってしまう。
桜を一緒に見たいと枝を手折ってきた花泥棒は、咲いている花を愛でるよりも、散りゆく花の謳歌の趣きを好むことを。
自室を抜け神楽を起こさないよう慎重に玄関の戸を開けると、傘立てに目がゆく。結野アナの予報が雨ならば、今夜は必ず雨が降るだろう。
立ち止まって少し考えると、銀時は傘を一本だけ手に取り、戸を静かに閉めて鍵を掛けた。
きっと高杉は、昼間の桜並木に……いる。
雨よりも早く高杉に辿り着きたくて、銀時は階段を下りると脇目も振らず走りだした。
夜でも明るく賑やかなかぶき町の繁華街を抜けて。
昼間歩いた道を戻る。
高杉は桜並木の傍の東屋に腰掛けて煙管をくゆらせていた。
「──…高杉」
高杉が呼ばれて振り向くと息を乱した銀時が東屋の入口に立っていた。
おいでおいでと手招きをすれば、銀時は荒い呼吸を整えながら高杉にゆっくり歩み寄って来たので、焦れて強引に腕を掴み引き寄せ傍らに座らせる。
持っていた傘が落ちたのは気にしない。
高杉の上に倒れ込む銀時を受け止めると、そのまま抱き締める。
わざわざ走って来たのだろう。銀時の呼吸は荒く、春の夜とはいえ冷えるのに髪は少し汗で湿っていた。
いや、汗だけではない。
着流しの肩や胸にあるのは雨粒の跡だ。
東屋で煙管をくゆらせていた高杉は気付かなかったが、風は先程より少し凪いでいて、耳を澄ませばシトシトと雨の音が聞こえる。
高杉は髪に絡まる桜花を摘まんで取ってやると、優しく髪を梳く。
「昼の桜も良いが、夜桜も良くねェか?」
「夜桜見物も良いけど、雨に濡れる趣味はねぇよ。……高杉」
帰ろうぜ?と銀時が呟いて、髪を梳いていた高杉の指に自分の指を重ねる。
高杉は驚いたように隻眼を見開いて嗤う。
銀時を試すように。
「何処へ帰るンだ?」
「…………ばか」
銀時は高杉の手を払いのける。手を高杉の脇腹に押し当てて起き上がるれば、微かに銀時の頬が赤く染まっているのが解る。
苛立っているのだ。
高杉を含めて、──自分に。
散る桜を見て感傷的になるな。
幸せだった時間も、亡くなった人達もどう足掻いたって戻りはしないのだから。
勝手に居なくなるな、置いて行くな。
百歩譲って居なくなるのは許すが何か残して行け。万が一にも俺を残して死ぬなんて絶対に許さないから。
何処にも行くんじゃねぇよ。
……言いたいことはたくさんある。
しかし、上手く纏められなくて銀時は呻くように一言だけなんとか呟いた。
「ばか、だ」
──愛しいから心配なんだよ、なんて。
言いたくても言えない。
気付いてほしいけど悟られたくない。
だから結局何も言わないんだ。
黙って。
泣きながらしがみ付いて、伝わるように、──…祈る。
「帰る場所がなくても、帰りを待つヤツが居るだろ。ばか」
「……銀時」
「これが最後だ。…帰るぞ、高杉」
銀時が手を差し出せば、その手を掴んで高杉は引き寄せる。
泣きそうな顔の銀時の頬を撫でて、胸に埋めるように銀時を抱くと満足そうに嗤う。
──この言葉が聞きたくて、雨の降りそうな中で夜桜見物なんて酔狂なことをしてたんじゃないだろうか。
不満そうに銀時は高杉を睨むが、未だ嬉しそうに高杉が嗤っているので考えないことにする。
雨がぽたり、……ひとつ。
ため息はふたつめ。
馬鹿と言った回数はみっつ。
持ってきた傘は高杉に奪われたので無くなった。
けど、桜の花びらはたくさん降り注ぎ。
雨で奪われた分、抱き締められて感じる高杉の体温はいつもより温かかった。
(2011.4.19〜2011.6.6)
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