ずっと傍にいるよ


 白い幻を見た。
 それはいつもの無表情で無愛想なヤツではなくて。
 心配そうに見つめる赤い瞳。
 薄い着物から伸びた白く細い腕。
 揺れる銀髪。

「……ぎんとき…?」
「……」
「悪…ィ、塾、行けなくっ…て…」
「……」

 その幻から、返事はなかった。
 熱で耳がおかしくて聞こえないのかもしれない。
 高熱に浮かされながら、高杉はおぼろげに思った。
 三日前から高杉は風邪をひいて寝込んでいる。昨日やっと熱が下がり、本当なら今日 は塾に行く予定だったのだが、昨夜からぶり返してしまったのだ。
 銀時にずっと会っていないから、禁断症状が出ているのかもしれない。
 幻が見える。
 銀時によく似た、幻。
 声がないのは、きっと幻だからだろう。普段の銀時が喋らないから、幻の声も想像ができなくてきっと聞こえないのだ。
 銀時は子供らしくて可愛い声をしている。だが、松陽先生の前以外では滅多に話さない。同じ塾生の前でも、話しているのを高杉は聞いたことがない。

「銀時。銀時。…ぎんとき」

 幻なら、自分の好き勝手できる。
 我が儘も言いたい放題だ。 弱っているのだから、それぐらいは許されるだろう。

「────ぎんと…きィ」

 掠れた声で何度も名を呼んでいると、その幻は優しく口元に指をあてて塞いだ。
 もう喋るな、と。
 熱い吐息が漏れる唇に、冷たい指が重なる。
 反対の手は、髪を梳きながら額の熱を計っているようだ。
 とても心地よくて、高杉を眠りへと誘う。
 銀時の幻は、ぬるくなった額のタオルを手に取ると、脇に置かれた水桶で絞り直して乗せ直し、ゆっくり立ち上がった。
 ──行ってしまう。
 そう思った瞬間、高杉は咄嗟に腕を伸ばしてその幻を掴んだ。
(…あれ、幻なのに掴めてらァ。……変なの)
 掴んだ手首から、あるはずのない温もりが伝わる。
 これは銀時ではないのに。
 銀時のはずがないのに。
 会いたくて。
 愛しすぎて。
 ただ夢のような、幸せな幻を見ているだけなのに。
 確かに、指先から脈動が響く。

「ぎ……とき…。
 ──…傍に、居…ろ」
「…………」

 幻からは、やはり返事はなかった。
 ただ、薄れゆく意識の中で名を呼ばれた気がした。

「…しん……す……け」

 泣きそうな声だった。
 その声が嫌で、高杉は唇に指を伸ばすが、途中で掴まれてしまい止めることは出来なかった。
 手首を掴んだままの指先が。
 掴まれた指先がそれぞれ温もりに包まれる。
 熱で微睡みながらも、高杉は必死で幻を掴み続けた。
 遠のく意識の中で。
 力の入らない指先で。


   *


 目覚めると、傍には誰もいなかった。
 なんとか熱は下がったようで、気だるいながらも四肢は自由に動く。関節が軋み、咳のしすぎで腹筋が痛むが気分は晴れやかだった。
 優しくて。
 とても愛しくて、──温かい夢を見た。
 あの銀時が見舞いに来てくれる夢。
 夢だと解っていても、嬉しい。
 それだけで、元気になれる自分は単純だと高杉は自嘲した。
 ふと、朝日が射す窓辺を見る。
 雨戸は閉まっていたはずなのに、なぜか開いていて、しかも少し窓ガラスが開いている。
(なんでだ?…開けてねェよな?)
 高杉は水滴で曇る窓ガラスの露を指先で拭う。
 外は雪が降っていたらしい。
 窓から見える景色は一面の銀世界で、隙間からは肌寒い北風がひんやりと肌から体温を奪う。
 閉めようとして、高杉は窓ガラスに置かれたそれに気付く。
 高杉は驚き、困惑しながら窓を全開に開け放つ。

「────ッ」

 赤い瞳。
 白く冷たい胴。
 緑の長い耳。
 その窓辺には、白い雪で作られた小さな雪うさぎが、いた。
 とても小さな手のひらサイズの大きさ。
 雪に降られたのだろう。
 新雪を被りながら。
 陽の光を浴びてしっぽを溶かしながら。
 それでも、高杉が寝ていた方向を見つめる雪うさぎ。

「…銀時?」

 返事はやはりなかった。
 だが、高杉にははっきりと解った。
 あれは幻ではない。
 夢でもない。
 銀時だ。
 高杉を心配して、松陽先生に内緒で見舞いに来たに違いない。
 指を伸ばして、雪うさぎを掴む。
 銀時と違ってその体は、触れれば熱ですぐに溶けてしまう。
 解ってはいるが、触れずにはいられなかった。
 すぐに消えてしまう、幻みたいな存在だけれども。
 これは、銀時が高杉にくれたモノで。
 傍に居てくれた、……証。
 溶けてゆく雪うさぎを、高杉は愛おしげに見つめる。
 そして、ゆっくりと両手で包み溶かしてしまう。
 誰かに見られる前に。
 誰かに溶かされる前に。
 自分だけのモノにする為に。

 “ずっと傍にいるよ”


(2011.2.15〜2011.3.7)




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