02


 絶望って、こういうことなのだろうか。
 体にびっしょり張り付く服が、重くて冷たい。精神的にも弱っているのに、現実的にも打ちひしがなくてもいいんじゃないか? ……だから高杉って嫌い。
 嫌いだけど、とても会いたかったし、会いたくなかった。こんなに惨めな自分を、見られたくなかったから。
 高杉と再び会うのは違う舞台かドラマで。そう自分なりに決めていたので、あんなところで再会したのは予想外すぎる。高杉って確か片目の視力が悪いはずなのに、俺を人混みの中から見つけちゃうとかヤバくない? 地獄耳じゃなく地獄目とかってあるのかな。
(……俺も、高杉の声なら聞き分けられちゃうし)
 厄介な相手に追われていたもんだ。どこまでも──、たとえ地獄だったとしても、高杉なら追いかけてきそうだ。
 逃げていた理由はいろいろある。心配を掛けたくなかった、ってのは勿論のこと。誰にも迷惑を掛けたくなかったし、プライベートをあまり知られたくなかった。子役時代から成功して、ドラマや舞台などの俳優活動の他にモデルなんかもしている人気有名人の高杉と、無名な自分では立っている場所が違いすぎる。
 もうちょっとだったんだ。海外公演の手伝いに行ってしまった保護者であり後見人の松陽が帰国するまでの辛抱だと。帰国予定の三日後まで耐えればどうにかなるのだと言い聞かせて、家には帰らず野宿をしていた。
 そこまでしていたのに、一番厄介な相手に見つかってしまった。

「びしょ濡れだし、ほんとどうしよう……」

 ……ってか、ちゅっ、て、なんかどっかにキスした?
 高杉って外国人だっけ? え、あんなに見た目が日本人な高杉がハーフとか聞いたことないし、帰国子女だったなんて話も聞いたことがない。
 カッコつけてるだけ? もしくは気障。──…うん、知ってた!

「うそ、……うそ嘘、ありえない。俺、こんなに汚いのに!」

 せめて高杉が触っても大丈夫なくらいには汚れを落とそう。
 水を吸って脱ぎにくい服を脱いで浴室の隅に置くと、バシャ、っと勢いよく湯船の湯をかぶる。何度か浴びてから、シャワーなる便利な物があったことに気付く。シャワーは自分の家よりも湯になって出るのが早くて驚いた。銀時の家は古いせいか、湯を出してもなかなか水から湯に変わらない。
 何日も入浴していなかったので、体は何度も丹念に洗う。4、5回洗ったら垢も出なくなったし臭いも気にならなくなった。逆に体から高杉と同じ匂いがするのは違和感しかない。高杉と同じシャンプーやらボディソープを使ったのだから、当たり前といえば当たり前だけど、すっごく良いニオイ。
 湯船に温かい湯が張られたばかりだし、家主には悪いけど湯船に浸かって一番風呂も堪能した。高杉は湯船に浸からずシャワーだけですませちゃうイメージがあるけど、入浴剤が置いてあったので全く浸かってないわけじゃなさそう。フローラルな薔薇の香りとかだったら解釈不一致だったけど、温泉の素とか腰痛や冷え性にいいやつが置いてあって笑いそうになった。高杉ってまだ大学生だろ、ちょっとジジイっぽくね?
 さすがに入浴剤を勝手に使うのは遠慮して、入浴もそこそこにバスルームを出た。もっと浸かっていたいのは山々だけど、まともに食事をしていなかったので腹が減りすぎて意識を失いそうになったからだ。湯船で寝落ちるとか至高の極みだが、命が危ない。

「服って、どこにあるんだろ」

 タオルは投げ渡されたが、確か服は適当に着ろと言われた。服は寝室にあるのかな? 寝室の場所すらわからないのに、適当すぎるだろ。
 体をタオルで拭いて包まると、銀時は寝室探しの旅に出た。着られそうな服探しでも可とする。下着は未使用がいいけど、置き場所がわからなかったら詰みだ。
(こっちはトイレで、こっちはキッチン……)
 部屋のつくりがわからないので、浴室に近い部屋から確認していく。何か食べていいと言われていたから冷蔵庫の中もちらっと見たが、酒やミネラルウォーターばかりで腹に溜まりそうな物は見当たらない。甘味のひとつぐらい常備しとけよ。

「……ま、作り置きがいっぱい入ってても解釈不一致だけどさ」

 銀時の一方的な偏見でできた芸能人の高杉晋助という男は、演技に貪欲でストイック、生活は二の次みたいなイメージがあったけど、ここまで枯れていると憐れみしかない。こんな家賃高そうなタワーマンションに住んでいるんだから、もっといいもん食えよ。

「あ、アイス発見」

 高杉とアイスって、組み合わせとして似合わな過ぎて鳥肌案件なんだけど。冷凍庫はロックアイスで半分埋まっており、隙間に冷食の餃子や担々麺が入っている。そんな中で銀時の食指が動いたのは埋もれていたバニラアイスだ。風呂上がりのアイスって最高すぎるよね。
 服探しを中断してアイスとスプーンを手に取り、銀時はアイスを食べ始める。お腹が減っているのだ、仕方ないじゃないか。あー、アイス最高。久しぶりに食べる甘味が最高っていうのもあるけど、風呂上がりのアイスって背徳的で止められない。……素っ裸で、タオルを羽織っているだけの非常識な格好なんですけどね。
 銀時がアイスを堪能していると、ガチャリと玄関の方からドアの開閉音が聞こえた。高杉が帰ってきたようだ。

「たかすぎー? 服ってどこにあるの?」

 キッチンからひょっこり顔だけ出すと、見慣れないグラサンが立っていた。

「…………」
「……えっと、」

 バタン、とドアを閉められる。あのグラサン、家を間違えちゃったのかな。かわいそう。
 しかしそう時間を空けずに再びドアが開けられた。家は間違っていないらしい。ここは高杉の家であってますよ。

「…………」
「高杉と間違えてごめんなさい。どちらさまですか?」
「──…何も、」
「ん?」
「晋助には何も言わないでほしいでござる」
「え、ござる?」
「訴えてもいいが、拙者は白夜叉がいるなんて知らなかったから不可抗力でござる」
「拙者? サムライ??」

 グラサンなのに時代劇にでも出演しているのかな? 口調が変で、語尾がござる口調になっている。ひと昔前の侍みたいな喋り方だ、特徴的で移ってしまいそう。
 しかも聞き慣れない単語が聞こえた。白夜叉って、誰のことだろう。他に誰もいないし、やっぱり俺のことなのだろうか。そんな名前で呼ばれたことないんだけど。

「白夜叉って俺のこと?」
「そうでござる」
「夜叉って鬼のことでしょ? 高杉と一緒の舞台やったとき、そりゃ鬼を演ったけどさ。役名で呼ばれるのはちょっと」
「名前を呼ぶと怒られるゆえ、勘弁してほしい」

 名前を呼ぶと誰に怒られるんだ、……まさか、高杉のわけないよね。銀時の名前を他者が呼ぶと怒るような心の狭い男じゃなかったはずだけど。
 しかしこれではっきりした。侍のグラサンは高杉の関係者で、銀時を知っているようだ。
 食べ終えたアイスクリームをシンクに置き、ぺたぺた歩いて玄関へと近付く。高杉の家に出入りしているのだ、件の侍は服の置き場も知っているに違いない。

「訴えないし高杉には何も言わないから、服がどこにあるか教えてくれない?」
「……服、でござるか」
「そう、服。未使用の下着と服を探してるんだけど見つからないんだよね」
「まさか白夜叉、おぬし全裸でござるか」
「全裸でござるよ」

 やべ、グラサンの口調が移ってしまった。時代劇みたいで面白いから、つい喋ってみたくなっちゃったんだ。似合わないからやめよう。
 玄関へ近付いていく銀時から逃げるようにグラサンが後ずさる。なにか都合が悪いのだろうか、顔色が明らかに暗く、青褪めているようだ。ドアを開けて逃げようとした震える手が、がしっと誰かに掴まれて動けなくなる。

「あ、高杉。おかえりー」
「しっ、晋助!? 違う、これには理由が、」

明るく出迎える銀時とは対照的に、グラサンは怯えて挙動も不審だ。

「──…万斉。話はあとでゆっくり聞く、」

 グラサンを家から追い出して、高杉は銀時を凝視する。
高杉の様子がおかしいのに気付いていないのか、銀時は小走りで高杉へ近寄ると手に持っている袋を興味津々で覗き込む。

「高杉、なに持ってるの?」
「弁当」
「……俺のもある? 食べていい?」
「てめーは服を! 着ろ!!」
「あ、そうだ。服ってどこにあるの?」

 きゅるるーと、銀時の腹の虫が鳴く。まともな食事を食べていなかったので、アイスでは全然足りない。さすがに恥ずかしいのか、銀時が頬を赤く染めてそっぽを向く。
 毒気を抜かれたように、高杉の表情から怒気が抜けた。



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