淡椿白狐


 艶のある漆黒の髪。緑の片目。握りしめている雛菊の指輪。
 表情は見えない。……見せて、もらえない。
 どんな気持ちで墓前に立っているのだろうか。気になるのだが、如何せん死んでいるので現世が見えにくい。
 決して泣き顔が見たいわけではない。いや、見せてもらえるのなら見てみたいが、好いている相手の悲しんでいる顔ほど破壊力のあるものはないから、見せられても困る。
 俺が命を懸けて守ったのだ。笑えというのは無理だろうが、悲しまないでほしい。
(……ほら、そんな泣きそうな顔すんなよ)
 馬鹿だな、って思う。そんなに悼んでも死んだ俺は蘇らないし、気持ちが晴れるはずもないのに。
 ──高杉も、同じなのだろうか。
 俺の心の中にはあの日のままの高杉がいて。
 知らないはずなのに、その高杉はずっと泣いているんだ。
 どうしてそこにいるのか、なんで泣いているのかも解らないみたいだけど、泣き続けていて。
 俺の名前を、呼び続けている。

 大事なものを守れた。
 だから心残りなんてない。それなのになぜか死んでも死にきれなかった。未練がましく、この小さくなってしまった湖から離れられない。
(いや、あんなの大事なんかじゃないから。だから寂しくなんかないし、もう会えないだけじゃねーか)
 ばっかじゃねーの、と、誰にも聞こえるはずのない愚痴を、目の前でちんたら墓参りをしている男に投げかける。何度同じ言葉を愚痴っても高杉は変わらなかった。変わらずに、無骨な名もない墓への墓参りを日課にしている。
 ちなみにその墓は魂分けした銀時自身の墓で、墓参りをしているのは生前契りを交わした幼なじみで蛟で未亡人の高杉晋助だ。
(未亡人の使い方あってる? てか、火傷治ってきてるみたいで良かった良かった)
 高杉という男は銀時がいないと無精で食事も摂らず、家事もできないダメダメなヤツだから。河童の万斉や人魚もどきの来島が甲斐甲斐しく世話をしなければ火傷はそのまま放っておいたかもしれない。
 左目はどうしようもなかったようだが、あの見目整った顔が焼け爛れて治らなかったらどうしようかと思っていた。顔だけは無駄にいいんだから、ほんと気を付けてほしい。
 目を閉じて、ずっと手を合わせている高杉の傷痕に触れようとするも、銀時の指は触れるどころか透けて通り抜けてしまった。
 ──…もう、高杉に触れるどころかこの声もなにもかもが届かない。
 ただ、それだけなのに。
 触れられなくて、この声が届かなくて、目の前にいるのに向こうからは見えないだけだ。銀時からは、はっきりと高杉が見えているし、なんなら高杉は銀時の墓参りに日参しているので実は毎日会っている。
 心残りなんてない。満足なはずなのに。──未だに銀時は成仏できないでいる。
(……最期の言葉、高杉は解ったのかな)
 最期に手渡したのは赤いクコの実と、朽ちた雛菊の花びらが一枚。高杉は覚えているだろうか、祝言を挙げた時に作った雛菊の指輪を。
 あれから春になって雛菊が咲くたびに指輪を二人分作らされた。花が褪せて枯れるとまた作っての繰り返し。面倒だから人間みたいに石を嵌めて枯れない指輪を作ろうかとも思ったが、この花がきれいだの緩くてぶかぶかだのあーだこーだ言いながら指輪を作るのはうざったいながら楽しかった。
 銀時は知っている。
 何度も雛菊の指輪を作ったけど、その全部を高杉は捨てずにこっそり保管していること。乾燥剤まで用意して、それはそれは綺麗に並べてうっすら嬉しそうに笑っていること。
(あの花びらは、燃えちゃったかな)
 クコの実でさえ煤で黒く汚れてしまったぐらいだ。雛菊の小さな花びら一枚なんて、きっと燃え尽きてしまっただろう。
 大切に、懐の中にこっそり仕舞っていたのに残念だ。
 全て燃えてしまったから、銀時が残せた物はクコの実と高杉から貰った炭化し損ねた狐面ぐらいだろうか。

「悪いな、高杉」

 ひとりにしてしまって。
 寂しく、させてしまって。
 大切な俺の伴侶。

「高杉、高杉、──…たかすぎ」

 この声が、指が、温もりが。
 もう届かないと思うと悲しい。
 お前の隣にいるのが俺じゃなくて違う誰かなんだって思うと、もっと悲しいよ。



 雪が止まない。
 ──…止まないことは、なぜか知っていた。冬の季節に、銀時が湖を訪れるのは初めてだというのに。……これはきっと、以前の銀時の記憶だろう。
 以前の銀時は、冬が嫌いで好きだった。
 嫌いだった理由は言わずもがな、蛟の高杉が冬眠してしまうからだろう。素直じゃない銀時は言葉にしたことなどなかったけれど。好きだった理由も然り、きっと誰にも言ったことがなかった。
 ……そう、誰にも伝えたことがないであろう銀時の本心を、俺は知っている。
 高い山に囲まれた湖のほとり。銀時が訪れると必ずと言っていいほど毎回、冬は雪が降っていたと思う。日参していたので、冬は雪で道を見失うし、足元はぐちゃぐちゃに汚れてしまって難儀していたのを昨日のことのように覚えている。
 雪崩の危険性だってあるし、寒いし危ないので湖へ行くのは止めろと、松陽をはじめ朧に何度となく注意された。
 それでも、銀時が湖を訪れない理由にはならなかった。
 誰も、──それこそ高杉だけじゃない。冬は湖の妖連中が冬眠してしまうので話し相手だっていないのに。
 誰もいない湖へ、銀時は高杉が起きていて構ってくれる春、夏、秋以上に通い詰めていた。
 今日とて、銀時は昨日の自分が残した足跡を頼りに雪道を歩き、湖へと向かう。
 湖底の奥深くに眠る、高杉の存在を確かめるために。

「……たかすぎ、」

 蛟ではなく妖狐になった高杉は、もう湖底で眠らない。
 ずっと銀時の傍にいるし、銀時の傍にいてくれようとしてくれる。
 ──…ほら、今も。

「ん? ……どうした、銀時」

 傍にいてくれるだけで満足だったのに。
 欲って、恐ろしいな。それだけじゃ、満足できなくなってしまった。
 俺だけのために笑って、傍にいてほしいなんて、思えてしまうぐらい強欲になってしまったようだ。

「俺を、また高杉のお嫁さんにしてくれる?」
「──…ッ、銀時、」

 高杉という男は器用そうに見えて実はとても不器用だ。雛菊の花で指輪を作ることも出来ないし、愛情表現も下手で偏っていた。
 そんな高杉を、俺なりに慕っていたよ。
 もう一度会って、話したかった。
 ──…ただ、それだけだったのに。
 記憶を思い出して、……強欲な俺は、それだけじゃやっぱり満足できないみたいだ。


   *


 ユラユラ、炎が燃えている。
 ──仄暗い景色。これはきっと、過去の記憶だ。
 野焼きとかじゃなくて、炎は灯籠に灯された灯火で。光源としては微弱で薄暗いのは変わらずだが、酒が呑めて騒げればどうでもいいのだろう。深夜だっていうのに野原で行われている宴は月明かりを伴っているので明るく、終わりが見えない。
 無礼講にしても限度ってもんがあるだろ、……ほら、主役の一人である高杉は蟒蛇のくせに酔いでも回ったのか、めずらしく舟を漕いでいる。かっくんと上下に揺れていた首はとうとう耐え切れなくなったのか、すぐ隣にある銀時の肩に凭れかかり動かなくなった。耳元ですーすー聞こえる寝息がくすぐったい。
 妖連中はどうしてこんなにバカ騒ぎが好きなんだろう。人の結婚式だって、理解しているかも謎だ。祝うとかじゃなく、ただ騒ぎたいだけなんじゃないのか? さっさと切り上げたいのに、まだ結婚式という名の宴は終わらないらしい。向こうでは未だに酒の飲み比べの挑戦者を募集している。高杉を潰した義兄弟の朧へ挑戦しているのは烏天狗の土方だ。二人とも酒に強いので、勝負は夜が明けても着かないかもしれない。もっとも、酒が残っていればの話だが。
(俺の甘酒まで飲み干されそう……)
 銀時とて酒は好きだ。甘味の方が好きだけど、酔ってふわふわする感覚や、楽しい場の雰囲気は飲みの場ならではだと思っている。高杉が凭れ掛かっていなければ参加していたのに。少なくなった甘酒を手酌でちびちび飲む。ちなみに花嫁特権で甘酒を用意させたが、もうお代わりはないらしい。もっと用意しとけっての。

「晋助は眠ってしまいましたか」
「……松陽、」

 高杉を潰した元凶その二で、銀時の育ての親でもある松陽がにこにこ嬉しそうに立っていた。もっと言うと、高杉と結婚することになった元凶そのものでもある松陽は、結婚式の準備も喜々として主導していたし、不満げな兄弟同然の朧を宥めたりもしていた。

「松陽は、俺がいなくなって寂しくない? ごはん作れる?」
「食事はなんとかするので大丈夫ですよ」
「無策じゃん。え、ほんと、もう心配なんですけど。出戻ろうか?」
「結婚二日目で出戻ったら、晋助が泣いちゃいますね」
「……泣かしとけよ、あんな蟒蛇」

 逆にあのカッコつけが泣くところを見てみたい。凭れている高杉の鼻を摘まんでやれば、苦しそうに唸っている。ざまーみろ。

「晋助の本懐でしたから」
「松陽は、高杉がなんで無理やり結婚したか知ってんの?」
「──…約束が、欲しかったんですよ」
「約束?」
「そうです。自分の元へ帰ってくる、という約束が」

 約束、と言えば聞こえは良いが、騙し討ちみたいに無理やり進められた結婚は契約となる。もっと穏やかに事を進められなかったのだろうか。

「……そんなの欲しい?」
「真相は本人に聞いてみてください」
「高杉と一緒に俺を嵌めたやつに言われたくねー」

 絶対に、高杉は結婚した理由を素直に教えてくれるタマじゃない。真実は永遠に闇へと消されてしまうやつだ。

「約束……、」

 結婚したから、銀時の帰る場所は高杉となるらしい。ちゃんと言えば考えてやらなくもなかったのに。……お互いに頑固でひねくれているから、馬鹿正直に乞い願うことは出来なかっただろうけど。
 結婚が人生の墓場になるのか、はたまた新たな門出となるのか。銀時には予想もできない。
 ただ一つ言えることは、たった一回の人生を楽しむしかない、ってことだ。
 高杉の鼻に触れていた手を伸ばし、虚空に掲げた指先で円を描く。反対の左手は無意識なのだろうか、高杉にぎゅっと握られてしまっているので動かせない。薬指に嵌められたままの雛菊の指輪ごとぎゅっと掴まれたままだ。
 円をくるくる描いていれば、ふわりと鬼火が湧いて出る。──鬼火は狐火ともいうらしい。鬼子と疎まれていた銀時が得意とする炎舞のひとつでもある。

「──おい、そんな弱い火じゃつまんないだろ?」

 燃えていた炎が激しく揺らめいたと思ったら、ひとつふたつ、みっつよっつと増えていく。無数に増え続ける狐火は宴を囲い、弾け散っては再び湧き出ずり、場を盛り上げる。酔った勢いは恐ろしく、もっと増やせとヤジが飛んでくる始末だ。炎帝とも呼ばれる炎の巧者である銀時が本気を出したら、この宴どころか原っぱが吹っ飛ぶほどの火力があるというのに。酔いを醒ましてやろうか、と、凭れて眠る蛟の顔を覗き込む。
 静けさを好む高杉がこんなに五月蠅い中でも爆睡しているのは珍しい。周囲が気にならないほどリラックスしているのか、それとも居心地がいいのか銀時には解らなくて首を振る。
 結婚したのだから、こんな状況が毎日始まるのだ。

「……その約束って、死んでも有効なのかな?」

 高杉の眉間に寄った皺をぐりぐり押しながら、ふとした疑問を呟く。
 銀時の呟きに、答えてくれる声はなかった。


   *


 蛟の高杉は冬にめっぽう弱かった。
 変温動物というらしい。外界の温度変化に従って体温が変化するらしく、高杉は暑いのも苦手だが寒いのも苦手で。冬になる前に深く眠り、越冬のため冬の間は冬眠してしまうのだ。
 高杉本人はとても不本意らしい。起きていられないかと、こくん、こくん何度も舟を漕ぎながら細くなった両目でうっすらと傍らの銀時を見つめる。
 しかしそれも限界だったようで。高杉の傾いた頭が銀時の肩にぶつかって止まる。
 一方の銀時といえば、炎舞の練習中なのであまり近付かないでほしい。火力の調整が苦手ゆえに、九尾と認めてもらえないのだ。せっかくの九尾が寂しそうに揺れる。がっかりなんてしていないし、高杉が寒そうだから炎舞を練習しているんじゃない。

「高杉、起きてる?」
「──…あァ、起きてる。てか、冬眠なんてしねェし」
「そうなの? 万斉くんは冬眠してんじゃん。また子ちゃんも」
「なんだ、二人に会いたくて寂しいのか?」
「ばか。寂しいのはてめーの方だろ、高杉」

 高杉の眼は開いてない。ほとんど寝言のようなものだ。銀時の声に反応してなんとか会話は成立しているものの、これ以上起きているのは難しいだろう。
 一瞬、会話が途切れたときに、すぅー……という高杉の寝息が聞こえてきたし。

「……」
「湖、凍っちゃう?」
「──…、銀時」
「ん?」
「寒い」
「……うん」
「寒くて、暗くて、静かで、水の中の方が温かい。寒くて眠たいが、凍り付いて死にそうで怖い。春が待ち遠しくて、憎い」
「無理しないで、冬眠しちゃえば?」
「てめーに、会えない、だろ」
「は? 高杉、どういう意味で……」

 銀時の問い掛けに、高杉の返事はなかった。
 重くなる肩。近くで聞こえる寝息。
 くすーっと幸せそうな寝息を繰り返す湖の主である高杉は、今年も無事に冬眠したようだ。
 もう、春まで高杉に会えない。
 ──もう、冬が終わるまで高杉は起きない。
 どんどん冷たくなっていく高杉の温もりが惜しくて、銀時はぎゅっと抱きつく。眠っている間のことを高杉は覚えていないのだから、別に構わないだろう。今さっきした寝言のようなどうでもいい会話の内容だって、高杉は覚えていないだろうし。
 銀時が、覚えていれば問題ないのだから。

「俺は、起きてくるのちゃんと待ってるからさ。……おやすみ、高杉」

 冬が来る前に、銀時にはやるべき仕事がある。
 眠ってしまった高杉を水の中、湖の底へと運ばなければいけないのだ。
 湖はそれ自体が強い結界になっているので、無防備な高杉を放置しておくより安全だから。誰も干渉できないように、深く深く、暗くて静かな湖の底へと運び込む。
 水が苦手で、泳げないカナヅチの銀時でも、この作業は誰にも譲れなかった。
 春になるまで高杉に会えなくなってしまうから。番で伴侶の自分だけの特権だと、高杉を強く抱き締める。
 水の中って便利だよな。……涙も、泣き声も何もかもを隠せてしまう。
 震える手で、必死に水底へと高杉を沈める。こんな浅瀬じゃダメだ、もっと中央の、水深のある深い場所が良いらしいけど、なかなか足が進まない。
 げほっと、息が詰まるのは水の中で呼吸がしにくいからだ。目の奥が痛いのも、温かい水が頬に触れているのだって、決して泣いているからじゃない。
 鈍る決心を振り払うように、銀時は頭を振る。
 冬が終われば、また、高杉に会えるから。春になれば、高杉との他愛ない生活が再び始まると、解っているのに。
 高杉に会いたいのに、会えなくなる。
 触れたいのに、触れられなくなってしまう。
 その現実に抗い、高杉の余韻に浸るように、銀時は高杉の冷たい躰を抱き続けた。
 ──高杉がいないと、やっぱり寂しい。


   *


 紅葉が終わってしまった。
 湖の周りの見事だった紅葉も散り、落葉した葉がすごい積もっている。
 高杉が起きていたら、過度の落葉は水質を濁すって拾うのかな? それとも濾過するために必要だって残すのかな?
 わかんないから、そのままにしといた。
 ただ、散らずに残っていたくすんだ赤い楓の葉と、黄色い桂の葉を高杉に見せたくて湖に浮かべてみたり。
 見えてるかな? 秋の名残りだぞ。
 もっと赤く照っていたのに、くすんだ赤い楓の葉しか見つからなかった。
 桂の葉って、なんでこんな変な形してるんだろ。ヅラも変なヤツだし、仕方ないのかな。
 秋が終わって、冬が来る。
 高杉に会えないし、冬はつまらない。
 ──はやく、冬も終わってしまえばいいのに。


   *


 今日は甘く、熟れた柿を食べた。
 柿の季節ももう終わりかな。
 木に残っているのは渋柿ばっかで、食べる気がしない。やっぱり甘い柿がいいよ。ちょっと固めの柿もいいけど、じゅくじゅくに熟して柔らかい柿も好きだな。
 干し柿を作って冬の間の保存食にしようと思っていたのに、見てたら耐えられなくなって食べちゃった。
 だって干し柿にしなくても美味しいんだよ? 今食べたって問題ないじゃん?
 ──けど、高杉と一緒に食べたかったかも、なんて。食べてから思っても遅いな。残念。


   *


 今日は林檎を食べた。
 蜜は少なめで、甘さもそんなになくて、食べるのをもうちょっと待てば良かったと思っても後の祭り。食べちゃうよ、茶色く変色する前に。
 それかアップルパイでも焼けばよかったのかな。林檎もいろいろ種類があって、この林檎はアップルパイ向きの林檎じゃない気がするんだけど。逆にアップルパイ向きの林檎ってなんだっけ? 紅玉? 王琳?
 わかんないから食べちゃっていいよな。アップルパイは今度作るわ。
 甘いから高杉はアップルパイ苦手かな? 俺の作った料理は文句を言わずに食べるから、きっとアップルパイも食べてくれるんだろうけどさ。せっかくなら、高杉が美味しいって思うものを作りたいじゃん?
 ──高杉は眠っているから、聞けないけどね。


   *


 今日は蜜柑を食べた。
 なんか、食べた物のことばっかり報告してるな。明日は違う話題を考えておくよ。焼き芋か焼き栗かな? あ、これも食べ物じゃねーか。
 高杉がいないと、話題に困るな。
 まあいいか。来てやってるだけでも、感謝しろよ?
 で、そう、蜜柑。
 松陽がどこからか美味しい蜜柑を貰ってきたんだ。小さくて薄皮の、剥きづらいんだけどとても甘くて美味しい蜜柑。
 高杉も蜜柑好きだよな? 味が薄いっていいながら、たくさん蜜柑食べてるもんな。
 春に食べる蜜柑も、金柑の蜜煮も美味しいけどさ。
 ──この甘い蜜柑、食べさせてやりたいなぁ。


   *


 今日は初雪が降った。
 寒いし視界が悪いから湖へ行くのは止めた方がいいって松陽に止められたけど、来ちゃった。
 すぐに帰るから、怒るのだけは勘弁な?
 ほら、もう日課っていうか、高杉に会いにいくのが日常になっちゃってるから、なんか、ここに来ないと変な感じになる。
 雪、綺麗だな。
 高杉は月を見て綺麗だって言ってたけど、俺は白い雪が降っているのも綺麗だと思うよ。
 寒いけどさ、世界が真っ白になって、なんも音がしなくなって、それで、静かに閉ざされていく感じがいいよな。
 ──高杉に、会いに来てるのは俺だけだって優越感が堪らない。


   *


 今日は湖の水が凍っていた。
 これ以上凍ったら、末端冷え性の高杉にはキツイだろう。狐火で炙ってみたけど、氷ってなかなか溶けないのな。休憩用に持参したお茶を注いでもだめだったし。
 てか、湖の中って深いとこは温かいの?
 近くに温泉があるから、高杉が言うほど寒くはないんじゃないかな。絶対、地上の方が寒いって。
 比べたいけど、俺はカナヅチだから水に潜れないし。比べてほしいけど、高杉は眠っているから無理だな。
 起きたら教えてよ。湖の底の水は冷たいのか、温かいのか。
 ……俺は、とても冷たく感じたよ。
 寂しくて悲しくなるから、長居したくない。
 陽の光が届かないあんな薄暗い中へ、頼まれていなければ行きたくなんてないし。
 毎冬、水底に高杉を置いときたくないんだ。どうにか出来ないかな?
 雪に埋もれて、真っ白な湖。凍った湖面。
 ふいに、道すがら拾った暖かそうな赤色の花を思い出した。花ごと丸っと落ちていた、椿の花だ。首が落ちるようだと、一部の人間は厭うらしいと誰かに教わった。
 ──この花、どこかで見たことあったような……。


   *


 雪が、解け始めた頃だった。
 耳をピンと立てて、キョロキョロ赤い眼が周囲を警戒する。包帯が巻かれた両手足はもう痛くない。走って逃げようとすれば出来るけど、銀時を手当てした妖狐が悲しみそうなので出来なかった。
傷だらけだった手足の傷は、両親や兄弟から受けたものだ。それを治そうと手当てしたのは違う妖狐なのだから、何かしらの因縁を感じる。
 疎まれているのもわかっていたし、嫌われているのも感じ取っていたので。銀時はここに来た当初から部屋の片隅で膝を抱え込み、じーっと襖が開かないよう祈るのが常だった。襖を開けて入ってくる輩は銀時を見つけると容赦なく暴力を振るってくることがある。みんな、あいつらと一緒だ。
唯一、しょうようというヤツだけ優しかったけど、いつまで優しいか解らないし、……信じられない。
 傷の手当てをしたのは、気まぐれかもしれないから。
 銀時はぎゅっと身を縮こませて、息を殺す。
 自分は、イタン、……らしい。
 ──異端。異質なモノ。だからか知らないが、爪はじきにされ、知らないヤツに引き取られた。何が異質なのか、銀時には全く解らなかったけど。みんなの真似をしても、溢れ出ようとする炎の怨嗟を抑え込んでもだめだった。
(……なにをしても、もうだめなんだろう)
 子狐の銀時は、絶望しか知らなかった。──あの時までは、本当に絶望しか知らなかったんだ。

 その日は来客が多く、しょうようは忙しそうで。食事を持ってきてくれるのも遅かったし、忙しなくパタパタ走り回っているのも知っていた。
 だからこそ、銀時は誰にも見られないよう、部屋の隅ではなく押し入れに隠れたりもしてみたけれど、常に感じる他者の気配にとうとう耐え切れなくなって窓から飛び出した。
 残雪を除け、外からは見えにくい庭木の根元に潜り込む。汚れたって構わない。──自分の身の安全が一番なのだから。
 ごそごそ身を捩っていたら、ぽとりと何かが落ちた。それが花だと銀時が認識するまで、時間は掛からなかった。誰の気配も感じないときは、襖ではなく障子の隙間から窓の外をぼーっと眺めるのが日課になっていた。名前は知らないが、きれいな花が落ちてしまう。
 咄嗟に伸ばした手に、花が落ちてくることはなかった。銀時の小さな手の上にもうひとつ、違う、武骨で大きな手が差し伸べられたから。

「……欲しいのか?」

 逆光で、顔はよく見えない。
 手の大きさからいって成人男性で、しょうようとは違う、水の気配がする妖だった。

「え、……いらない」
「いらないのか? てめーと同じ、綺麗な色だぜ」
「おなじ?」

 花を、眼の傍に近寄せられたと思ったら、ぽんと頭の上にのせられた。花が落ちてしまうので両手でそっと包み、凝視する。真っ白な自分と、どこがこの花と同じなのだろうか。
 不思議そうに花を見つめる銀時を、男は軽々と抱き上げた。

「その花は、縁起が悪いンだと」
「…………えんぎ?」
「首が落ちるみたいだって、人間は嫌うらしい」

 銀時そのものだと、男は嘲笑いたいのだろうか。訝し気に身を強張らす銀時から、男は花を奪うと恭しく口付けた。

「てめーと出会った時に咲いていた花だ。逆に縁起良いだろ?」

 嬉しそうに嗤う男に、見惚れてしまう。
 落とされないよう、銀時は男にぎゅっとしがみ付く。
 ──初恋だったと言ったら、高杉は笑うだろうか。


椿の花言葉 : 「控えめな優しさ」「誇り」

     赤:「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「謙虚な美徳」
     白:「完全なる美しさ」「申し分のない魅力」「至上の愛らしさ」
   ピンク:「控えめな美」「控えめな愛」「慎み深い」


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