泡椿白狐


 白い毛玉。赤い瞳。焦げ付いた狐面。
 見慣れたそれらはあるのが当たり前のものだった。
 それが形見になるなんて、高杉とて今の今まで夢にも思っていなかった。──形見、とは良く言ったものだ。高杉が知る、最後の銀時の姿は生前とは違い、見るも無残なものだった。

「……銀時、」

 忘れるものか。──忘れて、なるものか。
 力を加えれば砕け散ってしまいそうな狐面の、隅に残る焼けついた焦げ跡をなぞる。黒く、煤が指先を汚す。銀時だったからこれだけで済んだのかもしれない。高杉だったら、ひとたまりもなかっただろう。
 もう二度と失いたくない。……手放したくない。
 そう思っていたはずなのに、それが何だったかを全く思い出せない時が、ある。
 虚無と虚構。
 拒絶と虚栄。くだらない意地。
 空白と、ぽっかり空いたままの胸中。
 失ってから気付いても遅いのに。後悔という言葉の意味を身を以って知る。
 何もなかったのに、あると勘違いしていたのかもしれない。とんだ道化を演じたもんだ。 
 そう、俺には何もない。
 俺の心の中には誰もいなかった。
 ふかふかの、座り心地の良さそうな座布団の周りには饅頭や大福、金平糖や食べかけの団子など高杉が好んで買いそうにない甘味が所狭しと置いてあり、誰かがいた形跡はあるのに。
 けど誰もいなくて。
 この先、ここに誰かが座ることはないと解っているけれど、呼ばずにはいられない。


 小さな手足に、漆黒の毛艶。
 一族の誰にも似ない毛色は珍しく、誰かが罪の色ではないかと囁いているのが聞こえた。……なるほど、一理ある。ごわごわ焦げ付いたような闇色の毛並みも、なぜか片眼が見えないのも、その罪のせいだと思えば納得せざるを得ない。
 おかしな話だ。生前の業を背負って再び生き、贖罪をしなければいけないなんて。
 ──…ただ、それは確信でもあった。
 大事なものを失くした、……いや、失くした気がしていたから。
 来世でも罪を背負い、しかも大事なものを失っているとは滑稽だけれども。
 なにか、大切なものがすぐ隣にあったはずなのに。
 子細は覚えていない。白くてもふもふして鬱陶しいながらも必ず傍らにあって温かかったそれは、気付いたときには消えていた。
 いつの間にか、在ったはずのものが無くて。とても寂しくて。なんだったか思い出せないのに、ずっと喪失感が拭えず、違うもので紛らわせようとしたのに出来なかった。
(俺は、何を忘れているのだろう……)
 答えを探し求めても一向に思い出せない。無為に生きている毎日だった。

「──…ゆき」

 白い、一面の銀世界。
 なにも音がない。
 薄暗く、光も希望もない、極寒の冬。
 現実問題として冬は食べる物がない。冬眠して越さなければ生きれるはずもないのに、眠ることも、生きることも拒んだ。死だけが横たわる、無為の世界がそこにはあった。
 初めて、見る。これが、──…雪。
 世界を覆い隠す白い断片。触れると溶けてしまい、触ることのできない雪が頬に落ちる。冷たい雪はまるで、誰かが泣いているようだ。
 それを見て、唐突に思い出した。

「ぎ ん と き」

 なぜ忘れていたのだろ。
 すべて、持ってきたはずなのに。
 やっと俺のものになったのに、死なせてしまった。
 失くしてしまった。
 救うことが、できなかった。
 大切な俺の片割れ。

「銀時、銀時、──…ぎんとき」

 この声が、指が、温もりが。もう届かないと思うと悲しい。
 ──もう会えないのが、悲しい。
 よかった、罪が残っていて。
 まだ、俺は、許されていない。許されては、いけないんだ。
 銀時が死んだのは俺のせいだから。あいつがいない世界で、この罪だけが俺を生かす理由となる。
 あいつだけが、俺を殺す理由になるんだ。
 ……ぽつり。
 何かが降ってくる。
 雨じゃない。とても冷たくて、白い雪は誰かの涙のようだ。
 もっと積もればいい。
 覆い被さって、白く隠して、色も体温も全てを奪って。
 何もかも奪い尽くして。

「──…消えて、しまえればいいのに」

 雪が降って。
 何も見えないというのに。
 いつも嬉しそうにやって来ていた。

「ぎんとき」

 最期に、なぜ泣いていたのだろう。
 なぜ俺を庇ったのだろう。
 なぜ赤い実を俺に渡したのだろう。
 なにを言いたかったのだろう。
 なにを、伝えたかったのだろう。
 本音を言わない、言えない銀時の最期の言葉が気になって死んでも死にきれない。

「はやく、帰ってこい」

 銀時がいない冬を、俺は何度越せばいいんだ。
 冬だけじゃない。春も夏も秋も、お前がいない山で、お前がいない季節を巡るんだ。
 どんな気持ちで、ずっと待ち続けているかなんて知らないだろう。
 それも全部、再び銀時に出逢うために。
 高杉は祈るように季節を巡り続けた。


   *


 子狐の銀時はあまり家の外に出ない。
 年が近い友達や遊び相手がいないのもあるが、前の銀時と比べられるのを極端に嫌っている節がある。高杉も注意しているが、遊び相手をしていると否が応でも感じてしまう。──こいつが、銀時であるという事実を。
 甘い物には目がなくて隠し持っていても目聡く見つけたり、マガジンよりジャンプが好きだったり、普段はやる気がないくせに家事全般が得意だったり、料理は甘いものしか作ろうとしないのが玉に瑕だがなんとなくで美味い料理を作れるのでいつでも嫁に行けるレベルだったり、毛繕いが好きだったり、その延長でこっそり悪戯でもするように口付けを交わすのがするのもされるのも好きだったり。
 比べるまでもない。銀時は生まれ変わっても銀時だ。
 子供であろうと、俺の番の銀時でなかろうと。
 銀時がいる、という事実だけで報われた。
 だからこそ俺は、今の銀時に贖いをして罪を許されたいのに、逆に俺が銀時に救われてばかりだ。
 高杉は銀時を膝に乗せ、自由に跳ねる銀髪を櫛で梳く。冬になり、換毛で毛量が増えたのでいつもより跳ねまわっている。……先程まで、炬燵に頭から突っ込んでいたのもあるかもしれないが。
 梳くたびに揺れる、銀時の髪色と同じ色をした外の景色を思いながら高杉が呟く。

「今年は雪が深いなァ」
「ゆき? あの冷たくて白い、甘くないやつ?」
「食べたのかよ……」
「お砂糖みたいで美味しそうだったから!」

 銀時の言う通り、雪がぜんぶ砂糖だったら甘ったるくて胸焼けしてしまいそうだ。口直しでもするように高杉が煙管をくゆらせる。吐き出される白い煙には興味ないのか、銀時はとてとて障子へと向かうと少しだけ開き、外の様子を窺った。
 銀時は遠出をしたことがない。
 出歩いても家の近くで、秋口、無意識に辿り着いた墓前が最も遠い場所だろう。それぐらい、どこへも行かないのだ。
 活発でどこへでも自由に飛び出してしまう子供らしくないが、以前の銀時と比べられたくないので外出を控えているのかもしれない。高杉にとっては好都合だから構わないけれど。
 じーっと、銀時が雪の降る前とではまったく変わってしまった外の景色を眺めている。
 ……がたり、音がしたと思ったら、もうすでに銀時の姿はなかった。てんてんと、雪に足跡が残っているだけで、影すらない。
 慌てて高杉も追いかける。深い雪を駆るなら人の足では追いつけない。変化を解き、狐の姿で銀時を追う。
 足跡のついてる方向的に、銀時は湖へ向かったようだ。なんでよりによって今なんだと、高杉が舌打ちをする。高杉は蛟だった影響もあり、寒さに強くない。気を抜くとどこでも眠くなってしまうので厄介なのに。
 高杉の心中など知らず、子狐の銀時は走り続けているようで。高杉が全速力で追いかけているというのに、追いつくどころか姿形も捉えられない。
 湖へ向かったのが確実なら、崖を下ってショートカットするのに。どこへ向かっているか解らない状況でそれは得策ではなく、ただひたすら見失わないように銀時の小さな足跡を追い続ける。
 野原だった雪原を抜け、葉が落ちて雪が積もった山林をちょこまか迂回しつつ、墓前さえも通り過ぎて辿り着いたのは、雪に埋もれてしまいそうな湖だった。
 ──昔はもっと大きかったのに。感慨深く思いつつも見渡せば、雪景色に馴染んで消え入りそうな銀時を見つけた。
 白く、雪が降り続き。
 積もった雪は溶けることなく。すべてを覆い隠しながら。
 湖の淵にぽつり、人型の銀時が立っていた。
 雪の中を長時間駆けたのだ、冷たくなってしまったであろう体を温めようと人間へと変化し、銀時の頭に積もった雪を払い、その小さな体を抱き寄せる。

「寒いだろ。帰ンぞ」
「……みずたまり」
「水溜まり、かァ。昔はもっと大きかったンだがな」
「むかし?」
「あァ。蛟の俺がヌシだった頃な」

 蛟は水を司る。高杉がいたから湖ができたのか、湖があったから高杉が棲み着いたのか、いまとなってはもう解らない。
 ただ一つ言えるのは、湖がなければ蛟の高杉は生きてはいけない、ということだ。

「──…銀時」
「どうしたの? たかすぎ」
「あの山が見えるか」
「やま?」

 高杉の視線の先には、湖の向こう、深い森の奥のずっと先にとても高い山が連なっている。
 松陽が守っている山の領域は広く深い。あの山も領域の中になるのだろうか。しかし、どういうことだろう、あの山を見ていると怖くて堪らない。
 銀時が目を逸らしたのを察して、銀時を抱き留める高杉の腕の力が強くなった。

「……」
「怖いか?」
「こわくない、けど。なんかやだ」
「あァ、そうだろうな」

 高杉は眼を細めながら、山を見つめ続ける。
 子狐の強がりなど、かわいいだけなのに。

「あの山は活火山だ。いまも生きて、呼吸をしている」
「こきゅう」
「あの山が噴火し、流れ出た何千度という高熱の岩漿から俺を守って、てめーは死んだんだ」
「え、」
「……俺なんかを、守らなくていいのに」

 湖がなくなれば、水がなければ、高杉は生きられない。
 銀時と一緒に居続けて炎に耐性ができたとはいえ水の性の蛟。何千度もある高熱の岩漿は耐えられない。──しかしそれは銀時も同じで。
 炎帝と呼ばれて炎を操るのに長けた銀時や狐の長である松陽でさえ、短い時間なら持ちこたえることが出来るかもしれないが、触れ続けることは不可能だ。
 不可能、…だったのに。

「銀時が立ち塞がったお陰で岩漿の進行を食い止めることができた。湖は縮ンじまったが、銀時の命と引き換えに俺は生き残った」
「……かなしい、の?」
「てめーがいないのに、無為に生き長らえた」
「なかないで、たかすぎ」
「てめーが死んだら意味ねェのになァ……」
「高杉を守れて、俺は嬉しかった」
「──…銀時…?」
「だから、悲しまなくていいよ」

 甘い睦言もなかった。
 夫婦になったがそれは建前で。祝言を挙げてから同じ屋根の下で一緒に暮らすようになったとはいえ、以前と同じような腐れ縁というか悪友のような関係が続き、お互いに干渉することもなかったし、それ以上を求めることもなかった。
 ──…それでも。

「俺は、ずっと高杉の傍にいたかった」

 高杉を守った理由はそれだけだから、泣かなくていいよ、と、銀時が笑った。



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